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夢見るカラクリ物語

 どっと冷たい外気が流れ込んできた。

エイベルが隠し部屋に入った直後、その大きな天窓は彼の目の前でゆっくりと開いた。

 天窓の淵に誰かの黒い革靴が覗く。

「誰だ。」

 時計台の高さを考えても、こんなところから人が入ってくるのはおかしい。

警戒しながら言うと、間もなく一人の青年が上から飛び降りて来た。

 彼は不恰好に転落するような形で床に着地し、そして顔をあげた。

「あっ。」

エイベルと目があったユージンは小さくそう言った。

 目の前に立つのは見知らぬ若者。

どうやら怪我をしているようで、出血の止まった腕をそのままに服の袖を捲っていた。

お互いを見つめたまま時が止まる。

“もし時計台に誰かがいても争おうと思うな。”

 瞬間、ユージンの頭にオーエンから注意されたあの言葉が過った。

 体を動かさないままに彼の体を見れば、腰に下げた大ぶりな刃のククリナイフが目に入った。

この男は、オーエンの推測が正しければ敵である可能性が高い。

 相手が刃物を持っている以上、無暗な行動は出来ない。

エリオットに短剣を返してしまったせいで、今のユージンは武器も何も持っていない状態だった。

「どうやって入った。」

 エイベルが警戒を解かないままにそう言う。

 ユージンは黙ったまま答えなかった。

 ただ、この場を切り抜けるタイミングだけを窺っている。

「・・・もしかして、魔法とか?」

 エイベルがククリナイフに手をかけた。

一体弾圧派の間でどんな情報が錯綜しているのか、それは分からない。

だが、やはり彼もユージンを魔人と勘違いしているようだ。

「俺はただの人間だ。」

 ユージンが小さくそう言えば、エイベルは不思議そうに首を傾げた。

「おかしいね。ダンカンの読みが外れたのか。」

「ダンカン?」

「知らないか。ああ、この街の人じゃないね?」

 エイベルは、そっとユージンの顔を覗き込んだ。

「カラクリ街の青い眼、確かに魔人ではないようだね。・・・ダンカンは、この街の町議員だよ。」

「・・・弾圧派のか。」

 ユージンが聞くと、エイベルはどうでもよさそうな様子で適当に頷いた。

「そうだけど、そんな怖い顔しなくてもいいだろう。あの人、今でこそあんなだけど・・・昔は間接的にお前やお前の家族を助けていたかもしれないよ。」

 エイベルは、以前ダンカン自身から聞いたことがあったのだ。

ダンカンは、昔どんな人物で、何をしていたのか。

「ダンカンは、二十年くらい前にエリベで起きたスモッグの対応に精進していたようだよ。なんだったかな・・・なんとか酸化物・・・まぁ、とにかく大変だったみたいだね。」

天窓から入り込んだ風でふわふわと部屋の埃が舞っている。

 ユージンは軽く口元に手をやった。

「その時ダンカンはまだ新人だったんだけど、彼より一年先に町議員になっていた先輩がいて、それが今のセントホルネ町長。他の奴らは、産業の発展にケチをつけるなとか言って聞かなかったらしいけど、ダンカンと彼は違った。今でこそ、袂を分かってしまったけど、元々二人は良いパートナー同士だったってわけだ。」

 エイベルは、言いながら、静かにナイフの柄を鞘から引いた。

ちらりと見える銀色の刃先が鈍く光る。

「それが今じゃ酷いものだね?発端は魔人弾圧の話が出た時、そこで初めて二人の意見が割れたんだ。以降どちらも譲らず、信頼関係は崩壊。僕がダンカンに会ったのはそんな弾圧の直後、無様に大魔人の術に巻き込まれて死にかけていた時だったよ。」

 エイベルは、袖を捲ってある方の腕を少し前に出した。

固まりかけた血の下にあるのは、痛々しい縫い傷。

「それで、魔人じゃないお前は何者?」

 腕を引き、改めて彼は首を傾げた。

すると、ユージンは少し目を伏せ、片手をポケットに突っ込んだ。

「この時計台にしかけられた時間崩壊を止めに来た。」

触れたのはオズワルドから受け渡されたインク瓶である。

「この部屋を知ってるってことは、やっぱり、関係者なんだね。」

「・・・今はそんなことを言ってる場合じゃない。このままでは時間崩壊はセントホルネを越えて周囲を巻き込んでいく。そこをどいてくれ。」

 エイベルは首を横に振ってユージンの願い出を断った。

「嫌だね。まだこっちの質問に全然答えていないじゃないか。」

 彼はそう言ってユージンを指さした。

「ねぇ、教えて。魔人じゃないなら、一体誰に頼まれてここに来たの?どうして、術を止める方法を知っているの?」

 トリクシーのことを弾圧派に漏らせばどうなるか、それはユージンが一番よく分かっていた。

もし二度と彼女が目を覚まさないようなことになればオズワルドたちに二度と顔向けできない。

「・・・言えない。」

 エイベルは残念そうに肩を軽くすぼめ、静かに笑った。

「そっか。お前にも色んな事情があるんだね。」

 口調は穏やかであったが、相変わらず彼の手には大きなククリナイフが握られている。

お互いの緊張は解けない。

「そっちがその気なら結構。今頃、ダンカンは自分のすべきことを遂行しているだろうよ。そう言うわけで、僕もそろそろ働かなくちゃならない。」

 高まる謎の高揚感に、エイベルは口元を歪めた。

「ダンカンが言っていた通り、確かにこの時計台は魔人とかかわりがあった・・・。僕はまだ誰かに必要とされたまま生きることが出来る。」

 ユージンは黙ってエイベルから一歩離れた。

エイベルの静かな狂気は、本能的な恐怖を呼び起こさせるほどだった。

「お前が魔人についての情報を吐けないように、僕もまた・・・いや、違うか。僕は弾圧派じゃないから。」

「・・・どういうことだ。」

 彼が弾圧派ではないとすれば、何故ここにいるのかが分からない。

エイベルは自分の意志で時計台に入ったわけではないのだろうか。

 やや震えた声で、エイベルは続けた。

「僕はね・・・正直、魔人なんてどうでもいいんだよ。それなのに弾圧派の真似みたいなことをしてるのは、僕の命を握った主がそれを望むからだ。この時計台の入口を壊したのも・・・今、ここでこうやってお前にナイフを向けるのも・・・この体は、もう自分だけのものじゃないから。」

 その場の空気が揺れ動く。

 エイベルはユージンにナイフを向け、突進してきた。

ユージンはインク瓶を手に持ったまま、慌てて壁まで下がった。

これ以上逃げ場がない事を瞬時に悟り、咄嗟に横へと交わす。

 ユージンのまっすぐな黒髪を掠め、ザクッ、と木の壁にナイフが突き刺さった。

「逃げないでよ。」

 これ以上の交戦は無理だ。

ユージンは決死の覚悟でオズワルドに指定された壁へと向かった。

「お前は何も語らないね。」

 エイベルはヘラヘラと笑って、壁に刺さったナイフを引き抜いた。

 ユージンは激突した自分の飛行機にほんの少し目をやって、東にある部屋の隅へと走った。

 話では、そこの壁に小さな術式が描かれているのだ。

大人の手のひらより一回り大きいくらいの魔法陣。

そこにこのインクをぶちまけてしまえば、術は崩壊する。

 しかし、エイベルを振り切ってすぐ、キンッ――と手元のガラスが高い音をたてた。

 しまった、と思った時にはもう遅く、すぐに背後を取られ首に刃が当てられる。

エイベルの掴んだナイフは、峰で器用にユージンの手元からインク瓶を掠め取っていた。

 カランカラン、と無残に瓶が転がっていく。

「本当の目的を言ってみなよ。」

 すぐ後ろからエイベルの声がして、一瞬死を覚悟した。

だが、「・・・どうして。」と、すぐに我に返る。

「どうして邪魔をするんだよ!」

 広い部屋に彼の声が反響する。

早く、早く魔法陣を壊さなくてはならない。

時間がたてば、それだけ規模は広がってしまう。

「命令だから。」

ユージンとは対照的にひそひそと話すような、微かな声音だった。

 エイベルはナイフを構えたまま動かない。

「・・・あんたは、命令さえあれば人の命でさえ簡単に壊してしまうのか。」

「勿論。」

 それが当たり前のような言い方だった。

ユージンは横目でエイベルを睨んだ。

「僕は今までそうやって生きてきた。」

 ユージンは舌打ちをし、隙を見てエイベルの腕を掴んだ。

それを力任せで強引に引きはがし、逃げ出す。

「おっと?」

 捕まえていたはずの獲物が突如手の内から消えたので、エイベルは一瞬驚いて、それから少し笑った。

ユージンは転がった瓶を拾い上げ、走りながらその蓋を開けた。

 もう少しで、届く。

 彼がインク瓶を壁にぶつけようと手を後ろへやったその時、エイベルが彼の背後からナイフを投げた。

 ユージンの視界がぐるりと反転する。



『だけどね、――の住む場所は、――や、――のことが嫌いなんだ。』

 トリクシーは長い夢を見ていた。

ぼんやりと靄がかかったような遠い昔の記憶。

沢山の図形や文字で囲まれた部屋の中、誰かの腕の中で抱えられていた。

『私の事は?』

『さぁ、どうだろう。』

 暑い夏の日、微かに星が輝く夜明け。

朝焼けの眩しい光の中、扉の向こうには沢山の影が揺らめいている。

自分の耳元で、低く優しい声がする。

『分からないけど、愛されてほしいな・・・幸せになって、』

 朝日に照らされた金色の瞳が揺れる。

『友達に囲まれて、恋をして・・・お前は・・・そう、立派な大人になれるかな。』

そう言う誰かはどこか寂しそうな顔をしていた。

微かに微笑んではいるが、喜びや楽しさとはまた違う悲しさがある。

 なんとなく、このまま会えなくなるような気がして、ならばと精一杯の笑み作る。

『なれるよ!』

 答えれば、二人は喜んでくれた。

『また、どこかで会いましょう!』

 閉まった扉の向こうから叫び声がする。

激しい炎の音、風の音。

今までに聞いたことの無い、何かが弾けるような鋭い音。

 目の前の誰かは、トリクシーの目を手で隠し、ゆっくりと口を開いた。

『さいごにもう一度、お前の名を呼ぼう。』



「――!?」

 ユージンは、声も上げず床に伏せて脇腹を押さえた。

 転がり落ちた瓶は今度こそごぽりとインクを零して砕け散った。

自身の手の中に、生暖かい感触が広がっていく。

「やっぱり投擲用じゃないね。」

エイベルの放ったククリナイフは、彼の腹部、脇腹を切り裂くように掠めていた。

「本当はもっと真ん中に当たるはずだったんだけど、ごめんね。痛い?」

徐々に熱を帯びた痛みがやって来る。

 エイベルが、ゆっくりとユージンに歩み寄っていく。

「残念だったね。」

 己の勝利を確信し、彼を見下ろす。

ユージンは、迫り来るエイベルに抵抗しようと何とか顔をあげた。

彼の目の前には後少しで届くはずだった壁と、エイベルのナイフがあった。

「ああ・・・。」

自分は何と非力なのだろうと思う。

 だが、それと同時に、ユージンは思わず小さく笑ってしまった。

ディアンの魔法陣は、彼自身の血で潰されていた。

 エイベルが、ユージンの傍まで近づいてがしゃがむ。

「逃げようなんて無謀だったんだよ。」

 エイベルがそう言った時、ユージンは即座に体を捻り、思い切りよく彼の顎を蹴り上げた。

完全に油断していたエイベルはユージンからの衝戟を直に受け、ろくな受け身もとれずに後ろに転がってしまった。

 ユージンは負傷した体を叱咤し起き上がると、転がっていたククリナイフを手に取った。

 形勢が逆転する。

ユージンは倒れたエイベルに跨って、その血で汚れたナイフを胸に付きつけた。

「こんなとこでは死ねない。」

 掠れた声でそう言い、長く息を吐く。

「・・・僕を殺すかい?」

怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた笑っているのか、エイベルの表情は薄く、読み取りづらかった。

「そう思ったけど・・・。」

ユージンの白いシャツに赤黒い血が静かに広がっていく。

「俺に・・・そんな勇気はないかな。」

視界が霞み、ナイフが手から離れた。

そこで、意識が途切れる。



「トリクシー!」

 オズワルドの声にトリクシーが目を開ける。

「あれ・・・。」

まず目に入ったのは、青空と僅かに浮かんだ雲であった。

そして、その次が自分を覗き込む二つの人影。

「よ・・・良かった・・・。」

「ペネロペ?」

 ペネロペが涙を零していた。

どうして泣いているのか状況が呑み込めない。

「トリクシー、覚えてるか、私だよ。」

 オズワルドは、やや覆いかぶさるようにして、寝かせてあったトリクシーを抱きしめた。

「・・・あなた、私を知ってるの?」

 トリクシーは、オズワルドのことを覚えていなかった。

それでも、オズワルドは構わなかった。

「あぁ、ずっと前からね。」

 その声は安らかで、落ち着いていた。

「どうやら、なんとかなったみたいだな。」

アイビーは、トリクシーから少し離れたところで針の動きが止まった時計を見ていた。

 視線を上へとやれば、時計台の上空を一気の飛行機が滑空している。

「私、夢をみていたよ。」

 トリクシーは、寝転がったまま空を見つめて言った。

「どんな?」

 ペネロペが涙を拭いながら聞くと、トリクシーは無邪気な笑みを浮かべた。

オズワルドがトリクシーから離れる。

 彼女は、短い草の上に座ると、ペネロペの方を見上げた。

「小さな部屋の中にいてね、多分、お父さんとお母さんがいたの。外は眩しくて、光ってて、太陽の前には沢山の人が立ってた。それで、誰かが、私の名前を呼ぶの。」


トリクシー・トレイラー。

 ディアンがそう言った次の瞬間には、彼女は隠し部屋へと飛ばされていた。

見知らぬ場所の見知らぬ風景で目を覚ます。

「お父さん!お母さん!」

 叫んでも、返事はかえってこない。

そこにもう家族はいなかった。

 泣いて過ごしているうちに、彼女の傍には小さな人形が現れた。

それからは、何でも一人でしなくてはいけなくなった。

 毎日を過ごすうちに、トリクシーは少しずつ過去の事を忘れていった。

 村で過ごした日々も、両親の姿も、名前も、時と共に薄れていく。

それでも消えなかったのは、唯一自分の名前だった。

「トリクシー!」

 人形は毎日、彼女の名を執拗に呼んだ。

決して記憶が褪せることの無いように、いつか、幸せになれるように。

 長い月日が過ぎて、彼女は10歳になった。

病気もせず、心が塞がってしまうことも無く、トリクシーは成長した。

ずっと、ずっと、外の世界に出たいと思っていた。

あの小さな部屋からではなく、その外の、更に外側。

 隠し部屋へ行く前から、彼女は世界へと憧れを持っていた。

お母さんのような綺麗な人がいる、素敵なところ。

 大人になれば、きっといけると信じた、思いを馳せた場所。

 誰にも見えず、聞こえない部屋の中に閉じ込められ、実に7年もの時が経っていた。


「私・・・ユージンにごめんなさいって言わなきゃ。」

 トリクシーは、ほんの少し夢について話すと、そう言って立ち上がった。

不安そうに辺りを見回す。

「彼はどこにいるの?」



 ペネロペとアイビーがバルタザールたちの元へと駆けつけたのは、丁度ダンカンや他の町議員がお縄になっていた時だった。

 エリオットとダンカンがぶつかり合いになってからすぐ、街の警備隊が彼らの元へやってきたのだ。

幸いエリオットは小さな切り傷を少し作る程度で済み、ダンカンもまた、命に別状はない。

 ペネロペは事情を説明するよりも先に、今すぐ時計台入口の瓦礫をどかしてほしいというお願いをした。

 何故かとバルタザールが聞けば、ペネロペは時計台の上部を指さす。

見上げると時計の針の動きは完全に止まっており、それは同時に時間崩壊が停止していることを意味していた。

 時間崩壊が起きるまでの話を聞いたバルタザールはにわかには信じがたいと言うような顔をして、それから静かに頷いた。



 時計台入口に道が出来ると、警備隊の潜入が始まった。

時計台動力部の梯子を一番上まであがった小さな足場で、爆破テロを起こした若者が見つかる。

彼の足元には、事件に巻き込まれたと思われる意識のない青年が倒れていた。


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