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交わる混乱

「気を付けてください!」

 役場内の町長室でバルタザールが大きく声をあげた。

「見つけたのが妻だったから良かったものの、もう少し注意を払ってください。誘拐でもされたらどうなさるのですか・・・。」

「・・・すみません。」

 ユージンはバルタザールから少し目を逸らすようにして謝った。

返す言葉が無かった。

「トリクシーさんから事情を聞いてから、妻が宿の方に連絡を入れました。ですが、もうその時には、あなたは宿を出たとのことでした。・・・何かあった際は、まずは落ち着いて行動することが大事ですよ。」

 バルタザールは机に置かれた町議員たちの書類を持ち、それをファイルにとじた。

「・・・しかし、まぁ、いいでしょう。彼女は無事だったわけですし、これくらいでお叱りはやめておきます。」

 バルタザールはそう言って、難しい表情をするのを止めた。

笑顔とまではいかないが、ほんの少し口角の上がった優しい顔に戻った。

「トリクシーさんの話を聞く限り、今回はどちらかと言うと彼女が悪いですしね。彼女にも、僕から色々言わせていただきました。」

「そうですか・・・。」

「少々厳しく言ってしまったので、かなり反省しています。あなたに謝りたいと言っていましたよ。ですから、どうか、あなたからは強く怒らないで上げてください。」

 そういえば、ワルターにも似たようなことを言われていた。

案外彼もバルタザールと同じく優しい男なのかもしれない。

「トリクシーは今どこに?」

 ユージンが聞くと、バルタザールはファイルを棚に戻し、それから扉の方を指さした。

「ここを出てすぐ左の客室で待たせています。さすがにこの部屋に子供を入れるわけにはいきませんでしたからね。」

 彼の言葉にユージンが頷く。

更にバルタザールは続けた。

「トリクシーさんは、今日の午後五時から孤児院へといきます。事が落ち着くまでの間、一時的です。・・・孤児院で受け入れの準備が揃うまでは、彼女の身をあなた方にお任せする予定でしたが、やはりこちらで預からせてもらいます。今朝あんなことがあったわけですから。」

 申し訳なさで何も言い返せない。

ユージンが黙って口を結んでいると、バルタザールは棚を移動して一冊の本を出した。

「さて・・・トリクシーさんと面会する前に、昨日見せていただいたトリクシーさんの足輪を出していただいてもよろしいですか?折角です、彼女のいない今のうちに見てしまいましょう。」

「ト・・・トリクシーの生まれが分かったんですか。」

 ユージンは、遠慮気味に言いながら鞄に手を突っ込んだ。

「いえ、しかし似た文字がありました。」

バルタザールがそう答えた時、鞄を漁るユージンの顔が突如曇った。

 鞄の中にあるそのバンクルが、最初見た時よりも目に見えて崩れていたのである。

かろうじて輪の形は保っているが、ぼろぼろだった。

隠すわけにもいかないので、そっと鞄からだし、バルタザールに見せた。

「おや・・・随分劣化していますね。昨日からこんなでしたっけ?」

「いえ、ここまででは・・・。」

 バルタザールはユージンの手から恐る恐るバンクルを受け取ると、ハンカチをしいた机の上にそれを置いた。

その状態で、彼はバンクルの内側を覗き、本をめくった。

 見比べ、目を細める。

「うーん、微妙ですねぇ。」

見ているのは異国の文字の書かれた辞典か図鑑のようだった。

気になったユージンが横から本を覗き込むと、それに気づいたバルタザールが本を見やすいように傾けてくれた。

「まぁ、似てると言えば似ていますが、なんともと言う感じです。」

 バルタザールが、本の右隅に書かれた文字を指さす。

彼の言うとおり、面影こそあるが、はっきり言ってバンクルの図形と同じようには見えない。

 書かれていたのは、古代大陸文字だった。

勿論、古代と言うだけあって、もう使われていない言語である。

 バルタザールは、軽く首を横に振って本を閉じた。

「駄目ですね。一旦、足輪は、こちらで預からせていただいて良いでしょうか。これも調査に回します。」

 ユージンもその方が良いと思った。

「お願いします。」

 バルタザールは本を戻し、机に回ってハンカチごとバンクルを手に取った。

 そして引出しを開けると、中にバンクルを入れた。

ユージンは、先ほどバルタザールが見ていた言語の文献が気になり、彼が戻したあたりの棚を見た。

「あの・・・さっきの本って、この役場のものなんですか?」

「あ、いえ。僕の私物です。気になるならもう一回出しても構いません。」

 バルタザールがそう言ったので、ユージンは先ほどの本に手をかけた。

その時だった。

「あっ!」

 ガタン!と大きな音が部屋に響いた。

ユージンが本を落としてしまったのだ。

 音に驚いて、バルタザールが少し顔をあげた。

「す・・・すみません。」

「あぁ、大丈夫ですよ。それより、お怪我はありませんか?」

バルタザールがいつものように笑った。

「それ、カバーが少し滑るんですよ。先に言っておけば良かったですね、僕の方こそ申し訳ありません。」

 彼が怒っていないようで安心した。

だが、本当に何度も自分が情けなくなる。

「・・・と、割れてますね。」

 ふと、机の引き出しに向かっていたバルタザールが動きを止めた。

先ほどの衝撃かは分からないが、トリクシーのバンクルはハンカチの中で無残にも大きく欠け、割れていた。

「また傷付いてしまいました。」

「さ、さっき俺が本を落としたせいですかね・・・。」

「多分違うでしょう。棚が倒れたとかじゃないんですから、偶然ですよ。」

 どうすることも出来ないので、とりあえず引き出しを閉めた。

かなり丁寧に扱わなくてはいけないのかもしれない。

「時計台の調査って、いつから始まるんですか。」

 落とした本を慎重に拾いながら遠慮気味に聞く。

「そうですねぇ・・・。」

 バルタザールは、再び引き出しの方を見つめて答えた。

「時計台のあったセントホルネ、隣のカルタンテ国、滅びた古代民族、そして魔人の生き残り・・・と、まぁ可能性の中に魔人の生き残りというのがある以上、どうしても調査は難航するでしょうね。下手に情報を漏らせば、セントホルネ周辺は大混乱です。早くて明後日くらいでしょうか。それでも、かなり慎重にしなければなりませんから、時間がかかるでしょう。」

 さすがのバルタザールも、この状況にはかなり苦悶していた。

何もかもが手探りの状態なのだ。

 その上、気を抜けばトリクシーの命は危険に晒され、街は大騒ぎになる。

「幽閉した犯人も彼女と同じく見当がつきません。また、あなたの事故についても、本来なら色々と問題があるところですが、まだ手が回りません。エリベに帰られた後にも何度かセントホルネに来ることになるでしょう。それと、あんまり言いたくない話ですが、本当にあなたが時計台に衝突したのなら弁償費についてもお話がありますよ。」

 ユージンの顔が一気に引きつった。

「勘弁してください。」

「決まりですので。その時は頑張って働いてくださいね。」

 バルタザールの微笑みにユージンの心が折れる。

賠償なんて話になれば、多分親が怒るだろう

「ここは商業の街セントホルネ。出稼ぎならいつでも歓迎しますよ。」

ユージンには彼の言葉が冗談に聞こえない。

何だか、気が重くなる。

「覚悟は・・・しておきます。」

 バルタザールがユージンの横を通り過ぎ、廊下の方へと歩いていく。

「オムニバスの時間まで、折角ですから、あなたもここにいると良いでしょう。強制はしませんが、その方がトリクシーさんも寂しくないと思いますから。」

 特に街中でしたいことはない。

だが、ペネロペやワルターにも別れの挨拶や、他にも少し言いたいことがあった。

 オムニバスに乗るまでに、彼女らと話す時間はあるのだろうか。

「とりあえず、トリクシーさんに会いましょうか。きっと待ってます。」

 バルタザールが微笑ん言う。

 それもそうだ、とユージンは思った。

今日これからどうするかはその後考えれば良い。

まず、トリクシーが無事なのを確認しよう、と。

「こちらです。」

 先を行くバルタザールをユージンが追う。

バルタザールは、いつもの穏やかな顔をしている。

 その表情に、少しだけ、ほんの少しだけ、ユージンは安心した。



 バルタザールに連れられ、街役場の客室に放り込まれたトリクシーは、セルマを抱きかかえて壁に寄りかかりっている。

 そして、ただ一人難しい顔をして唸っていた。

「違う・・・こうじゃない。」

 役場の客室は、昨日の研究所にあった休憩室に何となく似ていた。

違うのは、本棚がないことと、全体に少し高級感があるくらいである。

 トリクシーは、そこでユージンに謝る練習をしていた。

ボソボソと何か言っては、首を横に振る。

「勝手に部屋から・・・いや、部屋を・・・出て、・・・うーん。」

 偶然話しかけた女性がバルタザールの妻だとは思わなかった。

あの後、トリクシーはバルタザールの自宅に入れられ、それから、どうしてこんなところにいるのかと聞かれた。

 悪いことをしたと言うのは分かっていた。

だからこそ、トリクシーは自分に会ったことを素直に話した。

 目が覚めて、外を見ていたら懐かしい気持ちになったこと。

思わず部屋を出てしまい、色々考えているうちに道に迷ってしまったこと。

しかし、そこで一つだけ思い出したことがあったのは黙っていた。

自分の正しい記憶である確証がなかったし、ただ単語だけ出てきても、分かることなんてないと思ったのだ。

「勝手に部屋を出て、ごめんなさい。」

 怒鳴りこそしなかったが、バルタザールには色々と言われてしまった。

世界を生きるためには、皆と協力しなくてはいけない。

だから、やりたいことを何でもしているようでは、暮らしていけないのだ、と。

「悪い事をして、ごめんなさい。」

 ユージンは怒ってないだろうか。

勝手なことをしてしまった自分の事を。

「・・・ごめんなさい。」

 トリクシーは、小さくため息をついた。

もし彼に許してもらえなくても、一度謝ることは必要だと思った。

「許してくれるかな。」

 ガタン、とどこかから音が聞こえた。

何だろうと思い、寄りかかっていた壁を離れる。

 少し考えて、音はバルタザールがいる方の部屋からしたのだと気づいた。

「バル、どうしたんだろう。」

 転んで倒れたりでもしたのだろうか。

だとしたら心配だ。

「・・・でも、ここにいてって言われたし・・・。」

今度こそ、約束を破るわけにはいかなかった。

どうしようと迷っていたその瞬間、急に彼女の視界が歪んだ。

「・・・いッ・・・!?」

突然の強い立ち眩みが彼女を襲った。

立っていられない。

 平衡感覚がなくなり、ガクンと膝をついた。

腕の中にあったセルマが床に転げ落ちる。

頭の奥が強く痛み、急激に意識が遠のいていく。

誰かを呼ぶことも出来ないまま、トリクシーはその場に倒れた。

 彼女が床に倒れてすぐ、客室にあった窓がハンマーで小さく割られた。

「トリクシー?」

 外に繋がる窓から、オーエンが恐る恐る彼女の名を呼ぶ。

彼は、割れたガラスの隙間から手を突っ込み、鍵を開けた。

 普通なら手を切りそうなところだが、オーエンは両手に皮手袋をしていた。

窓を完全に開け放つと、ぐっと力を込めてサッシを掴む。

音を立てないよう注意しながら、サッシを乗り越えて部屋へと入った。

「あまり泥棒のような真似はしたくなかったんだがね。」

 部屋に侵入し、改めて力なく倒れるトリクシーを見る。

「・・・遅かったか。」

オーエンはトリクシーに歩み寄ると、彼女を片手で掴んで小脇に抱えた。

近くに転がったセルマを拾い上げると、それを彼女の腕の中に突っ込む。

 オーエンは軽々とトリクシーを抱えたまま、窓から再び外へと出た。

トリクシーのいた客室は、幸いにも役場の裏側にあり、人目が少ない方を向いていた。

 辺りに人がいないか確認すると、オーエンは役場から離れていった。

なるべく人混みの少ない場所を選びながら、急ぎ足で進む。

 路地に抜けてすぐ、町中にセントホルネ大時計台の鐘の音が大きく響いた。

ゴーン、ゴーン・・・という低く重い音。

「・・・まずいな。」

 歩きながら、彼は空いている方の腕を自分の前に持ってきた。

彼の腕時計は、通常あり得ないような動きを見せていた。

異常な速度で長針が回転し始めている。


 セントホルネ大時計台の鐘が鳴り響く中、ユージンとバルタザールは、その光景に言葉を失った。

トリクシーの姿などどこにもない。客室は蛻けの殻だったのだ。

 ユージンは、少しの間、口を開けて放心していたが、やがて、ゆっくりとバルタザールの方を見た。

「・・・町長さん・・・これは・・・。」

 混乱しているのはバルタザールも同じであった。

バルタザールはユージンの言葉など聞こえないと言う風に立ちすくんでいた。

割られた窓ガラスの隙間から僅かに風が入ってくる。

 バルタザールは窓の方を一瞬見て、そこへよろよろと歩み寄った。

曇りの一切ないその窓に軽く手を当てる。

そして、そのまま膝から崩れ落ちた。

彼女が自分からここを出るはずがない。

きつく言って聞かせたし、何より、あんなに反省したばかりだ。

 ならば、どうして?

答えは一つだった。

「やられました・・・!」

 恐れていた事態が起こってしまったのだ。

よほどのことが無い限り、奥には誰も通さないようにと受付に言ってあった。

 だが、隙を突かれた。

バルタザールはその場で深呼吸をして、立ち上がった。

窓を開け、身を乗り出して周囲を確認する。

近くに人が隠れているような様子はない。

「彼女を連れ去った犯人はまだ近くにいます!ユージンさん、協力してください!」

「は、はい!」

思わず、バルタザールの気迫に押されそうになる。

ユージンは必死に考えを巡らすバルタザールの話に耳を傾ける。

「僕はワルターたちに協力を要請します!あなたは急いで役場から出て周辺を―――。」

 バルタザールが言いかけた時、廊下から騒がしく人が走ってくる音がした。

程なくして勢いよく客室の扉が開かれる。

「大変です町長!」

 バルタザールより大分年下のまだ若そうな女性だった。

 焦りの表情を浮かべ、切羽詰まった様子である。

「奥に入るなと言ったでしょう、シャーロット!」

 丁寧な言い方ではあるが、かなり不機嫌気味にバルタザールが答える。

事は一刻を争うのだ。余計なことをしている暇はなかった。

 しかし、バルタザールに声をあげられても、その女性職員――町長助役のシャーロットは食い下がらなかった。

彼女の一本に束ねられた黒髪が跳ねる。

「時計を見てください!」

シャーロットが凄い形相で部屋の隅にある壁掛け時計を指さす。

 見ると、長針と短針の動きが狂っている。

一瞬、ただ時計が壊れているだけかと思ったが、それにしては少々動きがおかしい。

何だか、外が少しずつ騒がしくなり始めていた。

「一体どういうことですか?」

 バルタザールは状況が呑み込めず、シャーロットに聞き返した。

「セントホルネ内の時計が狂い始めました。役場内の時計は全て駄目です!」

「時計が全て狂っている?」

「職員の私物も全滅です。その上、先ほど時計台の方から鐘が鳴りました。あの時計台は毎日正午丁度になるはずです。恐らく時計台も・・・。」

 今の時刻は、どう考えても正午ではない。

バルタザールの勘が正しければ、午前九時がいいところである。

 どうやら、時計台もおかしくなっているようだ。

「街で混乱が起きるかもしれません。どうか今後のご指示を・・・!」

「町長さん・・・。」

 ユージンが心配そうに声をかける。

バルタザールは、今決断を迫られているのだ。

 セントホルネ中の時計が狂っている。

ユージンは、このことに少し思い当たることがあった。

バルタザールの息子、エリオットが言っていた言葉。

魔人の遺した、時間崩壊の予言である。

 エリオットが知っていると言うことは、バルタザールも既知のはずだ。

バルタザールは下を向いて、唇を噛んだ。

「現在誘導を行っている者はそのまま続けてください。」

彼は、決心したように顔をあげた。

「警備隊の招集をお願いします。急な暴動に対応出来るよう一部は待機、何人よこすかは警備隊長の判断にお任せします。」

「はい。」

「街の混乱を鎮めるのが最優先です。状況が分かるまで、今のところは避難令は出しません。住人には落ち着いて対処するよう呼びかけてください。」

 シャーロットはバルタザールの目を見ながら深く頷き、走って部屋を出て行った。

「申し訳ありません、ユージンさん。・・・トリクシーさんの事をよろしくお願いします。」

 バルタザールは一瞬俯きがちにそう言うと、すぐに前を見据えて部屋を飛び出した。

 彼は、トリクシーより街を優先した。

だが、ユージンはそれを咎めようとは思わなかった。

 バルタザールが対応に追われる今、自分に何ができるか。

勿論、それはトリクシーを救出することだ。

街は、突然の出来事で混乱し始めている。

トリクシーを攫った犯人が、騒ぎの中で足止めされるかもしない。

 ユージンは、バルタザールに少し遅れて部屋から出た。

 町長バルタザールと、その助役シャーロットが、公務員たちを束ねている。

ワルターとペネロペは、恐らく時計台の方で対応に追われているはずだ。

 今、頼れるのは自分自身の力のみである。

だが、体の事もあるため、正直あまり長時間走ることは出来ない。

 闇雲に探しては自滅するだけだ。

まずは犯人が行きそうな場所を考えなくてはいけない。

ユージンは比較的人通りの少ない裏通りの方へと狙いを定めた。

少しずつ、雲が陰りはじめ、辺りが暗くなっていた。



 電話の音がいくつも重なって鳴り響いては、役場に残っている職員たちが応答する。

暴動が起きるのではと言うバルタザールの嫌な予感は見事的中した。

「バルタザール!」

 そう叫ぶのはダンカンだ。

バルタザールは、役場外で町議員や住人たちを仕切っていた。

最初、彼はダンカンのことを応援にかけつけてくれた善良な町議員だと思った。

 だが、それは違ったのだ。

ダンカンは人々を誘導する他の町議員の間をぬって、バルタザールに近づくと彼の耳元で小さく言った。

「お前のせいだぞ、バルタザール・ハート。この街はもう終わりだ。」

 ダンカンの何かを企むようなその声と笑みに、彼が弾圧派であるのを思い出した。

すぐトリクシーを攫ったのはダンカンなのでは、という考えに至った。

確証はない。

証拠が出るまでは、トリクシーのことを伏せようと思った。

「そんなことを言いにわざわざ僕のところへ来たのですか。早く自分の位置につきなさい。」

「これは時間崩壊の予言だ。」

 分かっている。

だからこうして、もしもの為に警備隊を敷いたのだ。

「そうかもしれませんね。」

「お前が魔人の生き残りを隠しているのは分かっているぞ。」

 ダンカンは、トリクシーの存在に気づいているようだ。

しかし、まだ彼女が魔人の生き残りと決まったわけではない。

ブロンド髪の魔人など聞いたことがなかった。

旧アディニーナ村の人々は、ジークガットの特徴と同じである黒髪か茶髪を持っているはずだった。

「嘘をつこうとしても無駄だ、あの黒髪の若い男だろう?」

 バルタザールは無言で目を見開いた。

ダンカンが狙っているのはトリクシーではない。

 彼が疑いをかけているのは・・・。

「・・・僕は今とても忙しいのです。」

 バルタザールは肯定も否定もせず、ただ低い声で言った。

「言い訳がましいな、バルタザール。」

 正直なところ、バルタザールはかなり焦っていた。

さまざまなことが複雑に絡み、こじれている。

 この際、ユージンに目が向いていた方がトリクシーの身は安全かもしれない。

 彼を危険に晒すのは忍びないが、トリクシーに注目が向くよりかはマシだと思った。

 その時、交通整理の指示をしていたシャーロットが、バルタザールの方へ走ってきた。

バルタザールの近くで動いているダンカンを見つけ、不審に思ったのだ。

「ダンカン、何をしている!」

 ダンカンは声をあげるシャーロットの方を見ると、小さく笑った。

「シャーロット・ケイシーか。丁度いい。」

ダンカンは、バルタザールに背を向け、シャーロットの方へ歩み寄った。

 シャーロットの真横まで来ると、ダンカンは懐から短剣を取り出した。

「ひっ・・・!」

「いいか、よく聞けシャーロット。セントホルネ内の魔人弾圧派がもうじき反乱を起こすだろう。それまで精々、時間崩壊に怯えるがいい。」

シャーロットは彼の短剣に怯え、口をぎゅっと結んだまま、何も出来なかった。

ダンカンを捕まえなくてはいけないと思うのに、体が動かない。

小刻みに震える彼女を一瞬見たダンカンは、再び街を歩き出し人混みに消えていった。

「シャーロット、大丈夫ですか!」

 間もなく、バルタザールが駆け寄ると、シャーロットはボロボロと涙をこぼし、漠然とした表情で雑踏を見つめた。

 シャーロットは歯を食いしばり、悔しそうに声を出した。

「ダンカンが・・・徒党を組み、反乱を起こすと・・・。」

「弾圧派の暴動ということですか?」

「恐らく・・・。」

バルタザールが、一気に険しい目つきになった。

これ以上、混乱を防ぐのは無理だ。

「・・・シャーロット、ここが頑張りどころですよ。」

 彼は、不安で満ちた街を見渡す。

住人たちは皆、小さく怯えながら懐中時計を握り締めている。

「・・・はい!」

 シャーロットは、服の袖で乱暴に涙を拭って、叫んだ。

バルタザールの表情にはもう余裕が無かった。

「これ以上、予言を否定することは出来ません。弾圧派がテロを起こす可能性も出てきました。仕方ありません、避難令を出しましょう。」

 時間崩壊の予言は、魔人処刑に立ち会った者、もしくはその関係者のみが知っていることだった。

この混乱の中、住人達に予言の事を告げるのはリスクが大きすぎた。

だからこそ、弾圧派がテロを起こすかもしれないと言うのは、裏を返せば、住人が避難しなくてはいけない理由を作ることが出来て好都合であった。

 利用できるものは全て利用しなければ、この状況を回避することは出来ない。

待機している警備隊へ呼びかけを、近くの町議員は出来るだけ一か所に集め、それから指示を出す。

もうじき、コンチェッタ、ヴィクセルグ、モルガゴーシュ、カルヴァラ、そしてアルティリークから応援が来るはずだ。

 彼らには到着し次第状況の説明を行い、避難誘導を手伝うよう要請する。

 それでひとまず手を打とう。

そこまで考えた時、遠くからエリオットが走ってきた。

「父さん!」

 エリオットは息を切らしながらバルタザールの元へ駆け寄ってきた。

昨日研究所にいた時と違い、白衣は着ておらず、肩に着くかつかないくらいの髪を降ろしている。

片手には私物であるベージュ色のトートバッグを提げていた。

「エリオット君?何で君が・・・。」

 シャーロットが驚いて彼の名を呼ぶ。

「お久しぶりです、シャーロットさん。父・・・いえ、町長に呼ばれたのです。」

 エリオットはずり落ちた眼鏡をあげ、バルタザールに駆け寄った。

バルタザールはエリオットの肩を両手でしっかりと掴んだ。

 本来、このような状況で彼のような人間が家族と面会するのはタブーとされる。

バルタザールはそれを承知でエリオットを呼んだ。

「よく来た、エリオット。いいかい、名前は伏せるが、昨日、エリベの青年が研究所に来ただろう。彼を探し、共にコンチェッタのキニアスさんのところへ逃げなさい。ヴァイオレットは恐らく一人でも大丈夫だから。」

 最初は、トリクシーの捜索を頼むつもりでエリオットを呼んでいた。

だが、状況が変わった。

トリクシーの捜索は一旦中止し、命を狙われそうになっているユージンを街の外へと逃がすべきだと考えた。

「彼がここにいては危険なんだ。ダンカンら弾圧派に見つからないうちに、急いでほしい。・・・どうか、頼めるかい?」

 エリオットは、バルタザールの言葉に頷いた。

ユージンの名前を伏せたと言うことは、今彼の身には何か大変な危険が迫っているのだろう。

バルタザールが事情を説明しなくても、エリオットは素直に彼の言葉を受け入れた。

「シャーロット、僕達で避難誘導の連絡をします。町議員とその関係者を出来るだけ集めましょう。」

「分かりました!」

 バルタザールとシャーロットは二手に分かれると周辺の町議員たちに役場前へ集まるよう通達した。

混乱は、いよいよ町中に広がっていった。

 エリオットは、どよめく人混みを掻き分け、ユージンの姿を探す。

彼の鮮やかな青い瞳を探し、皆の顔を見ながら進んでいった。



 ユージンは、人のいない狭い道に一人で呆然と立ちすくんでいた。

セントホルネでは先刻避難警告が発令され、住人は皆表通りへと出ていってしまった。

遠くで騒がしい声がしているのが分かる。

 しかし、トリクシーは見つからないままだ。

「ユージン!」

 背後から声がして、ユージンは飛び上がるほど驚いた。

 犯人に声をかけられたのかと思ったのだ。

だが、振り返ったそこに立っていたのはペネロペ。

「び、びっくりさせるなよ・・・と言うか、どうしてあんたがこんなところに・・・。」

「驚いたのはこっちよ。役場に行ったけど、いなかったから・・・随分探したのよ。ワルターさんに言って、あなたを迎えに来たんだから。」

家の影のせいで、辺りは何となく暗い。

「ねぇ、トリクシーはどこ?」

ユージンは、顔に影を落とすようにして、ペネロペから目を逸らした。

「・・・役場内の一室にいたんだが、気づいたらいなくなっていて・・・。」

「また勝手に出て行っちゃったの!?」

 ペネロペが声を強めて聞く。

「違う。今度こそ、本当に誘拐されたんだと思う。」

 彼の声は今にも消えてしまいそうだった。

ペネロペは彼の目をずっと見据えて揺れなかった。

「それで、トリクシーを探していたのね。」

「・・・あぁ。でも、見つからないんだ。」

「ユージン、顔をあげて。」

 ペネロペが言うと、ユージンは不安そうにそっと彼女の方を見た。

「大丈夫、きっと彼女は無事よ。私も探すのを手伝うわ。」

 ペネロペがそう言った時、彼女の背後、遠くから誰かが走ってくるのが分かった。

足音が少しずつ近づいてくる。

 ユージンはその人物に気づいて、顔をあげた。

「どうしたの?」

 ペネロペが、ユージンにつられるようにして後ろを向く。

前に見た姿と違ったので一瞬気づかなかったが、エリオットだった。

 あまり運動は得意ではないようで、少々もたついている。

「探したよ!」

 彼は少しだけ笑って、息を切らしながら言う。

「エリオットじゃないか、あんた逃げなくていいのか?」

 ユージンが驚きながら言う。

「勿論逃げるよ。君たちを連れてね。父さんに頼まれたんだよ。ユージンさんとコンチェッタに逃げろって。」

「バルタザールさんが?」

 ユージンの問いかけに、エリオットは頷く。

どういうことだろう、とユージンは思った。

トリクシーを探せと言ったのはバルタザールだ。

 それを取りやめろということなのだろうか。

「ペネロペさんもいるようだし、皆で一緒に行こう。今のセントホルネにいたら危ないよ。」

「そうだけど、でも・・・まだ、やらなきゃいけないことがあって・・・。」

「ペネロペの言うとおりだ。俺たちは今ここを離れるわけにいかない。」

 二人の言葉を聞き、エリオットは少し困ったように視線を落とした。

「・・・ユージンさん、ペネロペさん。君たちは、何か隠し事をしているね?」

 バルタザールに連絡を受けた時から、何かがおかしいと見込んでいた。

「僕は君たちの味方だ。でも、事情が分からなきゃ助けることも出来ないよ。何か問題を抱えているなら教えてほしい。」

 人の消えた裏通りはどことなく寂しい雰囲気を持っていた。

ユージンもペネロペも、エリオットにここまで秘密を感づかれているとは思わなかった。

これ以上、彼には隠せないかもしれない。

「・・・昨日、俺たちといた少女は、セントホルネ大時計台内部に幽閉されていたんだ。」

「ユージン!」

 止めたのはペネロペだ。

「言っていいの?」

「・・・彼はバルタザールさんの息子だ。きっと大丈夫だよ。」

 ユージンは前に出ようと身を乗り出すペネロペを軽く腕で押さえた。

ペネロペは反抗しようとして口を開きかけたが、少しして押し黙った。

「俺もペネロペも一般人だ。俺たち二人には何も隠すようなことは無い。ただ、トリクシーは・・・彼女は、ずっと大時計台内部の隠し部屋に捕まっていたんだ。」

「拉致被害者、ってことかい?」

 エリオットが言う。

「多分そうなると思う。そして、その部屋からトリクシーを助けたのが俺だ。」

「どうして、彼女は今いないの?」

 エリオットが冷静に聞くと、ユージンはやや言いにくそうにして再び口を開いた。

「トリクシーの両親を探すまでの間、彼女を孤児院に入れることが決まっていたんだ。バルタザールさんが手配してくれて。それでまぁ色々あって・・・その受け入れが整うまで役場にいるはずだったんだよ。だが、少し目を離している内に誰かに連れ去られてしまって、このザマだ。」

「今まで彼女を閉じ込めていた犯人が、再びトリクシーを見つけて攫ったってことかな。」

「だろうな。」

 低く返事をして、ユージンはペネロペの方をちらりと見た。

「それからペネロペ。・・・すまない、あんたにも隠してたことがある。」

 ペネロペは目を見開いて顔をあげた。

「・・・私に?」

 この際、言ってしまおうと思った。

ペネロペなら、エリオットなら、トリクシーを殺したりしないだろう。

「時計台の調査がどうしてすぐに始まらないか疑問には思わなかったか?」

「少しは思ったけど・・・でも、それがどうしたのよ・・・。」

「単に遅れたわけじゃないんだ。トリクシーは、魔人の生き残りの可能性がある。魔人の容姿に詳しい弾圧関係者に見つかれば、命はないかもしれない。だから、調査を進められなかったんだ。」

 辺りがしばらく沈黙で包まれた。

静かな裏通りに、僅かに風が吹きぬけた。

「急ごう。」

沈黙を破ったのはエリオットだった。

「やっぱり、ユージンさんは早くここを出た方が良い。一旦トリクシーは諦めるんだ。」

 冷たく切り返すエリオットに、ユージンは少しだけ苛立ちを感じた。

「言っただろ・・・彼女を置いていって、もしものことがあれば―-・・・!」

「君の話を聞いて分かった。父さんが言ってる意味もようやく理解出来たよ。」

落ち着きを失いかけているユージンに、エリオットが冷静に返す。

「君たちの話が本当なら、恐らく君とトリクシーさんの存在は弾圧派に漏れ始めている。奴らの標的は、トリクシーさんじゃなくて、ユージンさん、あなただ。」

「・・・は?」

 信じがたい話だった。

自分が狙われているだなんて、始めて聞いた。

「時間崩壊の予言が現実になりかけている今、弾圧派の暴動が起き始めている。表通りの警戒っぷりを見ればすぐに分かるよ。そんな中で、父さんは、ユージンさんを逃がせと言ったんだ。それは、弾圧派の人間がユージンさんを狙っていることを意味するんじゃないかな。きっと、ユージンさんとトリクシーさんを遠目に見た奴がいたんだろう。二人のうちどちらが怪しいかといったら、まず疑われるのは君の方だと思うよ。金髪の魔人なんて聞いたことがない。」

 ユージンは言葉を失った。

エリオットの言葉がどこまで本当かは分からないが、説得力のある理由だ。

 もし、彼の言う事が真実なら、トリクシーを攫ったのは魔人弾圧派ではない人間と言うことになる。

 考えれば考えるほど分からなくなった。

「詳しい話はまた後でしよう。とにかく、この街から離れるんだ。君の命まで危ない。」

 エリオットは、ユージンとペネロペに背を向けた。

「ついてきて。勿論、ペネロペさんも。」

 目指すは、ここから然程遠くない場所、隣町コンチェッタだ。

そこに住む、エリオットの知人の元へ向かい、今後の予測を立てる。


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