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旧アディニーナ

「もうすぐ着陸だ。少し揺れるぞ。」

 目的地の広野が目の前になると、一度ユージンがそう警告した。

ペネロペは、彼の言葉を聞くと、離陸の時と同じように身を低く固めた。

どんどん高度が下がっていく。

「うん?」

広い原っぱの中に、一台の自動車が止まっているのが見える。

一瞬エリオットの物かと思ったが良く見るとそうではないらしい。

 ユージンは少し首を傾げながら着陸態勢に入った。


 自動車から若干離れたところに無事着陸する。

完全にエンジンが止まるのを確認してから、ユージンは機体から降りた。

 続いてペネロペの手を取って彼女を地面に降ろす。

だが、彼女は草原へと降り立った途端、何だか腰が抜けてしまったようで、

その場ですぐへたり込んでしまった。

「え、え・・・?」

「大丈夫か?」

 ユージンの肩を借りながらそっと立ち上がる。

「ごめんなさい、なんか一気に緊張が解けちゃって。」

「まぁあれだけ色々あったからな。」

 ユージンが苦笑して言う。

「大した距離じゃないし、ワルターさんたちのところへは俺だけで行ってこようか?」

 見渡せば、店が立ち並ぶ通りが遠くに見える。勿論、時計台もだ。

「置いて行かないで、平気よ、歩ける。」

 ペネロペは、ユージンから離れて一人で立った。

「ほら、もう大丈夫だから。」

「・・・なら良いが・・・。」

 その時、遠くから自動車のドアを閉めるバタンという音がした。

例の謎の車から、人が出て来たのだ。

 音のした方を見るように、ユージンとペネロペが後ろを振り返る。

「あれ、オーエン・・・?」

そこに立っていたのは、トリクシーを抱えたオズワルドだった。

「トリクシー!?」

 思わずユージンが叫んだ時には、既にペネロペが動いていた。

ペネロペは、手に持っていた短剣の鞘を引き抜くと、オズワルドにとびかかった。

「返しなさい!」

 ペネロペは、先ほどまでのか弱さなど微塵も感じさせないような素早さで、オズワルドを押し倒した。

 オズワルドは短く声をあげると、トリクシーの下敷きになるようになって倒れ込んだ。

 その隙を見逃さず、ペネロペは彼の首に短剣をあてがった。

「あんたが犯人だったのね!!」

 ユージンは、ペネロペのあまりの早業に呆然としてしまっていた。

「ユージン、トリクシーを助けて!」

「え、あ、ああ。」

 ユージンが、慌ててトリクシーの救出に向かう。

「止めろ!トリクシーを連れて行かないでくれ!」

 オズワルドが今にも泣きそうになりながら悲鳴をあげる。

ペネロペは、オズワルドがどんなに声をあげても短剣の位置を動かさないつもりだった。

「その子だけは助けてくれ!どうしてもと言うのなら、私を殺せ!」

 ユージンはトリクシーに触れようとして、止めた。

「待て、ペネロペ。」

「え?」

「犯人にしては様子がおかしい。一度話を聞くべきだ。」

 ユージンがペネロペの持っている短剣をどけさせる。

「どうしてトリクシーの名前を知ってるんですか。」

 ユージンがそう聞くと、オズワルドは不意を突かれたような顔をして固まった。

「お・・・お前たちこそ、なんで・・・。」

「ここ数日、ずっと彼女と一緒にいたんです。彼女を助けたいと思っています。」

 オズワルドは、倒れて仰向けな姿勢のままユージンの目を見た。

空と同じくらいに青い瞳に、自分の情けない姿が映って見えた。

「私は・・・いや、私もそうだ。」

「なら、争う必要はありません。・・・ペネロペ。」

 ユージンからの目くばせに、ペネロペは大人しく従った。

オズワルドの上からどくと、短剣を鞘にしまう。

 オズワルドは、とりあえず起き上がって座る姿勢になった。

「お前たちは弾圧派じゃないのか。」

「違います。」

 断言した。

もう、ユージンは魔人を恐ろしいものだと思わなかった。

「・・・そうか。私は、オズワルドと言う。」

 オズワルドは、ユージンたちが敵ではないと分かると、少しずつ言葉を紡いだ。

「お前がトリクシーの術式を解いたんだな。」

 咎めるわけではなく、どこか優しそうな言い方だった。



 魔人の集落であるアディニーナ村を囲む、アルティリーク、セントホルネ、コンチェッタ、モルガゴーシュの街らを中心に弾圧の話が浮上している。

 もう十年以上も前のこと、魔人が危険であるとの思想がジークガット東地区へと浸透し始めた頃のことだった。

 魔人の存在に不穏な空気が流れる中、当時のアルティリーク町長であったヴィクトリア・バラクロフが打ち出した政策は、大胆にも魔人の排除を促すものだった。

 人々は皆、魔人の力に怯え、困惑し、正常な思考が出来なくなり始めていた。

人々を救うと言うヴィクトリアの演説は多くの民の心を掴んだ。

「魔人たちの存在は危険でございます!皆様の平和を守るためにも!我々の力で打ち勝つべきではないでしょうか!」

 彼女が街でそう叫べば、自然と人々は集まった。

そして、広場は大きな拍手に包まれる。

「ヴィクトリア町長、万歳!」

 彼女の強い意思は、迷える人々の拠り所へとなっていく。

アルティリーク内での彼女の支持率は、ここ半年ほどで凄まじいほどの伸びを見せていた。

「・・・何が万歳だっての。」

 だが、彼女に賛同できないと言う者も少なからずいた。

食糧の買い出しに出ていたその若い女性は、声援に笑顔を向けるヴィクトリアに冷ややかな視線を送った。

「アディニーナの人たちだって生きてるんだ。寝言は寝て言いなって思うね。」

「あんなの放っておこう、早く行こうよ。」

 彼女と買い物用の紙袋を抱えた小柄な女性が声をかける。

二人は姉妹だった。

「言わせておけばいいんじゃない。」

 妹の方がそう言ってヴィクトリアを見上げる。

目立つようにと花で飾られた広場のステージで、彼女は声をあげていた。

「万歳!万歳!」

「ありがとうございます!」

 聞いて、目を逸らした。

「ね?」

「・・・そうだね。セルマの言う通り。」

 姉はそう言って、その場を後にした。妹、セルマが彼女の後を追う。

 アルティリークの街並みを彼女らは並んで歩いた。

建築の街と呼ばれているだけあって、周囲の建物は丈夫そうでしっかりとした作りをしていた。

 木造よりは石造りの方が多いため、その街並みはどことなく白っぽかった。

「でも、なんだか怖いね、キャロル。」

 歩きながら、セルマが姉の名を呼んだ。

「怖いって何が。魔人弾圧運動のこと?」

「うん。」

 紙袋をぎゅっと抱え直し、セルマが頷く。

「だって、運動なんて名前ばっかり。要するに内戦をするってことでしょ。戦争だよ。」

セルマの不安そうな声に、キャロルまで気が重くなる。

「・・・もう残ってるのはセントホルネだけだね、セルマ。なんだっけ、あの若い人。」

「バルタザール町長?」

「それだ。」

 閃いたように言って、すぐにため息をついた。

「もうそいつしか残ってないじゃん。エリベのとこのスペンサー町長だってこの間折れちゃったし。」

 エリベの街は、弾圧用の武器を確保するためにとヴィクトリアが昔から目を付けていた場所だった。

話が浮上した時点では弾圧に強く反対する街であったが、公害の発生によって発言力が弱まっていたこともあり、止むなく弾圧派に回ってしまったのだ。

「本当に、最後はバルタザールとか言う奴に頑張ってもらうしかないな。」

 弾圧反対をあげる街は残すところセントホルネのみ。

ジークガット屈指の商業の町が、弾圧反対派最後の砦となっていた。

「いっそセントホルネに引っ越してみるか?」

 キャロルが冗談ぽく笑うと、セルマは首を振った。

「お店があるでしょ。」

「そうでしたー。」

 二人が立ち止まる。目の前にあるのは、小さなアクセサリー店。

その店名は、

「ノスタルジア。」

 キャロルが言う。

言葉の意味は郷愁。故郷を懐かしむことであった。

「ようやく最近波に乗ってきたわけだし、今ここで止めるわけにもいかないからねぇ。」

「そう。だから、もっと頑張らなきゃさ。」

 セルマが笑顔を向けた。

「あれ、キャロル、セルマ。」

 背後からの声に二人が振り返る。

「お前らも買い物帰りか?」

セルマよりも少し年下の、十代くらいの青年。

格子柄の秋らしいベストを着た、何だかお洒落な男だった。

「うん、そうだよ。オズもお買いものだったの?」

「まぁな。」

 言って、オズワルドが笑う。

「姉妹揃って出かけてたってことは、今日は休みなのか?」

「普通に定休日。」

 やや呆れた様子でキャロルは言うが、その言葉にオズワルドは首を傾げた。

「・・・定休日?って今日だっけ。」

「そうだよ。日付の感覚がなくなるほど部屋に籠ってたわけ?」

「はは・・・面目ない。」

 オズワルドは目線を逸らしながら苦笑する。

その様子を見ていたセルマが小さくため息をついた。

「仕事熱心なのはいいけど、たまには外に出ないと体に悪いよ。」

「分かってる、気を付けるよ。」

昨年、父を亡くしたオズワルドは、建築業をしているという親戚の家に厄介になっていた。

今彼は、その親戚の仕事を手伝いながら、居候しているのだ。

「無理しちゃ駄目だからね。困った時はいつでも相談していいんだから。」

「ありがとう。」

 セルマの気遣いに素直に礼を言う。

「それじゃ、俺、荷物もあるし、そろそろ戻るよ。」

 彼は軽く手を振って家へと戻って行く。

「じゃあね、オズ!」

「私たちも行くか。」

 ノスタルジアと彼の住む家は向かい同士だった。

別れてすぐ、彼女らとオズワルドは、自宅へと戻って行った。



「あ。」

 その日の夕暮れ、オズワルドはふと自分の部屋で買い出すのを忘れていたものがあったことを思い出した。

 彼は、窓から外を見て、まだ少し明るいのを確認すると再び家を出た。

「新しい鉛筆を買ってこいって言われてたのに。」

 足早に商店街へと向かおうとした。

その時彼は、家を出てすぐの場所に立つ、紺色のロングコートを着た男を見た。

 男はオズワルドよりもやや年上と言ったところで肩より下くらいの長い黒髪を無造作に広げていた。

最近、よくこの辺りで見かけるようになり、彼はいつもオズワルドの家の影辺りにぽつりと立っていた。

 何という目的もなさそうにただそこにいるだけ。

オズワルドは、男を気味悪く思っていた。



 翌日も、その翌日も、男はそこに立っていた。

オズワルドはいよいよ彼を不信がり、ある日、声をかけてみることにした。

 季節はもうじき冬に差し掛かると言う頃、冷たい秋風の吹く昼下がりだった。

オズワルドは、男の前に立ちはだかった。

「あの、うちに何かご用ですか。」

 男は身長が高く少々いかつい雰囲気を放っていた。

だが、オズワルドに問いかけられると、彼は意外にも素直に返事をした。

「いえ。」

 静かで低い声だった。

「じゃあ一体何なんだ、毎日毎日やって来て。」

 オズワルドが強めに出ると、男は申し訳なさそうに顔を伏せた。

長い癖髪で目元が隠れる。

「・・・もう、やめます。」

「こっちは理由を聞いてるんだが。」

 オズワルドは、男のあやふやな返事に苛立ちを感じていた。

威嚇するようにオズワルドが一歩足を踏み出すと、男は慌てた様子で同じく一歩下がった。

自宅と隣の家の間にある隙間に男を追いこむ。

「答えられないのか。」

 問い詰めると、男の視線は横へとずれた。

「その・・・。」

 男がちらりと見やったのはオズワルドの向かいの店、ノスタルジアだった。

キャロル、セルマが今まさに客引きをしているところである。

 彼女らの笑顔は、可憐に咲く花のようであった。

「あ・・・いや・・・。」

男は、俯きながら口をぱくぱくとしている。

顔を真っ赤にして恥ずかしそうに下を向いていた。

「そういうことか。」

 男の様子を見て、オズワルドは苦笑した。

彼は、恋をしていたのだった。



 オーエンは街中を離れると、セントホルネの外れ、小さな林の中にある荒地へと不時着した。

何とか機体をねじ込むようにして地面へと降りたつ。

オズワルドと落ち合った森と少し似ている場所だった。

「さて、どうするかな。」

 不幸中の幸いか、木々をなぎ倒すようなことはなかった。

 何とか着陸したものの、この調子で再び離陸するのは難しい。

オーエンは困り果ててしまった。

長らく愛用してきた相棒を置いていくことも出来ず、それでいて街を見捨てることも出来ず、彼はその場から動けなくなってしまった。

仕方なく、その場にどっかりと胡坐をかいて座りこんだ。

「・・・本当に自滅したいようにしか見えんな。」

 嘲笑うような独り言だった。

これから、自分はどうすればよいのだろう。

オズワルドが言っていた通り、もうここを出るしか方法はないのだろうか。

 考えても答えは出ない。



 男とオズワルドはすぐに親友となった。

男の恋路を応援するため、オズワルドは協力的に彼をサポートするようになった。

 幾度もノスタルジアへ訪れ、チャンスを作った。

 彼が恋していたのは、姉妹の妹の方、セルマであった。

「いらっしゃ――あ、オズじゃない。そっちの人は・・・。」

 温かい色味の店内。

アンティーク雑貨と共に並べられた商品、アクセサリーが輝く。

「ディアンだよ。」

 オズワルドが答えると、ディアンは緊張した様子で小さく頷いた。

セルマは、ディアンを珍しそうな目で見た。

「ふーん。お探しなのは彼女さんへのプレゼント?」

セルマが聞くと、ディアンは少し悩んで首を振った。

「じゃあ、自分用?」

「え、あ、まぁ・・・。」

 たどたどしく返事をすると、セルマはくすりと笑う。

「そう、お洒落さんなんだね。さすがオズの知り合いなだけあるかも。」

「だろう?」

 オズワルドがディアンを小突く。

「じゃあ、とりあえずその辺を見せてもらうから。」

「うん、どうぞどうぞー。私、キャロルを呼んでくるね。」

 エプロンをはためかせ、セルマがその場から離れる。

彼女の緩く束ねられた金色の髪が揺れた。

「侵入成功だな。」

 オズワルドが笑う。ディアンは少し背中を丸めて顔を覆った。

「む、無理だ、私には・・・。」

「何言ってんだよ、折角のチャンスだぞ。」

 オズワルドは、弱気になるディアンの背中を叩いた。

「ディアン、ここはさり気なく近づいてアピールを・・・。」



 それから一年以上がたち、季節は春になった。

ゆっくりではあったが、確実にディアンとセルマの関係は深まっている。

様々な花の香りが街を包む中、二人は恋に落ちていた。

「それで、オズったら凄いんだよ。」

「あいつ、そんなこともするのか。」

 ディアンの硬い表情にも、徐々に笑みが現れ始めている。

「我々で、魔人を倒すのです!」

 役場に出来る人だかりは、皆弾圧の成功を願う弾幕を掲げ、活気に満ちている。

ヴィクトリアを取り巻くアルティリーク町議員たちは、彼女を信用し、そして崇めていた。

「我らに安寧の時を!ヴィクトリア町長に続け!」

 叫べば、歓声が上がる。

「ねぇ、ディアンはどう思う?」

 通り過ぎる間際、セルマが聞くと、ディアンは小さく笑って答える。

「別に、なんとも。」

 セルマは彼の手が微かに震えているのをじっと見ていた。

彼の微かな笑みは、今にも消えそうで、儚かった。



 それから更に一か月後、セルマがオズワルドの家の戸を叩いた。

「セルマじゃないか。」

 突然の来訪者にオズワルドは驚いた。

彼は、また懲りずに勉強やら仕事やらに熱心になりすぎて部屋に引きこもる生活をしていた。

キャロル、セルマに挨拶をすることもしばらく無かったので、オズワルドは、それを叱られるのではないかと思った。

だが、彼女のかけた言葉は彼の予想とは違うものだった。

「オズ、最近ディアンを見ないんだけど、彼と会ってる?」

「・・・ディアンと?」

 ディアンは、突如姿を消していた。



「それじゃあ、店番よろしくね。」

 キャロルが大きな荷物を抱え、店を出て行った。

セルマはそれを見送ってため息をついた。

「行ってらっしゃい。」

 キャロル、セルマ姉妹の祖母は海外に住んでいた。

隣国、カルタンテである。

 ジークガット国民の父と、カルタンテ国民の母の間に生まれた二人は、子供時代を母の故郷カルタンテで過ごしていた。

母が死んでからは、父親の地元であるアルティリークへと移住し、そこで店を開いた。

 だが、四年前その父も死んでしまった。

残された親戚は母方の祖母のみである。

 二人は、毎年春になると祖母の元を訪れにカルタンテへと赴いていた。

だが、今年は、セルマを置いて、キャロル一人で行くことになっていたのだ。

 理由は、現在祖母の住む町で病気が流行り始めていたからである。

うつっては大変だと言うことで、姉のキャロルのみが出かける形となったのだ。

「・・・一人かぁ。」

 ディアンがいない今、一人は心細い。



 日に日に、魔人弾圧への声が強くなっていく。

オズワルドは、最初こそヴィクトリアの意見に賛成していたが、キャロルたちを見ているうちに、そのやり方に疑問を覚えていった。

 実際に自分たちが魔人を見たわけではないと言うのに彼らの命を無下に奪おうとしている。

 アディニーナ村の魔人が、他の人間に危害を加えたことがあっただろうか。

「魔人は危険なのです!」

 本当にそうなのだろうか。

本当に、彼らは危ない生き物なのだろうか。



 キャロルが母の地元を訪れに出かけた翌日の夕暮れ、ディアンがノスタルジアに現れた。

何の前触れもなくひょっこりと、彼はそこにやってきたのだ。

「ディアン!」

 セルマはディアンの姿を見つけると、迷わず彼の胸に飛び込んだ。

ディアンは、彼女に飛びつかれた衝撃でほんの少し仰け反った。

 以前よりも何となく痩せて、疲れている様子だった。

「何で、何で突然いなくなったりするの!」

「・・・すまない。色々仕事があって。」

 そう言うディアンの顔はやつれている。

どこか寂しげな表情で、セルマを抱きしめる。

「・・・セルマ、話がある。」



 夜の広場は昼間と違いとても静かであった。

道行く人はあまり見られず、皆足早に帰るべき場所へと向かって行く。

 広場には白い石畳がランダムに敷かれ、数台の木のベンチがあった。

街頭は少ない。周囲に立つ家々で僅かにランプが照らされているのみだった。

「私は、お前を愛している。」

ディアンは、小さな声でそう言った。

星がよく見える晩、ようやく暖かくなり始めた季節。

彼は俯いて、そして続けた。

「だが・・・ずっと、お前に言っていなかったことがあるんだ。」

「どういうこと・・・?」

 セルマが切なげにディアンの鮮やかな金色の瞳を覗く。

彼は、彼女からそっと目を逸らした。

「・・・私は・・・。」

 ディアンは、そう言って、口をつぐんでしまった。

空に浮かんでいた月が雲に隠れ、辺りが濃い闇に包まれる。

 彼は、目を閉じると、愛用する紺のコートの懐から一枚の紙切れを取り出した。

周囲を見回し、自分たち以外に人がいないのを確認すると、彼は決心したように、その紙を空へと放った。

「これが私の正体だ。」

 セルマが、宙を見上げる。

ディアンが紙切れへ手をかざした瞬間、空中に白い球が飛び散り、発光する。

僅かに風が巻き起こり、二人の髪を揺らした。

その光は、星屑のようであり、火花のようであり、例えるなら――――

「魔法・・・。」

 セルマが目を見開いた。

 紙切れは、すぐに燃え尽きるようにして消えてしまう。

間もなく、光の粒も静かに消滅した。

「・・・お前たちの忌み嫌う魔人は、こんなにも近くにいるんだよ。」

ディアンの表情はどこか悲しそうだった。

「だからもう、お前とはいられな・・・。」

「凄いよディアン!」

 セルマは、ディアンの見せた光の術に感激していた。

ディアンの手をとり、彼の顔を見る。

「あなたは、こんなにも素敵なことが出来たんだね!」

「セ、セルマ。」

 そんな話をしに来たわけじゃない。

彼は、セルマに別れ話を切り出したつもりだったのだ。

「もうお前とはいられないんだ。」

「どうして?あなたがアディニーナの人だから?」

「そうだ。」

 答えるディアンは辛そうだった。

彼は、誰よりもセルマを愛していた。

 だが、それと同じように、セルマもまた、ディアンを愛していた。

「関係ないよ。」

 彼女はほんの少し笑って見せた。

「私、ディアンが好き。あなたが魔法使いだとしても、嫌いになったりしないよ。」

「・・・ふざけているのか。」

 ディアンの声が震えている。

「絶対にあなたと離れるなんて嫌だから。もし、アルティリークがあなたの敵になるなら、私は街を捨てる。」

 セルマは、しっかりと彼を見据える。

「私は、絶対にあなたについていく。だから、そんな悲しそうにしないで。」



 ディアンは、オズワルドにも自分がアディニーナの民であることを打ち明けた。

弾圧賛成派であったオズワルドが、あまりにもあっさりとディアンの存在を認めたので、セルマはとても驚いた。

 オズワルドは、少しずつ弾圧思想に疑問を持ち始めていたのだ。

ディアンからの話を聞けば、その疑問は確信に変わった。


キャロルが死んだと言う知らせが届いたのは、その二週間後であった。

カルタンテ国の海辺に上陸したその病は瞬く間に住民へ広まり、猛威を振るったと言う。

自分の姉が二度と帰らぬ人となってしまったショックで、セルマはしばらく塞ぎ込んでいた。

続いて、祖母の死の連絡が入ったとあれば、彼女は更に追い詰められる。



 クローズの札のかかったノスタルジア。

セルマはぼんやりと店内を見回していた。

 隣には、ディアンとオズワルドがいたが、彼女にどう声をかけていいか分からず、だんまりの状態が続いていた。

「・・・セルマ。」

 声をかけたのはディアンだった。

「気晴らしになるかもしれん。アディニーナに来てみないか。」

 セルマが少し顔をあげた。



 アディニーナ村は、高い壁の中にあった。

一般の人間が無暗に立ち入ることは出来ず、その入り口は厳重に守られ、薄い結界が張られていた。

 セルマやオズワルドと関係を持つことに否定的だったアディニーナ村長のテレンスを見事言いくるめたディアンは、堂々と彼、彼女を連れて村へと戻った。

 アディニーナは、自然の豊かな場所であった。

皆、普通の人間と変わりない環境で暮らしていた。

 ただ、魔人と呼ばれるだけあって、その生活には常に術が組み込まれていた。

食事の煮炊きに炎の術を使い、植物を育てるために水の術を使った。

暗い夜には光の術を使い、暑い夏の日には風の術を使う。

 彼らは生まれつき体内に魔力を宿していた。

代々受け継がれてきた魔法陣により、その魔力を術として変換する。

 皆、大した力はない。精々その場に少しアクションを起こすだけである。

人々が恐れるような大きな術が使える人物などそうはいないのだ。

 また、道行くアディニーナの民たちは、老若男女問わず、皆肩より下の長い髪を持っていた。

村を出て隣町などに行く際、自らの正体を隠すため、このような風習が出来たらしかった。

 だが、生活の基本は街の人間と変わりない。

「アディニーナって・・・思ったより普通なんだね。」

 セルマが言うと、ディアンは小さく笑った。

「いくら膨大な魔力を持ち得ても、その血を濃く受け継いでも、我々が人間なのに変わりはないさ。紙とペンが無ければ、何も出来やしないよ。」

「なんか、おかしいね。」

 セルマが笑った。



それからも、セルマはアディニーナへ何度も訪れた。

彼女はアディニーナに伝わる魔法陣の芸術的デザインに胸を打たれ、それをモチーフにしたアクセサリーを作った。

 少し手を加えて、実際に魔人が扱っても発動しないように細工する。

監修は勿論ディアンであった。

 彼女は少しずつ明るさを取り戻していった。

しばらく一人で店を切り盛りする日々が続く。

 ある時、風の術を描いたペンダントを若い青年が買っていった。

青年は、家族の反対を押し切って家を出た冒険家の卵であった。

都会に出て技術を学ぶうちに、更に大きな夢を持つようになったと言う。

 後に彼は、世界で三人目の飛行機による大陸横断を成功させる。



 アイビーがオーエンを見つけた時、彼は一人地面に座り込んで沈黙を守っていた。

例の飛行機が遠くに行っていないだろうと言う彼女の予想は見事に的中した。

オーエンは酷く沈んだ様子で、だが、同時に落ち着き払っているようでもあった。

「・・・どうして、あんたがここにいるんだ。」

 問いかけても、オーエンは黙ったまま答えなかった。

「今更何しに来たんだよ!」

 アイビーはオーエンに近寄ると、その胸ぐらを掴んだ。

持ち上げることは出来ない。

 アイビーは声にならない怒りを息として吐き出しながら、オーエンに詰め寄った。

「答えろ!!」

「偶然近くに寄っただけだ。」

 答える声は低い。

「そんなわけがあるか!!」

声を張り上げるアイビーをちらりと見やると、オーエンは半笑いで顔をあげた。

「なるほど、弾を撃ち込んだのはお前だったんだな。」

「そうだ!私の知り合いを手にかけようとしたからね!」

「知り合いねぇ。」

 オーエンが笑った。

「ヒーローのサポート役をしてるってわけか。」

「何がおかしい!」

「おかしいよ。」

 オーエンは、自分の胸元を抉るように掴んでいるアイビーの腕を外した。

「杞憂ばかりして自ら滅びへ向かう街をどう助けろと言う。」

 アイビーの腕を掴むオーエンの力は強かった。

彼女の手はその場でただ震えるばかりで、振りほどくことが出来ない。

「何を企んでやがるんだオーエン。」

「俺が本当のことを言ったところで、お前にそれを信じる覚悟はあるのか。」

 オーエンから笑みが消える。

アイビーは、オーエンの真顔に一瞬ぞくりとした感覚を覚えた。

一瞬、彼が殺気立って見えた。

「どういうこと・・・。」

 アイビーは、自分の腕に力を込めるのを止めた。

するとすぐ、オーエンも彼女を離した。

「俺は、この時間崩壊を止める方法を知っている。」

「はぁ!?」

 オーエンは、ゆっくりとその場から立ち上がった。

アイビーは目を見開いたまま、彼から一歩下がる。

「アルティリークに立ち寄った際、建築職人の男に出会った。彼は、時間崩壊の予言を遺した大魔人、ディアン・トレイラーを知っている。」



「陰から見るだけだったお前が、ここまで来るなんてね!」

 オズワルドがそう言って笑う。

控室として用意された質素な石の部屋の中心、礼服に身を包む新郎は、穏やかに目を伏せる。

「本当に感謝している。オズに会えなかったら、私はセルマと会話することも出来なかった。」

「そんな改まらないでくれよ。」

オズとしては、昔の事を言って彼をからかったつもりだった。

だが、ディアンはその皮肉さえも幸福だと言ってみせた。



多くの民に反対され、説得する毎日が続いても、彼らは諦めなかった。

魔人と一般の人間が結ばれたのは、これが初めてだそうだった。

 魔人たちの光の祝福を受けたセルマの花嫁姿は、世界中の誰よりも美しく、輝いていた。

二人の結婚式はアディニーナの小さな教会で行われた。



 アディニーナ内でのディアンの友人に、スーザンと言う女性と、セドリックと言う少年がいた。

二人はセルマの受け入れを積極的に協力してくれ、婚姻が決まった時にも一番にかけつけ喜んでくれた人物だった。

「凄く綺麗ですよ、セルマさん。」

 スーザンは丁度ディアンやセルマと同じくらいの歳の未婚の女性で、裁縫などが得意な手先の器用な人であった。

元々アクセサリーを扱っていたセルマとは気が合い、ずっと仲良くしてくれていた。

「ありがとう、嬉しい。」

 セルマは、美しいドレス姿だった。

これ以上ないほどの眩しい笑顔だった。

「でも、まさかあんちゃんがこんなに綺麗な人を捕まえてくるとは思わなかったよ。」

 セドリックは、ディアンと同じくアディニーナ町長のテレンスから直接術を学んだ後輩で、少々生意気だが心優しい少年である。

彼の兄弟子にあたるディアンは、今まで何度も彼の指導をしたことがあったと言う。

年齢こそ十歳近く離れていたが、二人は仲の良い兄弟のようであった。

「自慢の花嫁だ。」

 ディアンがそう言えば、セルマが彼の唇を奪う。

少しだけ背伸びをして、彼の身長に合わせるようにして。

その瞬間を見逃さなかった魔人たちから、歓声があがった。



 セルマは自分の店を畳むと、アディニーナへと住居を移した。

婚姻届は出さなかった。

 彼女は、行方不明者としてアルティリークから消えていったのだ。

もう、セルマに家族はいない。彼女を止める者は何もなかった。



 やがて、ディアンとセルマの間に一つの命が宿る。

魔人の血を半分だけ受け継いだその娘は、セルマに良く似た金色の髪を持ち、ディアンに良く似た金色の眼を持っていた。

娘はトリクシーと名付けられ、皆に愛され、すくすくと名の通り幸せに育っていった。



「時は満ちたのです!」

 ヴィクトリアが本格的な弾圧運動の開始を宣言する。

セントホルネは最後までアルティリークらを止めることが出来なかった。

エリベでの武器製造が始まり、周囲の士気が高まっていく。

オズワルドは、その光景をただ歯を食いしばって見ていることしか出来なかった。

「俺は、なんて臆病な人間なのだろう。」

 どうすることも出来ない自分に腹が立つ。

ついにアルティリークの弾圧反対派は反乱分子とされ、発言の自由を奪われてしまったのだ。

 下手に何かを言えば、自らが危険に晒される状況。

オズワルドは、自室の机に一人突っ伏していた。

「ディアンたちが殺されてしまう。」

 だが、彼らを助ける方法が見つからない。



アディニーナの民たちへも、弾圧開始の噂は届いていた。

「私たちが何をしたというのだ。」

 アディニーナ村長のテレンス・オードニーはそう言って頭を抱えた。

術式の描かれた用紙が壁中に貼られた会合場。

 窓はなく、代わりにろうそくの明かりがいくつも灯っている。

 テレンスの他にも、魔人として実力を持つとされる者がそこに呼ばれ、座っていた。

 村全体の人口は千七百人程度。だが、集まったのはテレンスを含めたった六人。

その中にはディアンと、その友人スーザンの姿もあった。

「何故、師はアルティリークらに抗議しない。このままでは、我々は滅びへと向かうのみだ。」

 ディアンが聞くと、テレンスが目を閉じる。

そして、静かに答えた。

「私はアディニーナの代表として、村を出ることも多かった。皆に顔を覚えられている。今外に出れば、すぐに殺されてしまうだろう。」

 テレンスの声は重く、低い。

「命が惜しいから、という理由ではない。彼らは全く聞く耳を持たないのだよ。唯一、理解のあったセントホルネ町長さえも、止めることは出来なかったのだ。」

「テレンス様。」

 スーザンが控えめに挙手する。

「もし、弾圧が始まった場合、(わたくし)たちは亡命しなくてはならないのでしょうか。」

 スーザンは、不安そうに俯いていた。

ほんの少し隙間風の吹く狭い空間に、長い沈黙が流れる。

 自分たちが逃げられないことなど、その場にいた全員が分かっていたのだ。

弾圧派に四方を囲まれたアディニーナに逃げ道などはない。

 再び、彼女が口を開く。

「例えば、転送術は・・・。」

「駄目よ。」

 答えたのは、別の魔女であった。

「知ってるでしょ、転送には技術がいる。国外まで逃げることなんて出来ないわ。それに、習得しているのは住人の百分の一がいいところ・・・どう考えたって無理よ。」

「・・・はい。」

 スーザンは小さく返事をすると、口をつぐんだ。



 魔人弾圧が騒がれる街中をぬって、ディアンがオズワルドの元へとやって来た。

帽子を深く被り、その髪で顔を隠していた。

 オズワルドは、慌ててディアンを自分の部屋へとあげた。

「ディアン、ここにいちゃ危ない。どうして来たんだ。」

 ディアンは、オズワルドに助けを求めた。

 自分の結婚式でも、セルマの妊娠が分かった時さえも、決して泣かなかったディアンが、初めてぼろぼろと涙を流していた。

「アディニーナは滅びを選んだ。」

 彼は、今まで耐えてきたことを包み隠さずオズワルドに話した。

自分の村で決まった方針を、最後の足掻きを、全て彼に伝えたのだ。


“オズワルド、聞いてほしい。

最早、アディニーナに残された道はただ一つ、

弾圧を受け入れ、死を選択することのみになってしまった。

今まで各地に散らばっていた魔人が迫害され、殺されてきたように、

アディニーナの民もまた、同じ道を辿らなければならないようだ。

 村の方針で、一人だけ、アディニーナの民を後世に残せることになり

 話し合いの末、選ばれたのは娘だった。

私はとうとう、彼女が大人になる姿さえ見ることが叶わないようだ。

今まで、弾圧の話を聞くたびにとても辛い思いをしたよ。

だが、セルマと沢山話をして、ようやく決心がついた。

お前に頼みたいことがある。

 至急、娘を閉じ込める部屋の設計図を描いてほしい。

 術式さえ崩壊しなければ、主が死んだとしても魔法は残る。

 私たちは、トリクシーに呪いをかけ、

誰の目も届かない場所に彼女を隠すことを決めた。

どうか、協力してくれないか。

 私やセルマが死んだあと、娘の世話をお前に頼みたい。”

 

 オズワルドは、ディアンの頼みを受け入れ、彼と協力しながら、早速部屋の設計に取り掛かった。

 隠し部屋の場所は、最後まで弾圧に反対してくれていたセントホルネにしようということになる。

 しかし、魔人の術は完璧ではなく、必ずどこかに欠点があった。

部屋を隠すにしても、完全に周囲から見えなくすることは出来ない。

 ディアンは、スーザンやセドリックと協力し、文献を読み漁った。

そして、物体を上空からしか見えなくするという、視界を操る魔法陣を発見した。

隠し部屋の位置はセントホルネ大時計台上部に決定された。

 トリクシーを直接世話するためにと、セルマをモデルにした人格をスーザンの制作した人形に埋め込んだ。

指定された範囲内でしか動けず、心を再現することも出来ない。

 その役割は、トリクシーの世話をしつつ、彼女とオズワルドの間を媒介すること。

トリクシーが眠りについた時、人形は部屋から出て、オズワルドの元へと飛ぶ。

 必要なものを受け取り、不必要なものを渡す。

そうして、ほとぼりが冷め、弾圧が忘れられた頃を見計らい、オズワルドが彼女を救いだす。

そこで初めてトリクシーは自由の身を手に入れる。

トリクシーが自力で外に出てしまわないよう、彼女には強力な呪いがかけられた。

出口の扉に触れられないように、自信の力で、彼女がそこから出られないように。



「私は、その時、初めて魔人が恐ろしいものだと感じた。彼らは、本当に人知を超えたことが出来る。その力は些細であり、膨大であり、私のような人間には計り知れないものだった。」

 オズワルドの話を聞いたユージンとペネロペは言葉を失ってしまった。

目の前で安らかに目を閉じたこの少女は、アディニーナの人々の運命を背負い、呪いを受け、時計台上部へと幽閉されていたのだ。

 ユージンが見た天使の幻覚はトリクシーの母―――

セルマの性格をかたどった人形が、まさにオズワルドの元へ旅立とうとしていた瞬間をとらえたものだった。

 オズワルドは、地面に腰を下ろしたまま、自分の膝に乗るトリクシーの頭を撫でた。

「・・・本当は、私が迎えに行くはずだったのに、先を越されてしまったよ。」

「あなた、オズワルドって言ったわね。」

 ペネロペがオズワルドを見下ろして言う。

「時間崩壊はどうして起きたの?」



着々とトリクシーの隠し部屋の設計が進んでいく。

そんな中、ディアンはオズワルドの傍で、皆の計画にない術式を描いていた。

 セルマにも秘密にした彼の行動は、オズワルドにのみ伝えられた。

「私は、弾圧を目論む彼奴らが憎い。」

 薄暗い小さな部屋の隅で、ディアンは紙を広げていた。

「もし、私の娘に手をかけようというのなら、死してなお復讐してみせるさ。」

 そう言って力なく笑うディアンを、オズワルドは心配した。

オズワルドには、彼の精神が崩壊しかけているように見えたのだ。

 ディアンは、描きかけの術式をオズワルドに見せた。

「これは・・・?」

「磁場を滅茶苦茶にして、時が崩壊したと思わせるトッリク術・・・の、試作だ。時間経過により力が強まれば通信機器なんかも壊せるようになる。」

 ディアンは、トリクシーがオズワルド以外の者の力によって外に出た瞬間、その魔法陣が発動するように細工を施していた。

 土地の磁場を狂わせ、人間の住めない環境にする。

彼は、恐ろしい事を考えていた。

「・・・そうか。」

 オズワルドが悲しそうに返事をすると、ディアンは視線を落とした。

「本当に困ったら術を壊せばいい。それはお前の判断に任せる。」

「そんなことが出来るのか?」

「紙を破るなりインクをかけるなりして魔法陣を潰してしまえば、大抵の術は消えてしまう。一部効果が残るものもあるが、それは本当に僅かだ。」

 オズワルドが頷く。

ディアンは、彼を見て、また小さく笑った。

「可能性は低いが、仮に誤って術が発動した場合は頼んだよ、オズワルド。」



「お父さん、お母さん。どうして、皆お外に?」

ディアンとセルマの間に誕生した最後の幸福。

彼女は、まだ夜も明けない朝に会合部屋へと連れ込まれ、大きく開け放たれた重そうな扉から外の景色を見ていた。

「ねぇ。」

 雲は赤紫色に染まり始め、村の夜明けが近い事を知らせている。

そこには、アディニーナの人々が立っており、皆一様に東の空を見つめていた。

「ねぇってば。」

呼びかけても、ディアンとセルマは返事をしなかった。

ただ、安らかで、穏やかな表情を浮かべていた。

「トリクシー。お前は、誰よりも素直で優しい心を持っていて、とてもいい娘だ。」

 ディアンがようやく口を開いたので、トリクシーは彼の顔をそっと見上げた。

「だがね、その良い子の父である私は、今から悪い子にならなくちゃいけないんだよ。」

「どういうこと?」

 トリクシーがそう聞いた瞬間、セルマが声をあげて泣き始めた。

膝をつき、そのまま蹲ってしまった。

「お母さん?」

 トリクシーがそう言っても、セルマは首を振るだけで、何も答えてくれなかった。

どうすればいいのか分からなくなったトリクシーは、助けを求めるようにディアンに駆け寄ると、彼のシャツの裾を掴んだ。

 ディアンは、自分の腿辺りまでしか背のないトリクシーを優しく抱き上げた。

「お前のお父さんは、ほんの少し、他の人より力持ちなんだよ。」

「私をこうやって持ち上げられるもんね。」

「その通り。」

 ディアンがトリクシーを抱きしめる。

「トリクシー、大きくなると、皆外の世界を知れるようになるんだよ。」

「外の世界ってどんなところ?」

「さて、どんなだと思う。」

「素敵なものがある?」

「お前は賢いなぁ。」

 セルマの涙は止まらない。

「そう。外には素敵なものがあった。世界一綺麗なお前のお母さんさ。」

 遠くが少しずつ騒がしくなり始めていた。

「だけどね、お前のお母さんの住む場所は、私やスーザンおばさん、セドリックお兄さんのことが嫌いなんだ。」

「私の事は?」

「さぁ、どうだろう。」

 ディアンは不思議そうな表情を作って、トリクシーの顔を覗き込んだ。

「分からないけど、愛されてほしいな・・・幸せになって、友達に囲まれて、恋をして・・・お前は・・・そう、立派な大人になれるかな。」

「なれるよ!」

 ディアンはトリクシーを床に降ろした。

そして、セルマに手招きをする。

「セルマ、こちらへおいで。」

「・・・うん。」

 ディアンに名を呼ばれたセルマは、必死に笑顔を作った。

立ち上がってディアンの方へ歩み寄る。

「トリクシーは、立派な大人になってくれる。」

「それは頼もしい限りだね。」

 トリクシーは、セルマが泣き止んだのを見て、ぱっと明るい表情をした。

「うん、約束するよ!私、お父さんやお母さんみたいな大人になる!」

その瞬間、村の入り口が破られた。

扉から差し込む光が、部屋を鮮やかに染め上げる。

遠くから、重い装備をした外の人間が押し寄せてくるのが見えた。

「そろそろ、行かなきゃ。」

 まるで遠足に行く子供のようにセルマは言った。

「また、どこかで会いましょう!」

 びっしりと魔法陣の描かれた会合部屋。

セルマが外へ出ると、その扉はバタンと大きな音を立てて閉まった。

ディアンは、目を閉じた。

 外で、魔人たちの声が聞こえた。彼らの咆哮は、村中に大きく響き渡った。




 その昔、アディニーナの魔人たちは弾圧を受け入れた。

魔人に嫁入りした娘は、最期まで彼と運命を共にすることを選んだ。

結界を破壊し侵入してきたのは、武器を抱えた圧倒的な軍勢。

最初から勝負はついていた。

それでも、彼らは最後の抵抗を試みた。

沢山の者が傷つき、倒れ、死んでいく。

皆の希望となった少女は、無事に用意された場所へと飛ばされ、封印された。

部屋の扉が破壊された時には、魔人は皆死んでしまっていた。

ただ一人、佇んでいた最後の魔人に、銃が向けられる。

直後、その男は狂ったように笑い始めた。

 彼の狂気に弾圧隊が怯んだ。

『よくも、私の同胞を殺してくれたな。』

 彼の目には涙が浮かんでいた。

だが、それに気づく者は誰もなかった。

魔人は、懐に押し込められた紙切れを放り投げた。

『後悔するがいい。』

辺りが閃光に包まれ、瞬間、村に大きな衝撃波が生まれる。

天に突き刺さるような光の柱が周囲の人間を吹き飛ばす。

その力はアディニーナを呑み込むだけでは足らず、その周囲へも広がり、存在する全てを破壊しつくした。


体内の魔力を使い切り意識を失ったその大魔人は、生きたまま弾圧隊に連行された。



「最後に言い残すことはないか。」

磔にされ、体の自由を奪われながら、彼は抵抗をしなかった。

 処刑人の言葉を聞いた魔人は、顔を歪め、低い声を出した。

『命などくれてやる。だが、いつか、お前たちは大きな報いを受けるだろう。時の流れが崩壊せし時、街は滅びを迎える。人間は時空の歪みの中で生きながらえることなど出来ない。』

 言い終わると、男は大声で笑った。

この世の終わりを見たような、どこか諦めと悟りを持った瞳、恨めしく、憎らしく、それでいて、儚い涙を浮かべて。



『私は、この世界が大嫌いだ!!』


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