臆病者の勇者 4
よろしくお願いします。
やがて、朝になりました。自室で身支度の最中です。
昨夜、部屋に戻った勇者様は眠れたでしょうか。私は何だか、眠れませんでした。勇者様に何か言いたいのに、何も出てこないもどかしさが、心の中でグルグル回っていました。けれど、昨日きた勇者様は今日の朝には、旅立ってしまいます。少なくとも、それまでの間は、全身全霊を込めて、おもてなしすることにします。
今日は髪の毛をいつもより強めに縛ります。それから、手のひらで、パン!と頬を叩きます。少し痛かったですが、このくらいの方が、気合が入ります。
× × ×
朝食を作っていると勇者様が起きてきました。
「おはようございます。昨晩は眠れましたか?」
「うん、まあ」
勇者様は苦笑いをします。
私はフライパンで焼いた目玉焼きを皿にのせ、今朝取ってきたばかりの牛乳を、コップに注ぎます。それを机の上に持っていこうとするとき、あろうことか、目玉焼きがのったお皿を落としてしまいました。けれど、勇者様が素早い動きで、お皿を地面に落ちる瞬間にスライディングをするようにして掴んでくれました。
勇者様は、驚いています。なぜなら、先程まで部屋の入口にいたのに、瞬間移動のように、私の目の前に現れたからです。
「どうして……」
勇者様は地面にお尻をつき、固まったままでいます。
「勇者様、天界から授かった力が今日になって開花したのですよ!」
けれどそれは、もうすぐそこに旅立ちがあることを示しています。
「そういえば、女神がなんか言ってたような……」
勇者様は呆然としています。
「あ、これ」と忘れていたように、お皿を私に渡します。
「あ! 失礼しました! ありがとうございます!」
忘れていたのは、私の方でした。
× × ×
勇者様は本当にゆっくりと朝食を召し上がります。一口、一口、味わうように。
お箸できれいに、目玉焼きを切って、口に運びます。しっかり噛んで、喉に通すと、次を食べます。何だか、作った身として、こんなに味わって食べていただくと嬉しいのと少し不安です。
「ところで、僕はいつ頃いくのかな?」勇者様が尋ねます。
「おそらく、もうそろそろかと。ハトさんたちが合図を出しに来るのです」
勇者様は朝食をすべて食べました。
私は机の上にのったお皿を台所に持っていこうとすると、後ろから勇者様が私に声をかけます。
「おいしかったです」
私は振り返って、勇者様に頭を下げます。今度はお皿を落とさないように。
「ありがとうございます」
私がお皿を洗っていると、だんだんと外が騒がしくなってきました。羽根が羽ばたく音。低い鳴き声。きっと、ハトさんが木の枝にのったのでしょう。葉と葉がこすれる音。そういった音が今まであった風の音や、川の流れる音をかき消すようにして、あらわれます。
「僕は、本当に行かなくてはいけないのか」
勇者様が窓の外を眺めながら言います。
私はせっせと皿を洗います。もうお皿に汚れなんてないのに。
「ルルさん、行くよ」
勇者さんは立ち上がります。
私は蛇口から流れる水で、手についた洗剤の泡を流します。
「お見送りします」
急いで白い前掛けで手を拭きます。
私はドアの前に立ち、ドアノブに手をかけます。チラリと勇者様を見て、コチラに来るように手で促します。
勇者様がドア方に近づいてくるのを確認してから、ドアを開けます。
外は、ハトさんたちが空を埋め尽くしています。うるさいくらいの羽根の音が辺りを包み、自然の風ではない、ハトさんたちが作る風が、竜巻のような突風をふかしています。
勇者様が外に出ます。
勇者様は川の向こう側からやってきました。その反対側は、いつもは森になっています。しかし、今は、森へと続く道は閉ざされ、大きな鉄のドアができています。
勇者様は怯えた目つきでドアをじっと見つめます。
「勇者様」
勇者様は怯えた目つきのまま私を見ます。勇者様の髪の毛は風に吹かれています。
私はポケットから小包を取り出しました。
「今朝、焼いたばかりのクッキーです。向こうについたら、食べるなり、あげるなりしてください」
「ありがとう」
勇者様の口元は震えています。両の手を強く握って、拳ができています。
「勇者様なら大丈夫です。さっきの力もすごいですから!」
「ありがとう」
勇者様はそっと俯きます。。辺りが暗くなってきました。ハトさんたちの数が増えたようです。太陽の光がハトさんたちによって遮られています。
ドアの横の看板に書かれた『〈ウォー・マリア〉へのドア』それが、勇者様が行く世界なのでしょう。私にとって、その世界の名前は初めてのものでした。
「ウォー・マリアへのドア。ウォー・マリアへのドア、開きます!」
看板の上に飛び乗った、一羽のハトさんが声高らかに叫ぶと、ドアが音をたてて開きます。そこから一気に光があふれ出します。
「行きたくない。行きたくないよ!」
勇者様は顔を歪ませ叫びます。
「怖いんだ! 何もかも、怖いんだ!」
勇者様の眼から零れる涙が風に吹かれて、私の顔にかかります。
「いいじゃないか! 僕が生きていようがなかろうが! どっちでも!」
一羽のハトさんが勇者様の頭を足で突きます。もう時間がありません。
「勇者様、そろそろ」
「分かってるよ」
勇者様は、ふらふらとした足取りで、ドアに近づいていきます。勇者様の着ている服が風になびきます。
辺りは草や、ハトさんたちの落とした羽根が舞っています。
私は勇者様の後ろ姿をみます。その後ろ姿は、寄りかかれば一緒に倒れてしまいそうなものです。けれど、同時に何も傷つけない、深い慈愛を持っているのです。それが、あの勇者様なのです。
私は、勇者様の腕をつかみます。肩越しに勇者様は私を見ます。
ハトさんたちが一斉に鳴き叫びます。それは今までに聞いたことのない、甲高い鳴き声でした。きっと、早くしろと怒っているのでしょう。
私は息を飲んで、フッ吐きます。
「私は、私が作る料理を勇者様がおいしいと言ってくださって、本当にうれしかったんです」
勇者様はフッと笑ってから、前を向いて歩きだします。その背中はやっぱり頼りない感じがしましたが、それでも少しだけ背筋が伸びた気がします。
私は両手を組みます。その両手をそっと額につけます。
目を閉じると、辺りの騒音が消えました。
「さようなら、勇者様」
次に目を開けた時は、空は青空に戻っていて、辺りに響く音は川の流れる音と、低く響く風車の音と、風の音だけでした。
ありがとうございました。