5 フードの悪魔
男とシュウの戦いは激しさを極めた。
さっきからシュウは黒マントの男の強烈な攻撃を受け流すことに集中していた。横になぎ払われた剣をさっとかがんでよける。髪の毛が数本切れて舞った。背中をひやりとしたものが走った。今のが当っていたら自分はどうなっていたのか。
シュウは突き出される鋭い切っ先を転がってかわすと、一気に攻めに転じた。シュウの繰り出す連続した剣撃に、フードの下の男の表情が変わった。剣を弾いてから間合いを離そうとする。その腹をめがけてシュウは剣を突き出す。男がそれをよけようとした瞬間に、切っ先をひねって相手の首を狙った。彼はまたよけようとしたが、シュウの剣はその右の頬を浅く切り裂いた。
男はばっと後ろに飛び退いた。その拍子に顔を隠していたフードがずれ、その下のものが現れた。
男の顔は、恐ろしいと感じるほどの美貌だった。歳はまだ青年か、二十歳くらいの大人のように見える。白銀に輝く髪に、顔を半分隠している。白い肌にすっと通った鼻梁。頬に付けられた傷から真っ赤な血が流れ出す。フードの影の中でこちらを見る目は、頬から流れる血と同じ赤。それは赤というよりもどす赤いというほうがふさわしく、憎しみや狂気で爛々と輝いていた。
(こいつ、人間じゃない…!)
シュウは瞬間、そう感じた。こんなふうに思ったのは初めてだった。
と、突然、男が笑いだした。狂ったような笑い声は青い池に響き渡った。聞いていたらこっちの気までおかしくなりそうな気がした。
男は笑ったまま、いきなり突っ込んできた。凄い速さで振り下ろされる剣を咄嗟に受け止めると、その衝撃で腕が痺れた。
男は歪んだ笑みを浮かべて叫んだ。
「面白い!実に面白い!!私が本気で相手をできる奴がいたとはなぁっ!!」
彼は凄まじい勢いでシュウに剣を打ち込んできた。シュウは懸命に愛剣で身を守るが、衝撃が最初とは段違いだ。何度目かの攻撃を受けた時、思い切り押されてシュウの体は遥か後ろに吹っ飛んだ。背中が地面に叩きつけられ、思わず息が止まる。
起き上がろうとしたシュウの胸を、黒ずくめの男はドスッと踏みつけた。
「久々に楽しませてもらったぞ。楽しかったが…」
そこで一度言葉を切り、彼はかがみこんでシュウの右手に握られた剣をもぎ取った。そして、ニタリと笑う。彼の唇から鋭く伸びた牙のような犬歯がのぞいた。
「…今ここで貴様を殺すことにする」
「……!!」
男は悪魔の笑みを浮かべたまま、シュウを踏みつける足に体重をかけてきた。じわじわと強まる力にシュウは呻き、黒いブーツを履いた足を掴む。それでも男は力を強くしていき…
バキッ!という嫌な音とともに、シュウのあばらが折れた。
「ぐあっ!!」
シュウの顔が苦痛に歪む。
男は1本、また1本とシュウのあばらを折っていく。
「うああああぁああああぁッ!!!」
「どうだ?もうすぐ殺されるという気分は」
笑みを含んだ男の問いにも、シュウは答えられない。肩で激しく息をする彼の唇から血の糸が零れる。
くつくつと男は笑い、再び足に体重をかけようとした時。
揺れた。
それは、本当に「揺れた」としか言いようがない揺れだった。まるで、空間自体が一瞬大きく震えたような、そんな揺れ。
男もそれに気付き、顔を上げた。辺りに目をやる。
そうして、再びシュウに向き直った時、その美しい顔には残酷な笑みが張り付いていた。
「残念だが、時間になってしまったようだな」
彼はシュウから足を離し、奪い取った剣を逆手に持ってシュウの真上に振りかざした。
光を反射して煌めく自分の剣を見ながら、シュウは心の中で大好きな妹マシュラに謝った。
マシュラ、ごめんな。ホントにごめん。家に帰るって約束、守れなかった。俺はここで死んじゃうけど、お前は死んだらダメだぞ。俺の分まで頑張れよ。
ごめんな……。
男は何の躊躇いもなく剣を振り下ろす。
その剣の先がシュウの胸を貫いた時、彼の意識は闇に散った。
「シュウお兄ちゃーん!」
「シュウ様ぁ~~!…いないね」
マシュラたちは、ルカ島の鬱蒼と茂った森の中でシュウたちを捜し回っていた。
「お兄ちゃーん!」
その時、後ろで呻くような声が聞こえてきた。
「…た…助けてください…」
「どこ!?どこにいるの?」
聞き覚えのあるその声に、マシュラは辺りを見回した。
「ここです…。崖の下…」
立っていた崖から下を覗き込むと、そこにはシュウの連れていた兵士たちがいた。全員ボロボロに傷つき、中には重傷を負っている者もいる。
だが、彼らの中にシュウの姿は無かった。
「大丈夫!?一体何があったの!?」
崖を下りてきてマシュラが驚いて尋ねると、兵士の一人が喘ぎながら言った。彼は全身血だらけだった。
「昨日、長老の部隊を探して島を歩いていたら……うっ…少し開けた場所に来たんです…。そうしたら、長老の隊の人が…全員…バラバラにされていて……」
「バラバラ?」後からやってきたライフィーが眉をひそめた。
兵士はがくがくと頷いた。
「それで、そのことを報告しようとして船があったところに戻ったら…船がめちゃくちゃに壊されていたんです…誰がやったのか分からなかったんですけど……。とても人が出来るような壊し方とは思えないくらい…」
彼は一度言葉を切り、ゴホッと血混じりの咳をした。
「そうして、それをシュウ様に伝えようとしたら、どこにもいなかったんです……」
「どこに行ったか分かる?」
マシュラの問いに、彼は無言で首を振った。
「そう…。それで、なんであなた達はこんなことになってるの?」
「隊長を探しに、僕らは島に戻ったんです。その直後――」
「ねえマシュラ様」
ライフィーが深刻な顔でマシュラをつついた。
「二人足りないです」
「えっ」慌てて隊員の人数を数える。
――確かに、二人いなかった。
「その直後に……」と兵士は繰り返した。
「僕らは…見知らぬ誰かに襲われたんです。黒くて長いマントをはおって、黒いフードをしてた…顔はよく見えなかった。でも、凄く恐ろしい人だった…男の人」
その時を思い出したのか、彼は恐怖に目を見開いた。体が震えを起こす。マシュラは彼の肩にそっと触れた。
「僕らは必死になって対抗しました。…でも、相手が強すぎました。無理だと思って逃げようとしたら……二人が後ろからそいつに襲いかかられて…一人は剣で貫かれて…もう一人は首に咬み付かれて……」
「咬みつかれた?それ、ホントに人間?」
兵士は無言でうなずいた。
「でも……悪魔みたいな奴だった」
「とにかく、国に帰りましょう。私たちの船に乗れば帰れるから。シュウは私が残って捜します」
「そんなことをすればとても危険…」
「だったら、私も残るよ」
ライフィーが明るく言った。
「でも、そうしたら君も危ないわ」
「こんなところに大事な友達を置いていけるもんですか。私もここに残りますよ」
ライフィーはそう言うと、にこっと笑った。それを見たマシュラの表情がほんの少しだけ緩んだ。
「それじゃあ、崖の上に隊員たちがいるので、彼らと国に帰ってください。私とライフィーは残ってシュウを捜します」