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6、疑心暗鬼

 それから数日経った放課後。

 家路につく生徒の群れが一段落した正門近くにある花壇で、八神灯やがみ あかりはいつも通り、園芸部の手伝いをしていた。


 日差しの強さに初夏の訪れを感じる。

 植物もいきいきとする季節だから、しばらく放っておくとすぐ雑草が茂ってくる。

 この時期の手入れは大変だが、手をかければかけるだけ、庭園の草木は夏以降の花の美しさや実りの見事さで応えてくれる。

 灯が手にしたホースから、勢い良く出た水が、陽光にキラキラ輝きながら弧を描いている。

 安倍海風あべ みかぜは離れた校舎の陰から、その様子を伺いながら、そっと溜息をついた。

 水晶の勾玉を渡した後気まずくなってから、灯は海風を避けている様子がある。

 だが、海風はあえて灯との間に開いた距離を縮めようとはしなかった。

 灯を狙っているものがあるなら、油断させておいたほうが良い。

 ただ、何か起こった時遅れをとらぬために、こうして始終灯の動向には気を配っている。灯本人は夢にも、気づいてないが。


「しかし……ほんま、お人好しなヤツやなぁ……」


 ずっと観察してきたが、灯は放課後の掃除とか日直の仕事とか、良いように押しつけられている節がある。

 なのに、みんなはクラブとかで忙しいし、私はそうじゃないからと、ニコニコしている。

 皆、適当な理由を付けてサボる口実にしているに違いないと海風は思うが、世間知らずだからか、灯にはそのような思考回路はないらしい。

 この放課後の日課となっている花壇の水まきや草引きにしてもそうだ。


 いにしえの時代から陰陽道の第一線で活躍してきた安倍家では、能力者の生まれる確率が高い。

 特に、海風の持つ力は一族の中でもずば抜けていたため、まだ幼い頃から彼は家業の手伝いに駆り出されることが多かった。

 必然的に物心ついた頃から、彼は人間のドロドロしている部分を身をもって知る経験を重ねてきた。

 だから、世間知らずで純真な灯の言動は、海風から見れば危うくて歯がゆくて仕方がないのだ。

 しかし一方で、気になって仕方がない。

 

 灯の真面目さ、ひたむきさ。

 打算のない優しさ、思いやり。

 どこまでも真っ直ぐ、前を見つめている瞳。

 

 灯の持つそれらは、安倍家の今の立場を手に入れる代わりに、海風がどこかへ置き忘れてきたものだった。



「やあ、姫を守るナイトくん。確か名前は安倍―――」


 突然後ろから声をかけられ、海風はギョッとして振り返った。

 全く気配を感じず、不意を突かれるということは、海風には珍しいことだった。


「…安倍海風です。竹山せんせ…」


「そうそう、安倍海風くん。京都の名門洛北高校からの編入だったね」


 海風は園芸部の顧問である、白髪混じりで小柄で穏やかな風貌の年配教師を胡散臭げに見詰めた。


「…そうですけど…先生、『姫を守る』云々というのはどういう意味ですか?」


 だが、竹山先生は少しも動じる様子もなく、却って笑みを深くした。


「洛北での君の成績を見たよ。この高校では君の実力に比べ、あまりに力不足だからね。たぶん君の親戚だという八神さんが原因かなと思っただけだよ。日本史を専攻の…特に平安時代を専門としている教師としては、君の前住所も非常に興味深い。確かあの有名な安倍本家の住所と同じだったね」


「……えらい、詳しいんですね、先生」


「それに、あの八神さんも実に不思議で興味深い生徒だしね」


 灯はこの竹山先生にかなり好感を持っているようだった。

 人が良く、年配の竹山をむしろ助けてあげなければと思い、放課後の園芸部の手助けをかっているようなところがある。

 だが、どうして。一筋縄でいく相手ではなさそうだと、海風は思った。


「ほら、君の脇に植わっている紫の花。それは万葉集の歌にも詠まれている野草なんだが、都会のような環境で、人の手で育てるのは難しい植物なんだ。…だけど、なぜか彼女の手にかかると、どんな植物も生き生きと育つ。……植物を育てるのは僕の趣味の一つでね、興味も知識も人一倍あるつもりだが、それでも彼女が何だか魔法でも使ってるかのように感じる時があるよ」


 ちょうど灯は水を撒き終わって、片付けを始めていた。

 

「一時はかなり体調が悪いようで心配したが、君が転入してきたあたりから、彼女も随分元気そうになってきた。潰れかけの園芸部を影で支える貴重な人材だからね、僕としても本当に嬉しいよ」


 竹山はニヤリと笑って海風に背を向けると、何事もなかったかのようにホースを手に持つ灯に近づき、話しかけた。

 灯は無邪気な笑顔を見せている。

 やがて竹山がホースを灯から受け取り、二人は並んで園芸部の倉庫の方角に向かう。

 厳しい目つきでそれを眺めていた海風は、やがて踵を返した。


 突然一陣の風が吹きすぎ、庭園の樹木がザザッと震え、葉が舞う。

 灯が驚いて後ろを振り返った時、紫の花が咲く端には、もう誰の姿もなかった。




 * * * * * 




 灯が今の高校を受験しようと思ったのは、自宅から近いことが大きな動機だ。

 徒歩で20分。

 満員電車に揺られての通学に自信がなかった灯には、程よい距離で歩いて通える学校というのは有り難かった。

 娘の体力を心配していた両親も、灯の選択に賛成してくれた。

 レベル的には中堅の私立学校である。

 私立なのに、あまりガツガツと勉強にばかり偏らない校風も、灯には合っている。

 クラスメイトも温厚な人が多く、内気な灯が人付き合いに悩むようなこともほとんどなかった。


 その日も、灯はいつものように一人でゆっくりと家路を辿っていた。

 学校までの道のりはほとんど閑静な住宅街を通る。

 ただ1箇所、大きな道路を横切らねばならず、一度その陸橋の上で危ない目にあった灯は、それからそこを通る度、恐怖に足が竦むのだ。

 海風が転校してきて初めの頃は、彼が一緒に帰ってくれたから平気だった。

 だが、海風と気まずくなってからは、声をかけるのも憚られて、以前と同じように灯は一人で下校していた。 



 大丈夫―――――。

 海風くんのお守りもちゃんとしているし。

 これには破邪の力があるって。私を守ってくれるって。

 海風くんがそう言ってた。

 性格的には問題がある気がする海風だが、彼は自分に嘘はつかない気がする。


 制服の上から、身につけた勾玉の存在を確認するように、ギュッと胸元を握りしめた。

 呼吸を整えて歩道橋を見上げると、一歩一歩ステップを上っていく。


「八神さん!」


 灯は聞き覚えのある声に振り返る。


「水木先輩……」


 水木志樹の穏やかな笑顔に、ホッとして灯も笑顔を浮かべる。

 水木は軽く一段抜かしで歩道橋の階段を駆け上がると、灯の隣に並んだ。


「今帰り? 八神さんも歩いて通学してるんだ?」


「水木先輩も? 家はこの近くなんですか?」


「……だって、八神さんと僕、同中でしょ?」


「え?」


「笹原市立第2中学校出身でしょ?」


「…はい……?」


「全然僕のこと、知らないんだ? 一応生徒会の役員なんかもしていたんだけど」


「!?…ご、ごめんなさい」


「まあ、学年が違ったから、君が知らないのも仕方がないか。実は僕も君のこと、どこかで見たことがあるくらいの認識しかなくて。この前うちのクラスまでハンカチを返しに来てくれただろ? その時見かけた同中の友人が教えてくれたんだ」


 クスクス笑う水木につられ、灯も笑った。


「あ、今日、この後時間ない?」とさりげない様子で水木が尋ねた。

 

「良かったら、うちに来ない? この前言っていた資格関係の資料さ、父が色々持っていて。でも、重くて学校まで持ってくのは骨が折れるからさ、見て必要なところだけコピーしてあげるよ」


 自分の事を気にかけてくれる人がいるというのは嬉しかった。

 一方で先日の海風の言葉が脳裏を掠める。


『…気ぃつけな。……ホント騙されやすい性格みたいやし…』


 あの時はかなりムッとした海風の言葉だったが、自分が世間知らずなのは自覚している。

 それほど親しいわけでもないのに、一人でよく知らない男の人の家にお邪魔したりしたら、また海風に何を言われるかわからない。

 水木は好意で言ってくれているのだと思うが、軽率な行動はするべきではないだろう。

 また日を改めて、誰かと一緒に伺うのなら問題はないだろう。


「ごめんなさい。今日は用事があって……」


「そっか。じゃあ、また次の機会にでも」


 水木は別に気にした様子もなく、あっさり話題を変えた。

 自分の小さな嘘を全く疑わない様子に、灯の良心が咎める。

 歩道橋の上を並んで歩きながら、「そうだ」と水木はポケットから携帯を取り出した。

 

「また都合の良いときに連絡して。これが、僕の携番とメアドだから、登録しておいてよ」


 水木の手元を覗き込むと、シルバーの携帯画面に電話番号とメールアドレスが表示されている。


 ―――――先輩のデータを入力するくらいなら、別に問題ないよね?

 ひょっとしたら必要になるかもしれないけど、使うことになるとは限らないんだし。


「はい」


 灯も自分の携帯を取り出すと、水木のアドレスを入力し始める。

 真剣に打ち込み、『水木先輩』で登録ボタンを押したとき、突然首筋が熱く感じた。


 パシッ!


 次の瞬間、首筋を電流のような痺れが走り抜ける。

 驚いて顔を上げると、やはり驚いた表情をした水木と目があった。


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