人生なんてくそだ
ある日、森の中、おおかみさんに出会った。
花咲く森の道、出会ったおおかみさんは眼鏡をかけたかしこそうなおおかみさんだった。
*
私はリコ。一五歳。
盗んだバイクで走りだしたり、夜の校舎を窓ガラス壊してまわり、校舎の裏でタバコをふかしたり、
・・・そんなことをする勇気すらないごくごく普通の中学生だ。
でも、本当に自由になりたい。
学校もクソ。友人もいたにはいたけれど、なんだかすべてにふっとむなしくなって、いつの間にかぼっちになった。
仲間たちと家出の計画を立てたいけれど仲間がいないから単独で家出の計画を立てたのだ。
特に家族。
そして、特に、いちばんは・・・自分自身。
私は、自分のことが嫌いだ。
今日は学校をさぼって行くところがないから、登山。
うん、登山。
ゲーセンでも喫茶店でもコンビニでたむろするでもなくて。
健康的でしょう。
みんなが通学していく方向とは反対の方向に電車を乗り、できーるだけ遠く遠く遠くに行く。適当な無人駅に目星をつけてそこで何となく降りてみる。
そんなことがしたいなって、前々から思っていた。
スマホの電波のつながるところは、地獄。誰も人のいないところに行きたい。
スマホの電源を入れた瞬間、たくさんの私を責めたり嫌がらせのお知らせがどっさり届く。
「なんでラインを返さないの。」「冷たい人間。」「お前、見てて笑える」って。
「死ね死ね死ね」って画面ぎっしりに。
私が何をしたっつーの。
変にやさしくしちゃつけあがり、面倒くさいからって距離を置こうとするともっと大変だ。
気にしなきゃいいって言われても、だけど、気にしてしまう。
気にしていないと、私は無責任で卑怯な存在になってしまう。裏切り者になってしまう。
ラインをやらない私は罪びとなのだ。
あれだけ何をするにも一緒でいつもラインや通話で朝から晩までつながるほど仲の良かった友達が、私が「自分らしく生きたい」って言って反応しなくなってグループで別行動をとっただけで、手のひらを返したように態度を豹変させてきたわけ。
私は「ぼっち」になった。つまり孤立した。
そもそも学校は、そういうこと、つまり、学校外での不純なやり取りや込み入ったトラブルに関しては立ち入ることもできず、「やるほうが悪い」ってなってるからいくらつらくても相談はできない。つーか、無論関わってほしくない。
強がっていた。
こんなの何でもないって。
だけど、頭ではわかっていても心は苦しくて仕方がない。
なんでこんなにしんどいの。
本当にしんどい。寝れない。お肌に悪いじゃないか。
ベッドに入り目をつぶってもあいつらの容赦ない嫌がらせの言葉があたまの中でリフレインされる。誰も自分の気持ちなんてわかってくれなくて、ただ、あいつらは私をのけ者にして、いじって遊んでいるだけ。
・・・私は、人間を信じていない。
大人も子供も、この世の中も信じていない。
優しさなんてすべて嘘だ。うまくいっている時はいいけれど、ある時それは憎しみにかわる。
人間はみんなくそだ。
親も教師も友人も、無関心な人はもちろん、優しく見える人も一皮むけばどうなるかわかったもんじゃない。
だったらお前はどうなんだっていうと、たぶん、いやきっと私自身が一番のクソヤローだ。
つまり、人間はみんな本質的にくそ。
なんで生まれてきたのかわかったもんじゃない。
なんてゲラゲラ笑われるような、きっと私以外の誰も考えてないであろう(思っていたとしても公言はできないであろう)メンヘラチックなことを考えながら、無人駅の改札を出て、自動販売機でペットボトルの水を買って、そうやって、ぶらぶらと人けのない道を山に向かって歩いていく。
制服姿で、リュックをしょって田舎道を歩いていく15の少女なにやってんだって自分でも笑える。
なんで、そんなとこに行くのかって?
理由は学校や家からの逃避がその一。
逃避するにしても行き場所はスマホの電波の届かないところがいい。
そうだ、そんな場所は山奥と決まっている。一番の近場が、家から電車で二三時間で行ける場所だった。
あとは、昔見た映画で、山奥が舞台というところがあってそういうのにあこがれていたのもある。
周りには、畑と山ばっかり広がっている。
コスモスや名前の知らない花が咲き誇ってる。
そして、誰もいない。
ほんの少し自由になれた気がした。
ワクワクと少しの不安と、不安と、ものすごい不安と不安と不安ばっかりだ。
「私は運がいいんだ!大丈夫大丈夫大丈夫」っておまじないのようにつぶやく。
人間が嫌いだ。
山はいい。誰もいないから。
でも、誰も人がいない場所なんかでも、私の頭の中では、ずっとずっと、たくさんの人がいて、そのしがらみの中から私はずっと逃れられない。
食事をしている時も、勉強をするときも、トイレに行くときも、そこには私以外の誰かがいつもいて、何か細かいことの一つひとつ口出しをしてくるんだ。
「ああしたほうがいいよ、こうしたほうがいいよ。それはだめだよ、あれはだめだよ。」って。
そうしないと怒られるから黙って私ははいとうなづくだけ。
自分の身体とか体調のリズムとかそんなことまでみんなお友達に打ち明けて言わなきゃいけない、共有しなきゃいけない。自分の生活はまるで何一つ私のものが残されていなくて、私は特定多数の「みんな」の所有物みたいだ。学校も、家も、私のことをロボットみたいに所有してコントロールしてこようとしてくる。
その割に、みんなは、私の気持ちのことなんかに関してはちっともわかってくれない。
そしてそれは、ふつうのことで、あたりまえのことで。
私は何もしてないのに、だれかを助けようとすると「人をコントロールしないで、介入してこないで」と嫌われたのだ。
一体どっちなんだよ、悪いのは。・・・確実に私だよな。
いやだいやだいやだいやだ。
胸の内からざわざわとした気持ち悪い感じがして、それを何とかしてでも追い出したくなる。そいつを追い出すためなら死ねる人間の気持ちがわかる。
そいつを追い出すために私は血を抜く。
けがれた思いでいっぱいに飽和した自分の血を外に出すために、カミソリでほんのちょっと自分の手首にすーっとやる。
まもなく、汚れた血がじわりとにじんで滴り落ちる。
それをみると、落ち着く。
それが根本的な解決にならないとわかりながら、たぶんこうするしかないんだ。
こうしているのは、誰も知らない。クラスメイトも親も先生も。
みんな私を追い詰めてくるような奴らばっかりだから。
どうせ、「きもちわるい」とかいってくるんだろ。
こんな窮屈な世界でなぜみんな平気で笑っていられるの。
誰も、私のことなんかわかってくれない。
「そんなの誰にでもあるよ」
「そんなので苦しいんなら社会に出たらやっていけないよ。」
と言いながら、いざ弱音を吐こうものなら、
「命は大切だ。」とか「なんでそんなに暗いことを考えるの。」
ざけんな。
どっちなんだよ。
それに、学校というやつはそれに輪をかけて・・・。
あははっ。
みんなの前で自殺でもできたら、そして生徒も大人もみんな罪悪感でいっぱいになって一生不幸になれば、さぞかし気持ちいいだろうなあ・・・。
みんな笑うかな。恐怖で人生めちゃくちゃかな。
まあいいや。
そんなあほなことで私は死なない。
でも、ここらへんだったら、死ぬのにいいかも・・・なんて冗談冗談。