4 異変
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「これで分かったと思うけど、レンジェの前世はマシュラよ」
レンジェは「ええ」と、頷いた。このことは、最初らへんから少し気付いていた。
「でもさ」ヴァライスがどこか不満そうに言った。
「俺の前世は一体いつ出てくるんだ?さっきから見ててもそれらしき人もないし、どこ行ったんだよ?」
「まあ、もうちょっとしたら出てくるよ。ただし、ちょいびっくりするかもね」
魅鈴が半分くらい面白そうに言った。
「ここまでは、いつもの日でした。でも次の日の夜から、そうではなくなっていったんです」
「どういうこと?」
レンジェは尋ねた。自分のことではないのに、嫌な感じがしている。冷たいものが背中をはっているような感覚が拭えなくてすごく不快だ。
摩門の隣にいた心愛が答えた。
「その日、帰ってくるって言ってたシュウは帰ってこなかった。その次の日になっても、彼は帰ってこなかったんだ」
「え……っ」
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不安な気持ちのまま朝になった。
シュウは未だに帰ってこない。
彼が帰らなくなってもう3日目だ。いつもは帰りが遅くなることは絶対になかった。どんな時でも、彼は帰りの約束を守ってくれていた。だから、いつまでも帰ってこない事が心配でならなかった。
マシュラは嫌な予感を振り払えないままベッドから降りた。リリが心配そうに「みー」と鳴く。ルリオンの頭を撫で、下に降りて行った。
朝食の準備をしていた時、こんこんと玄関のドアをたたく音がした。その音を聞いて、暗かったマシュラの表情がパッと明るくなる。
「シュウおにいちゃん!?」
廊下を突っ走り、ガチャッと勢いよくドアを開ける。その途端、マシュラの顔が一気に沈んだ。
「お兄ちゃん……じゃなかった……」
一人の従者がそこにいた。マシュラがあまりにも勢いよくドアを開けたので、びっくりして目をまん丸くしている。しかも、固くなってしまっているようだった。
「何?」
ぶっきらぼうにマシュラは尋ねた。従者は慌てて姿勢をただし、敬礼をして言った。
「あ、あの、セオラルド国王が、至急城に来るように、とおおせです。あと、その時になるべく武装してくるように、と」
え?城に来るようにって?しかも武装で?
悪い予感がしてならなかった。
従者はそんなマシュラに一礼すると、慌ただしく駆けて行った。
階段を駆けあがりながら、マシュラは不安な気持ちを抑えられなかった。乱暴にクローゼットを開け、雑な動作で服を引っ張り出す。バンッとクローゼットを占め、着替え始める。うるさくしないといていられなかった。
バタバタと下に降りると、とりあえずパンをくわえてシュウの部屋に入った。普段は入るなと言われているが、今日は別だ。マシュラは自分の防具をとり、その場でつける。それから部屋の隅に並んでいる剣を見て行った。シュウの使う剣はマシュラが使うには重すぎる。いくつか眺めて行くうち、一つだけ異質な存在感を放つ剣に目をとめた。
それは、黒に限りなく近い紺色の鞘と刀身をもつ、ひと振りの細い剣だった。
鞘と柄に銀の針金が巻きついている。巻きつく針金は模様となって刀身に彫りこまれていて、それが異世界のものであるように見せる。柄の中心には、淡い水色の透明な石が埋め込まれていた。
マシュラはちっともわからないが、シュウ曰く「この剣はちょっと変」らしい。この剣はマシュラがナグロに拾われたときに自分で抱いていたものだ。と、言っても、本人は全く覚えていないが。とにかくシュウは剣からよろしくないものを感じたらしく、ずっと彼の部屋で触らせないようにしていたのだった。
シュウの「ちょっと変」というカンはよく当たる。彼がそう言ったものは、だいたいよくない事が起こる。だが、今回だけはしょうがない。持って行きたくはなかったが、それ以外は使えなかったので紺色の剣を腰に付けた。
リリを連れて急いで城に行くと、門の前ですでにたくさんの兵士が集まっていた。皆一様に表情が硬い。重苦しい空気がのしかかっているようだった。
マシュラは彼らの中心にセオラルドの姿を認めて駆け寄った。
「セオラルド様、一体何があったんです?」
国王は険しい顔で言った。
「君も知っているとおり、シュウたちが帰ってこない。向こうで何かあったのかもしれないから、それを調べてきてほしいんだ」
「お兄ちゃんたちはどこへ行ったんですか?」
マシュラがそう訊くと、セオラルドは顔を歪めた。後悔しているような表情。彼がこんな顔をしたのは初めてだった。
「ルカ・リズベント島。聞いたことはあるだろう」
王の口から出た単語に、マシュラは激しく動揺した。そして湧き上がってきたのは怒りだった。
「何でそんなところに行かせるんですか!?お兄ちゃんたちは断ったんじゃないの!?ねえどうして!どうしてよ!!」
セオラルドの胸をつかみそうな勢いのマシュラに、彼はゆっくり首を振った。
「頼んだ僕も、行くことを勧めなかった。でも、彼らは自分で行くと言ったんだよ。僕のためならって」
「………」
マシュラはふうっと大きく深呼吸して、静かに頭を下げた。
「分かりました。ルカ島に向かいます」
セオラルドは、少しだけ表情を緩めた。
「ああ、そうだ。きょう、きみの副隊長をする人を紹介しよう。この子だ」
彼がそう言って一歩横にどくと、見慣れぬコートを身にまとった少女が出てきた。その顔を見て、マシュラは驚く。
「本日副隊長を務めさせていただきます、ライフィー・パスカテナです。……昨日も会いましたよね」
そういう彼女の笑顔は、微妙に堅かった。
その数時間後のルカ島で。
シュウは突然現れた男と、激しく剣を打ち合っていた。黒いマントを身につけ、フードで顔を隠したその男は凄まじく強く、シュウは劣勢になっていた。こんなに強い相手と今まで戦ったことはない、と彼は思った。
「あっ!?」
剣がぶつかったときの衝撃で愛剣が手から離れ、くるくると飛んで行った。はずみでよろけたシュウの首を男の手がつかんで持ち上げた。
「くっ……、放せ!」
シュウは男から逃れようともがくが、全く意味がない。
「………ふん」
男が、笑った。薄い唇を歪めて。
「もう終わりか。つまらんな」彼から発せられた声は、地を這うように低かった。
「おまえはいったい…何者なんだ…!」
男は小首をかしげて答えた。
「貴様に教える義理はない」
「何だと……っ!」
「だが、これだけ言っておいてやる。……私は、未来を変える者だ」
「未来を変える……?ハッ、ふざけたことを言うんじゃねえこの下衆野郎!!」
ーー男の笑みが凍りついた。シュウの首を絞める手に、物凄い力が込められる。ギリギリという音が聞こえてきそうだ。
「くあっ……あ……ッ!」
苦しくて声も出ないシュウに、男が顔を近づける。触れれば切れそうなほどの威圧感に、シュウは本能的に恐怖を覚える。
「ほう。クチだけは一人前か。いいだろう。遊んでやる」
そういうと、男は唐突に手を離した。体を折って激しく喘ぐシュウに、男は落ちていたシュウの剣を拾い、こちらに投げてきた。剣はシュウのすぐ横に音を立てて突き刺さる。それを支えにふらつきながらも立ち上がるシュウに、男は邪悪な笑みを向けた。
「簡単に死ぬなよ?私を楽しませてくれ?」
シュウは剣を構えた。胸の中で膨らんでゆく恐怖を打ち消すように雄叫びを上げ、猛然と男に突っ込んでいった。