ハワイアンとエウリアン
お金の使い方は人それぞれだと思うけど、私の使い道は決まっている。
それは、食事だ。食欲は人が生きる上での三大欲求の一つであって、それを満たすことこそ幸福であり、人が生きる意義ではないか!?
……なーんて、仰々しい理屈はどーでもいい。食べてる時が一番幸せなのだから、有限たるお小遣いをそこに突っ込んで、誰に責められることもないだろう。
というわけで、ツレのきの子に誘われて小さな画廊で絵画を眺めてはいるけれど、買うつもりはさらさらない。というか、買えない。一年分のお小遣いを貯めこんで、ようやく一番安いヤツが買えるくらいだ。確かに綺麗な絵ではあるんだけどねー……。画餅は食べられないから私を幸せにしてはくれないんだよ。
私の隣では、大学生と思われる冴えない感じのお兄さんが絵を眺めているんだけど、売り子と思われるお姉さんにアレコレ言われて、とても迷惑そう。だって、絵の解説とお金の解説が半々なんだもの!
「これは斉木先生の特徴がとてもよく現れている色使いで……」
の次には
「分割払いもできますので、一日あたりコーヒー一杯分の支払いで……」
だもんなぁ……あ、お兄さん逃げちゃった。
この、お姉さんの不甲斐なさについて、私はきの子に小声で問う。
「あのお姉さん何なの? 絵画鑑賞妨害係?」
「ああ、エウリアンですね。気にしないでください」
絵を売るからエウリアン! 面白い名前が付いてるなぁ!
とはいえ、きの子に言われるまでもなく、私はあのエウリアンさんを気にする必要はないと判っていた。件の女性型エウリアンは、基本的に男の人にしか話しかけないことは、もう把握していたからだ。えげつない。えげつないわー。でも、そんな露骨にえげつない空気出してちゃ、欲しいものも買いたくなくなると思うのだけど、如何か!?
心配、という意味では気にしてなかったけど、興味、という意味では気になるんよねー、あのエウリアン。未知との遭遇っつーか。
肝心の絵画より人間観察に興味津々な私と違って、きの子は私よりも絵の造詣があるようだ。壁にかけてある絵に随分熱心に見入っている。で、時折、
「この絵は、突然湧いた白柴犬ブームに乗っかる形で急遽依頼が来て、忙しい中で半ばキレながら一日で仕上げた作品らしいです」
などと、美術的とは程遠い解説をしてくれる。キレてこのクウォリティか……。ピンクのモフっとした背景の前で、白くてモフモフした柴犬が十匹以上モフモフモフモフしている。どれもみんな可愛い! 一家に一匹欲しいよ! ぬいぐるみで! 世話するのは面倒だからね!!
二人でしばらく見ていると、中でも一際大きな絵の前にやってきた。
「あ、これがあたしのお父さんの絵ですよー」
ふぅむ、『KIYOTAKA MAITAKE』とな。確かにきの子の本名の苗字で間違いない。これは……凄いね……いや、ホント凄いよ。多分、油絵具で描かれてると思うんだけど……森がね、凄いよ。葉っぱが一枚一枚、凄いんだよ。樹の幹が一本一本凄いのに、そこに細かく張り付いてるカブトムシがね、凄いんだよ。女子高生が両腕広げても抱えきれないキャンバスに、小指よりも細い筆で描かれた超力作なんだよ。
この絵と比べちゃうと、さっきの柴犬の絵はキレてたんだなぁ、と感じられたりもする。主に背景部分で。背景そのものが作品になっているようなこの絵を見ると、背景って手間が掛かるんだなぁ、と納得させられる。特に、こういう森の絵は、奥まで広がる木々から広大な臨場感が溢れてくるのだから、細部まで気が抜けない。
それでも、さっきの柴犬の方が可愛くて欲しくなるなー! なんてことは作者の娘の前では言えないね! 絶対に言えないねー! ……ああ、画家って報われない仕事なのね……。
目的の絵も拝見して、一周ぐるりと巡ったところで、私たちは画廊を後にした。
「長らく歩いてちょっと疲れたね。この辺でお茶でもしない?」
そう提案して街を見回してみると……高級なブランドや貴金属店、シックで重厚感のある喫茶店の数々! ああ、私たちはワンランク上の世界のまっただ中におわすのか……!
そんな上位ランカーの中の一軒をきの子が指差す。
「それでは、このお店に入ってみましょうか。ちょうど席にも空きがあるようですし」
ウィンドウの向こう側で老夫婦が何気なくコーヒーを啜っているが、それすらもきっと私たち女子高生が日頃飲んでるドトーバックス的なやつより、ツーランクくらい上回っているに違いない! 味も価格も!
私はここのコーヒーにとても興味があった! 日常生活に根付いたコーヒーという飲み物が、この高級ブランドと外国人観光客の集うこの街ではどのような変貌を遂げているのか!? 多分、『コーヒー』じゃなくて、『珈琲』なんじゃないかと!
でも、ここで一度でも『珈琲』なんて飲んでしまったら、もう二度とコーヒーに戻れないかもしれない。そう、美味しくなったのに全く評判にならなかったマックの素敵コーヒーに!
てかさ、アレ、酷くない? 折角マックが、珈琲専門店から超絶バリスタ連れて来てコーヒーをグレードアップさせたのに、マックが褒められるんじゃなくて、ドトーバックス的な方が「マックレベルに落ちた」とか言われるんだもの! 褒めてよ! 美味しくなったマックのコーヒーを褒めてよー!! っつーか、マックを悪い方の基準にするのやめてよー!!
「他のとこにしよう……こんな高級なお店は私の舌には勿体無いわ」
「ふむん、そういうもんですかねー……?」
とはいえ、近辺は見渡す限り高級店街だ。気づけばお茶探しではなく、ウィンドウショッピングに切り替わっていた。
しかし、改めて見るとこの街は全てが仰々しい。アクセの店の前ではガチンコの詰襟警備員が店の敷居を跨ぐ全ての人間に睨みを利かせている。立ち止まることすら許されない雰囲気だ。
服屋の前に詰襟はいないけど、全てに於いて価格の末尾にゼロが一つ二つ多い。学生如きの身分では試着すら許されないどころか、ドレスコードというか、TPO的な無言の圧力を感じる。服を買う服がない、とはまさにこのことか!
きの子から、この街の画廊に誘われた時、そこならさぞ美味しいものが食べられるに違いない、と二つ返事で乗ってはみたものの、いざ街に来てみれば、食べる資格すらないような空気がチクチクと痛い。
ダメだ……。この街に私の居場所はない。マックもないようなこの街は私みたいな貧乏臭い女子高生には不釣り合いだったのだ……!
街のきらびやかさにはちょっと心躍りながらも、ここには私が食べるお店はないのだなぁ、とガッカリしながら大通りを歩いていると、突然あたしの脳内に”ザッザッザ……”というゲームでいうところのマップが切り替わるような効果音が響いた。丁度、電車の高架橋を潜り抜けたあたりだろう。
確かに、まだ高そうな建物は散見される。でも、その大部分は接客業というより企業の事務所的なビルだ。その中に全国チェーンの居酒屋や、ありふれたコンビニが混ざり始めている。街の空気が変わった!? ここなら私が食べられそうなお店……もとい居場所もあるかもしれない!
「あら、一駅歩いちゃったみたいですね」
戻りましょうか? と踵を返そうとするきの子を私は引き止める。
「この街にこそ私たちに相応しいお店がある! そうは思わないかね? 我が同士よ!」
「相応しいかは置いといて、この辺のお店に入りたいのであれば、異存はありません」
同士に同意を得られたことだし、私たちはお手頃なお店を探して、程よくキマった町並みを練り歩く。とはいえ、長く歩きすぎて、足腰の疲労は既にロスタイムだ。もうどこでもいいから入ったろかー、と思ってたところで、ちょっといい雰囲気のお店を発見!
「きの子、ここにしよう!」
私が指差すのは、燻した木目調がいい雰囲気のハワイアンカフェだ。
「いいですけど……何故ココに?」
「何だか高級な雰囲気でカッコイイじゃん? 一流の大人になるには、一流に触れておくものだ、ってお婆ちゃんがゆってた」
「高級なお店は自分の舌には勿体無い、って成美が言ってました」
「ちゃっ……ちゃうちゃうって! 高級な街はアレだけど、普通の街の高級感っつーか……! アンデステンアンデステン!?」
「何を言っているのかよく解りませんが、言いたいことはUnderstandです」
そもそも疲れてきましたし、と理屈を超えた納得をきの子から得られたところで、私の選んだお店に二人で入る。
中に入ってみると、店内は意外と小ぢんまりとしたハワイアンだった。通された丸テーブルには向い合って二つの椅子が備え付けられてはいるけど、どう見ても一人分サイズ。メインディッシュを二つ乗せようとしたらかなりせせこましくなるだろう。今日はお茶しに来ただけだから良いのだけど。
メニューを開くと、ハワイアンな料理が並んでいる。結構惹かれる逸品も多いのだが、それらはまた今度にしよう。時間が早いだけに、足は疲れているけど、お腹は空いていないのだ。
ということで、実は私の注文はメニューを開く前から決まっていた。
「それじゃ、私はブレンドにしようかな」
「折角ハワイのお店に来て普通のブレンドですか?」
「初めての店ではブレンド、って決めてるんよ」
こういうスタンダードなメニューこそ、その店の味が出る、というものだ。私は、違いの判りたいオンナなのだよ?
「あたしはコナコーヒーにしますよ」
「粉コーヒー? お店に来てまでインスタント?」
私の尤もな指摘に、きの子は少し再考しているようだが……。
「コナ、というのはハワイの地名です」
残念なのは私の方だった!
「元々コーヒー好きの間では有名だったんですが、最近どこかのコーヒーメーカーの女性向け新ブランドに使われたことで、ちょっと脚光を浴びつつあるんです」
くぅー……紛らわしい地名つけよったからに!
「ま……まあ、私、コーヒー派じゃないし」
そんな薀蓄、知らなくても仕方ない。
「紅茶派でしたっけ?」
「紅茶派……でも、ない」
ノンポリだ。
そこに丁度ウェイターのお兄さんが、ご注文はお決まりですか? とやってきてくれた。
「あたしはコナコーヒーで、もう一つは……」
「コナコーヒー二つでお願いします!」
きの子の発注を遮って、私は自分の主張を覆した!
「さっき、初めての店では……」
「言うな」
粉コーヒーをインスタントだと思っていた恥ずかしい自分にサヨウナラ。ハワイの有名なコーヒーと聞いて、飲まずに帰れるか、ってーの!
注文するものもしたので、コーヒーが到着する暫くの間、ハワイアンな店内の雰囲気を楽しむことにした。日も暮れてないのに店内は薄暗く、テーブルの中央に置かれたオイルランプに灯る火が、曲がりなりにも隣街の高級なお店のグレードに対抗しているようにも見える。が、ただでさえ狭いテーブルにコレはないわ。オシャレ以前に機能的にないわ。どー考えてもこの席一人用だよ!
「こういうのが、ハワイアンなんですかねー……?」
ハワイには行ったことがないから知らないけど、同じ島国だけに、コンパクトに抑えるのが主流なのかな?
「何だか、前に行ったベトナムのお店に似てますね」
言われてみれば、近しいところは多い。通気性のよさそうな燻した木材をベースにした内装は、アジアなお店を思い出させる。気候は似てるんだろうな。これに、青い海を連想させるタペストリーやウクレレなんかを壁にかければ気分はもうハワイアンだ。
「お待たせしました。コナコーヒーでございます」
やってきたのは、二つのコーヒーカップ……ではなかった! コーヒープレスと呼ばれるアレだ! 上のレバーを押し込むと、円筒型のガラス容器の中で泳ぐコーヒー豆がギュっと底の方に押し込まれるという、珈琲好き御用達のアイテムだ!
そして、角砂糖がが二つ! これも、ハワイアン特別仕様だ! 何せ、ブラウンシュガーが一つ一つ個別に梱包されているのだから!
最後の極めつけが、この砂時計だーーー!!
「砂が下まで落ちたら、レバーを押してお飲み下さい。濃い方がお好みでしたら、もう少し待っていただいても構いません」
うおおおん!! 何だか凄いことになっておる!! 私はとんでもないものを頼んでしまったよおおおおお!!
と、静かな喫茶店ゆえに声には出さずにハイテンションになっている私をよそに、きの子は普段通りの様相だ。
「きの子、もしかしてこういうの飲み慣れてたり……?」
この一流の珈琲を毎日飲んで、既に大人の階段を登り切っていたりするのか!?
「コナコーヒーは初めてですけど、お父さんがコーヒー好きなんです。それで、コーヒープレスはうちにもあるんですよ」
てことは、既に一流のマシンで珈琲を嗜んでいる、ということか……!?
「だが……っ! 豆が二流では、一流とは言えん! 一流半! 一・五流だっ!」
「店内で何て失礼なこと言ってるんですか……」
そう言って、プイっと横を向く。うわっ! 無関係のフリか! ……とはいえ、私もちょっと荒ぶりすぎてたか。反省。
そんなこんなで、気づけば砂時計の最後の一粒が下で待っていた砂の山の頂きに音もなく着地した。ついに、待ちに待った一流のコーヒータイムだ!
レバーをぐーっと押すと、徐々にコーヒー豆が集められていき、力いっぱい押し終えた頃には、素敵な褐色に染め上げられた一杯の完成である!
カップに注いで、香りを愉しむ。んん~。むむぅ~? ……よく判らん!?
そんなことをしている間に、きの子はピリピリと角砂糖の梱包を千切り、カップにトポン。
「ちょっ!? いきなり何してんの!?」
「え?何がです?」
「折角のコナコーヒーにいきなり混ぜ物って無粋じゃない!?」
そういうのはデフォルトを味わってからじゃないの!?
「あたし、甘党ですし」
悪びれることなく、きの子は美味しそうに珈琲を啜る。それだから、あなたは二流なのだ!
一流たる私は……!
「……苦い」
いや、まだ舌が慣れてないだけだ。次の一口は……
「……苦い」
ぐ……あまりの苦さに、苦い、以外の感想が浮かばない! 私は特別甘党のつもりはないけど、コーヒーには普段から砂糖は入れるもんねぇ。
「素の味は堪能できましたか?」
「ええ、とっても」
ということで、降参。ブラウンシュガーを一個投入。そして再戦。
「これは……!?」
苦味が砂糖で中和されて、舌を刺激するのは、さっきまでの一個中隊による一斉攻撃ではなく、まろやかな一騎打ち。それも、一戦交えたら後腐れなく握手するような爽やかな切れ味。
かつて、スーパーで買った安物のアイスコーヒーを飲んだ時は、これ悪くなってんじゃないか? って感じの不快な酸っぱさだったけど、これはキチンと狙った酸味だと理解できる。
ああ、やっぱり、珈琲には砂糖が合うんだなぁ……。砂糖一つ入れただけでここまで美味しくなるなんて。
ここで、私は忘れ去られていたミルクの存在に気がついた。小さなミルクポットも付いて来ていたのだけど、その他もろもろがあまりに眩すぎて、全然目に入っていなかった。しかし、こんなに凄い珈琲だ。ミルクを入れたらどんだけ凄くなるんだろう!?
半分くらい珈琲Withシュガーを堪能したところで、ミルクも追加投入してみた。
そしたら……一騎打ちですらなくなった。相手に戦闘の意思自体なくなってしまった。か……かかってこい! かかってこいよ!!
「あら、全部入れちゃったんですか? コーヒー半分なのに?」
珈琲が全力のうちに砂糖とミルクを投入していたきの子は美味しそうに自分の珈琲を堪能していた。うぎぎ。言われてみればその通り。半分の珈琲に全部入れたら、そりゃ入れすぎだわな。
僅かに残された戦意に喝を入れながら、私は和解も同然のまろやか珈琲を味わうのだった。これもこれで、それなりに美味しいし。
こんな感じに一流の珈琲を嗜んだ私たちは、しばしの休足と雑談の後、家路につくために席を立った。
精算を済まそうとレジに来たところで、入ってきた時には気づかなかったレジ前の販促物が目についた。
お持ち帰り用のコナコーヒー豆……だと!?
「きの子! これ買って! これ買おうよ!」
「何であたしに勧めるんです!?」
「だって、うちコーヒープレスないもんよ!」
私が買って帰っても作れないというこの悲しさ!
「たった二千円だよ! コーヒーを一日一杯我慢すれば、二十日分で買えちゃうよ!」
「言ってることが、ギャラリーのエウリアンみたいになってますよ?」
ナニィ!? この私が……エウリアン……だと……!? あんなえげつないのと一緒にされては私の沽券に関わる!
しかし……こう、いい売り文句が思いつかない。そもそも、一緒に珈琲した相手に価格以外で売り込む言葉なんて存在するのだろうか!? だって、美味しさはもう十二分に伝わってるでしょ? その上で買ってもらうには、もう価格で攻めるしかないじゃんよ!
しかし、価格を挙げれば挙げるほど、この珈琲の魅力が薄れていく気がする。価格以外に美点はないのか? と。あるんだよ!? あるんだけど、それを言葉で購買意欲に繋げることの何と難しいことよ!
モノを売るのって……大変なんだなぁ……。私は、絵売りのお姉さんの苦労に気がついて、心の中で頭を下げた。