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10、過去の傷


 懐かしい京都の実家にある自分の部屋の光景だ。

 薄暗い和室。畳に布団を敷いて横になっている。

 ああ、いつもの夢だと安倍海風あべ・みかぜは思った。

 この悪夢もあかりと暮らすようになってからは、何故か見ることはなかったのだが。

 所詮、逃れられる物ではない、許される事ではないと言うことなのだ。


 雨縁に面した障子がカラリと開けられ、明るい声が海風にかけられる。


『海風、おまえは熱があるんやさかい、今日は兄ちゃんに任せとき』


 声の主は二つ違いの兄、安倍宇宙あべ そらだ。

 夢は3年前の出来事を繰り返す。


 ダメだ。行ってはいけない。


 そう言いたいのに、声が出ない。

 現実として起こってしまったことは、もはやどんな技を駆使しても変えることは出来ないのだ。


『ほな、行ってチャッチャと片づけてくるから、おとなしゅう寝てるんやで』


 そう言っていつも障子は閉められる。

 それは巧妙に張られた罠だった。

 安倍家宗家の跡取りを陥れるための。


 そして、誰より好きだった兄は、思いやりがあり家族親族の信頼の厚かった兄は、この後失われたのだ。

 俺が熱など出さなければ付け込まれることもなかったと、―――そうやって無力だった自分を何年も責め続けてきた。

 安倍の家にいるときは毎晩のように見た夢だ。

 それはきっと兄が自分を恨んでいるからだ、許していないからだ、許される訳がないのだと自分に言い聞かせてきた。




 だが―――――、


 切なくて、目を伏せようとしたら、急に障子に明るく日差しが差した。

 和室の入り口で、兄は微笑んでいた。

 そして、凛とした表情で海風を見て言った。


『―――――惑わされるな。何が真実かお前なら見極められる。

そして、忘れたらあかんで。海風みかぜ大地だいちはいつでも俺の自慢の弟や』




 * * * * *




 ぼんやりと覚醒する。

 白い天井が滲んで見えた。

 無機質な蛍光灯の光がひどく眩しく感じる。


 やはり夢だった。

 だが、いつもと少し違う夢―――――前半はいつもの悪夢だったのに、最後の兄の言葉のシーンは初めて見た。


『―――忘れたらあかんで。海風みかぜ大地だいちはいつでも俺の自慢の弟や』



 眠りながら、泣いていたようだ。

 涙を拭おうとして、腕が動かないことに気づいた。

 右腕に温かさを感じて、海風は視線をそちらに向け、そして目を瞠る。

 灯が添え木の当てられた右腕を抱きしめるようにして眠っていたのだ。

 気づいたとたん、包まれた腕の暖かさに、気持ちまで抱きしめられた気がした。

 灯の寝息の穏やかさに、何だかすごくホッとした。


 同時に、一気に今日の出来事が頭に蘇ってくる。

 いつものように灯を守るために尾行をしていて、妖かしに遭遇したのを思いだした。

 妖かしを払いはしたが、その直後に背後から襲われたのだ。

 

『―――惑わされるな。何が真実かお前なら見極められる』


 そうだ。雑鬼に比べれば、高等な妖かしだったが、灯をつけ狙っていたヤツにしてはお粗末だった。

 かなり獰猛な力をもった妖かしだったが、真っ直ぐ獲物に向かっていくだけで、知性の欠片も感じられなかった。

 あれはきっとおとりだったのだ。

 海風を誘い出すための。


 術を発動している間は、全ての神経が術に注がれているため、他の注意が散漫になる。

 そこを突いてきたのだとしたら、敵はかなり頭の切れるヤツだ。

 海風が陰陽師だということも気づいてのことに違いない。

 しかも相手は頭を狙って動きを封じた後、ご丁寧に利き腕を攻撃してきた。

 これでは、右腕が使えない間、手印が結べない。

 手印が結べなければ、陰陽道の術の発動にかなりの制限を受ける。


 それに背後から襲われた時、海風は気配を直前まで感じなかった。

 術を発動中だったにしろ、妖かしであれば、きっと気づいたはずだ。

 灯を狙う黒幕は妖かしにしろ、海風を襲ったのは人間だったのに違いない。


「……海風くん?」


 起こしてしまったのか、灯が目を擦りながらそろりと顔を上げた。

 そして海風の頬を流れたものの跡に気づくと、はっと瞠目した。


「大丈夫? どこか痛むの?」


 海風の目尻に触れ、そっと溢れた物を拭おうとする。

 それが何だか心地よくて、海風は小さく溜息をついた。


「大丈夫や。……ちょっとセンチメンタルな夢をみてしもただけやさかい」


 笑い飛ばしていつものように冗談にしてしまおうと思うのに、うまく笑えない。

 ベッドの傍らに佇む灯の心配そうな顔を見て、海風は取り繕うのを諦めた。


「ここは?」


 白い天井に壁。

 見慣れない部屋の光景に、海風は訝しげな表情をする。


「病院。右手上腕骨にひびが入ってて、後頭部に鈍器で殴られた擦過傷を5針縫ったわ。他に検査で異常は発見されなかったけど、頭を打って意識が朦朧としているようだったから、念のため入院することになったの」


「そっか…」


「明日、MRIを撮って異常がなければ退院できるって」


 灯は海風の固定された腕にそっと触れた。海風がチラリと彼女を見上げたが、俯いた表情は伺えなかった。


「ごめんね、私のせいで。……また助けてもらって。ホントにありがとう」


「うん。良かった、灯ちゃんが無事やって。今回、俺ドジ踏んで……もし灯ちゃんに何かあったら、悔やんでも悔やみきれないところやった」


「ううん。……私が悪い。いつも私のせいで周りの人が傷ついてしまうの。跡取りの海風くんをこんな目に合わせて、海風くんのお父さんやお母さんにも申し訳が立たないよ」


 灯の口から零れてくる後ろ向きな言葉に何だか腹が立った。

 彼女はいつも前向きで、直向きで。

 進路のことにしても、絶望的な境遇でも諦めず、いつでも一筋の光に向かって歩いていた。

 そんな彼女が好ましかった。

 そして、気になって放っておけなかった。

 

「なんでそんなことゆうねん。これは灯ちゃんのせいやない。そんなこと考えもしてない。それに俺は跡取りといっても、所詮偽物の跡取りや」


「偽物?」


「……前に灯ちゃんのお母さんがゆうてたやろ? 俺が一番陰陽の能力が高いから安倍家を継ぐと思ってたって。…そやけど、ほんまは違うんや。1才上の兄、安倍宇宙あべ・そらは数代に一人の星見と言われたくらい能力の高い陰陽師やった」


「星見って星占師のことだよね?」


「うん。陰陽師の仕事は妖かしを祓うだけやない。占術で、未来を予言したり失せ物を探したりもする。兄貴はその道に秀でてた。俺は兄には及ばなかった。本来安倍家を継ぐんは、俺の1才上の兄の筈やったんや。3年前のあの日まで……」


「3年前?」


「うん。3年前、妖かしを祓う依頼があって俺の仕事の筈やったのに……俺、元々妖かしの調伏だけは得意で、兄貴に負けない自負があったんや。でも、その日俺は熱が出て寝込んでしもて。で…兄貴が代わりに出かけて、罠にかかって、壊された」


「え?」


「発見されたとき、兄貴の精神は壊されとった。犯人はわからんままや。今も安倍の家の離れで母が面倒見てるけど…生ける屍とは今の兄貴のことや。ほんまはそうなってたんは俺の筈やったのに」


「…海風くん」


 ベッドに横たわり、驚いたような灯の表情に目を眇める。


 俺何やってるんだ?

 なんでこんな話を、ペラペラとこの少女に話しているんだろう。


 今まで誰にも打ち明けたことがなく、誰も触れない安倍家の醜聞。

 ただ、自分を責めている灯の気持ちを少しでも軽くしてやりたかった。

 自分を責める苦しさは、誰より海風自身が分かっていたから。

 

「だけど、兄貴は生きている。将来ひょっとしたら、正気に戻るかもしれへん。そしたら安倍家は兄貴が継ぐ。俺はそれまで兄貴と阿部家を守らなあかん。そやのに、これくらいの事で隙を突かれるなんて……自分的には許されんことやねん。俺もまだまだやっちゅうことや」


 両親も弟も一族の者も、誰一人宇宙のことで海風を責める者はいなかった。

 口を揃えて、あれは事故だったと言う。

 だけど、誰からも責められない分、海風は自分を責めてきた。


 灯の件で壬生家から相談を受けたときも、興味はなかった。

 京都を離れ、安倍家を離れる気持ちは全くなかった。

 もう誰も、大切な人を失いたくない。

 自分が京都を離れている間に、再び宇宙そらに起こったようなことが身内に起これば、きっと耐えられないだろうと思った。

 なのに、話を受けることになったのは、父と3才下の弟に強く勧められたからだ。

 強引に説き伏せられたと言っても良い。


 3年前の事件の後、海風は後悔と責任の重圧の中、張りつめた生活を送っていた。

 兄が無事でいれば当然したであろう活躍以上のことを自分に強いた。

 わざと自分を追い詰めることでしか、自分自身を許せなかった。

 それが結果として、陰陽師としての海風の技量を、格段に高めたのは事実だ。

 だが、家族はそんな海風に危機感を抱いていたのだろう。

 灯の話が舞い込むと、これ幸いに、海風に“安倍”から距離を置かせたのだ。


「そやから…俺に『申し訳ない』なんて言わんとって。それより、今度こそ俺にちゃんと守らせて。もう俺が後悔せんでええように」


 真摯な海風の眼差しに、灯は思わずコクンと素直に頷いていた。

 ホッとしたような微笑が、海風の表情に浮かんだ。


「それに今更俺に手を引けゆうても、手遅れや。奪われて平気でいられるには、灯ちゃんは俺にとって身近な存在になりすぎたわ。灯ちゃんも覚悟決めてぇや。俺にとことん付き合うって。俺のこと信じるって」


 少し傲慢だけど、優しさに満ちた物言いが、いかにも海風らしくて。


「海風くんの性格はともかく、言葉を疑ったことないよ。海風くんが『守る』と言ったら、どんなことがあっても、きっと守ってくれると信じてるよ」


 灯の言葉に、海風は一瞬驚いたような顔をして、それからクックと笑い出した。

 目を合わせた灯もクスクス笑った。

 海風の人間性を疑いこそすれ、海風が灯を救おうとする気持ちを疑ったことはない。


「灯ちゃんが俺と話すとき、敬語でなくなったんも、なんか嬉しい。たまに話しかけられても、なんかずっと敬語やったもんな。俺への警戒心が言葉遣いに表れてるんやろなって思っとった」


「うん。……そうかも」


 そう言って、また二人はクスクス笑い合った。

 今なら、海風の人間性も誤解していたのだと分かる。


『前の学校で辛いことがあって…』と言ってた海風の言葉は嘘ではなかった。

『灯ちゃんこそ、気ぃつけな。……ホント騙されやすい性格みたいやし…』という言葉も自分を見下してではなく、本当に心配して出た言葉だったのだろう。

 年齢に見合わないような辛い思いをしてきた分、複雑な人なのだ。

 本当は生真面目で優しいくせに、照れ屋で人一倍不器用で     。

 ここ数日、海風に対して抱いていたモヤモヤした気持ちが、スッと晴れ渡っていく。





「ところで、今何時?」


 突然海風に時間を聞かれて、「10時過ぎだけど…」と答えると、「それって夜の10時やな? 窓の外真っ暗やし」と急に彼が慌てた様子になる。


「すっかり遅なってしもたな…誰か家の人おる? 迎えに来てもらえる?」


 すまなそうな海風の言葉に、灯は苦笑した。

 灯の両親も面会時間が終わるつい1時間ほど前まで、この病室にいたのだ。

 灯の身に何が起こったか、両親はすんなり信じてくれて、自分を助けようとして怪我をした海風の傍にいたいという灯の気持ちを汲んでくれた。

 そこには何度も妖かしに狙われる娘にとって、例え万全ではなくとも海風の傍が一番安全だろうという配慮もあった。


「…大丈夫。今夜は付きそうつもりだし。そのために病室も個室にしてもらって、簡易ベッドも用意してもらったんだもの。両親の許可も得てるから心配しないで。…それよりちょっと腕をかしてくれる?」


 灯はベッドの傍のパイプ椅子に座り直すと、両手を翳すように海風の右上腕部に触れた。


「『手当』って言葉があるでしょう? 昔の人は怪我をした時、こうやって早く治るように念じながら手を翳したところから『手当』って言葉はできたんだって。気休めかもしれないけど、私の家族は私がこうしてあげると痛みが和らいで、早く良くなる気がするって言うわ。私ってこのくらいの事しかできないから……」


「そんなこと、ないで。灯ちゃんは自分では気づいてないだけで、たくさんのものを周りに与えていると思うよ。灯ちゃんとこうして話してるだけで、なんか穏やかで幸せな気分になる」


 ―――――なんか穏やかで幸せな気分になる。


 海風の言葉を聞いた瞬間、ポッと頬が熱を持った。

 海風は聞いていて恥ずかしくなるような事も、平気で言葉にする。

 本人は全然自覚していないようだが。

 灯は慌てて、話題を変えた。


「―――――腕、痛む?」


「ん?…、そう言えばほとんど痛みを感じへんなぁ。『手当』が効いてるんかも」


 大事なものを扱うように、そっと腕に触れる灯の温もりが心地良い。

 怪我は職業柄日常茶飯事で、慣れている。

 骨折やひびも、今まで何度か経験があるが、今回は今までになく痛みを感じない。

 何だか患部がポカポカと熱を帯びている気がする。

 気分がリラックスすると、再び眠気が訪れてくるようだ。


 その後、灯は海風のベッドと平行に簡易ベッドを整えた。

 穏やかな気分で、それぞれのベッドに横になりながら、眠りにつくまでポツリポツリとお互いの話をする。


 灯は海風と知り合う前の自分の生活を。

 海風は京都の安倍家での生活を。

 海風は、病弱だった頃のあかりの大して面白味のない話を興味深そうに耳を傾けて。


「灯ちゃんとこうやって話したいってずっと思ってた。変に仲違いみたいなことになってばかりやったから」

 

 そんな海風の言葉に。

 海風も自分と同じ気持ちだったことを知って、灯は嬉しかった。


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