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飛行機乗り

 アイビーの工房には、現在3機の飛行機があった。

ただし、その中の1機は修理のために客から持ち込まれたものであるため、実質使えるのは2機のみである。

どちらも2人乗りが出来る仕様になっていた。

 ユージンとアイビーは相談の上で2機のうちの片方、二枚羽で、小回りが利くと言う方を選んだ。

一般的な小型飛行機と比べると若干限界高度は低めらしいが、充分である。

高さ122メートルだと言われる時計台の規模を考えても全く問題ないレベルだった。

加えて、生身で滑空するであれば尚更である。

「ジーン、分かってると思うけど、セントホルネは店ばっかりのゴチャゴチャしたとこだ。飛行機が止まれるような場所は限られてるよ。」

 アイビーが地図と方位磁針を見つめて言うと、ユージンは無言でうなずいた。

アイビー宅前の草原に、鮮やかな橙色の飛行機が置かれている。

 風はほとんどない。滑空の条件はそろっていた。

「本当にいくの?」

 ペネロペがユージンの顔色を見るようにして聞く。

ユージンの表情は、若干の硬さを残しつつも落ち着いていた。

「大丈夫だ、心配しなくていい。」

 彼は、しっかりとした目線で操縦部分を見つめている。

「これが空を飛ぶのか・・・。」

エリオットは、アイビーと昔ながらの知り合いであったにも関わらず、本物の飛行機を目の前にしたことはあまりなかった。

珍しいものでも見るようにその橙色に目を細め、不思議そうにしている。

「いまだに飛行機が空を飛ぶ正確な原理は分かっていないって言うのに、本当に凄いよ。」

「それは一応褒めてるの?」

 アイビーがにやけながら少し首を傾けた。

「エリオットはなんでもまず否定から入るね。学者ってのは皆そうだよ。」

「僕は君のようにはなれない。でも、尊敬はしてる。」

 エリオットが疲れたように笑った。

「そりゃありがと。」

 アイビーはユージンの方を向き直った。

「さぁ、乗んな。私が設計したとっておきだ。壊すんじゃないよ。」

 ユージンが、飛行帽の隙間から見える前髪を少しあげた。ゴーグルをかける。

「用心するよ。」

クラッシュだけは二度と御免だ、と思った。

「その辺を滑空してみて合わないと思ったら一度降りてくるといい。調子が良ければそのまま出ろ。私たちは向こうに移動してる。」

 アイビーはそう言って、サイドにいたペネロペとエリオットの背中を押した。

アイビーは、彼が事故を起こしたばかりの身というのを知らない。

だが、ペネロペとエリオットは違っていた。

 特にペネロペは、ユージンがどこか緊張した面持ちであるのを心配している。

少なからずショックがあったであろう当時の記憶がフラッシュバックしたりしないか気が気でない。

「まって、アイビー。」

 ペネロペが意を決したように呼び止めた。

「・・・私も一緒に行っちゃ駄目かしら。」

「えっ?」

 アイビーが驚いて振り返る。

 彼女は、何を言い出すのだろう。

操縦席に片手をかけていたユージンも思わずペネロペの方を見た。

「出来なくはないけども・・・どうする、ジーン。」

 アイビーがそう言うと、ユージンは悲しんでるような、困ったような、よく分からない顔をした。

「ペネロペに何かあったら、ワルターさんたちに合わせる顔がない。」

「私も時計台が心配なの、それに・・・あなたのことも。」

 ペネロペはいつになく沈んだ顔だった。

「無理を言ってるのは分かってるわ。でも・・・ねぇ、どうしてもいけない?」

 ユージンは、すぐには返事をしなかった。

彼の横では、エリオットが口を挟みたくてうずうずしている。

 本当にユージンを思うのだとしたらここは大人しく待っていた方がいい、そう言いたかった。

だが、彼は先ほどペネロペと軽い言い合いになったのを気にしている。

 やや険しい顔をしたまま黙っていた。

文句を言いたげなエリオットを見て、ユージンが静かに笑った。

「・・・エリオットの運転の10倍は揺れるが。」

「やめようかしら。」

「おい!」

 エリオットが笑えない冗談に声をあげる。

「嘘よ、それだって行きたい。」

 ペネロペが顔をあげ、小さく微笑む。

彼女の笑みを見て、ユージンはそっと頷いた。

「何かあっても騒いだりするなよ。」

「ありがとう!」

 アイビーが静かに笑ってエリオットの肩を叩いた。

エリオットの目は、ユージンとペネロペの方を見たまま据わってしまっていた。

「やられたね。」

「・・・どうせ運転下手だよ。」

 ユージンは再び操縦席へと手をかけた。

落ち着いていれば、操作は比較的容易であるだろう。

操縦方法はアイビーから習得済みだ。

覚悟を決めると、よじ登るようにして一気に乗り込んだ。

すぐペネロペに手を差出し、彼女を引き上げる。

ペネロペは、彼にリードされて、後ろのやや狭い座席へと飛び込んだ。

「いいかい、ここからセントホルネ時計台は東南東へ進めばいい。」

 アイビーは、少し背伸びして、ペネロペに方位磁針と地図を渡した。

「案内はあんたがしてやんな。着陸予定地は、カルヴァラ方面にある広野。時計台についたら、そこからまっすぐ北を目指して飛ぶんだ。すぐに着くよ。」

「分かったわ。」

「それから、上は寒いよ。ちょっと待ってな。」

 アイビーが急いで自宅の方に走って行く。

「エリオット!」

 途中、アイビーが大声でエリオットを呼んだ。

エリオットは、飛行機から少し離れたところにしかめ面をしたままぽつりと立っていた。

「何か言う事はないのかい?」

 言われ、彼はゆっくりとペネロペの方へと歩み寄った。

まだ、彼女に謝っていなかったのだ。

 アイビーは、ひらひらと手を振って飛行機から離れて行った。

入れ替わるように、エリオットがアイビーのいたところに立つ。

エリオットは、小さく息を吸った。

「あーその・・・ペネロペさん、さっきは色々ごめんよ。反省した。」

「もういいわよ。気にしてないわ。」

 エリオットは、ペネロペの明るそうな様子にほっと息をついて、

自分の鞄に手をかけた。

「あのさ、どうせ空を飛んじゃうわけだし、役に立つか分からないけど・・・。」

 鞄から、ナイフにも似た小さな短剣を出す。

「何かあったら使って。・・・気を付けていってらっしゃい。」

 ペネロペは、ちらりとエリオットの方を見て、短剣を受け取った。

皮製の柄を握り、太陽にかざす。

「あなた、意外と物騒な物持ってるのね。」

「家庭が家庭で、昔から色々言われててね。使わないにこしたことないけど。」

 ペネロペは、少しだけ目を閉じた。

 町長であるバルタザール、社長令嬢のヴァイオレット。

エリオットはその子供だ。

 何かと大変なことも多かったかもしれないと思った。

「・・・まぁ、有難く借りておくわ。」

 そう言って、短剣を足元にそっと置いた。

アイビーが戻ってくると、彼女の手から私物の飛行帽とゴーグルがペネロペに渡る。

「空は夏でも冷えるから、ちゃんとつけなよ。」

「ありがとう。」

「アイビー、エリオット、危ないから離れていろ。」

 後ろを振り返ってユージンが言う。

「ユージンさんも、くれぐれも安全運転でね。」

エリオットは、最後に軽くお辞儀をした。

アイビーとエリオットが小走りに飛行機から離れて行く。

「謝れたの?」

「うん。」

「なら良かった。」

 遠くから、二人でプロペラが回り始めた飛行機を見つめた。

ユージンは慣れた様子だが、後ろにいるペネロペは身を縮めて様子を窺っている。

「僕達はどうするの?」

 エリオットが少し眼鏡をあげながら言った。

「下から追うよ。電話の回線が死んでるんだ、色々説明しなきゃいけないだろ。ジーンが何かやらかした時に対処できる奴も必要だし。」

「なんだ、結局行くんだ。」

 留守番のような形になるのかと思っていたエリオットは、アイビーの言葉を聞いて少し驚いた。

「でも、飛行機って結構速いでしょ。どうやって追うのさ。」

「評判の悪いガタガタ運転手を雇うよ。」

 薄々自動車を使いそうなのは予想はしていたが、アイビーの言いようでやる気がなくなる。

「・・・そんなこと言う奴は乗せてあげない。」

「すぐに機嫌悪くするなよ。それに、そんな女顔じゃ怒っても全然迫力ない。」

 アイビーが半分馬鹿にするようにして笑う。

その姿に、エリオットは余計にむっとした。

「ごめんって。ほら、見てみな。」

 アイビーが滑走し始めた飛行機を指さす。

辺りいっぱいに風が巻き起こり始めていた。

 アイビーの短めのポニーテールがふわりと揺れる。

「飛ぶよ!」

 彼女の声と共に、飛行機は空へと舞いあがった。



「凄い!ユージン、ほんとに飛んでるわ!」

 ペネロペが風圧に少しだけ顔をしかめる。

彼女は落ちないようにと身を低くして淵に捕まっていた。

やがて高さが安定すると、ユージンの硬い表情が崩れた。

深いため息をつき、とりあえずの離陸成功に安堵する。

「さすがは本物だな。」

 思ったよりスピードが出て少々怖い。

だが、これならすぐ目的地に向かえそうだ。

 実を言えば、本格的なプロの飛行機に乗った経験は少なかった。

自作なら何度もあったが、それ以外の機体は数えるほどしか操縦したことがない。

 それでも、構造や仕組みはほとんど同じだ。

「いけるな。」

感触はなかなか、旋回にも癖がない。

「ペネロペ!道案内は頼むからな!」

 そう叫べば、後ろから声がする。

「勿論、任せときなさい!」


「やるなぁ、ジーン。」

 大きく弧を描く飛行機を見上げて、アイビーが感嘆を吐いた。

青空に鮮やかな橙が浮かび上がり、それは、次第に高度を上げていく。

「私よりよっぽど上手いね。初めて乗った機体とは思えない。」

 アイビーは、歓喜に満ちた顔で空を見上げている。

エリオットが、そんなアイビーをちらりと見やった。

 そして口を開く。

「早く追おう。置いてかれちゃうよ。」

コンチェッタ内にも時間崩壊の波はすぐそこまでせまっていた。



 七年前のある夏の日こと。

「・・・酷いな。」

 そう呟いたのは、ダンカンであった。

彼は、魔人弾圧が完了したとの報告を受け、たった一人アルティリークの街に来ていた。

 仕事としてではなく、完全に野次馬としてである。

 アルティリークの街の中にあるその場所は、アディニーナ村にほど近いという理由から住人達が立ち退き、

人っ子一人いないゴーストタウンと化していた。

弾圧の際の余波で辺りは焦げ臭い匂いで満ちており、近くの建物や木々は悉く崩れ倒れている。

そのあまりに酷い光景を見て、ダンカンは顔をしかめていたのだ。

一歩足を出す度に、ザク、と崩れた石畳が音を出す。

彼は周囲を見回した。

「これを全て魔人どもがやったと言うのか。本当に危険な・・・。」

 ふと、倒れて静かに炎上する一台の馬車が目に留まった。

見れば、とうに馬は死んでしまっている。

「・・・誰かいるのか?」

 この辺りにはもう誰も住んでいないと聞いていたので、ダンカンはその光景を不思議に思った。

 瞬間、何となく下を見て、沢山の死体が転がっているのに気付いた。

ギャッと短く声をあげ、一歩足をひく。

ぱっと目に入っただけで10人程度。

どうやら馬車に乗って言いた何かの集団のようだった。

 通りすがりの劇団か、楽団か。あるいは、ただの旅人か。

思わず腰を抜かしそうになる。

 恐らく、何も知らずに通りかかり、そのまま巻き添えをくらってしまったのだろうと推測する。

早くここから出なくては、そう思った時だった。

「う・・・。」

どこかから小さく声が聞こえた。

まだ、生き残りがいる。

 ダンカンは湧き上がる吐き気を押さえながら、必死に声の主を探した。

馬車から少し離れたところに倒れている青年が、少し起き上がっていた。

「大丈夫か!?」

 叫んで、ダンカンがかけよる。

青年の周りには、彼の者と思われる血だまりがあった。

近寄ってみると、やはり右側の腕から大量に出血している。

「しっかりしろ!!」

ダンカンは、自分のしていたスカーフを外すと、青年の腕の付け根にぎゅっと巻きつけた。

彼の傷口にはハンカチーフをあてる。

「今病院につれてってやる。」

「・・・いい・・・死なせてくれ。」

 青年が息も絶え絶えに虚ろな目で言う。

ダンカンは一度舌打ちをすると、自分が血濡れになるのも構わず青年を抱え上げた。

小柄でほっそりとした体型だったため、軽々と持ちあがる。

彼を近くに止めてあった自身の自動車へ運び、やや乱暴に座席へ投げ込む。

「お前、名前は?」

返事はない。青年は意識を失ってしまっていた。

ダンカンは、自動車のエンジンをかけた。



エイベルが、巻き起こる噴煙に激しく咳き込む。

思っていたよりも用意していた爆薬の勢いは激しいものだった。

だが、予定通り時計台の入口は見事に崩れ落ちている。

これで、他者の侵入を塞ぐことに成功した。

「いっつ・・・。」

 咳き込みながら、右腕の辺りをぐっと抑える。

爆風で飛んできた木の破片がかすったのだ。

 エイベルは、薄地の服に薄らと赤色が滲んでいくのを見て、目を細めた。

軽く袖を捲ると、縫い傷のあるやや褐色の肌の上に、更に傷が出来てしまっていた。

彼は、出来るだけ服を高くまで捲りそこで袖を固定させた。

服の布が触れないようにだけして、特に応急処置もせずにその場から歩き出す。

 奥の扉を開けると、動力室と思われる歯車だらけの部屋に出た。

無言で上を見上げる。

 気色の悪い部屋だ、と思った。

ダンカンに言われた通り、この時計台の上には何かがあるのだろうか。

エイベルはすぐに上へと行く梯子を見つけ、そこへ足をかけた。



「あのさ・・・。」

 エリオットの運転する自動車が、飛行機を追うようにセントホルネへと入る。

「君は戦争にでもいくつもりかい?」

彼の助手席にはライフル銃を抱えたアイビーがしれっとした様子で座っていた。

勿論簡単な工具などの入った普通の鞄も持っていたのだが、エリオットとしては、それよりも明らかに異彩を放っているその銃が気になって仕方なかった。

「テロが起きてるような場所に赴くならこれくらいないと不安でしょうが。」

「にしたってライフルは怖いよ!拳銃とかじゃ駄目だったの!?」

「前を見て。」

 エリオットは口角を下げ、ハンドルを握って前を見据えた。

「もう・・・ほんと何やってんだろ僕・・・父さんにまで逃げろって言われたのに・・・。」

 エリオットは半分自暴自棄のようになっていた。

アイビーがすることには大抵何を言っても無駄であるため、もはや流されるがままである。

「外、本当に人がいないね。」

 エリオットが辺りを見回した。

彼につられ、アイビーも車窓を眺めた。

 いつもの街並みは、人間がいないだけでも印象ががらりと変わる。

店先から聞こえる賑やかな声も無ければ、もまれそうな雑踏もない。

「今更だけど、僕たち街に入れるかな。その辺にいる警備隊に追い出されちゃうかもよ。」

「そこはお前の顔の出番だろ。」

「ああ・・・。」

パスポート代わりってわけね・・・と、エリオットは思った。

アイビーがくすりと笑う度に、彼の苦悩は増えるばかりである。

そして、いっそ頼もしくも思えてきた。

「・・・それにしても、本当に予言が現実になったって言うのかね。」

アイビーは座席に深く座り直して足を組んだ。

「え、急にどうしたんだい。」

 突然アイビーの声音が真面目なものになったので、エリオットが少し心配そうに聞き返す。

「いや、何だか妙なもんだと思ってさ。弾圧も処刑も、もう七年前の話だって言うのにどうして今になって復讐なんか始めるんだろうって。」

「それはそうだけど・・・。」

「ねぇ、あんた頭いいんでしょ?エリオットから見て、今の状況って何か説明つくわけ?」

 聞かれ、エリオットは表情を曇らせた。

予言については、いくら考えても何も分からないと言うのが本音だった。

魔人の術は科学で証明出来ない。

彼らは、奇妙で、奇怪で、理解や説明ができない生き物なのだ。

「やっぱり、あんたみたいなのでも分からないものなの?」

 エリオットが言葉を詰まらせたままだったので、アイビーがそう言う。

エリオットは前を見つめたまま、首を横に振った。

「確かに、現代の科学じゃ証明されないさ。」

 それは、彼自身の言葉だった。

誰かが言った台詞でも、本に書かれた文章でもない――――。

「でも、魔人は神様じゃない。あくまで人間なんだ。どんなに完璧に見える術だとしても、どこかに必ず穴がある。」

彼は怖いほどに真剣な顔をしていた。

 先ほどまでだんまりだったエリオットが急に話し始めたのでアイビーはその様子に少し驚いた。

「今回の現象が仮に“時間崩壊の予言”だとして、文字通り時間が崩壊しているのかと言えば、それは違うだろう。例え魔人が奇跡の力を持っていたとしても、時空の法則を捻じ曲げることなんて出来ない。人間が時間を超越することなんて出来ないんだ。・・・だとしたら、壊れているのは・・・。」

 エリオットがそう言った瞬間、車のエンジンの音がおかしくなった。

車体が揺れる。

「ちょっと、エリオット!」

「うわ!」

 突然の揺れにアイビーが声をあげる。

考えに耽っていたエリオットはその声に我に返ると、慌ててブレーキをかけた。

がたつきながら、キキ、と音を立てて自動車が停止する。

何が起きたか分からず、エリオットとアイビーは顔を見合わせた。

「ま、まさか故障?」

 エリオットが慌てた様子で自動車から降りた。

遅れて、アイビーも彼の後を追う。

「おいおい、飛行機を追っかけて来たのにこっちがこの様かよ。」

 アイビーは困り果てた様子で上を見上げた。

遠くに時計台が見えている。

「・・・仕方ないね。エリオット、走るよ!」

「えぇっ!?」

 アイビーが腕まくりをした。

「待って、ここから!?」

「あんたのお父さんや電話の主と話しをつけなきゃならない。せめて時計台までは行くよ!」

 アイビーは本気である。

エリオットは時計台までの距離をぱっと見で割り出すと悲鳴を上げた。

「5キロはあるけど!?」

「楽勝!」

 アイビーと違って運動は得意ではないエリオットの顔がみるみるうちに蒼白になっていく。

だが、そんな彼を構うことなく、アイビーはライフル銃を肩にかけたまま凄いスピードで走り出した。

「ちょっと、置いてかないでよ!」

 エリオットは泣きそうになりながら彼女の後を追った。



 男は、不敵な笑みを浮かべ、オズワルドを指さした。

「俺の名はオーエン。巷じゃ、ちょいとばかり有名な男さ。」

 オーエンはオズワルドに詰め寄った。

彼は、かなりがたいが良い男だったため、近くに来られるとその威圧感は凄いものだった。

 オズワルドは怯みつつも彼の顔を見上げた。

「困っている時はお互い様だろう?」

 オーエンの押しに、オズワルドはとうとう折れた。

「・・・お前、そのペンダントはいつどこで手に入れたんだ。」

「これか?」

 オーエンは、オズワルドから一旦離れると、自身の首にかけてあったペンダントを手に取った。

付いているのは、金属で出来た、薄い楕円形の板だった。

 今のような暗がりでは、一見するとドッグタグのようにも見える。

「十年くらい前にアルティリークで買ったものだ。何でも風のお守りになるって店の女に言われてな。気休めにと思って購入したが、なかなかどうして効き目がある。本当に魔法でもかかってるんじゃないかと思うくらい、上手く風が読めたよ。」

 彼の言葉に、オズワルドの表情が少しずつ崩れていく。

「・・・それは魔法なんかじゃない。」

「おいおい、どうしたオズ。」

 オズワルドが今にも泣きだしそうになったので、オーエンは困惑してしまった。

オズワルドは、顔を伏せ、声を震えさせながら続けた。

「効果があったとしたら、それはお前自身の力だよ。」

 オズワルドは、ぐっと自身の手で拳を作った。

「オーエン、頼みがあるんだ。」


「・・・とは、言われたものの・・・。」

 オーエンはため息をついた。

彼は、先日初めてオズワルドと話した時のことを思い出していた。

 片腕には、意識のないトリクシーがぶら下がっている。

「本当に、ここまで話が大きくなるとはね。」

夏の日差しが、木々の間に木陰を作っていた。

 セントホルネの外れにある、小さな森。

その中心の少し開けた場所に、オーエンは立っていた。

近くには、オズワルドの所有している黒い自動車が止まっている。

だが、その車の主は、今ここにいない。

「しかし遅いな。」

 オーエンが痺れを切らしたようにそう言った時、遠くから、オズワルドがよたよたと走ってきた。

 相当に慌てている様子で、何か良くないことがあったようだった。

 だが、トリクシーの姿が目に飛び込んだ瞬間、彼の表情は一変した。

「トリクシー!?」

 オズワルドは、走ってきて身なりがボロボロなのも気にせず、トリクシーの元へ転ぶように駆け寄った。

 オーエンは、何となく察した様子でトリクシーとセルマを抱え直すと、そっとオズワルドの方へと差し出した。

「あぁ・・・あぁ!」

 オズワルドは、がっくりとトリクシーを抱えたまま膝をつき、トリクシーを抱きしめた。

 ぼろぼろと大粒の涙を流し、顔が滅茶苦茶になる。

「会いたかったよ・・・!」

 オーエンは、その様子を微妙な顔で見つめていた。

「オズ。一体向こうで何があったんだ。」

オズワルドは、強引にごしごしと顔を拭って

トリクシーの方を見つめたまま口を開いた。

「・・・時計台入口が破壊されてしまった。弾圧派による自爆テロだ。もう、この街は救いようがない。手段がなくなってしまったんだ。」

 走ってきたため、まだ息が乱れている。

時々つっかえながら、オズワルドは続けた。

「オーエン、トリクシーを救出してくれて感謝する。本当にこの恩は一生忘れない。早く、遠くに逃げよう。」

「ま、待ってくれ。」

 オーエンは、オズワルドの言葉に納得がいかなかった。

「まだ、方法があるかもしれないだろう!街の人間を捨て置くつもりか!」

「・・・これも、奴らが選んだ道だ。それに、お前だって、家を捨てた身なんだろう。これ以上、何の未練がある。」

 オーエンは、言い返せなくなって口をつぐんだ。

「分かっているはずだ。自分を認めてもらえられないと言うのが、どれだけ苦しいか。」

「・・・ああ、それは勿論、痛いほどに分かるさ。だが・・・。」

 オーエンは、雲のない青空を見上げた。

「どれだけ遠くに行こうとも、故郷を越えられる場所はなかった。・・・なんだかんだ言って、俺は自分の生まれ育ったこの地が好きなんだ。嫌いになりたくてもなれないくらいに。」

 ほんの少し、森の中を風が駆け抜ける。

「・・・オズ、俺をアルティリークへ連れて行ってくれ。もう一度、時計台を上から見てみる。もしかしたら、何か分かるかもしれないだろう?確認して、それで何もできないと分かったら、その時は諦めよう。大人しく、ここから脱出する。」

 オズワルドは、大分間を開けてから、小さく頷いた。

「・・・好きなようにすれば良い。」

「話が早くて助かる。さすがオズだ。」

 オーエンはそう言って、控えめに笑った。

「俺がアルティリークから出たら、オズは、トリクシーと共にセントホルネの丘の方に移動していてくれ。少々遠いが、セントホルネ内はそこでないと着陸できない。頼んだよ。」

 オズワルドは、オーエンの提案を受けれいれた。

本心では、早く街を脱出したかったが、ここまで世話になったのだ。

「乗れ、オーエン。」

 オズワルドは、自分の車の方を見た。

少しくらい、彼の意見も聞かなくてはならない。

自分の腕の中にあるトリクシーを見て、彼はそう思った。



ユージンとペネロペを乗せた飛行機がセントホルネへと入る。

「このまままっすぐ行けば、時計台よ!」

 ペネロペが地図を見ながらユージンに告げる。

風で聞こえにくいので、少し大きめの声だった。

このペースならセントホルネ大時計台はもうすぐそこである。

幸い風はほとんどない。機体は安定し、順調に確実に前へと進んでいた。

「ユージンっていつもこんな景色を見てるのね。」

ペネロペは眼下に広がる街並みに感動していた。

いつも見慣れた景色が、真新しく感じ、新鮮な感覚になる。

「ああ、凄いだろ。」

表情こそ見て取れないが、何だか笑っていそうだなと思った。

なんだかんだ言って、彼も子供っぽいところがある。

 ペネロペは、トリクシーから聞いた話を思い出していた。

ユージンが飛行機の話をしている時はとても楽しそうであったということ。

何だか分かる気がした。


しばらくすると、徐々に時計台が近づいてきた。

見たところ、特に変わった様子はない。

「ペネロペ、高度を調整してみる、時計台を見ていてくれ。」

「分かったわ。」

ユージンは高度を少しずつ下げていく。

ペネロペは彼に言われた通りずっと時計台を見つめていた。

「特に変わった様子はなさそうだけど・・・。」

 良く見れば、確かに入口が崩壊し噴煙をあげているのが分かった。

だが、その他に特に不思議なものは―――

「え!?待って、ユージン!」

 その時、ペネロペが声を荒げた。

何か見つけたのかと思い、ユージンは更に高度を落とした。

時計台に機体を近づける。

「違うわ、もっとあげて!高く!」

 ペネロペが必死に声を出す

ユージンは彼女の言ってる意味がよく分からなかった。

「あげていいのか?」

 高さをあげてしまえば時計台の細部は見えなくなる・・・何か見つけても見失ってしまうのではと思った。

「いいから、早く!」

「・・・分かった!」

 彼は、彼女の言葉を信じた。機体を一気に上昇させる。

 風を切って、時計台を旋回するようにして高さをあげていった。

時計台が少しずつ離れていく。

「見て!」

 ペネロペが時計台の方の上部を指さした。

白く塗られた直方体の時計台、おかしいのはその屋根だった。

「時計台に、あんな空間はないはずよ!?あれは一体・・・。」

 時計台の屋根の上、そこに更に建築物があるのが見えるのだ。

言うなれば、部屋の二階部分のような、下からでは見えない別の空間。

時計台と似たような白い壁。

 そして、そこに禍々しく突き刺さった―――飛行機。

 その光景に驚いたのは、ペネロペよりもユージンの方だった。

彼は目を見開いて、口を開けたまま呆然としてしまった。

そこにあったのは、紛れもない、自分が乗っていたあの赤錆色の飛行機だったのだ。

「どうして・・・。」

 その声は震えていた。

彼の動揺をそのまま伝えるように乗っている機体が傾き、下がった。

「ユージン!」

「!」

 ペネロペが叱咤すると、ユージンは我に返ったようにぐっとレバーを引いた。

 低空での飛行は危険なため、再び機体が安定するまで高度をあげていく。

「わ、悪い、ペネロペ。」

 ユージンがやや上ずった声でそう言う。

本当に動揺しているようだった。

「なるほど、あれが例の飛行機ってわけね。・・・ようやく合点がいったわ。」

トリクシーの幽閉されていた謎の部屋の正体が分かったのだ。

上空からでしか見えない隠し部屋に気が付けるはずがなかった。

「もしかして、魔人の術なのか?だとしたら、トリクシーは本当に・・・。」

 少し落ち着きを取り戻したユージンが不安そうに言う。

ペネロペはもう一度時計台上部の建築物を見て、眉を寄せた。

「かもしれないわね。」

 独り言のようにつぶやいて、そして顔をあげた。

「早く皆に知らせた方が良いわ。着陸地点に向かいましょう!もう少し頑張って!」

 彼女の言葉に勇気が出る。

ユージンは深く頷いた。

 ペネロペは地図と方位磁針を確認し、着陸予定地の方角を探した。



オーエンは、大急ぎでアルティリークから自身の飛行機を飛ばしていた。

彼の操縦する暗緑色の機体が太陽の光を反射させ鈍く光る。

「まだ、何とかなるかもしれん。」

彼の表情には、緊張と不安が入り混じっている。

目的地はセントホルネ大時計台だ。

もし、オズワルドがセントホルネを捨ててしまったら、自分は二度と地元に帰ってこられなくなるかもしれない。

これがオズワルドを引き留める最後のチャンスだ。

 いくら家族と決裂していたとしても、自分の故郷が潰されてしまうのだけは嫌だと思った。

 セントホルネ大時計台に近づいたとき、前方にもう一機の飛行機が滑空しているのが目に入る。

オーエンは、険しい顔をしたまま、腰元から大口径の拳銃を取り出した。

 時計台の周囲を旋回しているあたり、味方ではなさそうだ。

「俺は一体どこまで悪役をやればいいんだかね。」


「あれは・・・!?」

 アイビーが上を見上げて声をあげる。

ユージンたちを乗せたものとは違う、もう一機の飛行機が遠くから迫っているのが目に入ったのだ。

「ま、ま・・・待って・・・アイビー・・・。」

 踏んだり蹴ったりでぼろぼろなエリオットが彼女の傍まで寄った。

眼鏡を一度外し、膝に手をく。

「はや・・・速いって・・・。」

 途中何度か警備員に声をかけられたが、アイビーが言ったようにエリオットが少し顔を見せれば、それは何とかなってしまった。

 警備隊や町議員たちの間をすり抜けて街を進めば、時計台はもうすぐそこである。

 彼女は、あと少しで目的地と言うところで足を止めた。

「あの飛行機・・・。」

「飛行機?」

 声を裏返させながらエリオットが聞き返す。

アイビーはほんの少し息を乱し、上を見たまま目元に手をかざした。

 眩むような陽の光が僅かに遮られる。

そこでようやく、しっかりと飛行機の姿かたちをとらえた。

「あぁッ!?」

叫んで、アイビーの血相が変わる。

「え、何?」

「あんのクソ馬鹿!!」

 アイビーが再び走り出す。

今度こそ手加減なしの凄い早さだった。

「アイビー!」

 エリオットはこれ以上走れないと言う風に必死に彼女を呼び止めた。

しかし、アイビーの耳にはもうエリオットの声など届いていなかった。

 アイビーは、自分の持てる限り全ての力を振り絞って時計台へと駆けていった。



 前方から飛行機が飛んでくる。

「どういうことだ?」

その光景に、ユージンもペネロペも驚きを隠せずにいた。

見知らぬその暗緑の飛行機は、真っ直ぐこちら目掛けて突き進んできている。

「私たち以外に飛行機に乗ってる人がいるってこと?」

「分からない。」

 だが、このままぼんやりしていたら衝突してしまう。

迂回するために舵を切ろうとしたその時だった。

 ダン!と銃声音が鳴り響き、ユージンの運転する機体、その左主翼部分に弾が掠った。

「まさか、敵さんに飛行機乗りがいたとはな!」

 銃口を向けたのはオーエンだった。

その声はユージン達には届いていない。

「ユージン、これってまずいんじゃない?」

 すれすれを掠めた銃弾にペネロペは一気に血の気が引いた。

「ああ、かなりな。」

 ユージンの顔が強張る。

そして、少し姿勢を低くした。

「しっかり捕まってろ!」

 途端、急激に機体が傾いた。

相手から離れるため、やや無理に方向転換を試みたのだ。

ペネロペが慌てて飛行機にしがみつく。

「ほぉ、アマチュアにしておくにゃ勿体ないね。」

 オーエンは、すぐにユージンの機体を追いかけはじめた。

徐々に距離が縮まっていく。

「追いつかれちゃう!」

 ペネロペが悲鳴なような声をあげる。

ユージンは先ほどから必死にオーエンを振り払おうとしているのだが、それでもなかなか距離を取ることが出来ない。

 本当にまずい状況だった。

「墜ちな、ヒーロー!」

 オーエンが、もう一度銃の引き金に手をかけた。

 

「キニアスさん!?」

 バルタザールは、突然のアイビーの登場に驚いていた。

ワルターがアイビーの元へ連絡を入れたと言うのは聞いていたが、

まさか彼女がやって来る、しかも走ってとは思わなかったのだ。

 だが、彼女に驚いたのは何もバルタザールだけではなく、連絡を入れた本人もそうであった。

「あいつが技師の女か!」

 ワルターが声をあげる。

 アイビーは、エリオットを切り捨ててセントホルネ大時計台前へと単身乗り込んできた。

 ぜーぜーと息を切らして、必死な形相で上空を見上げる。

「ふっざけんなぁーッ!」

 彼女の叫びは、もはや金切り声のようであった。

あまりの迫力にバルタザールとワルターの目が点になる。

「ど、どうなされたのですか!キニアスさ・・・。」

「あの飛行機の競り合いはなんだ!?どっちがユージンのなんだ!」

 バルタザールを押しのけてワルターが言う。

アイビーはバルタザールとワルターの姿を一瞬確認すると、強く下唇を噛んだ。

 背負っていたライフル銃を外す。

「劣性になってる方がジーンだ!後部席にペニーも乗ってる!」

「なんだと!?」

 ペネロペが乗っていると分かると、ワルターの表情は尚更険しくなった。

「進行を妨害されてるんだ!」

アイビーがライフル銃を構える。

「ま、待ってください!」

 アイビーが飛行機に銃を向けようとしているのを見て、バルタザールが止めに入った。

「こんな街中で墜落事故が起きたら・・・!」

 彼女は、構わず標準を合わせた。


直後響いた二度目の銃声音にペネロペが目をぎゅっとつむった。

だが、被弾した機体は自分たちのものではない。

「何っ!?」

 声をあげたのはオーエンだ。

オーエンの操縦する機体、その垂直尾翼―――左右を抑える役目があるパーツ―――銃弾はそこにヒットしていた。

「ざまぁみな!」

 下からアイビーが叫ぶ。

「それで長くは持たない!墜落したくなかったら早く逃げな!」

 勿論、彼女の声がオーエンに届くはずはない。

アイビーは、思いっきり息を吸った。

「この馬鹿兄貴!!」

オーエンは一瞬何が起きたか分からない様子だったが、すぐに自分の飛行機が危機にさらされてることを察する。

 止む無く追跡を止め、旋回した。

「こりゃいよいよ駄目かもしれんな。」

 オーエンの表情は、驚きや焦りと言うより、諦めに近いものだった。

目を少しだけ伏せると、時計台から遠のいていく。

 ユージンは、相手の飛行機が急に遠くへと向かって行ったので、不思議で仕方がなかった。

「よ、よかった・・・。」

 背後からペネロペの声がする。

「ごめんな、もう大丈夫だ。」

 ユージンが声をかけると、ペネロペは小さ目に「うん。」と一言返事をした。

自分でも無理な動きをしたと思う。

正直なところ、少し危なかった。

「怖い思いをさせて悪かった。早く着陸予定地に向かおう。」

「・・・本当にびっくりしたわ。」

 ペネロペは、ため息をつきながら握り締めていた地図を開いた。

 ユージンとペネロペを乗せた飛行機は、セントホルネの隅にある広野へと向かって行く。


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