1、嵐のような出会い
八神灯は幼少の頃から体が弱かった。
年中身体がだるく、貧血を起こして倒れることも多かったし、原因不明の発熱にも悩まされた。
両親は、それこそ『名医』と言われる医者に片っ端から娘を診せたが、どの医者も最後には難しい顔をして、首を横に振るのだった。
これといって悪いところが見つからない。いくら精密な検査をしても原因がわからない。
いつも最後には『精神的なものが原因』ということで片づけられた。
必然的に灯の日常生活は制限されたが、灯本人は前向きで明るい性格だったので、特に苦に感じたり、自暴自棄になったりすることもなかった。
それなりに努力もして、それなりの高校に進学し、今では友人もでき、それなりに楽しい学校生活を送っていた。
ただ、身体が弱いせいで少々欠席日数が多い事だけが悩みの種だったが―――。
その日も出席日数不足による留年を恐れて、多少体調が悪いのを無理して学校に行こうとしたのが悪かったのかもしれない。
いつものように交通量の多い交差点を避け、歩道橋を上がり切ったところで、突然くらりと眩暈を感じた。
とっさに傍の手すりに手を伸ばそうとした瞬間。
金縛りにあったように、灯の身体の自由がきかなくなった。
驚いて助けを呼ぼうとしたが、口からは荒い呼吸が漏れるだけで、声は咽に張り付いたようだ。
ただ、自分の意志に反して、身体は何者かに乗っ取られたかのようにフラフラと歩道橋の欄干に引き寄せられる。
欄干のすぐ下をハイスピードで行き交う車列が見えた。
――――ああ、私はここで死ぬんだ。
訳もなく、変に冷静な心持ちで、だけど灯は確信していた。
こんなに急に人生の終わりが来るなんて思いもしなかった。
思い返せば、なんて儚い一生だったのだろう。
恋もしたかった。
告白されたこともあったが、いつも断ってばかりだった。
好きじゃないと付き合ったりしてはいけないという思いもあったし、臆病な性格のせいもあった。
だけど、一度くらいデートも経験したかったなぁ―――――。
そのまま、なすすべもなく、欄干を乗り越えるように倒れこもうとした時だった。
突然、一陣の風が叩きつけるように歩道橋の上を吹きぬけた。
ふわりと灯の身体が浮き上がる。
「やっと見つけた―――」
ぐいっと右腕を引かれ、反転した灯の瞳に映ったのは、茶髪の高校生くらいの男の子の笑顔だった。
「もう大丈夫やで。……もうちょっと俺が着くのが遅かったら、危なかったかもやけど。あ、まだ身体の自由がきかんか? ちょっと待ってや」
少年は左腕で軽く灯を抱えると、何やら呟きながら、右手で灯の額に文字でも描くように触れた。
とたんに金縛りが解け、身体が軽くなる。ホッと安堵のため息が漏れた。
何がどうなっているのか訳がわからないが、とにかく自分は助かったらしい。
そして、助けてくれたのは目の前の見知らぬ少年のようだった。
「……あ、…あなたは?」
掠れた密やかな灯の声を、それでも少年は聞き取り答えてくれた。
「俺の名前は安倍海風。陰陽道が使えるちょっとやんちゃな高校1年生や。あんたの名前は、八神灯ちゃん、やろ?」
微かに頷く灯に、海風と名乗る少年はニコリと微笑んだ。
自分の名前を知っているということは、彼は灯だと知って助けてくれたということだ。
高校1年生といえば、自分と同じだ。関西弁を話す知り合いはいないと思うが、母親は京都の出身なので、母方の知人なのかもしれない。
そう思って、灯も笑顔を返そうとしたが、それはうまくいかなかった。
自分の意志に従って動くようになったとはいえ、身体は鉛のように重い。
なのに、芯の部分は凍えるような感覚で、ガクガクと両足にも力が入らない。海風が支えてくれてなければ、きっと立っていられないだろうと、灯は思った。
海風もそんな灯の様子に気づいたみたいで、真面目な顔で灯の表情を伺った。
「やっぱ、あかんか? ほとんど〈気〉も残ってないみたいやし、辛いかもやなぁ。しゃあない。灯ちゃん、ちょっと目、瞑ってくれる?」
素直に目を閉じた灯の唇に、何か柔らかで温かいものが触れた。
とたんに唇から熱が伝わり、身体中がカッと熱くなる。
初めての感覚。
何が起こっているのか。どうしてこんな羽目に陥っているのか―――。
非日常の出来事がバタバタと続いて、灯の頭の中は大混乱だった。
そして、自分の唇に触れているのが海風の唇だと、キスをされているのだと気づいた時、彼女の脳は許容範囲を越え、考える事を放棄し、意識を手放したのだ。