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16、死闘(2)

「ああ・・・これほどの霊力とは―――」


 仙狸の嬉々とした声が聞こえる。

 霞む視線の中、仙狸の闇色の毛並みが金色を帯びる。

 体中の力が、捕らわれている腕からどんどん抜けていく気がした。


「あ・あ・あ・あっ・・・・!!」


 同時に、紫苑に眠らされた筈の小夜が突然身を捩って苦しみだした。

 紫苑を弾き飛ばした尾が小夜の腕に絡みついている。

 灯から力が抜けるほど、小夜の苦しみが増すようだ。

 まるで、仙狸の2本の尾を電流が流れるように、自分から奪われた力が、小夜に激しい影響を与えていることだけは、灯にも分かった。


 仙狸は小夜のことを”お嬢様”を蘇らせるための『器』だと言った。

 身を持って罪を償って当然と言っていた。

 小夜の身に何かあれば、兄である志樹は悲しむだろう。

 小夜を守りたいのに、

 何とかしないといけないと思うのに、体が言うことをきかない。


 海風くん・・・ごめんね。

 一人で行動したらいけないって言われたのに、言うこときかなくて。

 でも、水木先輩を放っておけなかった。

 後で後悔するのはわかっていたから。

 かと言って、退院したばかりの海風を危険な目に合わせる訳にはいかなかった。

 助けを求めれば、海風はきっと無理をして、灯に手を差し伸べてくれるのは分かっていたから。


 涙で視界が歪む。

 意識が遠くなる。

 もうダメだと思ったその時―――――。


「……―――――させない!!」


 壁に叩きつけられ、伏せた床から身を起こした紫苑が、渾身の力を込めて右腕を振り上げた。

 たちまち風が唸りを上げ、刃となって、灯の腕を捕らえている仙狸の尾を切断する。


「チッ!」


 床に倒れこんだ灯を再び仙狸のもう一本の尾が襲ったが、それも紫苑の一閃に阻まれる。

 次の瞬間、パリンと音がして、闇色をしていた窓ガラスにヒビが入り、スッと光が差し込んできた。


「灯―――――っ!!」


「くっ……もう少し、もう少しで、お嬢様が復活なさるのだ。こうなったら直接私の牙で、あなたの霊力と生血を頂くまで!」


 ずっと聞きたかった声が、自分の名前を呼んだ時。

 黒い獣が目にも止まらぬ速さで、弾むように灯に向かって跳躍した。

 やっと腕を解放されたものの、まだ体は痺れたように動かない。

 逃げられないと、恐怖にギュッと目を瞑って、次に自分を襲うであろう衝撃を覚悟する。

 だが、予想に反し、仙狸の牙が灯に届くことはなかった。


「し…紫苑……さん!?」


 恐る恐る目を開けた灯の視界に映ったものは、灯を守るように両手を広げて立つ紫苑の後姿とその肩口に噛み付いた仙狸だった。

 紫苑の肩から鮮血が滴る。

 紫苑の肩越しに灯に向けられた仙狸の目が、笑ったように細められた。

 仙狸の黒い毛並みが逆立ち、金の色を帯びる。 


「ぐっ―――――!!」


 紫苑が苦痛の呻きを上げる。

 灯を庇った両手が力を失い、ダラリと下がる。

 見る見る紫苑の体から精気が失われていくのが分かった。


 紫苑は式神だ。

 神の眷属である式神は霊力も高い。

 仙狸は必要な霊力を灯からではなく、窮余の策として、紫苑から奪うことに決めたのだ。


「だめ―――――っ!!!」


 灯は反射的に紫苑の背に抱きついた。

 紫苑を殺させる訳にはいかない。

 どうしても守りたい。

 どうしても。


 突然、カッと灯の全身が燃えるように熱くなった。

 抑えきれない何かが、体の中心から急激に溢れ出る。

 経験したことのない感覚に、恐れを感じる。

 だけど、本能的に、紫苑を、小夜を守るためにはこの衝動を抑えてはいけないことを、灯は悟っていた。

 ギュッと目を閉じ、熱を帯びる体の中心に意識を集中する。

 体が熱い。空気が熱い。何もかもが焼けるようだ。


 綻んだ結界をようやく打ち破り、広間に飛び込んだ海風は凄まじい霊力が弾け飛ぶ光景に息を呑んだ。

 その中心に灯がいる。

 霊圧に逆らいながら、焦る気持ちを抑えながら、ジリジリと灯に向かって進む。


「―――灯、あかん! 力の放出を止めるんや!」


 後ろから包み込むように抱きしめた。

 霊圧に腕が焼けるようだ。

 でも、離さない。何度も繰り返し、灯の名を呼ぶ。


 暖かく響く声。懐かしく優しい声。


「……遅なってゴメン。でも、もう大丈夫や。…ええから、紫苑から手を離すんや。力を抜いて―――」


 頭だけ振り向くと、心配そうな海風の顔があった。

 言われたように、紫苑から手を離すが、力の抜き方がわからない。

 燃えるような熱の治め方がわからない。

 それどころか、どんどん熱は高まっていくばかりで。


「落ち着いて、大丈夫やから。……これ以上霊力を使ったらあかん」


 そんな事を言われても……何がどうなってるかも分からない。

 息が苦しくなってきた。

 徐々に視界が暗くなっていく。

 灯は、前に回された海風の腕、そのジャケットの袖口をキュッと握り締めた。


「…灯、ゴメン!」


 突然クイッと顎に手を添えられ、上を向かせられると、暖かい感触を唇に感じた。


 ―――――――キス?

 ど…うして……?


 そっと触れただけのキス。

 だが、灯はキスをされていると自覚した瞬間、全身の熱が顔に集中した。

 何も考えられなくなって、体中から力が抜け、足から崩れそうになったところを、海風に支えられる。


「大丈夫か? 良かった、なんとか間に合ったみやいやな」


 海風にぎゅっと強く抱きしめられる。

 灯は何も答えられなかった。

 あまりに疲れすぎてしまって、返事をしたくても声も出ない。

 顔を上げるのも億劫なほど、力が入らない。

 そんな灯に、安心させるように頷いた後、灯を庇うように立った海風は、剣呑な眼差しを仙狸に向けた。


 懐から呪符を取り出す。

 海風の動きに合わせ視線を仙狸に向けた灯は、魔獣の変わりように目を見張る。

 しなやかな黒豹のような姿は、容積が膨れ上がって、2本の尾を失った仙狸は、まるで丸々と太った巨大な黒牛か黒豚のようだった。

 動きも鈍く、ジリジリと後ずさると、赤い眼を細め、唸り声を上げた。

 

「えらい目に合わせてくれたな。灯ちゃんと紫苑を痛めつけてくれた礼、きっちりさせてもらうで!」


 海風が呪符を目の前に掲げると、仙狸はクルッと体を変え、床に倒れている小夜に踊りかかった。


「お嬢様―――――!!」


「そうはさせへん!―――――『裂!!』」


 呪とともに、海風が放った呪符は刃となり、仙狸の首筋と脇腹を切り裂く。

 パッと鮮血が散ると同時に、魔獣の傷口からブオッと何かが吹き出た。

 膨れ上がった風船の空気が抜けて萎むように、シュルシュルと音を立て、見る間に仙狸は萎んでいく。

 

「傷口から抜けていってるのが、あいつが灯から奪った霊力や。それさえ失ってしまえば、二股を失った仙狸など恐れるに足らんわ」


 気を失っている小夜のすぐそばで、体から全ての霊力が抜け、床に寝そべった状態の仙狸は、体長50cmほどの、ごく普通の黒猫に見えた。

 ただその瞳は燃えるような不思議な赤で、威嚇するように唸り声を上げている。



 周りの光景は、先ほどと随分変わっていた。

 豪華で煌びやかな室内は、いつの間にか廃墟と言って良いほど、荒れた様相を呈していた。

 家具は消えうせ、壁や床はもう何十年も捨て去られたように、所々朽ち果てている。 ただ、壁に飾られた絵は、かなり色あせてはいたが原型を留めていて、黒猫を抱いた少女の笑顔が逆にとても切なかった。


 視線を足元に落とした灯は、違和感を感じた。

 さっきまで灯を守ってくれていた紫苑の姿がないのだ。

 ただでさえ霊力を奪われて貧血のような頭が回らない状態なのに、本当に血液がサアッと下がって、心がパニックになった。

 支えていなければ間違いなく倒れてしまう様子で、なのに急に腕の中で身を捩りだした灯に、海風は正確にその心中を察したようだった。


「紫苑なら、大丈夫やで。顕現してんのは、それだけで霊力を使うから、今は姿が見えへんようなっただけや。紫苑を守ってくれて、おーきに、な。今チャッチャとあいつを片付けるさかい、ちょっと待っててや」


 紫苑が無事だと聞いて、灯はホッとした。

 妖かしを調伏するのは、陰陽師である海風の得意分野だ。

 このまま仙狸を滅せば、この事件も落着する。

 貧血の者が睡眠を必要とするように、安心した灯の意識も飛びそうになる。

 だけど、何かがずっと心の奥に引っかかっていて、現実に意識を繋ぎ止めていた。


 再び海風が呪符を取り出し、呪を唱え始めたとき、仙狸の前の空気が揺らめいた。


『…お…がい……。クロ…を……祓わ…な…いで…。闇の世界にやらないで…』


 驚いた灯が目を凝らして見つめると、まるで磨りガラスを通して見るように、微かな人影が浮かび上がる。

 クロというのが、仙狸の生前の名前なのだろう。

 すると、この影は仙狸が言っていた「お嬢様」に違いない。


 今まで妖かしが全く見えなかった灯に、なぜ見えるのか。

 己の内に閉じ込めていた霊力を解放したためか、こうして霊力の高い海風に触れているからか良く分からない。

 だが、心の隅に引っかかっていたものが、はっきり胸の中に形作っていった。


 人間は、この思い出深いお邸を破壊し、お嬢様や私の安らかな眠りを妨げたと、仙狸は言っていた。

 中途半端に目覚めたお嬢様の魂を蘇らせるのが、自分の宿願だとも。


 仙狸の主人であった少女の霊魂は、やはりこの世を彷徨ったままなのだ。


 ただ大好きな主人を救いたくて。守りたくて。

 その想いから、妖かしに身を落としたのだとしたら―――――。


「そうはゆうても、何の落ち度もない灯に、今までそいつがしてきた仕打ちは許されへんで。それに、一度妖かしに身を落とした霊魂が成仏するのは難しい。でも、放っておく訳にもいかんやろ」


 海風が影に向けて、低く言葉を言い放つ。

 声の加減から、彼がかなり怒っていることが分かる。


『…ごめんな…さい。…そうですよね。……では…せめてわたくしも…クロと一緒に滅して…ください。クロ…と…一緒に祓って……』


 ダメ―――――。

 灯は気力を振り絞り、腕を伸ばして呪符を持った海風の手に自分の手を重ねた。


「灯!?」


 ゆるゆると首を振る。

 海風が怒っているのは、灯のためだ。

 灯は、確かに仙狸にずっと付け狙われ、命を脅かされてきたのだ。

 しかも灯の周りの人たち―――海風や紫苑、水木志樹や小夜兄妹も危険に陥れてきた。


 だが、その理由は、仙狸の影の少女に対する深い想いだった。

 単に飼い猫が主人に寄せるような忠心を超越した、まるで永遠の恋人に自分の全てを捧げるような一途な気持ち。

 飼い主であった少女も、深い愛情を自分の猫に返していた。

 それを考えると、灯は怒りよりも切ない気持ちで胸がいっぱいになった。


『すべて…わたくしの…ためだったのです。本当は…とても優しい子だったのに……。わたくしが死んだ時、……両親は火葬するに忍びず、敷地内に小さな礼拝堂を建て、地下にわたくしを安置したのです。わたくしの後を追うように亡くなったクロも、両親の計らいですぐ傍で一緒に眠りについていました。……でも、その礼拝堂が壊されてしまって…目覚めたわたしくしの魂は、成仏もできず、この屋敷を離れることもできず、…地縛霊となって彷徨うばかりでした。……クロはそんなわたくしを救おうとして…わたくしがあの子を魔獣にしてしまったのです。……あの子一人を闇にやるわけにはいかない。…せめてわたくしも一緒に……』


「そりゃあ、…事情を聞けば、気の毒やと思うよ。幸い、あんたはまだ闇に染まっていない。祈祷によって、光の道に戻ることができるやろ。仙狸のことは諦めぇや。一度闇に呑まれたものが光の道を歩くのは難しい。仙狸もあんたを闇に落とすのは望まんはずや」


『いいえ…どうしても…一緒に……』


 影が項垂れ、空気が震える。

 灯は重ねていた海風の手をキュッと握った。

 海風が困惑した視線を灯に向ける。

 途切れそうになる意識を振り絞り、灯は視線を重ねた。


「海風くん…お願い、女の子と…仙狸さんと…一緒に御祈祷を……。大丈夫…こんなに温かい気が…満ちて……いるんだもん。…きっとうまく…いくよ」


「アホ! 『温かい気』って、それは仙狸から放出された灯自身の霊力やん。どこまでお人好しやねん。…確かに今ここは神社の境内のような、清冽な気に満ちてるけど……あいつらが灯にしたこと思い返してみぃや。同情なんて感じる必要あらへんって」


「でも…」


 酷い倦怠感に言葉を連ねるのが辛くて、灯は微かにまた首を振る。

 海風は、今まで仙狸が灯の命を脅かしてきたことに対し報いを受けて当然だと考えている。

 だが、もういいのだ。

 知りたかったのは、なぜ自分が命を狙われるのか。

 願ったのは、健康で平安な生活だ。

 幸いなことに、灯は今も生きているのだし、水木志樹の一家も寸でのところで救われた。紫苑も海風も無事だった。

 仙狸が力を失い、今後の自分の生活を脅かさないと約束するなら、それで十分だ。

 お互いを想い合う、二人を引き離し、それ以上の復讐をしたいなどとどうして思うだろう。


 自分の気持ちをうまく伝える術がなくて、もどかしくて、海風を見つめる瞳に涙が浮かび、ぽろりと一筋零れた。

 そんな灯の反応は海風の予想外で。

 驚いたように一瞬目を見張った。

 灯の背中に回された海風の腕から、灯を支えられる程度に徐々に力が抜けていった。

 そして、手にした呪符をジャケットの懐にしまうと、ガシガシと髪を掻き毟った。


「ああ~~~っ! 分かったから!! うまくいくかどうか分からんけど、とにかくやってみるから、もう泣くな!」


 ぶっきらぼうにそう言うと、海風はそのまま灯を部屋の隅に連れて行き、ゆっくり壁に持たせ掛け座らせた。

 それから内ポケットから、数珠を取り出すと、仙狸と少女の霊に向き直った。


「今から二人を成仏させる。邪な気持ちを持ったままやったら、うまく行くもんも行かん。自分らが今までやったこと、しっかり反省しぃや」


 そして、灯をちょっと振り返り、「……うまく行かんかっても、がっかりしたらアカンで」と呟いた。

 灯はクスッと微笑むと、重い瞼をゆっくりと閉じる。


 海風がその気になったのなら、もう大丈夫だ。

 辺りに漂う温かい気配に、張り詰めていた心が緩んでいく。

 海風の柔らかい声が、真言を唱えるのを穏やかな気持ちで聞きながら、灯の意識はいつしか夢の世界に落ちていった。



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