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15、死闘(1)

 海風の耳元で風が唸る。

 水木志樹の太刀筋は鋭いが、所詮は趣味の延長にあるものだ。

 海風が生業を前提に、幼少の頃から様々な場で鍛え上げられてきたものとは違う。

 先日のように不意を突かれるのでなければ、その攻撃を避けるのは難しくはなかった。

 

「やめろ。おまえを傷つけとうない。このまま俺を行かせろ」


「ダメだ。そんなきれいごとを言うな! 君を倒さなければ、僕は大切な者を失うんだ。―――――君こそ、八神さんを守りたいなら、本気で僕を倒せ!」


「俺を倒して、それで本当に守れんのか? おまえの大切な者を。俺を倒したところで、おまえらがヤツから自由になれる補償はないで。おまえの大切な者とは水木小夜……お前の妹のことやろ?」


「そうだ。……それに両親も。……家族を死なせるわけにはいかないんだ」


「かわいそうやけど、おまえの妹の精神は既にほとんど喰われてしもてるようや。おまえもヤツが人間やないことぐらい分かってるんやろ? 俺を足止めしてる今にも、完全に心は死んでしまうやろう。例え肉体的に生きているように見えてもな」


 海風の言葉の衝撃に、志樹の動きが一瞬止まる。

 その機を逃さず、海風は懐から呪符を取り出し宙に投げると、素早く五芒ごぼうを描いた。

 足元から、ぶわっと空気が爆ぜるように風が巻き起こる。

 二人を取り巻く竹林が大きく揺れ、ザワザワと騒いだ。


『縛!』

 

 海風の声とともに空気の渦に羽交い絞めされ、志樹は動きが取れなくなった。

 だが視線は海風を睨み付けたまま逸らさない。

 

「くそっ、―――――こんな事ができるなんて……君も人間じゃないのか?!」


「いーや、俺は正真正銘の人間やで。ちょっと古から伝わる秘術を使えるだけのな。俺から見ればおまえの方が人間やない。おまえを信じとった灯の気持ちを裏切りよって。それが人間のすることか!」


「君に何がわかる。……僕だって、平気じゃないさ。でも、どんな状態でも、僕は家族を見捨てるわけにはいかないんだ。何を対価にしても……例え僕の命をかけても……守らなくてはならないんだ」


「……その気持ち……命を賭けてでも誰かを守りたい気持ちは、今は俺にもわかる。なぜなら、きっと俺は、おまえが妹を想う以上に、灯を想てるさかいな。だから譲られへん」


「―――」


「灯を犠牲にはさせへん」


「――――だけど!」

 

 必死の形相で身を捩る志樹から丘の上の西洋館へ、海風は視線を移した。


「おまえには感じられないだろうだろうが、妖かしの臭いがプンプンや。さっき灯とおまえの妹の気配も飲み込まれて読めなくなった。……時間はかけてられへん」


 再び志樹に視線を戻し、海風が『解!』と唱え両の手を広げると、風の戒めが解かれ、志樹はがっくりと両膝をついて崩れ落ちる。

 海風は志樹に近付くと、いきなりその胸倉を掴み、容赦なくその頬を叩いた。


「目を覚ませや。……おまえは二つ、大きな間違いをした。一つは灯の信頼を踏み躙ったことや。あいつはおまえを心配して、危険を承知であの洋館に行ったんや。人として、俺はおまえのやり方が許されへん」


 志樹が視線を落とす。


 海風にとって灯は、暗闇に、いつの間にか差し込んできた一筋の光だった。

 癒してくれる、温めてくれる、そして導いてくれる光。

 今は淡い光でも、いつかかけがえのない標になる予感があった。


「……それにもう一つ。もし、おまえの家族を救える者がいるとすれば、それはおまえやない。俺や」


「君……?」


 訝しげな表情で、志樹が海風を見上げる。

 海風はニヤッと笑って答えた。


「ヤツは俺の生業については何も明かさんかったようやけど。俺は陰陽師。妖かしを祓うプロや」




 * * * * *




 誰かのすすり泣く声に、意識が覚醒する。

 周りを見回せば、アンティックな家具の置かれた広い1室に、灯はいた。

 昼間の筈なのに、窓は真っ暗で外の景色は見えない。

 ただ高い天井に吊り下げられた豪華なシャンデリアが冷たい光を辺りに投げかけていた。

 隣で小夜が震えながら、顔を伏せている。


「大丈夫?」と肩を軽く揺すると、小夜は歪めた泣き顔を上げた。


「お……お兄ちゃんはどこ? 助けて…怖い……」


 傲慢とも思えた態度が180°変わっている。切羽詰ったような様子に、灯も戸惑う。―――その時。


「困りますね。お嬢様を惑わせないで下さい」

 

 聞きなれない冷淡な男性の声が耳を打つ。

 振り返ると黒のベストに黒のズボンを身に着けた長身の男性が、微笑みながら片手をこちらに差し出す。

 ゾワリと背中が粟立った。


「さあ、こちらへ。お嬢様」


「い…嫌……」


「我侭をおっしゃらず……さあ、こちらへ」


「……」


 それまで恐怖に震えていた小夜の表情がスッと失われる。

 震えが止まり、瞳の彩が消える。


「小夜さん!?」


 灯の手を振り払うように立ち上がり、小夜はまるで操られているかのように、ゆっくり執事の前まで歩いていく。

 男は満足そうに表情を緩ませ小夜の手を取ると、灯を見据えた。


「……いらっしゃいませ、八神灯さん。ようやくあなたにお会いすることができて、嬉しいですよ。これでやっと私の宿願が果たせます」


「宿願?」


「お嬢様を蘇らせることです。あなたの霊力があれば、それは可能だ」


 冷たいものが背中を流れる。

 男の冷たい視線を受けて、一瞬気が遠くなりかけ、辛うじて現実に踏み止まった。


 闇に取り込まれる前に見た紫の蝶。

 あれは紫苑に違いない。

 ということは、海風は灯の危機に気づいているということだ。

 きっと海風は来てくれる。

 そのために今必要なことは、時間を稼ぐことだ。


「あなたの狙いは私でしょう。だったら、小夜さんは関係ないはず。彼女は解放しなさい」


 恐怖を押さえ込んで、灯は男の目を真っ向から睨み返した。

 男はクスクスと心底呆れたように笑った。


「呆れた人だ。この兄妹はあなたを陥れたというのに、憎むどころか庇うとは。さすがは巫女の血を継ぐ者」


「巫女の血?」


「ええ。私はあなたのおばあさま、さらにはそのおばあさまも存じております。霊力が桁外れに高いだけではなく、その人柄も高潔でした。あなたはお二人に似ていらっしゃる。しかも潜在的な霊力は、二人を遥かに上回っておられます」


 男は小夜の手の甲に軽く口付けをすると、そっと手を離し、灯に一歩近付く。


「……この娘を解放することはできません。この娘はお嬢様の大切な器ですから」


「うつわ?」


「はい。お嬢様に再び生を吹き込むには3つの物が必要なのですよ。このお屋敷に漂うお嬢様の魂と……」


 部屋の中程の空間に手を差し伸べ、


「器と……」


 傍らの小夜に視線を向け、


「それと……二つを融合させるためのあなたの霊力です」


 男は灯に視線を戻し、ゆっくりと向き直った。


「この娘の一家は許されない罪を犯しました。この思い出深いお邸を破壊し、お嬢様や私の安らかな眠りを妨げた。……この娘は、身を持って罪を償って当然。お嬢様の器になれるのですから、むしろこの上なく光栄な事なのです」


 狂っている―――――。

 でも、相手は人間のような姿をしているが、人間ではないのだ。

 人の常識や理性を妖かしに求めても、無理というもの。

 それより、今一番大事なことは時間を稼ぐことだと、灯はグッと奥歯を噛み締めた。


「お嬢様というのは一体……」


「150年前、このお邸にお住まいになっていた華族のお嬢様です。お美しく、ご聡明で、とてもお優しい…この世にまたとないお方でしたのに…あなたと変わらないお年で、儚くなってしまわれた。…あの肖像画がお嬢様です」


 ちらりと壁に飾られた肖像画を見る。

 何枚かの絵の中に、小夜に良く似た美しい少女が膝に黒い猫を抱き、柔らかい笑顔を浮かべ、こちらをじっと見つめていた。


「…人間は傲慢にもこのお邸を暴き、破壊し、私たちの眠りを妨げました。中途半端に目覚めたお嬢様の魂をこの世に定着させること…あなたの霊力なら可能でしょう。人は死に至る瞬間、無防備になります。その瞬間に霊力を頂こうと尽くしましたが、忌々しい陰陽師の若造に邪魔され、手出しができなかったのです。この娘の兄に命じて、黒水晶を使って、徐々に霊力を奪うことも試みたのですが、あなたの守りの力が強く失敗しました。…ですから、この娘に守りの力を奪わせたのです。あの勾玉に、妖かしは手を出せませんから」


 話を続けながら、一歩二歩と男が灯に近付いた。

 それに合わせ、灯も一歩二歩と後退した。

 しかし何度か繰り返すうち、トンと壁が背に当たり、逃げ場を失ったことに気づく。


「今こそ……あなたのその命と霊力…お嬢様のために―――――」


「嫌!!」


 灯は伸ばされた手を振り払って、壁沿いに逃げた。

 部屋に二つあるドアのうち、一つのノブを掴んでガチャガチャ回そうとするが、ドアは固く閉じられたままだ。

 

「無駄です。このお邸は完全に閉じられていて、外の世界とは遮断されているのです。逃れるすべはありませんよ」


 背後に男の気配を感じ、慌てて壁沿いに駆け出す。

 男は目を細め、笑いながら、しかし焦る様子もなく、灯の後を追う。

 まるでネズミを追い詰める猫のように、楽しげに。

 灯はもう一つのドアのノブに飛びつくと、開けようとしたが、ドアはやはりビクともしなかった。


『……万一、危険な目に陥ったら、その時は俺の名を呼んで。―――――』


 そう言ってくれた海風の真面目な口調と、真摯な瞳の色が灯の脳裏を過ぎった。

 絶体絶命の危機に想いは溢れる。海風の元へと。


「助けて! み・・・海風!」


 瞬間。空気が揺れ、フッとシャンデリアの明りが瞬いた。

 それまで余裕を見せていた男の顔が歪む。


「…あの小生意気な陰陽師を引き止めるのに失敗したようですね。…邪魔が入る前に、済ませてしまいましょう。遊びは終わりです」


 その言葉とともに、灯は突然後ろから、何かに拘束され動けなくなった。

 振り向くと、虚ろな顔をした小夜が灯を羽交い絞めにしていた。

 

「やめて。小夜さん!」


「無駄です。彼女にあなたの声は聞こえない」


 男の瞳の光彩が細くなる。

 それは男が人でなく、異形のものであることを示していた。

 動きが取れない灯に、男が近付いてくる。


「み、海風・・・海風、海風・・・」


 恐怖に折れそうな心を、呪文のように海風の名を呼び、彼の笑顔を思い浮かべることで、かろうじて繋ぎ止める。

 ふと絶望に取り込まれそうになる灯の視界を、紫の蝶の影が過ぎた。 


「紫苑さん!」


 そのまま男が喉を目掛けて喰らい付こうと迫るのを感じ、灯がギュッと目を閉じた瞬間。

 フワッと体が浮いた。

 誰かに抱きかかえられ、宙を舞うようにして、灯は部屋の反対側に着地した。

 スッと守るように灯の一歩前に出たのは、小学生の姿―――詩織の姿をした紫苑だった。


 こちらを振り返った男の横に、小夜が倒れているのが見える。


「紫苑さん、小夜さんは?」


「…これ以上心が喰われてしまわないよう、少しの間眠ってもらっただけです。海風は邸の外まで来ています。さっきの振動は海風が邸の結界を破ろうとしたもの。灯さん、もう少し、頑張って」


「ええ」


 やはり海風は来てくれたんだ。

 そう思っただけで、心が満たされる。勇気が湧いてくる。

 すぐそばに紫苑もいてくれる。

 一人じゃないという思いが、灯の心持ちを強くする。

 相手の男がみるみる獣に変化していく様子も、冷静に眺めることができた。


「黒豹?」


 体長3メートルほどある真っ黒な獣。

 強いて言えば、その姿は、黒豹に似ている。

 ただ、その毛並みは長く逆立ち、尻尾が二股に分かれている。

 光彩の細い真っ赤に染まった眼は、それが通常の血の通った動物ではないことを示している。

 灯の呟きに、紫苑は「いいえ、仙狸せんりという名の妖かしです」と答える。


「もともとこの邸に飼われていた黒猫が長寿の末変化し、神通力を身につけたのでしょう。人の精気を吸い取ったり、人を喰らって成りすますとか。気をつけて下さい―――」


 紫苑が言い終わらないうちに、仙狸の前足の鋭い一閃が灯を襲った。

 だが、直前に紫苑に引かれて、その体はふわりと宙に飛ぶ。

 まるで重力を感じない。

 それが紫苑の持つ力の一つなんだろう。


 着地するところを見計らったかのように、次の攻撃がくる。

 それを右に左にと際どいところでかわすが、灯を庇っているせいで、どうしても防戦一方になる。

 時折、タイミングを計って、紫苑は灯を支える反対側の手を、仙狸に向かって水平に薙ぎ払った。

 風が空気を裂き、刃となって襲い掛かるが、仙狸にたいしたダメージは与えられないようだった。

 

 仙狸の攻撃をかわし、幾度目かに着地した時。

 着地した足に痛みを感じて、灯の体はグラリと傾いた。

 

「危ない! 灯さん、頑張って。あと少しで海風が屋敷の結界を破るから」

 

 振り返って灯を支える紫苑の隙を仙狸は見逃さなかった。

 サッと仙狸の2本の尾が伸びると、1本が紫苑の体を横払いに弾き飛ばす。


「紫苑さん!」


 とっさに紫苑に伸ばされた灯の腕に、もう1本の尾がスルスルと巻きついた。

 そのままグイと天井に向かって引っ張られた腕が焼けるように熱くなり、激しい痛みが駆け抜ける。

 灯は半ば宙吊りになった状態で、身動きが取れなくなった。



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