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魔人弾圧

「おはようございます、ワルター、ペネロペさん。それから、ユージンさん、トリクシーさんも。」

 バルタザールは、ペネロペの言った通り、時間ぴったりに時計台へとやってきた。

中折れの帽子をかぶり、黒い杖を持っていて、非常に紳士らしい出で立ちであった。

 バルタザールが訪問してきたのが分かると、ワルターも一旦手を止めた。

室内へ案内すると、彼は杖をドア横に立てかけ、丁寧にお辞儀をしてから部屋へ入った。

 時間があまりないということだったので、早速時計台内部、あの歯車だらけの空間へと移動した。

「この上部に隠し部屋があったのですね?しかし、探しても痕跡はなかった・・・と。」

「あぁ、(あたし)が見た時にはこれっぽっちもそれらしいものは見えなかったね。」

 ワルターが高い天井を見上げながら言った。

「やはり、後からきちんとした調査が必要でしょう。時間がかかるかもしれませんが、出来るだけ早く手配しましょう。」

 証拠は明らかに不十分であったが、バルタザールは何回か頷くと、すぐに状況を呑み込んだような様子でユージン達の方へと向かいなおった。

「さて、大分挨拶が遅れてしまいましたね。この街で町長をしています、バルタザール・ハートと言います。君たちの名前はワルターからも聞いていますが、もう一度教えてもらってよろしいですか?」

 トリクシーは、優しそうなバルタザールにつられるように笑った。

「初めまして。私トリクシー、よろしくね!」

「トリクシーさん、素敵なお名前ですね。よろしくお願いします。・・・よく今まで一人でずっと頑張ってこれましたね。これからしばらくの間、ほんの少しだけ大変かもしれないけど、一緒に頑張りましょう。すぐにあなたの家族や、住んでいた場所を探してあげますから。」

「ありがとう。でも一人じゃなかったよ。セルマがいたから。」

「セルマさん?・・・お人形さんか何かかな?」

「そう!」

「ふふ、そうだったのですか。お友達がいたのですね。」

 バルタザールは優しく微笑み、今度はユージンの方を見た。

「そちらのあなたは?」

「あ、えっと・・・。」

 ペネロペが、言い渋るユージンを急かすように軽く小突く。

「その、ユージン・オールポートと言います。」

「よろしくお願いします。・・・エリベ特有の青い瞳の若者ですか。見れば見るほど、何だかナタリアさんを思い出しますね。」

「・・・ペネロペ、もう一度上を見に行くぞ。お前も来い。」

 することがなかったからか、ワルターは少しつまらなそうな顔をしてペネロペを呼び止めた。

「バル、もう一度だけペネロペと上を見てくる。お前はユージンとトリクシーから話を聞いてやってくれ。」

「はい。お願いします。」

 ワルターは軽く頷くと、ペネロペの方を一瞬見てから梯子に手をかけ始めた。

ペネロペは少し不満そうに「今日休みって言ったじゃないの。」と小さくつぶやいてから、ワルターの後に続いていった。

 やはり、時計台で修業してるだけあってか、凄いスピードで軽快に梯子を上がっていく。

 歯車の部屋は、窓こそついていたが、全体的に薄暗く、あまり視界が良いとは言えなかった。

見上げても天辺まではっきり見えるわけではなく、暗くぼんやりしている。

しかし、ワルターとペネロペは、部屋の明るさなどもろともしていないようだった。

 それを途中まで見送ると、バルタザールは話を続けた。

椅子などは勿論ないので立ったままである。

「さて、二人が戻ってくるまでに色々話しておいた方が良さそうですね。ワルターは少々口うるさいところがありますから、ちょうどいいです。聞かれて面倒なことは今先に言ってしまいましょう。」

 冗談っぽく笑うと、彼は言った。

「ここからは真面目なお話です。状況をもう一度確認しておきたいので、事故が起きてから今までのことをひとまず話してもらえますか?」

 バルタザールに言われた通り、出来るだけ詳しく事故直後から今までを話した。

少々雑ではあったが、何となく説明が終わると、バルタザールは驚きもせずに、「なるほど。」と一言言った。

「大方、ワルターの話と同じですね。」

「あの、町長さん。俺からも聞いていいですか?」

 ユージンが少し遠慮がちに言った。

言いたいことはこちらからも沢山あった。

「この文字を知っていますか?トリクシーの生まれた場所の物のような気がするのですが。」

 ユージンは鞄から崩れかけのバンクルを取り出して、彼へと見せた。

気のせいか、昨日よりも傷が増えているように見えた。

バルタザールは少し目を細めながら、それを受け取って、書かれた図形を見る。

「・・・すみません、僕にも分かりません。この辺の言葉ではありませんし、海外でも見たことがないです・・・。髪色からして、トリクシーさんは、恐らくこのジークガット隣・・・カルタンテ国あたりの生まれの気がするのですが・・・。あちらの公用語でもありませんね。鑑定してみないと・・・なんとも。」

「カルタンテ国ってどこにあるの?そこが、私の住んでたとこ?」

トリクシーが不思議そうに聞いた。

「住んでいたかは分かりませんね。・・・カルタンテは西の国です。セントホルネの街は国内北東にありますので、あちらに行こうと思うと、かなりの距離がありますよ。あちら方面は明るい髪色が見られるんです。ですが・・・。」

 バルタザールが言葉を止めた。そして、少し困った様子でトリクシーの目を見た。

トリクシーの瞳は、暗い所では茶色に見えるが、日に当たると金色に光って見える。

彼は、それが少しだけ気がかりだった。

「どうしたの?」

「・・・いえ。その、お役にたてなくてすみません。僕は自分が思っているより無知なようで。本当にお恥ずかしい。」

「そうですか・・・。」

 残念そうにユージンは下を向いた。

結局、聞きたいことは聞いたが、何も分からず仕舞いだ。

調べなければ分からない、ということしか結論として出てこなかった。

 バルタザールは少し考えてから、上を見上げた。

ワルターとペネロペが上で何やら動きまわっているのが小さく見えた。

「・・・トリクシーさん、向こうから僕の杖を取ってきてもらってもいいですか?来た時、これくらいの棒を持っていたでしょう?あれがほしいのです。」

「バル、あれが必要なの?」

「はい、お願いできますか?」

「いいよ!すぐ行ってくる。」

「あ、大切なものなので、持ってくるときはゆっくり慎重にお願いします。」

 トリクシーは、バルタザールに頼まれた通り、杖を置いた部屋のほうへと走って行った。

 そして、そのまま勢い余って扉の段差で少しよろけた。

それを見たユージンが、慌てて彼女に駆け寄ろうとしたが、バルタザールがそれを止めた。

「大丈夫です、ユージンさんはここにいてください。」

どうして、とユージンは思った。

だが、相手は町長である故、逆らうわけにはいかなかった。

 間もなく、トリクシーは態勢を立て直し、扉の向こうへと走って行った。

「あまり大声では言えないので、あくまで可能性としてお聞きください。」

 トリクシーをその場から離れたのを確認してから、バルタザールは早口で告げた。

「ユージンさんは魔人弾圧をご存知でしょうか。」

「え?はい・・・。」

「金色の瞳は魔人の象徴です。場合によっては、彼女を殺さなくてはならないかもしれません。」

 歯車の音が大きくなって聞こえた気がした。

少し間を空けてから、恐る恐る声を出した。

「・・・トリクシーを殺す?」

「僕自身、違うとは思います。・・・しかし、最悪を仮定して申しあげておきましょう。もし、彼女が消えたはずの魔人の血を引いている場合、トリクシーさんは恐ろしい破壊兵器になりかねません。弾圧から日の浅い旧アディニーナ村近隣の街、特に、土地を吸収したアルティリークの街はこの手の話題に敏感です。念のため、あまり外を出歩かせない方が賢明かと思われます。」

そこまで言ったところで、トリクシーが戻ってきた。

「持ってきたよ!」

 無邪気な笑顔だった。これ以上ないくらいに慈愛に満ちた、子供らしい平和な表情で。

「あぁ、ありがとうございます!助かりました。」

 それに、同じくらいの笑顔で答えるバルタザール。

「ねぇ、何かお話をしてたの?」

 トリクシーは、バルタザールに杖を差出しながらユージンの方を見た。

ユージンは少々戸惑いつつも、感づかれないようぎこちない笑みを作った。

トリクシーの問いに答えたのは、バルタザールだった。

「少し昔話をしていたのですよ。」

「昔話って?」

「トリクシーさんにも少しだけ教えてあげましょう。時間ならまだありますから。」

 そう言ってバルタザールは少しだけ目を閉じた。

「かつて、この世には、生まれつき不思議な力を持つ人々が住んでいたのです。ずっとずっと昔、彼らは世界のいたるところに散らばっていました。まじないによって火を生み、水を生み、自然と共に生きていたのです。しかし―――。」

 彼らは特殊な力を持つが故に自国を追われ、移住を余儀なくされた。

戦争に投入されることを恐れ、自らの意思で亡命した者も多かったと言う。

 人々は、彼らを軽蔑の意思を持って「魔人」または「奇人」と呼んだ。

先祖の血を濃く受け継ぐものほど美しい金色の瞳を持つとされ、人々は魔人の金色の眼を酷く恐れた。



 名をアディニーナというその村は、魔人弾圧の文化のなかったジークガット王国に逃れた、魔人の生き残りたちが築いた集落であった。

 セントホルネ、アルティリーク、コンチェッタ、モルガゴーシュ。

その四つの街に囲まれ、彼らはそっと息づいていたのだ。

外界との接触を極力遮断し、独自の文化を築きあげた彼らは、何十年も村の中に閉じこもりきりだった。

村の周囲に壁を作り、一般の人間を寄せ付けず、その扉は幾重にも厳しく守られていた。

 魔人は、魔法陣によってその力を発揮する。

昔から受け継がれた魔法陣と、生まれつき持つ魔力が出会う事で、初めて術は成立するのだ。

 今からおよそ三十年前、ジークガットの国に産業化の波が訪れると、ほどなくして、魔人弾圧の思想がアディニーナ村近隣で起こり始めた。


“魔人は危険である。いずれは、国の恐怖になるだろう”

 誰が言い始めたのかは分からない。

だが、その思想は恐ろしい速度で周囲に広がっていった。

 アルティリークが指揮をとり、エリベが武器を用意した。

モルガゴーシュとコンチェッタが戦い、セントホルネは戦いを放棄した。


 やがて、最後の砦であったアディニーナは周囲の町々に潰され、ついに全世界の魔人弾圧が完了、彼らは完全に滅びてしまった。



「・・・もう、不思議な力を持つ彼らはこの世にはいません。とても悲しい出来事です。」

「ねぇ、それは本当にあったことなの?」

 トリクシーは難しすぎて分からないと言う様子でバルタザールを見上げた。

「はい。旧アディニーナ村は確かにあった場所でした。今はアルティリークという隣の場所と合わさって消えてしまいましたが・・・。」

「あなたは止めなかったの?」

「止めましたよ。しかし、僕だけの力で抑えることは出来ませんでした。・・・僕は今でも自分が間違ったことをしたとは思っていません。ちょっと他と変わってるからって、住む場所を奪ったり殺したりするなんて、そんなのあんまりですから。」

 ユージンは、バルタザールの言葉に少しだけ引っかかるものがあり、一瞬反抗しようかと迷った。

「バルは偉いんだね。」

 トリクシーは何も分かっていなかった。

魔人弾圧は、仕方がなかったものなのだ。

彼らは、人間でありながら、普通とはかけ離れた力を持っている。

事実、弾圧の際の魔人たちの抵抗は凄まじく、旧アディニーナ村はおろか、周囲の街を巻き込み、ほぼ壊滅させてしまうほどのものであった。

 ユージンの生まれであるエリベは、もともと旧アディニーナ村とは少し離れており、弾圧への意識はとても薄い街だった。

しかし、弾圧運動が始まってからは強い魔人弾圧派へと豹変した。

カラクリの街であるエリベの銃火器が、弾圧の際の主力武器として選ばれたのである。

ユージンは自身の目で、幼いころ、魔人殲滅のための武器作りに勤しむ職人たちを見ていた。

そして、毎日魔人の恐ろしさを聞かされていた。

 だが、それは他の街の人間だってそのはずだ・・・。

それでも彼、バルタザールは弾圧の反対を押し通した。

セントホルネが魔人弾圧反対派であることは、エリベからあまり出たことのないユージンさえ知っていることだ。

それだけ、バルタザールの意見は当時からかなり異質で、異常とも思われるものだった。

「――ユージンさんはエリベの出身ですから、僕の意見を嫌うのは当然かもしれません。考えは人それぞれですから、あなたの考えには口を出しません。安心してください。」

 微妙な顔をしていたユージンを見て、何となく察したバルタザールが言った。

目が笑っていないバルタザールにユージンは一瞬どきりとして、再び苦笑いをした。

「すみません・・・。」

「良いんです、皆考えが違うのは当然なのですから。それより、話を戻しましょう。」

 バルタザールはズボンのポケットから懐中時計を出して一瞬目をやった。

時間を確認しようと思ったのだが、相変わらずそれは壊れていて、彼は少しだけ目を伏せた。

「あなたたちの話を聞いていて一番気になったのが、トリクシーさんを間接的にサポートしていた誰かの存在です。恐らく、トリクシーさんの気が付かないうちに、食物の運搬や廃棄物処理を担っていた者がいたのです。トリクシーさんが部屋から脱出し、丸一日経った今、その者も異変に気づき焦っていることでしょう。」

 バルタザールは動かない懐中時計から目を離し、トリクシーを見た。

「トリクシーさん、よく聞いてくださいね。誰かにまた捕まって部屋に閉じ込められるのは嫌でしょう?ですから、これからしばらくは、一人でどこかへ行くのはおやめなさい。必ず、誰かと一緒に行動すること、良いですね?」

「うん、気を付けるよ。」

 この子が素直でよかった、とバルタザールは思う。

素性が何も分からない以上、どこで誰が彼女を狙っているか分からない。

魔人関連の問題もある。彼女を一人街に放すには、危険すぎる。

少々可哀想ではあるが・・・最低限の安全を考えると、そうするしかなかった。

「ユージンさんも、今日一日、彼女をなるべく一人にさせないよう配慮してくださいね。」

 はい、と返事をしそうになって止まった。

「一日だけですか?」

「あなたには故郷がありますからね。明日の夕方、エリベ行きのオムニバスを手配して差し上げましょう。トリクシーさんについても明日の暮までには、安全に預かれる場所を用意します。ですので、今日までで結構です。」

 彼がそう言ったところで、ワルターとペネロペが梯子から降りてきた。

二人曰く、何度見てもそれらしいものはなく、お手上げとのことだった。

ユージンたちは一旦会話を止めると、表の部屋へと移動し、それから、今後についての相談を少しだけした。

 結局、今晩はバルタザールの紹介してくれた小さな宿に泊まれるそうだった。

また、彼の好意でユージンの両親へは一度電話で連絡を入れてくれることになった。


「今日お話したことは、くれぐれも内密にお願いします。下手に街で噂が流れると収集が厄介なので、時が来るまで、外部には漏らさないでください。ちょっとしたことでも混乱は起きますから。」

 帰り際、扉に手をかけながらバルタザールが言った。

「町長さんって大変ね。」

 微笑みを浮かべながらも念入りに情報の機密を注意するバルタザールに対し、ペネロペは少し気の毒そうに言った。

「色々配慮しなくちゃいけなくて、ほんと大変なお仕事。」

「はは、おかげで変な方向に賢くなって困ります。」

 話を聞きながら、トリクシーはユージンの腰あたりにしがみついていた。

バルタザールに一人になるなと言われてからずっとそんな感じである。

一人で出歩くなと言う意味だったのだが、トリクシーは律儀にユージンにくっついて離れなかった。

 くっつかれている彼はと言うと、少し邪魔そうにしながらもされるがままである。

「賢くなってるならいい加減時計を直したらどうだ。仕事に支障が出るだろう。」

 そう言ったのはワルターだった。

バルタザールはその言葉に少しだけむっとして、小さく反論した。

「何度も言いますが、ゆっくり行く暇がないんですよ。君が直してくれれば解決なのに。」

「時計?」

 トリクシーを体につけたままのユージンが言った。

「・・・町長さんがさっき出してた懐中時計、壊れてたんですか?勿体ないですね、随分良いものに見えましたけど。」

「分かりますかユージンさん!」

バルタザールは、ドアノブにかけていた手をひっこめるとユージンの両手を握った。

「・・・はい?」

「これ、限定もので普通の時計とは作りがちょっと違うんです!」

「そ、そうでしょうね・・・。外装も凝ってますけど仕組みも少し違う・・・海外の八日時計っぽいですね。」

 建前の顔ではなく、心底感動したようにバルタザールはうんうんと頷いた。

「そう、そうなんです!さすがエリベの方ですね、カラクリにお強い。ワルターは腕こそ立つんですけど、芸術とか、価値とか、そういうものが分かってなくて。」

「ほっとけ。」

 ワルターが短く反論した。

「でもその通りじゃない。」

ペネロペがぼそりと言うと、ワルターは一層怖い顔をしてペネロペを睨んだ。

「ユージンさん、その・・・できたらでいいんですが・・・もしかして、時計直せたりしますか?」

「出来ますよ。さすがにプロではないので、少し時間がかかりますが・・・。」

ユージンの言葉を聞くと、バルタザールは強く手を握り直して笑った。

「お願いできませんか!」

「い、良いですけど、後でちゃんと時計屋さんでも見てもらった方が良いですよ。責任はとれないです。」

「ありがとうございます!」

 バルタザールはそう言って、動かない懐中時計を取り出すとユージンに手渡した。

「よろしくお願います!いつでも良いので、出来たら連絡ください!」

 ユージンはぐいぐいと前のめりになるバルタザールに少し引きながら、恐る恐る時計を受け取った。

「・・・せめてものお礼と言ってはなんですが、セントホルネ内にある南研究室というところへ行ってみると良いでしょう。普通は入れませんが、その時計を見せれば入れると思います。そこの附属図書館に、色々とカラクリの資料がありますので、どうぞご自由に見ていってください。」

トリクシーは、ユージンの背後から、興奮気味に話すバルタザールを見上げた。

「あのさ、バル。時間大丈夫なの?」

「へ?あ、あぁ・・・そうでした、時間!」

トリクシーによtって急に現実に引き戻されたバルタザールは、少し慌てたようにして言った。

「では、僕はそろそろ失礼します。それでは、また!明日の夕方お会いしましょう。」



 時計台の中から町長が出てくるのが見えた。

その様子をじっと見て、彼は動きを止めた。

「どうした、エイベル。」

 こんなところでバルタザールを見かけるのは珍しかったので、ぼんやりと見ていると、隣にいたダンカンに声をかけられた。

「町長が・・・。」

 エイベルが言うと、ダンカンは彼の指さした先を見た。

そこには、確かに雑踏の中を進むバルタザールの姿があった。

昨日は、町議員たちのあまりの堕落さに苛立ってつい怒鳴り込んでしまった。

さすがに言いすぎたと反省したのだが、彼は今一体何をしているのだろうと思う。

「バルタザールは今どこから出て来た?」

「時計台です。」

 エイベルが短く答えると、ダンカンは腕組みをして小さくため息をついた。

「なるほど、例のワルター・ホリングワースのところか。昨日いた奴だろう。・・・しかし、何故だ。今バルタザールは仕事中のはずだろう。」

 不穏な表情を見せるダンカンに対し、エイベルは静かに黙ったままだった。

時計台の方を見ると、ワルター管理人と弟子の女の他に、若い男と子供がいるのが見えた。

「・・・まぁいい。」

 ダンカンはそう言って、踵を返した。

「行くぞエイベル。奴には暇があるとき直接聞く、今は放っておけ。」

 エイベルはダンカンに言われた通り、バルタザールから目を離し、彼の後に続いて歩き始めた。

自分の主であるダンカンは、バルタザールを嫌っている。

 昔は、そこそこ仲が良かったようなのだが、彼が町長に赴任してからは、こんな調子なのだ。

「昔のあいつは本当に良かったのに。」

それがダンカンの口癖だった。

 ふと吹いた風が、エイベルの頬を撫でる。

何となく空を見上げると、上空に暗緑色の飛行機が飛んでいた。

どの国でも平等に青く広がる空に、少しだけ目が眩みそうになった。



 ワルターやペネロペに聞いたところ、今晩ユージンとトリクシーが泊まる宿というのは、時計台からやや離れた場所にあるそうだ。

 そして、バルタザールが別れ際に言ったセントホルネ南研究所というのは、彼の息子の所属する部署らしい。

 研究所は宿の近くにあるとのことなので昼間のうちにそこにも行ってみようということになった。

 ワルターは仕事があったので、時計台に残り、宿への案内はペネロペが担ってくれた。

 バルタザールに注意されたのもあったので、トリクシーは髪をくくり、つばの大きな帽子を被らせ、見た目を少し変えた。

セントホルネでは、彼女の明るいブロンドはとても目立つ。

変装という程ではないが、素性をかい探られないのに越したことはなかった。


 もうすぐ研究所に着くというところで、ふとペネロペが口を開いた。

「ねぇ、トリクシーのこと・・・バルタザールさんは内密にって言ってたけど、息子さんはこのこと知ってるのかしら。」

 歩くペースを落とさないまま、ユージンはちらりとペネロペの顔を見た。

「・・・知らないんじゃないか?もし知ってたとしても詳しくは分からないだろ。」

「ねぇ、ずっと思ってたんだけど・・・。」

 ユージンの腕を掴んだトリクシーが言った。

「内密ってなに?」

 陽は傾き始めているが、まだまだ世の中は暑い。

それだと言うのに、トリクシーはユージンのそばから離れようとしない。

「誰にも言っちゃいけないってことだ。つまり秘密。きっと色々大変なんだよ。」

 トリクシーをやや鬱陶しそうにユージンが答える。

「秘密って、私が時計台の――。」

 そう言いかけたトリクシーの口をユージンが塞ぐ。

怪我のテーピングは外れていた。

「そう、それ。」

 口を押えられたままトリクシーがユージンの顔を見上げる。

「あんたと俺、それからペネロペ、ワルターさん、町長さん。あとは・・・そうだな、セルマくらいか。・・・今言った人以外には駄目なんだよ。こんな風に人がいるところは、特に誰が聞いてるか分からないから、気を付けないと。」

「そっか。」

ユージンが手を離すとすぐにトリクシーはそう言った。

「でもどうして駄目なの?」

 魔人弾圧派に感づかれると厄介、とは言えない。

少し考えていると、代わりにペネロペが答えた。

「あなたの噂を聞いたこわーい人たちが来るからかもしれないからよ。」

 一瞬、ペネロペの発言にどきりとした。

だが、単に彼女は人攫いのようなニュアンスで言ったようだ。

あの場にいなかったペネロペが、魔人についての話を知っているはずがない。

 金色の瞳という情報も、町議員以上の者の間で知られる話だ。

余程詳しい一般人に見つからない限り、トリクシーが危険に晒される可能性は低い。

 普通に考えるなら、ペネロペの言うそのままの意味で間違いなかった。

「トリクシーみたいな子供なんて、すぐに連れてかれちゃうんだから。」

 ペネロペが冗談めかして笑う。

さすがにセントホルネもそこまで治安が緩いわけではない。

 だが、トリクシーはやはりペネロペの言葉を真面目に受け取って、すぐ静かになった。

「あんまりくっつくなよ。暑い。」

ユージンにしがみつく力も少しだけ強くなった。

「だって・・・。」

トリクシーが引きつった表情を見せた。

「脅しすぎだぞ、ペネロペ。怖がってるじゃないか。」

「これくらいで丁度良いのよ。用心用心。」

 自分の少し後ろを歩くユージンの方を向いて言うと、彼女はすぐ前を見た。

少し開けた場所に出たのだ。表通りほど人も多くない道だ。

 先ほどまでは飲食店が多く立ち並んでいたが、この辺りは住宅街のようだ。

「もうすぐ着くわ。あれが、セントホルネ南研究所。」

 彼女の視線の先にある四角い建物が、例の研究所のようだ。

壁は白塗りで、思っていたよりも少々こじんまりとしている。

近づくにつれて、二階の窓から、数人の白衣を来た若者が見えるようになってきた。

「この時計を見せれば入れるとは言ってたが・・・。」

ユージンが鞄の横ポケットからバルタザールの時計を取り出す。

「ここの図書館は一般には解放してないわ。だから、それが証明書になるのよ。」

「そう言えば、ペネロペも来るのか?」

「出来るなら行きたいかも、駄目?」

「・・・まぁいいか。多分入れるだろ。」

 研究所の目の前まで来ると、扉の横に設置された小さな呼び鈴を見つけた。

入口は、一見すると普通の家である。

 ユージンは、トリクシーを引きはがしてペネロペに受け渡すと、そっと呼び鈴に手をかけた。

「あれ。お客さんですか?」

 ガチャ、と音がして、中から人間が出て来た。

鈴を鳴らす前に、突然扉が開いたのだ。

ユージンと同年くらいと思われる青年が大きなビニールのような袋を持って立っている。

 彼の突然の登場に驚いて、ユージンたちは一瞬たじろいでしまった。

「・・・お客さんです?」

 眼鏡をかけていて、少し気は弱そうだが優しそうな男だった。

ユージンより一回り小柄で、緩いウェーブのかかった茶髪を後ろで小さく結んでいる。

「あー、えっと・・・。」

 すぐに気を取り直してユージンは事情を説明した。

「バルタザールさんの紹介で・・・その、付属図書館で色々資料を見せてもらえると聞いたんです。」

そして、時計を見せた。

 青年は、ユージンの差し出した時計に一瞬驚いたようだったが、すぐに頷いて、何かを思い出したように小さく「あー。」と言った。

「分かりました。少々お待ちください。」

青年は、袋を持って一度研究室の後ろに回り込むと、それを置いて戻ってきた。

ごみ出しか何かだったらしい。

「いいですよ、お入りください。バタバタしてる時じゃなくて良かったです。丁度いい時に来ましたね。」

 彼はそう言いながら、扉を開いて、ユージンたちを中へ招き入れた。

「それにしても、その時計をどうしてあなたが?」

彼に聞かれ、ユージンはしまいかけていた時計をもう一度出した。

「修理を頼まれたんです。その際、研究所を見ていくと良いと言われて。」

「あぁ、なるほど。確かに、先週くらいから壊れたって騒いでましたね。」

 バルタザールによく似た、柔らかい笑みだった。

「なにやら、父が世話になったようで。私は、エリオットと申します。」

 彼こそが、バルタザールの一人息子のエリオット・ハートだった。

図書館の利用の許可は簡単に降りた。

彼は、早速ユージン達を中へと案内してくれた。


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