2 城で
この平和がもうすぐなくなるということを知るはずもないマシュラは途中だった朝食を済ませ、その他の家事を一通り終わらせてリリと外に出た。
街の広場に出て、マシュラはあたりをきょろきょろと見回した。今日は誕生日だ。いつもと違うところに行きたかった。
その時、後ろでリンゴーン、リンゴーンという音が聞こえてマシュラは振り返った。鐘の音は、ポルフォニオ国の国王の住む城、コリニカ城から聞こえていた。
(そうだわ、お城に行きましょう。)マシュラはそう思った。城では、マシュラは結構名が知られている。理由は、国の最終戦力ともいえる部隊を丸々率いる役であるシュウの妹であり、しかもマシュラ自身剣の腕がすごいからだ。さらにシュウはなぜか国王とやたらと親しくて、王の命令はシュウにとって「頼み事」と同レベルの話になってしまう。どんな命令でも「頼みごと」になってしまうので王は頭を悩ませているようだが、シュウはやる時はやってくれるので一応よしということにしている。
そんなシュウの妹マシュラは城の中でそこそこ高い位にいるのだった。だから、多少無理を言っても聞いてくれるはずだった。
そんなわけで、マシュラは城を少し探検してから国王に挨拶でもしてこようとコリニカ城に向かった。
ポルフォニオ国は武器と兵力をそろえているが、決して軍事国ではない。他国とは一度も戦争をしたことがないし、他国同士で対立が起こると必ず中立的な立場をとる。だから、ポルフォニオ国は世界一平和な国と言われていた。
ならば、なぜ今日のようにシュウが出かけるのか。
この国の若き王、セオラルドは何かを探求したり研究したりするのが好きで、よく森や遺跡に探索部隊を行かせる。シュウはその隊の隊長も務めているのでしょっちゅう出かけることになるのだ。しかし、最近では政治の高い位を独占している長老たちが何か企んでいるらしく、他国に軍をひそかに派遣しているらしい。国王は若いのであまり発言力がない。だから、彼らに気付かれないように自分の軍で追跡させて調べているという話が広がっている。もっともマシュラはそんな話に興味はないし、シュウも同じだ。「そんな頼み事はめんどくさい。」と言って断るに違いない。
城の巨大な門の前に来ると、2人の衛兵が何の用かと尋ねてきた。
「私はシュウ・アルヴィールの妹、マシュラです。セオラルド王に会わせてもらえますか?」
衛兵たちはちょっと顔を見合わせて、「どうぞ。」と言って扉に手をかけ、思い切り引っ張った。重い扉はきしみながら開き、衛兵はマシュラに向かって敬礼した。マシュラはリリと一緒に中に入って行った。
城の内部は広くて明るかった。ひんやりとした廊下にブーツの音が響く。街の人々の声が遠くから聞こえた。窓には色とりどりのガラスが張られ、日の光を浴びて床に美しい光を投げかけている。その様子は城というより美術館か教会のようだ。マシュラは前にも何度かここを訪れたことがあったが、何回来てもここは綺麗だと思った。
リリははじめてきた城に興味津々だった。マシュラの肩から飛び降りてトコトコ走りだしたのでマシュラに抱きかかえられた。
何度か角を曲がり、階段を上がってしばらく行くと玉座のある大きな部屋の前に来た。扉の横にいた兵士に軽く会釈をし、扉をコツコツと叩く。
「誰だ。」
扉の奥から若い男の声が聞こえた。
「マシュラです。」
「…入れ。」声は静かに言った。
マシュラはそっと扉を開け、中に入った。
「お久しぶりです、セオラルド様。」
セオラルドは持っていた羽根ペンを置き、にこりと笑った。
「久しぶりだな、マシュラ。3年ぶりか。」
「はい。」
国王は玉座から降り、こちらに歩いてきた。
彼はそんなに背が高くない。おそらく、マシュラより少し背が高いシュウとあまり変わらない。年だってシュウの3つ年上なだけなのに、王としての威厳がにじみ出ている。王位に就いてからまだ1,2年しか経っていないというのに、そんなことはこれっぽっちも感じさせなかった。
彼はマシュラをまじまじと見つめて感想を漏らした。
「君、また背が伸びたのではないか?僕なんて抜かれてしまいそうだ。」
「うーん、そうかもしれないですね。あんまり伸びてほしくないんですけど。」マシュラはそう言って笑った。
「ふうん、そうなのか。おや、その子は…?」
セオラルドは足元にじゃれつくリリに気付いて声を上げた。
「ああ、その子はりりです。今日シュウお兄ちゃんから誕生日プレゼントにって……あっ、こら、だめよリリ。」
セオラルドの長いローブにかじりついてぶら下がってしまったリリを引き離そうとして「いや、いいんだ。」と王に止められた。
「すごくかわいいじゃないか。そのままにしてやりたいんだ。…そうか、今日はマシュラの誕生日か…。」
「はい。16になります。」
「16……ふうん、もうそろそろ彼氏ができてもいい年頃じゃないか?」
いきなり王にそう尋ねられ、マシュラは慌てた。そんなこと、考えたこともなかったから。
「そっ、そんな…彼氏なんてできるわけないじゃないですか。もう全っ然。考えたことないし。」話しながら、なぜか顔が赤くなってしまった。
「ははは。そうか。じゃあ彼氏ができたら僕に是非紹介してほしいな。きっといい人なんだろうな。」
「えー、セオラルド様に紹介するんですか?きっといい人じゃないですよ。期待しないでくださいね。」
くすくすと笑いながらマシュラは言った。そういえばこの王はこんな性格だったなと思い出す。セオラルドとこうして2人で話すのは初めてだった。
「そうだ、マシュラ。」と、甘えるリリを抱いてなでながらセオラルドは言った。
「何の用で僕に会いにきた?」
「え?あ、ああ、ちょっとお城の探検でもしてこようかなって思って。ごめんなさい、すごく時間をとってしまって。」
頭を下げて謝ったマシュラに「いいんだ、気にするな。」と、セオラルドは優しく言った。
「ああ、そうだ。城を見ていきたいなら、これを持っていくといい。」
王から手渡されたのは金色の鍵束だった。
「何の鍵ですか?」
「それは……。」
その時、扉が勢い良く開いて1人の少女がパタパタと駆けてきた。息を弾ませながらやってきた少女を見て、マシュラは驚いた。
(この子、フラムテイム国の子だわ…!)
フラムテイム国はポルフォニオ国の隣の国で、比較的関係がよい。世界で唯一、機械を操る文化がある国で、医療技術も相当高い。他国からカルチャーフロンティアといわれる半面、国の食料自給率がかなり低く、食料の大部分を輸入に頼っている。フラムテイム国の国民は赤い瞳の人がほとんどで、とても印象的な形のコートを着ている。今目の前にいる少女はコリニカ城の使用人の服を着ていたが、光を反射してきらめく深紅の瞳は間違いなくフラムテイムのものだった。
少女はマシュラに軽く頭を下げると、セオラルドに一通の手紙を差し出した。手紙を受け取り、表と裏をざっと見た彼は眉をひそめた。
「差出人の名前がない…。これはどこにあった?」
フラムテイム国の少女は答えた。
「さっき特殊部隊の部屋を掃除していたらテーブルの上に置いてありました。」
「む…、分かった。もう下がってよい。」
少女は深くお辞儀をした後、来た時と同じようにパタパタと部屋を走って出て行った。扉をくぐるとき一瞬だけマシュラと目が合う。少女はぱちりとウインクをしていった。
彼女が行ってしまった後、マシュラは手紙を机の上に置いたセオラルドに尋ねた。
「さっきの子は誰ですか?」
「つい最近この城で働き始めた子だよ。わけあってフラムテイムを出てきたらしい。……ああ、ところでその鍵だが、それは城のあらゆる重要な部屋の鍵だ。好きに使って色々なところを見てくるといい。帰る時は僕か使用人の誰かに渡してくれ。」
「え、本当にいいんですか?こんな大事なもの…。」マシュラはびっくりして手の中の鍵束に目を落とした。
「ああ、いいとも。誕生日に君にしてやれることはこのくらいしかないから。」
そう言って王は笑った。
「やったあ!ありがとうセオラルド様!」マシュラは彼に何度も頭を下げた。
「さあ、もう行くがよい。」
「はい!またね、セオラルド様!」「みー!」
元気に駆けてゆく1人と1匹を笑顔で王は見送っていた。やがて重い音とともに扉が閉まると、セオラルドはまた玉座に戻り、手紙を取る。封を切り、中身を取り出すと白紙の紙が出てきた。彼は誰からの手紙かわかった。
マッチを擦ると、ろうそくに灯をともした。紙を火の上にかざし、何回かひっ繰り返して炙る。すると、何も書かれていなかった紙に文章が浮かび上がってきた。
シュウの率いる部隊からのメッセージだった。
その頃、マシュラはセオラルドから借りた鍵でいろいろな部屋を見て回っていた。他国の王からもらったものを置いた部屋や、見たことの無い動物のはく製や絵がたくさんある部屋など、初めてのものでいっぱいだった。誰にもとがめられることなく、気ままに探索を楽しんだ。
城にある王立図書館に行こうとした時、背後から声をかけられた。
「マシュラ様。」
振り返ると、王に手紙を渡したあの少女が立ったいた。
「あなたはさっきの…。」
「はい。使用人のライフィー・パスカテナと申します。どこに行くんですか?」
さっとお辞儀をして、少女はにこにこと笑った。