おおかみがあらわれた
・・・なんてことを考えながら、汗をだくだくにして私は山を登っていた。
この美しい山には森があり、この季節は花が美しく咲き乱れている。
のだが、そんなものが一体何だというのだ。
「はあ・・・死ぬぅ。疲れたよお。」
犬みたいにべろをハッハさせながら岩と木の根だらけの山道の急斜面を登っていく。
何も考えられなくなるくらい足を棒にして歩いていたところに急に茂みから、一匹の・・・大きな犬?熊じゃない・・・そうだ、図鑑とか動物園で子供の時に見た、おおかみだ。
おおかみが飛び出してきた。そして、こっちを見てうなっている。
おおかみがあらわれた。
たたかう?
にげる?
どうする?
なんてやってる場合じゃない。
おおかみは、こっちを一瞥し、また体をかがめたかと思うとジャンプして茂みの中にガサッと入っていった。
「あれって、おおかみ?すげーのみちゃった。」
と目を丸くしながら、茂みのほうを眺める。
茂みの中からうなるような、だけどハスキーで穏やかな声が語る。
「おじょうさん・・・何しに来たんだ。こんな山に。」
私は、不思議とびっくりすることも驚くこともなかった。それはなぜか自然のようなことに思われた。
「・・・家出。学校も当然さぼってんの。」
ほんのちょっとの恐怖が正直にそういわせたのか、この不思議な存在に対して親近感を持ち、心を開きたかったからなのかはわからない。
「・・・・」
茂みの向こうの存在は、ふたつの青い眼光をこちらに向けて光らせている。
おおかみって「一匹狼」なんていうように単独行動のイメージがあるけれど、だったら、私も「ぼっち」の不良だ。
「襲ったりしないよね。おおかみさん。
・・・ま、別にそれでもいいんだけどさ。
私、別に今死んでもいいと思ってる。生きてきていいことなんて一つもなかったし、これからの人生も絶望的だし。」
なんて、汗ばみながらつい明るく言い放っちゃう。
沈黙の奥から、あの犬というか狼独特の、押し込めたような唸り声がかすかに聞こえる。
「ねえ、おおかみさん、あなたにも人生ってあるの?
いいよね、動物は。
ただ、本能の従うままに、生まれて、狩りをして、生き延びて、交尾して、死んでいくだけでいいんだから。
だけど、人間はね。
それだけじゃ生きていけなくて、『意味』っていう面倒くさいものがなんにでも必要なんだ。それがないと、きっと人は死んでしまう。
・・・聞いてた?
というか、聞けるわけないよね。
うん、もう行っていいよ。襲ってもいいよ。ありがとう。」
としゃべった瞬間、またいつものやつだ。
胸が苦しくなって、頭が回らなくなる。
私の体はコントロールが効かなくなり、その場に倒れこむ。
そう、私は生まれつきこういう病気があって、病名すらよくわかっていない。
医者に行っても、原因も病名もわからないので、治療のしようもない。
挙句の果てに「精神的なところからくる仮病」だって。
幼い時から、いつもそうだ。
頭は悪かないし、体だっていっちょ前に動く、体力もある。
だけど、こういう病気のおかげで、みんなと同じことができたためしがない。
「みんなと同じにする」とか「みんなと同じである」ってことがうざいったらありゃしない。
だから、こんなひねくれた性格になったんだろうな。
私は、意識をなくしながら、自分の肌と地面が触れる冷たい感触を感じていた。
そして、眼前にあのおおかみが寄ってこちらをのぞき込んでいるのをが目に映りながら
「ああ、やっとこれで人生終わることができそうだな」なんて考えてそのままあとは覚えていない。