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魔女の死んだ日

作者: 透過

もう二度と目を開けることのない師の、薄く、ごくわずかに上下する胸を眺めながら、彼女はふいに悟った。


(そうか、私は、また、ひとりになるのか……)


世界でも随一の魔力を誇る魔女であった師は、彼女にとって“唯一”の存在だった。


***


物心つくころから「規格外」だった。

見えないはずのものが見えた。

聞こえるはずのない声が聞こえた。

少女の声は、時に自覚なく力を帯びて、聞く者を支配した。

暴れ、身の外側に絶えず干渉したがるその力を、おさえる術は知らなかった。

人の中では、到底暮らせるはずもなかった。


親に遠からず捨てられる予定であることはわかっていた。

捨てられる前に捨てた。

そうして遠く、遠くまで行って一度だけ泣いて、あとは歩いた。

できるだけ人とは関わらず、けれど完全に関わらずに生きていくことは難しいから、できる限りの距離をおいて、ひとところにとどまらず。

逃げるように。

時には、本当に追われ逃げ惑いながら。


そんな中、出会ったのが師であった。


言葉をかわすよりも先に、師は少女にひとつの呪いを施してくれた。

身の内を食い破るような力の奔流がわずかにおさまって、少女はその時、はじめて深呼吸というものをした。


「お前のような規格外はめずらしい」

「けれど、はじめてではない。ひとりでもない。お前だけではないよ」

「お前のような規格外も時に生まれてくる、という事実をも内包して、人の命の営みは設計されている」


師は「呪いの森の魔女」と呼ばれる人だった。

正体のわからない、不思議な力を使う存在。

世間からは忌避されていたが、それでも、叶えたい願いのある者の足が森から途絶えることもなかった。


少女にとって師は、唯一の人だった。

様々な人間と出会い、別れてきた。

けれどそれまで、少女のまわりにはひとりだっていなかったのだ。

彼女の身の内にあるものを知り、知った上で存在を許し、側にあることを認めてくれる人は、ひとりも。


随分と長い時を、少女は森の魔女と過ごした。


少女の身の内にある巨大な力は「魔力」なのだそうだった。

おおむね全ての人間が持ち合わせているらしいのだが、道具も、装置も、適切な手段をもふまずにその力を溢れさせてしまうような人間は稀なのだと。

そうした人間が生き延びることはもっと稀で、多くの場合は早くに殺されるか、身の内のそれに怯え自ら命を絶つのだと。

「魔法なんて、おとぎ話の中のものだと思っていた」

そう呟く少女に、森の魔女は「そうだろうね」と頷いた。


自身もそうした稀な存在のひとりである魔女は、自身のために、それから少女や、少女以外にも存在するだろう「規格外」たちのために、知り得る知識の全てを記録していた。

身の内に棲まう力についての情報は、「規格外」たちにとっては命綱のようなものになると、確信していたからだ。

少なくとも、正体不明のそれに怯え、自分で自分を殺してしまう機会は減るだろう。


魔女の試みに少女も賛同し、参画した。

やがて身の内の力を飼いならす術を覚え、化け物だったはずのそれは、少女の強力な味方になった。

いつしか「魔女の子」と呼ばれるようになった。最高の褒め言葉だと思った。


多くの時間を過ごした。

定型の人々の一生分の、数倍の時を。

少女は大人になった。

森の魔女は老いた。老いて、ついに、最期の時を迎えることになった。


その時が来るまでの間、彼女たちが成し遂げた偉業は様々だった。

「魔力」の存在が公に知られるようになった。

それを全ての人が持ち合わせていること。時に「規格外」が生まれること。

魔法物質のこと。意識ある魔法物質たる魔法生物のこと。

「魔力」は、エネルギー源として利用できること。

ヒト以外のどういったものから採取できるのか。蓄積できるのか。どのようにして出力するのか。


人間世界の営みに大きな進歩を。技術と、革新を残した。

そして森にはひとりの、かつて少女だった女性を残して、魔女は去ったのだ。


***


最後に瞼を開けていたとき、魔女は言った。


「お前はお前の仕事をしなさい」

「お前を待つ者が、まだ、あるから」

「お前はきっと、お前が会うべき規格外に会って、お前がすべきことをするようになるだろうから」


言葉はすっと染み込んで、すぐに身の内に溶けた。

「わかった」と、自然に頷いていた。

師は微笑んでいた。


「楽しかったね。楽しかったよ」


少女だった女性もまた微笑みを返した。

それが、数刻前の出来事だ。


「……***」


部屋の隅にある闇に向かって、彼女は声を発した。

ヒトでは発音の難しい、魔物の名を呼んだのだ。

森の魔女が自らの“対”として傍においていた魔物の名だ。


「もうすぐ、いかれてしまう。……お前はこれからどうするの」


彼とも、もう随分と長い付き合いだ。

ヒトの形をとるのが得意な魔物で、魔物自身、ヒトの形をしていた時間が長すぎて、元の姿を忘れかけてしまっているほどだった。


「……本当に。どうしようかね」


魔物のその言葉はあまりにも、彼女の抱える想いと同じ形をしていた。

どうしたらいいんだろう。わからなかった。


(……いや、違うか)


わかっていた。本当は。

自分のするべきこと。あるべき形。

魔女は、意思あるうちにそれを、きちんと示してくれていた。


「ごめん。愚問だったね」

「うん。でも、気にしないでいいよ」


ヒトと契約を交わした時点で、対になった魔物の行く末は決まっている。

「最期まで対でいるか」「契約主が死ぬ前に対を解消するか」の2択だ。


「主との対を貫いて、共に死ぬか。死なれる前に主を殺すか」


魔物が魔物であるためには、そのどちらかしか選べない。


「……師はきっと怒らない。悲しみもしないだろう。どちらを選んでも、仕方のない奴だ、って、きっと苦笑される」

「そうだね。彼女は、そういうヒトだった」

「だから、私も、お前の好きにしたらいいと思う」

「……そうだね」


本当は、言ってしまいたい言葉もあった。

けれどそれを自分が口にしてしまうのは卑怯な気がした。

だってこの魔物は、とても優しいのだ。

ヒトと近くありすぎて、ヒトを慈しむことを覚えてしまった魔物なのだ。


「……私は別室で休む。どういう形を選ぶにせよ、私は……お前たちの最期の時間を、邪魔したくはない」


最期の別れの時間を、自分はもう過ごした。

今度はこの魔物の番だった。

胸の動きが止まる、もしくは止める、その大切な瞬間は、自分よりも長くこの魔女と時を過ごした魔物が手にするべきものだと思った。


「ありがとう、*****」


魔物に名を呼ばれたのは、そういえば初めてだったと気付いた。


「……」


言葉なく微笑んで、魔物の額にキスをした。

親愛のキスだ。

同じヒトを、同じように大切にして過ごしてきた。

そして、師の最期のぬくもりにもう一度だけ触れて、彼女は部屋を出たのだった。


***


翌朝、“魔物”の姿は消えていた。

師の枕元には、薄く透けた体をした青年が……人型をとった青年がひとり立っていて、こちらを向いて微笑んだ。

師の体はまだ温もりを残していて、けれど、胸はもう動いてはいなかった。


「お前……」


半透明な青年になった“魔物”の姿に、その選択の内容を理解した。


「……師はきっと、今頃、爆笑されているな」

「そうだろうね。本望だよ」


半透明の青年が手を伸べた。

彼女もたしかに、彼に手を伸べ返した。


彼女はもう、ひとりではなかった。


***


「で、それってつまりどういうことなんですか?」

「わからない?」

「はい。すみません、オレまだオチとかよくわからなくて」

「人の話には全てオチがあるとは限らないんだ。覚えておくといいよ」

「わかりました。覚えます」


朝だ。

暗いはずの森の奥にあるその小屋のリビングに、けれど今は優しい日がさしている。

食卓についているのは3人。

少年と、よく見れば目尻にわずかな皺を刻ませた女性と、半透明の青年だ。


「あの朝、呪いの森の旧代の魔女が死んで……現・呪いの森の魔女、つまり私に代替わりをした。することに決めた。その記念すべき日のことを、お前に教えたくなったんだよ」

「はぁ。ところで、半透明になった人型の魔物というのは」

「俺だね」


黙々と卓上の食事を摂取している“半透明な人間”である彼が言った。


「なるほど。透明つながりなので、なんとなくそんな気はしていました。でもソウさん、魔物じゃないですよね。半透明なだけで、普通の人間にしか見えないんですが」

「そうだな、普通の人間だよ。半透明なところを抜かせば」

「どうしてそうなったんです?」

「……かつてのこの森の魔女と一緒にいくことも、殺すことも、どちらもしたくなくて、捨てたんだ」

「何を?」

「魔物であることを」

「あぁ、できるんですか、そんなこと」

「やってみたらできた。できたけど、半透明で、なんか年取ったり怪我したりしにくいタイプのヒトになっていたんだ。積極的にはオススメし難いな」


少年が卵焼きのかけらを口に運び、考えながら言った。


「年取りにくくて怪我しないって、魔法使いみたいですね」

「一切使えないけどな」

「ですよね。それ、あんまり普通の人間っぽくないですよ」

「そうか?」

「普通の人間って、年もとるし、怪我もするし、多少の魔力くらいは持ってて、多少の魔法くらいは使えたりするんでしょう?」

「そうだけど、まぁ普通だろ。半透明で、年を取りにくくて、魔法が使えない以外は普通」

「はぁ」


そういうものだろうか。


「俺から言わせてもらえばな、普通じゃないのはお前たちの方だと思うぞ、『規格外』」

「たしかに」


少年もまた「規格外」だった。

様々な経緯があって、様々な物語を経て、ともあれこの森に辿り着いた。

そして数ヶ月前、やっと出会ったのだ。

「規格外」であり、「呪いの森の魔女」である、彼女に。


「ともかく、はやく朝食をすませて出かけよう。昔話なんてするから、はやく会いたい気持ちになってしまった」

「? どこに行くんですか?」


よくわかっていない少年に「魔女」が答える。


「墓参りだよ。今日は、私の師が……一代前のこの森の魔女が亡くなった日だ」

「なるほど。わかりました、急ぎます」

「いや、ゆっくりでいいよ。……いい天気だからね。のんびり行こうよ」

少年は無表情に、半透明の青年は「俺は急ぎたいのに」と不満顔で、それぞれ「わかった」と答えた。


その様子を微笑ましげに眺めて、呪いの森の魔女は席を立った。

旧代の魔女が死んで、66年目のことだった。


***


それから、ちょうど半年後。

その朝もまた、空は青く、高く、気持ち良く晴れていた。


呪いの森の魔女は、ついに、彼女のなすべきことをした。

そうして、長い、長い眠りについて、少年は旅立つことになった。

彼女の目をさますために。

彼女のために、自分の身を喰らう呪いを解くために。









はじめまして。


呪いを解くために旅立った彼について、連載を作成中です。

公開にいたることができましたら、またそちらでもお会いできると嬉しいです。


お読みいただき、ありがとうございました!

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