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14、対峙

 長い坂道の果てに、水木の住む西洋館はあった。

 新興住宅地から外れ、さらに竹林を左右に眺めながら、車一台がやっと通行できるだらだら坂を上っていくと、急に視界が開け、古い門柱が目に入る。

 

 鉄柵の向こうに見えるのは、神戸の異人館通りにあるようなレンガ造りの壁に尖塔のある立派な邸宅だ。

 だが、近頃水木一家が住んでいるという割りには、ほとんど手入れがなされていない、荒れ果てた印象を受けた。

 門扉からエントランスに向けてのアプローチには伐採の跡もあり、石畳が夏の日差しを受けて白く輝いている。

 だが、敷地内の木々も鬱蒼と生い茂っており、建物のレンガも多くは蔦で覆われている。

 窓にも厚い鎧戸が下ろされたままだ。

 屋根の上の風見鶏は錆付いているようで、風を受けてもビクリとも動かず、鈍い光を放っている。

 長い間人に忘れ去られ、眠り続けてきた屋敷という印象を否めなかった。


 本当にここに水木一家が住んでいるのだろうか。

 ひょっとしたら、場所を勘違いしたのかもしれない。


 錆付いた、しかし車2台は横幅があろうかと思われる立派な鉄門の間から中の様子を探りながら、灯がそんなことを考えていたとき、突然、「ギ、ギ、ギ、ギ、ギ……」と音を立てながら門が開いた。


 吃驚して、思わず数歩後ずさる。

 じっと耳をすませても五月蝿いくらいのセミの鳴き声が聞こえるばかりだ。

 だけど、自分を見ている誰かの視線を感じる。

 灯は迷いを振り切るように、門の隙間に体を滑り込ませた。


「いらっしゃい。お待ちしてましたわ」


「!?」


 ホッとするまもなく、かけられた言葉にギクリとする。

 いつの間に現れたのか、目の前のエントランス脇に水木小夜が立っていた。

 にっこり笑みを浮かべながら、一歩一歩灯の方に歩いてくる。

 

「私は……水木先輩がお休みされているって聞いて……」

 

 ジリジリ後ずさるが、門扉に当たって、それ以上下がれなくなった。

 いつのまにか開いていた扉は閉まっている。


「兄の事を心配してここまで来て下さったの? 本当に灯さんって……お優しいのね」


 小夜は目の前までやってくると、灯の手をとって、胸の前で握り締めた。

 

「でも大丈夫。……兄ったら、確かに一時期あなたに味方して、あの方のご不興を買ったりしたけど、少しお仕置きされたら、すっかり心を入れ替えたの。今は従順なしもべとなってるわ」


「え?」


「でも、元々それが兄の役回り。ご存知かしら、兄はあのお方の命令であなたに近付いたのよ。黒水晶にあなたの霊力を取り込んで、あの方にお渡しする。そのために。・・・一度目はうまくいったのよ。でも、陰陽師の守りの力のために、二度目は失敗したわ。だから先日私が灯さんに近付いたの。守りの力を奪うために」


 出会いがしらぶつかって、倒れた灯を保健室に運んでくれた―――――それが、水木志樹との出会いだった。

 ぶつかって倒れて、相手を見ようとしたら、額に何かが触れて……灯は気を失ったのだ。

 海風が心配して、その夜から水晶のお守りを貸してくれた。

 そういえば、その数日後、偶然帰りに水木と会い、水木のメアドを携帯に登録しようとしたとき、首筋にすごい静電気を感じた事があった。

 あの後、水木は強引に灯を自分の家に連れて行こうとしたが、突然現れた紫苑に助けられたのだ。

 あれは故意の仕組まれたものだったのか。


「……やっぱり、あなたが海風くんの水晶のお守りを盗ったのね」


「キスに、あなたが呆然としている隙にね。仕方がないのよ、あのお方の目的のためにはあなたの霊力は絶対必要なんですもの。それにはあの守りの力は邪魔だったの」


「……あのお守りは海風くんの大切なものなの。返して!」


「灯さん、そんな心配無用よ。だってもうあの陰陽師に返す必要はなくなるんですもの。今頃兄が、これ以上邪魔をしないように手を打っている筈よ。そもそも兄が一昨日やり損なわなければ、二度手間をかける必要はなかったのだし」


「海風くんを襲ったのは、水木先輩なの?」


「もちろん。……あのお方が兄におっしゃったの。『再び忠実なしもべとなるためには、誠意を示せ。そのためには邪魔な陰陽師を始末せよ』と。だから兄は証明して見せたのよ。だけど、兄は……あの人はやはり甘いのね。一晩で退院する位の軽症しか与えられないなんて」


 海風は背後から襲ったものは人間に違いないと言っていたが、実際彼を怪我させたのは水木だったのだ。

 あの優しい水木が海風を傷つけたなんて信じられない。

 だが、初めから海風は水木に気をつけろと言っていたのではなかったか。

 それに耳を貸さなかったのは、灯自身だ。

 そして、結果的に海風を危険にさらしてしまった。


 今、小夜は『今頃兄が、これ以上邪魔をしないように手を打っている筈よ』と言った。

 それは、灯を守ろうとする海風を阻止するため、再び彼に危害を加えるということではないのか。

 海風のもとに行かなくては―――――。


 灯は小夜の手を振りほどこうとした。

 だが、小夜は常人とは思えないほどの力で、灯の手を握り締めて離さない。

 灯はパニックになった。

 海風は一人で行動しないように言っていたのに。

 また、迷惑をかけてしまう。

 自分の短慮な行動のせいで、また海風を危険な目に合わせてしまう。


 その時、灯の視界の隅に閃く紫が映った。

 いつか見た蝶だった。

 小夜の後方を優雅に舞いながら、緑の間をすり抜け、横切って行く。


 ―――――紫苑さんだ。


 紫苑が来てくれている。

 ということは、差し当たって、海風には、まだ危険が及んでいないということだ。

 頭に上っていた血がすっと下がって、冷静になっていく。

 自棄になっては敵の思う壺だ。

 ちゃんと考えて、正しい道を見極めなければ。


 灯は一つ深呼吸をすると、小夜の手を握り返し、じっとその目を見つめ返す。

 一瞬、小夜の目が瞠られ、表情から笑みが消えた。

 

「……なぜそんな落ち着いていられるのかしら。分かっていらっしゃるの? あなたはずっと兄に騙されていたのよ。最初から兄は霊力目当てであなたに近付いた。あなたは何も気づかず、そんな兄を救うつもりでここに来て、今はあのお方に命を握られているのよ。本当に人を見る目がないのね」


「人を見る目がない?」


「そうよ。兄は所詮そんな男なの。一時はあなたの肩を持ちながら、力の強いあのお方の前では、簡単に屈してしまうような人間なの。なのに、あなたは……」


「それは違うわ!」


 確かに水木は下心を持って、灯に近付いたのかもしれない。

 だけど、真剣に灯の自立の相談に乗ってくれた彼の姿、落ち込んだ灯が彼の言葉に笑ったとき、「やっと笑ったね」と返してくれた笑顔、それらが全部演技だったとは信じられない。


『 中3で、八神さんの一つ下なんだ。

 妹も大人しいけれど、芯はしっかりしていて…

 案外八神さんと気が合うかもしれないね―――――』


 水木の言葉を思い出す。

 妹の事を語るとき、彼は本当に優しい表情をしていた。

 妹にどうしてやることが正しいのか分からないと、心から小夜を心配していた。


「やっぱり違う。水木先輩は本来まっすぐで思いやりのある人だと思う。先輩が道を外したのだとしたら、それはあなたのためなんだわ」


「え?」


「先輩、本当にあなたのこと、心配していた。あなたのこと、大切で仕方がないって顔をしていた。温和で優しい先輩が人を騙したなら、人を傷付けたなら、それは自分のためじゃない。誰か大事な人のためだと思う。……それはきっとあなたのためだわ」


「……」


 

 いきなり小夜の顔がクシャッと歪んだ。

「お…兄ちゃん……」と小さく呟くと、灯の手を離し、両手で自分の頭を抱えた。


「あ、頭が…痛い……」


「小夜さん?」


 急に崩れ落ちそうな小夜の様子に、灯は驚いて彼女の両脇を支え、顔を覗き込もうとした。

 その時。

 エントランスの扉が音もなく開き、中からまるで生き物のように黒く蠢くものが噴出した。 

 声を上げるまもなく一瞬にして、灯と小夜は果てしない暗闇にすっかり取り込まれてしまった。




 * * * * *




 その頃、竹林を左右に眺めながら、邸に続く坂道を、海風は自転車で駆け上っていた。

 まるで重力に逆らうかのように、風を切って、滑るように走る。

 この坂の先に、強いよこしまな気配が滞っている。

 ずっと探っていた灯の気配が、その瞬間ふと消えたのを感じ、海風は舌打ちをした。


 灯が今日行動することは、読んでいた。

 慣れ親しんでくると、灯は表裏がない性格なだけに、置かれた状況から彼女の行動を予測するのは容易かった。

 いくつか手は打っている。

 だけど、敵の力を甘く見て、取り返しがつかないミスは犯せない。

 灯と同時に、彼の式神である紫苑の気配も読めなくなった。

 紫苑は灯と行動を共にしているに違いない。

 それにしても、急がなくては時間は充分にはないのだ。


 ふいに微かな殺気を感じた。

 何かが空を切り、自転車の車体に衝撃を与えたときには、海風の体は宙を舞っていた。

 派手な音を立てて、自転車が地面に倒れる。


「また、不意打ちか? そう何度も同じ手は食えへんで」


 剣呑な表情で立ち上がると、海風は自分を襲おうとした相手に向き合った。


「卑怯だとは思ったけど、まともに戦って君に勝てるとは思わなかったからね」


「……やっぱり、あんたやったんやな」


 道の脇、竹林の中でも特に太い竹の陰から現れたのは、木刀を持った水木志樹だった。

 

「悪いけど……ここから先に行かせるわけにはいかない」


「今回はちょっと殺気が漏れとったけど……気配を消すのがうまいんやな」


「剣道は長い間、やってたんでね。こちらの学校には剣道部がないから、転校してきてからは帰宅部だったけどね」


「―――あんたに構っている時間はないねんけど」


「……君にも灯ちゃんにも僕はすまないと思っている。だけど、たとえ自分の命を引き換えにしても、失えないものがあるんだ。他に道はない!!」


 海風の進路を塞ぐように、水木は木刀を構えながら、前に回り込んだ。



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