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異変

 時計台に戻ると、既にワルターはそこにいて、持ち込んだ個人的な仕事を片づけているところだった。

「明日の午前十一時に面会することになった。逃げるなら今のうちだ。精々覚悟しておくんだな。」

 時計台一階部分にある管理室、ペネロペと出会ったその部屋の、椅子に腰かけたまま、ワルターは言った。

「いろいろ手配してくださってありがとうございます。」

 悪態を突きつつもなんだかんだ言って自分たちを助けてくれるワルターに対し、ユージンは感謝の言葉を述べた。

「ふん。別の用事があって、お前らのことはただのついでだ。」

「おじさんのおかげで、私、これを貰ったの。その・・・私もありがとう。」

 トリクシーは少し言いにくそうにしながらも自分の靴をワルターに見せてそう言った。

彼はちらりとトリクシーの足元を見ると、満足したようにその場を立ち上がった。

「今日の仕事は終わりだ。(あたし)も、この辺で帰ることにしよう。・・・ところでお前ら、今日は一体どこに泊まるつもりなんだ。」

 机に散らばった書類を纏めながらワルターは言う。

ペネロペがユージンとトリクシーに接触した際に散らかしていたものも、いつの間にやら彼が綺麗に片づけたようだった。

「そう言えば、決めてません・・・。どこか、良い所はありませんか。」

 夜の事をすっかり忘れていたユージンは慌ててそう答えた。

もう日没は始まっており、周囲の家々には明かりが灯り始めている。

早くしないと野宿なんてことになりかねない。

それだけは何とか避けたかった。

どこか、近くの宿を紹介してもらえればありがたいと思った。

「金はあるのか?」

「少ししか・・・。安ければ安いだけ良いです。トリクシーもいるので・・・。」

 トリクシーは自分の名前を呼ばれて、ユージンの方を見上げた。

ユージンは難しそうな顔をして何かぶつぶつ言っているが、彼女には彼の言っている言葉の意味がよく分からなかった。

「なら、私の家に来ると良いわよ。」

 声をかけたのはペネロペだった。

「言ったでしょ?私一人暮らしなの。少し狭いけど、ユージンとトリクシーが寝られるくらいのスペースはあるわ。」

「駄目だ。」

 ワルターが、ペネロペの意見を一瞬でへし折った。

「ペネロペの家に行くくらいならうちに来い。」

ワルターは、ユージンたちがペネロペの自宅へ行くことを断固否定した。

「ちょっと、失礼ね!そこまで散らかってませんよ!」

 ペネロペはワルターの言葉をいつもの皮肉だと思い、少し反抗した。

しかし、返ってきたのは、意外な言葉だった。

「そうじゃない、年頃の娘が、盛りの男をそう易々家に上げるなって言ってるんだ。」

「はぁっ!?」

 珍しくユージンが声をあげたので、ペネロペもトリクシーも一瞬驚いて彼の方を見た。

「ど、どうしたの・・・?」

「ほんと、突然何よ。ワルターさん何か変なことでも言った?」

トリクシーと一緒になってペネロペまで上手く状況を呑み込めない状態になった。

「最近の若造は何をしでかすか分からんからな。」

「怒りますよ!止めてください!」

 いつになくヤケになっているユージンを不思議に思いながら、トリクシーとペネロペは顔を見合わせた。

「とにかく、今晩一日だけなら(あたし)の家に来なさい。ペネロペのところへは絶対行かせん。」

「ぐ・・・。」

 どれだけ自分が疑われてるのかを痛感しつつも、ワルターの自宅へ泊めてもらえるのは頼もしいので複雑な心境になる。

「私、おじさんの部屋に行くの?」

「部屋というか家だがな。まぁ、一日だけだ。」

 トリクシーの質問にぶっきらぼうに答えると、ワルターは荷物を抱えた。

トリクシーは、自分の部屋以外で眠るということがなかったため、少し恥ずかしがりながらも嬉しそうにしていた。

 ワルターは、机の引出しから鍵を出すと、入念に部屋に鍵を掛け始めた。

「そら、ペネロペも帰った帰った。明日は丸一日休みにしてやるから、好きにすると良い。」

「何だか、いつになく優しいですね。どうしちゃったんです?」

 ペネロペがにやけながらワルターに言うと、彼は表情を変えないまま最後の扉に鍵を挿した。

「・・・(あたし)のとこの子供も、小さい頃はトリクシーくらいに素直だったよ。最近は全く駄目だがな。親の言う事なんか聞きやせん。」

 ワルターは、そこまで言うとユージンたちに手をやって「外に出ろ。」と無言で合図した。

ユージンはペネロペと一瞬目を合わせ、そしてトリクシーの手を引いた。

 再び外に出ると、ユージンは、少し遠慮がちに口を開いた。

「・・・その、失礼ですけど、お子さんがいるんですか?」

「さっきからそう言っとるだろ。今年で二十五になる娘が一人な。家にはおらんよ。」

 ワルターは鍵を鞄に入れると、徐に歩き始めた。

「ついてこい。」

 ペネロペは困ったように笑って、ユージンとトリクシーに手を振った。

「今日は色んなことがあったし、ゆっくり休んでね。それじゃあ、私も帰るわ。また明日ね。」

「あぁ、今日はありがとう。」

 ユージンも、ペネロペに向かって軽く手を振りかえした。

トリクシーも、真似してペネロペに手を振った。

「ユージン、こうすると、ペネロペ喜ぶの?」

「えぇ?あ、これか。お別れするときにするんだよ。」

「もう会えないの?」

「いや、またすぐ会えるよ。だから、それまでほんの少しお別れだ。」

 ペネロペの後姿が遠くなっていく。

「ユージン、トリクシー、いつまでぼさっと突っ立ってるんだ。置いて行くぞ。」

 ワルターに呼ばれ、ユージンはトリクシーの手をとると、彼の元へ急ぎ足で歩いて行った。

「すいません、今行きます!」

 セントホルネの街は、夜になっても明るかった。

酒場などはいよいよ騒がしく、笑い声が外にまで響いていた。

「・・・これが外の世界なんだ。」

 トリクシーはユージンに聞こえないくらいの声で呟いた。

「本当に、綺麗なところ・・・。」



 ワルターの自宅は、時計台から少し離れた通りの隅にあった。

位置的には少々騒がしい場所にあったが、一度家に入ってしまうと、外の音はほとんど聞こえなくなった。

「ナタリー、今日一晩だけ、こいつらを泊めてやってもいいか。」

ワルターが声をかけたのは、彼の妻であるナタリアであった。

「構わないけど・・・。でも、随分急なお客さんねぇ。ステラの部屋が使えるかしら。」

ナタリアは、ユージンと同じく黒髪に青い瞳をしていた。

正直、ワルターとはあまり釣りあいがとれないほどの別嬪だった。

恐らく彼と同じくらいの年齢のはずなのだが、それよりかなり若く見える。

 ナタリアの趣味なのか、部屋には沢山の観葉植物が置かれていた。

トリクシーはそれが珍しいのか、ずっと辺りをきょろきょろと見回していて、とても動き回りたそうに見えた。

 だが、こんなところで騒いでは、いつワルターに追い出されるか分からなかったので、ナタリアたちと会話しているうちは、ユージンが彼女の肩をずっと抑えていた。

「いらっしゃい。小さい家だけど、ゆっくりしていってね。」

 ナタリアはユージンとトリクシーを交互に見て微笑んだ。

「そっちのお兄ちゃんは、エリベの生まれの方かしら。」

「そうです。えっと・・・多分、ナタリアさんも、向こうの出身ですよね?」

「そうなの!やっぱりね、この辺りで青い目の人ってエリベくらいだもの。黒髪は結構いるんだけどね。何だか懐かしいわぁ。そっちの女の子はちょっと分からないけど・・・。」

 ナタリアは少しかがむように得いてトリクシーの顔を覗き込んだ。

「外国の血が入ってるのかしら。まぁ、可愛いこと。」

「ナタリーも可愛いよ!」

 トリクシーはそう言うと、ユージンの腕をすり抜けて、ナタリアに飛びついた。

ワルターが少し不機嫌そうに「おい。」とトリクシーを咎めた。

「あらあら、主人よりよっぽど口説き上手よ、この子。」

 ナタリアはトリクシーをそっと自分から離した。

「部屋に案内するわ。前まで娘が使ってた部屋があるから、そこで休んでちょうだい。それから、多分夕飯がまだでしょう?今日はたまたま、少し多めに作っちゃったの。まだ途中なんだけど、すぐ出来るわ。丁度いいし、食べていきなさい。」

「本当にありがとうございます。助かります。」

 ユージンは深々とナタリアに頭を下げた。

「いいのよ。ほら、おいで。」

 ナタリアは、ユージンとトリクシーを連れて、廊下へ続く扉をあけた。

 彼女は、一歩足を踏み出して、それから、思い出したようにワルターの方を見た。

「そうそう。あなた宛てに何通か手紙が来てたわよ。机に置いてあるから、目を通しといてちょうだいね。」

「帰ってそうそう面倒だな。」

 ワルターは、徐に椅子に鞄をひっかけると、気だるそうに机に置かれた書類に目をやった。

「さて、行きましょうか。」

 ナタリアの後について、狭い階段を上ると、二階には二つの部屋があった。

そして、その片方がワルターの部屋、もう片方が、かつて住んでいた娘の部屋だった。

「ここよ。たまに掃除はしてるんだけどねぇ、何分住んでる人がいないものだから・・・。ちょっと汚いかもしれないわ。」

 ナタリアが、娘の使っていたと言う方の扉を開けると、確かに部屋は少しだけ汚れていた。

それでも大分綺麗に片されていて、客人を入れるのに、特に問題はないように見える。

「普通にきれいな部屋です、充分すぎるくらいの。」

ユージンは部屋を見渡した。

 ほんの少し、つんとする油の匂いがする。

「ナタリアさん、あの・・・娘さんって、もしかして、絵を描いていましたか?」

 見ると、部屋のあちこちに、跳ねた絵具のあとのようなものが残っている。

イーゼルなどは見当たらないが、鼻をつく油の匂いも、恐らく画用液のものだ。

「そうよ。まだそんなに有名ではないけど、画家をしているの。名前、ステラって言うんだけど・・・エリベじゃ余計に聞いたことないわよねぇ。セントホルネ内で絵を描いてるわ。」

「おばさんの子供はお絵かきが得意なの?」

「えぇ、とてもね。」

 笑いながらナタリアが部屋の明かりを灯すと、辺りは優しい光に包まれた。

暗闇で見た時よりも、はっきりとカラフルな飛沫の飛び散る床が露わになった。

「それじゃあ、夕飯の準備が出来たら呼ぶわね。荷物は適当なところに置いてしまって構わないわ。」

「何から何まですいません。ほら、トリクシーもお礼を言って。」

 ユージンは、トリクシーの頭を掴んで軽くお辞儀させた。

「あ、ありがとう、おばさん。」

「ふふ、久々に賑やかでいいわね。」

ナタリアはもう一度優しく微笑むと、部屋から出て行った。

 バタン、と扉が閉じると、ユージンは深いため息をついた。

「・・・今日は疲れたよ。」

 独り言のように言って肩掛け鞄を外した。

作業机とセットになった椅子が一台あったが、彼は近くにあったとベッドに腰掛けた。

 トリクシーは、すぐに部屋の探索を始め出していて、本棚をいじったりしていた。

「外の世界にも、やっぱりみんなそれぞれお部屋があるんだね。でも、いつでも入ったり出来て、一人じゃなくてもいいんだ。面白い!」

 一日中歩き回ったというのに、彼女はまだ元気が有り余っている。

走り回るほどではないが、部屋を隅々まで見て回った。

 一方、ユージンはと言うと、彼女とは裏腹に何だか疲れてしまって、あまり元気がなかった。

トリクシー以外の人間がいなくなったのを境に気が抜けてしまい、足を下に降ろしたまま何となくベッドに倒れた。

 具合が悪いわけではないのだが、ゆっくりと休みたかった。

「・・・ユージン、大丈夫?」

 心配してトリクシーが近づいてきた。

「平気だよ。・・・ただ、つくづく子供って凄いな、俺もまだまだガキだけど。」

「疲れちゃったの?」

「ちょっとね。」

 トリクシーは、ユージンの隣までやってきて、ベッドによじ登った。

「こら、駄目だよトリクシー。乗るときは靴を脱がなきゃ。」

「そうなの?」

 ユージンは体を起こして、少しだけ笑った。

「せっかくのシーツが汚れるからね。ほら、足を出して。」

トリクシーは一旦ベッドから降りて、ユージンの前に立った。

「あれ?」

 トリクシーの表情が曇った。

「どうした、トリクシー。」

「私の足の・・・。」

 トリクシーの右足にはまっていたバンクルが、いつの間にかぼろぼろになっていた。

大きくひびが入っており、どこかに強くぶつけでもしたら、壊れてしまいそうだった。

「酷いな。割れたら大変だぞ、外した方がいいかもしれない。」

 ユージンは、トリクシーの靴を脱がせると、それからバンクルに手をかけた。

バンクルのサイズは、ほとんどトリクシーの足首と同じくらいだった。

 外れにくかったため、少々強引気味に手をかけて輪を外す。

トリクシーが少し痛そうに顔をしかめると、それはカランと音を立てて床に転がった。

「・・・私、これを取ったの初めてかもしれない・・・。」

「小さい頃からずっとしていたのか?」

「うん。」

 ユージンは、転がったバンクルを拾い上げた。

内側を覗くと、そこに小さく何かが書いてあった。

「・・・なんだこれ。文字だとしたらジークガットの字じゃないな。」

 図形のようなものが彫ってあるのだが、単なる模様なのか、どこかの言葉なのかは分からない。

少なくとも、ユージンに読むことは出来なかった。

「見せて。」

 トリクシーはベッドの上でぺたんと座っている。

ユージンは、バンクルを彼女へと渡した。

「・・・うーん・・・分かんないなぁ。」

「でも、何か重要なヒントにはなりそうだ。どこの地方のものかが分かれば、あんたの親が見つけられるかもしれない。」

「お父さんとお母さんが?」

「そう。だから、これ以上壊れないように大切にしまっておくべきだろう。」

 ユージンは、トリクシーの手からバンクルを受け取ると、ベッドの横に置いておいた鞄の蓋をあけ、静かに中へと入れた。

「セルマは動かないままだな。」

「・・・うん。」

「こいつが動けば、もう少しいろんなことが聞けただろうにな。何か知ってる風だったし。」

 鞄の中の無表情の人形は、ぴくりとも動かなかった。

 ユージンは、セルマをまじまじと見て、鞄を持ったまま、もう一度ベッドに座った。

「そういえば、セルマの背中にも、さっきの足輪と同じような模様があったような・・・。」

 彼はセルマを取り出して、その背中部分を見た。

「あった、これだ。」

 セルマの着た、白いドレスの背中部分。

「本当・・・さっきのと、ちょっとだけ似てるかも。ユージンよく見てたね。」

 文字と言うより図形のそれは、刺繍や布ではなく、後からインクか何かで書かれたようだった。

少し擦り切れていて、バンクルほどはっきりとは見えなかった。

「町長さんに会ったら、字のことも聞いてみようか。きっと何か知ってるはずだ。」

「そうだといいな・・・。私、本当に自分のこと何も知らないから。」

トリクシーは困ったように笑ってユージンに寄り添った。

そして目を閉じた。

「前にも言ったけど、外にいた思い出、ほんのちょっとだけならあるの。どこかは分からないけど、セントホルネみたいな、人がいっぱいいるところじゃなくて、もっと、静かなところにいたと思う。こうやって過ごす、今この時みたいに。」

 セルマが上手く教育したのだろうか。

彼女は幼いながらに先の事を考えて行動している。

素直に凄いと思った。

「ユージンが住んでたところって、ここじゃないんでしょ?えっと・・・エリベだっけ。それって、どういうところなの?人がいっぱい?」

 トリクシーは目を開いて、ユージンを見上げた。

「・・・セントホルネほどじゃないさ。人よりも、カラクリの方が多いよ。」

「カラクリって、あなたが言ってた、便利なもの?」

「そう。それがいっぱいあるところなんだ。・・・便利だけど、少し嫌われてるよ。」

「嫌われてる?住んでるところが?どうして・・・。」

「外の世界にも、色々事情があるんだよ。」

 彼は、膝に乗せたままの鞄を見た。

ワルターに一度引っ掻き回されてしまったので、入れたものがめちゃめちゃになっている。

セルマを寄せると、その下には、彼の飛行帽とゴーグルが入っていた。

「子供のころは、それが気に入らなくて仕方なかったよ。だから、俺は空に憧れたんだ。どこまでも続く青空の、その先を見たくてね。」

 ユージンはトリクシーの顔を見た。

「・・・カラクリっていうのは、本当に凄いもので、人間が少し手を加えれば、空だって飛べる。その空飛ぶカラクリってのが、あんたの部屋に突っ込んだ飛行機だよ。」

「・・・あんなのが空を飛ぶの?」

「あんなって何だ。壊れてたからそう見えただけだよ。本当は、もっと格好いい。この辺りは地形のせいで少し風が変則的だから、飛ぶとき注意がいるんだ。気を付けてないと、俺みたいなことになる。」

ユージンは、目を少し伏せるようにして笑った。

 トリクシーは、そんなユージンを見て、おかしくなった。

「ユージン、何だか楽しそうだね。」

「好きな話をしてるときは楽しいもんなんだよ。俺はカラクリが好きだ。」

 二人は、一緒になって笑った。

「悲しいときは、好きな話をすればいいんだね。」

 一階から、美味しそうなシチューの匂いが漂ってきた。



 もう夜だと言うのに、部屋の明かりもつけずに、その男は蒸し暑い空間に佇んでいる。

 彼の散らかった部屋の壁には、沢山の設計図が貼られていた。

全てが全て、建物の骨組みや外観を描いたものである。

「こんなことは初めてだ・・・。」

 彼の表情には、ひたすらに焦りと混乱が浮かぶばかりであった。

壁に寄りかかり、両手で自らの顔を覆う。

 彼が手さぐりで自宅の外へと出ていくと、空には大きな月が出ていた。

暗闇にぽっかり浮かんだ雲が、風に流され、遠くへと運ばれていくのが見えた。

「もう、とっくに時間は過ぎているはずだ。」。

 彼の自宅は街の外れ、夜は人ひとり通らない寂しい場所にあった。

 だが、その日は少し違っていて、

彼以外にももう一人の男がうろうろと道を徘徊していた。

知り合いでも何でもない、ただの他人であるその男は、彼を見つけると、何も知らない様子で歩み寄ってきた。

「申し訳ない、この辺りに、こういう宿屋を知らないか。」

 彼がシャツにベストという小洒落た格好をしているのに対し、見知らぬ男は、青い作業服のようなものを着ていた。

よそからやって来た旅行者なのか、行きたい宿を探しているようである。

 旅行者は、彼に、自分の持っている地図を彼に見せた。

だが、彼はそれどころではない。

彼の中では今、とてつもない大事件が起きていたのだ。

 旅行者は、何も知らない様子で彼の前に立っていた。

「あー・・・どこか具合でも悪いのか?」

 彼が返事をしなかったので、少し心配したようだった。

旅行者は、彼の身長に合わせるようにしてもう少し姿勢を前にした。

すると、首元から、チャリンと音がなった。

下げていたペンダントが反動で服から出てきたのだった。

旅行者は特に気にすることなく、彼の顔を覗き込んだ。

「聞こえてるか?」

 彼はようやく少し顔をあげ、口を開いた。

「・・・悪いが他を当たってくれないか。そういう気分じゃない。」

その時、彼の目に旅行者の首から下がったペンダントが映った。

「・・・いや、待て!お前、それをどこで手に入れたんだ!?」

 彼は、突然声をあげて旅人を問い詰めた。

「はぁ?どこって・・・。」

「お前、ディアンの知り合いなのか!?私の名はオズワルド・フレッカー!彼の友人だ!どうか助けてほしい!」

「お、おい・・・待て。誰かと勘違いしてないか?」

 旅行者は一度地図をリュックにしまうと、彼、オズワルドに言った。

「ディアンとは誰のことだ。」

 男はオズワルドの言う事が理解できないと言う様子で困ったように言った。

「・・・違うのか?」

「お前さん、オズワルドと言ったか。そんなに慌てて一体どうしたんだ。」

 旅行者は、黒い瞳を向けながら、オズワルドに問いかけた。

「い、いや・・・。」

 オズワルドは、ようやく自分が人違いをしていたことに気が付き、それを酷く恥じた。

 これ以上、偶然居合わせただけの男を捕まえておくのも酷だと思い、とりあえず宿の位置だけ教えてその場を去ろうと考えた

「悪い・・・。確かに、人違いだ。」

「・・・余程必要な誰か人を探しているように見える。なんなら俺も手伝おうか?」

 旅行者はオズワルドに向かって言うと、少し長い髪をぐっと上へ掻き上げた。

目と同じ、黒い髪だった。

 オズワルドは、男の言葉に首を振った。

「この辺の街に詳しくないんだろう。旅人さんに説明したって、分からない。」

「確かに俺は冒険家だが、生まれはすぐそこだ。ちょっとばかし道に迷ってしまったが、詳しくないわけじゃない。それに大概のことじゃ俺は驚かない。言うだけ言ってみるといいさ。」

 彼はそう言うと豪快に笑った。

「アルティリークに足を運ぶのは久々でね。」

 アルティリークは、この街の名だった。

彼の言葉に、今度はオズワルドがポカンとする番だった。

「この辺りの人間なのか・・・。」

「ああ、そうだ。・・・まぁ人違いだとしても、これも何かの縁。とりあえず、こちらも自己紹介をしておこうか。お前さんも名を名乗ってくれたところだし。」

 男は、不敵な笑みを浮かべ、オズワルドを指さした。

「俺の名はオーエン。巷じゃ、ちょいとばかり有名な男さ。」



 翌日、ナタリアに礼を言うと、ユージンたちは、すぐに時計台へと向かった。

トリクシーは少し寂しそうにしながらも、昨日ペネロペにしたのと同じようにそっと手を振り家を出た。


 セントホルネは今日も変わらず、朝から沢山の人が働いている。

時計台に着いたのは、太陽が高く上がり、いよいよ人混みが増えてきた頃だった。

「いいか、分かっとるとは思うが、町長ってのは忙しいもんだ。」

 ワルターはそう言って、時計台の扉の鍵を開けた。

「今回だって、(あたし)が相手だから話が通ったようなもんだ。あまりだらだらと長話することは出来んよ。言いたいことがあったら、バルが来るまでにまとめておけ。」

「分かりました。本当に、泊めてもらったり手配してくれたり、色々助かります。」

 ワルターは、ユージンの言葉に返事もせず、部屋の奥の自分の作業台へと入っていった。

そんな彼を見て、トリクシーは少し不安そうに「ワルター、怒ってるのかなぁ。」と呟いた。

「そう言う人なのよ。」

 トリクシーの背後から声がした。

 一瞬気づかなかったが、ペネロペが来ていた。

「いつの間に。」

「何よ、来ちゃ悪かった?」

 そう言えば、昨日彼女はワルターに仕事の休みをもらっていた。

どうやら心配して来てくれたようだ。

 トリクシーは、明るい様子でペネロペを見上げた。

「おはようペネロペ!また会えたね!」

「トリクシー、おはよう。昨日の夜は良く眠れた?」

「うん!」

 ペネロペは、にっこり笑うと、トリクシーに目線の高さを合わせた。

そして、先ほどの続きを言った。

「・・・あのね、ワルターさんは、人付き合いがちょっと苦手なのよ。簡単に言えば、恥ずかしがり屋ってこと。だから、多分怒ってるわけじゃないわ。」

「まぁ・・・そうだろうな。あの様子じゃ。」

「そうなの?」

 トリクシーがワルターの方へ目をやると、視線に気づいたワルターが若干顔をあげた。

「何じろじろ見とるんだ。」

「え!?えっと・・・。」

「おはようワルターさん、別に何でもないわよ。ね、トリクシー。」

 ペネロペは少々わざとらしい笑顔でトリクシーの手を引いた。

「邪魔をするといけないわ。こっちに来て。」

 ペネロペは、慣れた様子でワルターから離れるようにして、自分の作業スペースへと

ユージンとトリクシーを連れて行った。

 そこには、机とセットで椅子が一台だけあった。

だが、誰か一人が座るのも・・・ということで、皆、机や壁に寄りかかったりの微妙な体勢になった。

「バルタザールさんが来るまであと二十分ってとこね。あの人、時間をちゃんと守る人だから、多分ぴったりか、少し早く来るわよ。それまで、どうする?」

「町長さんに言う事を考えることにするよ。昨晩から何となく考えてはあったけど、相手は町長さんなわけだし、ちゃんと練り直した方がいいよな・・・。」

ユージンは小さく笑いながら、俯きがちに言った。

 町長に会うという事で何だか気が重そうな彼とは裏腹に、トリクシーは能天気に窓から外を見たり、散らかった紙の山を見ていた。

「まず、このセントホルネ時計台が一体どうなってるのか。隠し部屋の存在は謎だらけだし、多分、町長さんもそこが一番気になってるとこだろう。じゃなかったら、時計台にくるなんて言わないだろうから。・・・勿論、トリクシーの生まれや両親のことも知りたい。手がかりも少しだけならあるんだ。なんとか、知恵を貸してもらえるとありがたいかなって・・・。」

「あなたはどうなの?」

 ペネロペが言った。

「昨日から思ってたけど、あなたが心配してるのは、いつも時計台やトリクシーのことばかりね。そっちも重要かもしれないけど、自分のことはいいの?仕事だってあるんでしょう?」

「良いわけないだろう。」

 冷たくはなかった。

だが、同時に温かみもないような声音で彼は答えた。

「なら、どうして。」

「優先順位。別に俺が一週間くらいいなくたって、工房は動くし、両親も多分だけど、そんなに心配していないよ。金が尽きる前に帰れれば構わない。遠い場所でもないから。」

ペネロペは正直、ユージンに対してお人好しな馬鹿だと思ったが、口には出さなかった。

確かに、セントホルネとエリベは行きたいと思えば、割かしすぐに行くことが可能な距離だ。

途中、アルティリークという別の街を一つ挟むが、それでも、なんてことはない。

「俺がトリクシーを心配するのは、ある意味自分のためでもあるんだ。・・・こんなでも、少し責任を感じてる。」

 自分を何も知らないトリクシーは、無邪気に一人で遊んでいる。

思えば、この少女はずっと何年もこうやって一人で暮らしてきたのだ。

「監禁が解けて良かった、と言いたくなるが、本当にそうなのかって思う事があるんだ。トリクシーのことは、一度考えたらキリがない。こうしてみると、俺なんかとは比べ物にならない、大きな運命を背負っているようで、不安になるんだ。少なくとも、彼女は俺を助けれくれた恩人なわけだし、出来るところまでは、ちゃんとサポートしてやりたいんだ。せめて、町長さんに会うまでくらいはしっかりね。」

「・・・そうね。でも、考えすぎよ。責任だなんてそんな、思いつめることはないわ。」

「そうだと良いんだけど。」

「ユージンは真面目ね。もっと楽でいいのよ。バルタザールさんは怖い人じゃないわ。あんまりガチガチにならなくたって話くらい聞いてくれるわよ。」

 ペネロペは何となく緊張気味なユージンの肩を少々強めに叩いた。

「いたっ。」

「しっかりしなさい、男でしょう。それだけちゃんと考えてるなら逆に安心しちゃうくらいだわ、あんまりこっちまで重い気持ちにさせないでちょうだい。聞かれたことは答えて、言いたいことは言う!それだけで大丈夫よ!ね?」

「・・・どっちが年上か分からないな。」

ユージンが笑うと、ペネロペは少し顔をしかめた。

「私がいくつか知らないくせに、よく言うわね。」

「少なくともこっちが上なのは分かるよ。それに知ってるから。ワルターさんの奥さんから聞いた。」

 大体それぐらいだとは見込んでいたものの、ペネロペは十八歳らしい。

今朝、朝食の時に少し聞いたのだ。

「おしゃべりね、おばさんも。」

「色々あんたのことも教えてくれたよ。トリクシーについてはやっぱり分からなかったけど。」

「変なことは言ってなかったでしょうねぇ。」

「どうだろうな。」

 意味深にユージンが言うと、ペネロペは余計にしかめっ面になった。

あまりからかうと怒られそうなので、この話は止めようと思い、話題を変えた。

「ペネロペ。話は変わるが、その町長さんってどういう人なんだ?ワルターさんとか、あんたが言うには、結構とっつきやすい人みたいだけども。」

 ペネロペは、少し黙っていたが、ため息をつき、口を開いた。

「何度も言ってるでしょ。丁寧で優しい人よ。愛妻家で、奥さんは大令嬢、ヴァイオレット・リトルトン。エリベでだって、名前くらい聞いたことあるんじゃないの?」

 ユージンは壁によりかかりながら少し悩んで首を振った。

「・・・ヴァイオレットは知らないな。ハンナ・リトルトンなら聞くが。」

「その妹よ。ハンナさんは長女。バルタザールさんが結婚するって話が出たときは、それはもう凄い騒ぎだったみたいよ。最初は大反対されたらしいんだけど、最終的に相手の両親を説き伏せちゃって、みんなびっくりしたって。そういうところは意外と侮れないわよ、今のあの人からは想像つかないけど。」

「凄い人だな。話すのが楽しみなのが半分、不安なのが半分ってとこだよ。」


 ユージンとペネロペが何やら難しい話を始めたので、トリクシーは自分がいたら邪魔かなと思い、一人で時間をつぶしていた。

二人の会話をなんとなく聞いている限り、町長さんのバルタザールというのは凄い人らしい。

凄いと言うのは、やっていることもそうだが、人柄も含め、その人全てのことを言っているようだ。

 ペネロペが「奥さんは」と言った瞬間、少しワルターが何か反応して見えた。

二人は気づいていないようだったが、ワルターは二人の話に耳を傾けている。

いつものようにとげのある、苛立った様子はなかった。

 ただ、何となく、彼らの話を聞いているだけのようだった。


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