11、秘められた力
翌日は朝から脳のMRI検査をし、後頭部の傷口を消毒し、再度腕のレントゲン写真を撮った。
お昼前には退院の許可が出たので、家に連絡したところ、すぐに灯の母親が迎えに来てくれた。
一晩だけの入院だったので、退院の支度といっても荷物もほとんどない。
それでも、一通り病室を片づけていると、海風の主治医だった先生がにこやかに現れた。
保護者の方に少し別室で話したいと言うので、灯と海風は一足先に預かったお金で入院の支払いを済ませ、駐車場に止めていた車の中で医者と話をしている母を待った。
「先生、何の話なのかな?」と灯が心配顔で聞くと、
「今日の検査の結果についてやろ? まあ、すぐ退院させてくれるんやから、特に異常もなかったと思うけど。それと、今後の通院についての話やろなぁ」と、海風がさらりと答える。
なるほど。
上腕部の怪我については全治3週間との診断だった。
今はギブスで固定されている。
頭の傷は縫っているので、包帯が巻かれている。
抜糸するまでは傷口の消毒も必要だ。
しばらくは通院せざるを得ないだろうと、灯は思った。
「まあ、今はこんな腕やから、せめてギブスがとれるまでは、灯ちゃんも行動は慎重にして、できるだけ俺から離れんとって。今回の敵は妖かしばかりやない。どうも人間が絡んでいるからやっかいや」
「え? 誰が?」
「誰か分からんけど、俺を背後から襲ったヤツは人間に間違えない。そうじゃなかったら、気配を読み誤るなんて考えられへん」
「……」
「人間ってヤツは、ある面妖かしよりたちが悪い。俺の兄貴を陥れた事件も人間が絡んどった」
「……」
「そやから、灯ちゃん一人で黙って行動するのは厳禁な!」
コクリと頷いてから、ふとしおりを思い出した。
そう言えば彼女はあれからどうしたのだろう。
昨日は歩道橋の下で倒れている海風を見つけて、灯はパニックになった。
慌てて自宅に連絡をし、救急車を呼んだりしてるうちに、しおりがいないことに気づいてはいたが、救急車に付き添いで乗らなければならなかったし、探す時間もなかった。
小学生ながらも取り込んだ様子を感じて黙って帰ったのかもしれないが、灯はしおりに巻き込んでしまったお詫びも、庇ってもらったお礼も言っていない。
今日も灯を公園で灯を待っているんじゃないだろうか―――。
海風に視線を移すと、まだ疲れがあるようで、瞼を閉じ、シートにもたれている。
まだ本調子ではない海風に、心配をかけるわけにはいかない。
そうかといって、しおりが自分を待っているのではないかと思いながら、時間を過ごすのはやりきれない。
しかも、しおりはまだ小学生なのだ。
学校が終わるくらいの時間に、公園にしおりが来ていないか確かめるだけでいい。
いたら昨日のお礼とお詫びだけ言って別れれば良い。
いなければ、速効帰ってこよう。
ほんのちょっとだけなら―――――。
その時。
2度も怖い思いはしたはずだが、見鬼の才がなく妖かしが見えない灯には、海風が持つほどの危機感はなかったのだった。
* * * * *
退院して灯の家に戻った時には、3時半になっていた。
朝から検査続きでさすがに疲れた海風は、自分の部屋になっている部屋のベッドに横になっていると、軽くノックした後、灯の母がそっと部屋に入ってきた。
「海風くん、ごめんね。灯に内緒でちょっとお話したくて」
驚いて身体を起こし、ベッドに座り直した海風に、灯の母は傷の具合を尋ねてきた。
「あ、大丈夫です。何か全然痛みもないですし。心配かけてすいませんでした」
「そう、それは良かったわ。……こちらこそ灯を守ってくれてありがとう」
言葉とは裏腹に難しい顔をして、灯の母は何か考え込んでいるようだった。
「医者が…なんか言ってました?」
不安になった海風が尋ねると、灯の母も真剣な顔をして話し出した。
「昨夜、病院に灯も泊まり込んだでしょう? 何かなかったかしら?」
「何かって? …別に色々話はしたけど…ああ、そう言えば灯ちゃんに『手当』をしてもらったかな」
「手当?」
「はい。なんでも早く治るように念じながら患部に手を翳してくれてました。気休めかもしれないけど、そうすると痛みが和らいで早く治る気がするって家族にも好評だからって」
「そう…。確かに誰かが怪我をすると灯はよくそうしてくれて…みんな『痛みが和らいだ気がする』『早く治った気がする』って言ってたけど…。でも、その時は実際に医者にかかっていた訳ではなかったから、気持ちの問題だと思っていたの。でも、今日、海風くんの主治医の先生に話を聞いて、びっくりしてしまって……」
「どういうことですか?」
「右上腕骨のヒビ、昨日のレントゲンでは全治3週間の診断だったでしょう? それが今朝のレントゲン撮影ではほとんど完治している状態だって、先生が言うの。お医者様もびっくりしていて、何度も昨日と今日のレントゲンを見比べて、信じられないことですがとおっしゃって―――」
「……」
常識的には考えられないことだろう。
だが、海風は心のどこかで納得していた。
『彼女の手にかかるとどんな植物も生き生きと育つ。……それでも彼女が何だか魔法でも使ってるかのように感じる時があるよ』
園芸部顧問の竹山は、灯を評してそう言った。
なぜ灯の手にかかるとどんな植物でも生き生きと育つのか。
なぜ灯は生まれてからずっと、妖かしに異常につけ狙われるのか。
灯は100年に一度という位霊力の高かった祖母を持つ。
そして、一晩で海風の怪我を癒したこと。
頭の中で全ては一つの結論に繋がっていく。
「海風くんの治療は後頭部の傷口の消毒に数日通って、一週間後に抜糸。右上腕骨も抜糸の時、レントゲンを撮って完治していたら、通院終了だそうよ。学校に提出する診断書も全治3週間とあったのを訂正しましょうかと言われて……」
「いえ。それはそのまま3週間のままにしといた方がええと思います」
「私も、一応海風くんに相談してからと思ったものだから、返事は保留してるんだけど」
「敵は…俺が負傷したと思ってます。だったら油断させたままの方がええと思うんです。何から敵に情報が漏れるかわかりませんから」
「わかったわ、海風くん。…ねえ、やっぱり灯は……」
二人の真剣な眼差しが交差した。
海風は一言一言、自分の考えをまとめるように話し出した。
「たぶん…かなり高い霊力を秘めているんだと思います。ただ、表面に出る力ではなかったために、今まで誰も……本人すら気がつかんかったんや。灯ちゃんの力は癒し、あるいは能力を高めるような働きがあるんやと思います。人間は気づかなくても、妖かしにはそれが分かっていて…だから灯ちゃんはずっとヤツらに憑かれてたんや」
それはまさしく『寄生』だったのだ。
潜在的に高い霊力を持っていても、始終妖かしに奪われて、慢性的に貧血のような状態だったのだろう。
科学的な検査では原因が分からなかったため、灯はずっと『虚弱体質』で片づけられていた。
問題は、今灯をつけ狙っているヤツが、単に『寄生』で満足せず、命ごと力を奪おうとしている可能性があることだ。
「とにかく、敵が俺を負傷していると見なしている今、灯ちゃんは非常に危険だということです。この機会を逃してくるとは思えませんから」
その時、机の前の壁に貼り付けられていた人型の紙人形が、ひとりでにカサカサ音を立てて揺れた。
ムッとした表情で、海風はそれに一瞥をくれるとベッドから立ち上がり、灯の母に視線を向けた。
「灯ちゃんは、今どこに?」
「え? 自分の部屋にいると思っていたんだけど」
「ということは、おばさんにも内緒で出かけたということか……」
海風は大きく一つ溜息を溢すと、机の上に置かれた黒塗りの箱から、数枚の呪符を取り出した。
ジャケットを羽織って、その内ポケットに、丁寧に呪符をしまう。
「ホント、本人がその危険をちゃんと自覚してくれたら、ええんですけど……どうやら無鉄砲なところは、いくら言いきかせても治らんみたいやなぁ―――――」
ニヤッと笑みを浮かべると、海風は驚いた表情の灯の母に背を向け、さっさと部屋を出て行った。
「灯に何かあったの? でも、海風くん、あなた、まだ体が本調子じゃ――――」
我に返った母親が海風を追って玄関を飛び出したが、すでに海風の姿はどこにもなかったのだった―――――。