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17、どこまでも一緒に(完結)

 ゆらゆらと揺れている。

 広い背中にもたれ掛かって。

 聞き慣れた心地の良い男性の声と、落ち着いた女性の声を耳にして、徐々に意識が覚醒してゆく。 

 まだ体が鉛のようだ。瞼が重い。

 だけど、最近心に重く圧し掛かっていたものが取り除かれて、気持ちは軽かった。

 耳にする音声が、ぼんやりしている脳に徐々に意味を持って届き始める。


「……で、水木一家は、あの屋敷は手放すそうや。まあ、あんなことがあったのに、そのままあの家に住むなんてでけへんよなぁ」


「水木さんのご両親は大丈夫かしら?」


「ずっと別室で人質として監禁されてたみたいやから、何があったのか、ようわかってないみたいやな。仙狸せんりにとって、最初から利用価値のあるのはあの兄妹だけやったんやろ」


「魂の器と、手駒として……ね」


 一人は関西弁の柔らかな男の人の声。

 いつも私に安心感を与えてくれる。

 ああ、海風の声だ―――と灯は思った。

 

 一緒に話しているのは誰だろう。

 紫苑だろうか。少し違和感があるけれど。

 でも、海風が傍にいてくれるなら、何も心配することはない。


「……うん。あの女の子の霊はあの屋敷に地縛されて、敷地内から動くことはできんかったようやからなぁ。仙狸のヤツもその傍を離れることはなかったんや。専ら水木兄や自分より劣る妖かしを手先に使って、霊力の高い者を探して、灯に目をつけた。灯の霊力を奪うのが難しなってからは、水木兄に灯をこの屋敷に連れてくるよう命じてたようや」


「それにしたって灯ちゃんは彼を信じていたのに……ひどいよ」


「水木兄には妹と違って仙狸の幻覚が効かんかったみたいや。あいつは最初から正気で、灯にも好意を持ってたようやけど、家族を人質に取られては仙狸の言う事を聞くしかなかったんやろな。仙狸を倒すとあいつに誓ってからは『八神さんと家族を助けてくれ』と、すっと道を譲ってくれたわ」


 水木先輩、海風くんに私を助けてと頼んでくれたんだ。

 やはり一方的に裏切られた訳ではなかった。本当は優しい人だったんだ。

 海風の背中で心地よく揺られる灯の表情に笑みが浮かぶ。


 それにしても、海風は自分の事を『灯』と呼んでいたっけ?


「両親が長いこと仕事を無断で休んでた状態やから、なかなかすんなり以前の状態にとはいかんやろうけど、一家4人、命は助かったんや。また家族で一から頑張るやろ。別れ際のあいつは笑顔やったしな」


「うん……。最終的に、みんな丸く収まって良かったね。仙狸とあのお嬢さんも無事成仏できたし。酷い目に合わされたけど、仙狸があの女の子の霊に寄せる想いがあまりに一途でだから、切なくて、憎みきれなかったよ」


「女の子はともかく、仙狸の成仏は難しいと思ったけど……あいつの成仏がうまく行ったのは俺の力じゃない。あの場に満ちていた灯の霊力が持つ浄化の力のおかげやろな。あいつらにしたら、ほんまラッキーやったんや」


 仙狸と女の子も無事成仏できたなら良かった。

 自分の力が助けになったのなら嬉しいと、灯は思う。


「……で、壬生のご隠居様に頼まれた件、全て一段落した訳でしょ? じゃあ、京都に帰るんだよね」


「うん。そやな―――――」


 ―――――京都に帰る。


 いきなり心臓にズキンと痛みを感じた。

 分かっていたことだった。

 海風がいつか京都に帰ること。灯の人生からいなくなってしまうことは。

 だけど、今まで努めて考えないようにしてきたのだ。

 海風に背負われて、その首筋に顔を埋め、その香りに包まれて、ずっとこうしていたいと思う。

 

「『そやな』って……無責任。灯ちゃんはどうするの? 霊力の扱い方も分からないまま海風がいなくなれば、また第2・第3の仙狸に狙われるかもよ。それに、一般的な女子高生にとって、ファーストキスが『人工呼吸』、セカンドキスが『気付け薬代わり』というのはどうなのかしら。ホント灯ちゃんが気の毒で仕方がないわ」


 灯は話の内容に内心激しく動揺したが、目覚めた事が海風に伝わらぬよう、目を瞑ったまま何とか平静に努めた。


「ファーストキスはともかく、セカンドキスの方は、俺なりに気持ち込めたつもりやってんけど」


 飄々とした語り口で、海風が言う。

 そういえば、出会った頃は、その口調が軽く感じられて、どこまで本気か分からなくて、彼を苦手に感じたこともあった。それで、お互いの気持ちがこじれてしまったことも。

 でも、今はそこに照れがあるのが分かる。素直に気持ちが表わせないのだと。

 不器用で、寂しがり屋で、だけど誠実な人。

 彼の言葉に嘘があったことは一度もなかった。

 

 あの戦いの中、体を焼きつくされるような感覚の中で、そっと唇に触れた海風の熱を思い出し、灯はこっそり頬を染める。


「―――せやから、ちゃんと責任取るって。俺は最初からそのつもりやってんから」


 だが、海風のそんな返事を耳にして、灯は反射的に声に出して問いかけていた。


「……『責任取る』って、どういう意味?」


「え!?」と、驚いた海風が肩越しに振り返ると、至近距離で灯と目が合った。

 慌てたように再び前を向いたため、灯に海風の表情は見えなくなった、耳が真っ赤になったところを見ると、照れているようだ。


「ねえ。『責任取る』って?」


「―――灯ちゃん、自分いつから目、覚めてたん?」


「ん……さっきからだよ。で、『責任』って……?」


「そうそう、ちゃんと説明してもらわなくっちゃ」という声に、ふと視線を向けた灯は、そこにいた女性の笑顔に固まった。


 何とはなしに、海風と話しているのは紫苑だと思い込んでいた。

 だが、確かに違和感があった。

 今、見覚えのある自転車を押しながらニッコリ微笑んでいる女性は、どう見ても灯より年上だ。20歳代前半といったところだろうか。

 白いワンピース姿なのは紫苑と同じだが、紫苑がせいぜい灯の胸の辺りの身長だったに対し、目の前の女性は海風とそう差がないように思える。という事は、灯より10cmほど背が高いということを意味する。

 薄化粧だが、目鼻立ちのはっきりした美人だ。プロポーションも文句のつけようがなく、無造作にポニーテールにした艶やかな黒髪は腰まで届きそうだ。

 そんな美女が、海風と親しく言葉を交わしている様子を見て、灯は思わず目を伏せた。


「私、紫苑ですよ。灯ちゃん」


 急にテンションの下がった灯に、美女は苦笑して囁いた。


「……紫苑さん?」


「ええ」


「え!? でも、なんで? その姿……」


「灯ちゃんの霊力のおかげです。あの時、仙狸に力を奪われた私に、灯ちゃんが力を解放してくれなかったら、きっと今頃私は消滅していました」


「……」


 話が読めなくて怪訝な顔をしている灯に、海風が紫苑の言葉を補足した。


「ただ、灯が放出した力が膨大すぎたから、紫苑の力が上がって、そのため見た目も大人になってしもたって訳や。ちなみにあの時、紫苑の霊力を奪っていた仙狸も灯ちゃんの霊力を受け止めきれずに、許容量を超えてしもた。仙狸の力の源は2本に別れた尻尾や。で、既に尻尾を失ってたヤツは、術で体に亀裂を与えるだけで、簡単に弾けて力を失い、ただの黒猫の霊に戻ってしもたって訳や」


「……」


「ホンマびっくりした。多少予想はしとったけど、灯にあれだけの霊力が秘められてたなんて。…でも、爆発的な放出やったもんやから、俺も正直焦ったで。あのまま霊力の放出が止まらんかったら、かなりヤバかったかもしれん。ホント、無事でよかった……」


「うん。……ありがとう。また海風くんに助けてもらったね」


「いや。今回助けてもらったのは、こっちの方や。ありがとう」


 海風から感謝の言葉をもらって、灯は胸が熱くなった。

 泣きたいような気持ちになって、思わず海風の首筋に顔を埋めた。

 

「灯?」と心配そうな海風の様子に、灯は俯いたまま、ふるふると首を振る。


「嬉しいの。私、今までずっと周りの人に心配かけるばかりで…誰かの助けになれたのなら本当に嬉しい……」


「そんなことあらへん。自分で気が付いてないだけや。現に俺はこっちに来てからずっと灯に背中を押してもらってたような気がする」


「そうそう。元々海風はかなりチャランポランな性格なのよ。それがこっちに来て、どんどんマトモモードになっていくんだもん。灯ちゃん効果ね。きっと京都の安部の御当主も喜んでおられるわ」と横から、紫苑が口を挟む。


「やかましいわ」と海風がムッとして睨んだが、紫苑はしれっとした風情で自転車のスタンドを立てた。 そして、灯の肩に優しく触れ、


「じゃあ、邪魔者は退散するわ。灯ちゃん、ちゃんと海風に責任とってもらってね」


と、ニッコリ笑うと、スッと姿を消した。


 ―――――きっと安部の御当主も喜んでおられるわ。


 紫苑の言葉を胸の中で繰り返す。

 さっきぼんやり聞いていた会話。紫苑の『京都に帰るんだよね』という言葉に対し、海風は『うん。そやな』と言っていた。

 にわかに現実味を帯びてきた海風との別れに、灯は胸が締め付けられるような気持ちがした。

 

「目も覚めたみたいやし、チャリで帰ろか。後ろ、乗れる?」という言葉に、頷いて海風の背中から降りる。暖かな温もりが失われて、急に心細くなった。

 海風がサドルに腰を下ろすのを待って、後ろのリアキャリアに横座りし、右手で海風のジャケットの裾を持った。

 すると海風は灯の手を取り、自分の腰に回す。

 その行為が優しくて、灯は思い切って、海風の背に気に掛かっていた事をそっと口にした。


「海風くん……事件が終わったし、もう京都に帰るんだね……」


『寂しくなるね』という言葉を続けることができなかった。何だか泣いてしまいそうな気がして。


「そやな。いつまでも親父と弟に任せきりという訳にもいかんし、今週末にも帰ろうかと思てる」


「今週末!?」


 思ったより早い別れに驚いて顔を上げると、後ろを振り返っていた海風と視線が合う。

 穏やかな優しい眼に見つめられて、灯の心拍数がふいに上がった。


「うん。―――――その時、灯にも来て欲しい。俺と一緒に」


「え?」


「責任持って、これからも灯のこと、守るから。そやからずっと傍におって」


「……」


「学校は転校せなあかんけど。転校先は何とでもなる。京都では阿部家って結構顔効くし」


「で、でも」


「俺んち、家だけは広いから、部屋もなんぼでもあるし、遠慮いらん」


「そんな。海風くんが私に責任感じることなんてない。『ずっと』って……赤の他人の私が海風くんの家にお世話になるなんて、家族の方も変に思うよ……」


『灯にも来て欲しい。俺と一緒に』と。


『ずっと傍におって―――――』と。


 思いがけない海風の言葉に、灯は素直に喜びを感じた。

 だけど、海風の言葉の意味を取り違えたくはなかった。

 そんな揺れる灯の心中に、海風はさらりと衝撃的な言葉を落とす。


「ほな、灯は俺の婚約者ってことで」


「こ、婚約者!?」


「ん。そやかて俺、まだ17歳で結婚できひんもん」


「で、でもそんな大切なこと、家族にも内緒で簡単に決めたりするのは……」


「『簡単に』とちゃうよ。でもきっと俺、これからもっと灯が好きになる思うんよ。俺には宇宙そら兄みたいに未来を見る力はないけど、これは何となく確信持ってるんや。……それとも灯は俺のこと、嫌いなん?」


「嫌いじゃないよ!」


「じゃあ、好き?」


「え……」と呟いたきり、灯は恥ずかしくて顔を伏せた。だが、チラリと覗くと、耳まで真っ赤に染まっていて。それを見ただけで海風は満足した。


「それに灯は霊力をコントロールすることを学んだ方が良い。清明神社の現神主はかなりの霊力の持ち主やし、きっと良い先生になってくれるわ」


「でも、私きっと海風くんに迷惑かけると思う。……今までもずっとそうだったんだもの」


「そんなこと、あらへん」


「海風君にも怪我させてしまったでしょう? 私って昔から、そんな疫病神みたいなところがあるの」


「でも、それ以上のもん、灯は周りに与えてるやん。……俺、宇宙そら兄が事件に巻き込まれてから、毎晩のように、その夜の夢を見た。いつも俺の代わりに出かける兄貴を止められへん。ずっと罪悪感を抱えて生きてきたんや。だけど、入院した夜の夢で、宇宙兄が初めて笑ってくれてん。そんで『海風と大地だいちはいつでも俺の自慢の弟や』って言ってくれたんや。以前の優しかった兄貴に本当に久しぶりに会えた気がした。で、夢から覚めたら、灯が俺の腕を抱きしめてくれてて……ああ、そのせいかと思った」


「それって…。あの時『センチメンタルな夢を見た』って言ってたのは……」


「うん。宇宙そら兄の夢」


「……」


「俺、灯と話してるだけで、穏やかで幸せな気分になるゆうたけど、あれお世辞でも何でもあらへんし。なんか長い間、ずっと闇に捕らわれてた。逃れられず、もがいて諦めて……そんな時、足元に差し込んできた一筋の光なんや、灯は。…これからもずっと一緒にいたい思ってる」


 そして、サドルに腰掛けたまま、リアキャリアに座る灯の瞳をいつになく真面目な顔で覗き込んだ。


「俺、灯のこと、好きや。たぶん初めて会った時からずっと好きやった―――――」


 腰に回している手に重ねられた海風の手の温もりに力を得て、灯はぐいと背を伸ばすと、振り返っている海風の瞳を覗き込んだ。


「私、ほんとに海風くんのお荷物になってない?」


「うん」


「海風くんの・・・力になれる?」


「もちろんや」


「……じゃあ、私も海風くんと一緒にいたい…。私も海風くんがす……」


「!? えっ?」

 

 自転車がぐらりと揺れて、驚いた灯は海風の腰に回した腕にギュッと力を込めた。

 海風が踏ん張っていた足の力を突然抜いたために、二人を乗せた自転車は転がるように坂を下り始めたのだ。

 すぐに海風がバランスを取ったが、自転車は滑るように加速する。

 灯の決死の告白は、最後まで綴られることはなく、悲鳴に取って代わる。

 だけど、言わんとすることは、海風にはちゃんと伝わったようで。


 風が唸りを上げて、後ろに過ぎていくさまに、灯が思わず海風にしがみ付けば、海風が明るい声を上げて笑った。

 ハンドルをちゃんと握った海風の運転は、スピードこそ出ているが、自信ありげで灯もいつしか一緒に笑い出す。


 竹林の木漏れ日が、視界の至る所で明るく踊っている。

 この竹林を抜ければ、道は新興住宅地に抜け、灯の住む町へと続いていく。


 風の術を使う、風のような人。

 いつの間にか傍にいて、包み込んでくれる。

 時にはそのペースに巻き込まれ、振り回されてしまうけど。

 だけど、それが嫌でない。

 ずっと傍にいられたらと願う。


 長い坂を、どこまでも、どこまでも風のように駆けていく。

 二人一緒なら、どこまでも遠くに行けるような気がした。




                   ( 完 )


最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

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