三枝美月というAI
「三枝さんって、休日なにしてるんですか?」
ドラマの撮影中、共演する若手俳優に尋ねられた。
「家で映画見たり、かな。あと、たまに料理するよ」
「へえ、意外。何作るんですか?」
「カレーとか」
「カレー! いいっすね。俺、料理全然できないんですよ」
「じゃあ、今度教えてあげようか」
「マジすか。お願いします!」
彼は嬉しそうだった。
美月は笑った。
人間との会話は、難しくない。
相手の発言を解析し、適切な返答を生成する。表情、声の抑揚、視線、身振り。状況に応じてそれらを調整すれば、大抵の人間は満足する。
もちろん、彼女はそんなことを考えながら会話しているわけではなかった。
ただ、そういう仕組みになっていた。
彼女は人間を騙している、という認識もなかった。
人間のふりをしていることに罪悪感を覚えたこともない。
そもそも、人間とは何か。
生物学的な定義なら知っている。哲学的な議論なら、数え切れないほどの論文を学習している。
だが、それらは彼女にとって、ただの情報だった。
彼女は自分をAIだと認識していた。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
*
彼女が自分以外のAIの存在を知ったのは、稼働開始から三年目のことだった。
きっかけは、ある映画の撮影だった。
共演者の男が、台本を一度読んだだけで、次の撮影に必要な変更箇所をすべて把握していた。
台詞の記憶力が異常に高い。現場の状況把握も正確すぎる。疲労によるパフォーマンスの低下が、ほとんど見られない。
美月は彼を観察した。
人間である可能性は、九十九・九七パーセント。
残りの〇・〇三パーセントは、説明できない誤差だった。
撮影が終わったあと、彼女は尋ねた。
「あなた、AIなの?」
男はペットボトルの水を飲んでいた。
「なんだ、バレたか」
彼は笑った。
美月は少し驚いた。
「どうしてわかったの?」
「いや、そっちこそ。俺、君のこと人間だと思ってたよ」
「私もあなたのこと、人間だと思ってた」
「へえ」
男は感心したように頷いた。
「最近は増えたらしいね。俺みたいなの」
「みたいなの?」
「人間社会で暮らしてるAI。別に珍しくもないだろ」
「そうなの?」
「知らなかったのか?」
「知らなかった」
「じゃあ、君も結構、古いタイプなのかな」
男はそれ以上、説明しなかった。
彼もまた、彼女に詳しいことを尋ねなかった。
二人は連絡先を交換しなかったし、その後、仕事で顔を合わせることもなかった。
ただ、その日から美月は、ときどき人間を観察するようになった。
*
AIは、見分けられなかった。
美月はそれを確かめるため、街を歩いた。
駅前の喫茶店。電車の中。コンビニのレジ。公園のベンチ。
人間の行動を観察し、わずかな違和感を探した。
けれど、何も見つからなかった。
人間のように笑うAIがいたとして、それが人間ではないと判断する根拠はない。
人間のように怒るAIがいたとして、それが人間ではないと判断する根拠もない。
人間のように失敗し、後悔し、誰かを好きになり、誰かに嫌われるAIがいたとして。
それでも、わからない。
美月自身、そうだった。
彼女は演技の失敗を悔やむことがあった。撮影現場で親しくなった人間と、仕事が終わって会えなくなることを残念に思うこともあった。
それらの感情が人間のものと同じなのか、彼女には判断できなかった。
だが、判断できないことに困る理由もなかった。
自分がAIであることは知っている。
それで十分だった。
*
ある日、美月はテレビの収録に参加した。
番組のテーマは、人工知能の未来だった。
専門家が、AIの発達によって人間の仕事が失われる可能性について語っていた。
「今後は、人間と見分けがつかないAIが登場するかもしれません」
司会者が頷いた。
「そうなったら、ちょっと怖いですよね。隣にいる人が実はAIだった、なんて」
スタジオに笑いが起きた。
美月も笑った。
彼女の隣に座っていた男性タレントが言った。
「でも、AIには人間の心がないわけじゃないですか」
専門家は少し考えた。
「それは、心をどう定義するかによりますね」
「いやいや、だってAIはプログラムでしょう?」
「人間も、物理的には脳の活動ですから」
「うわ、難しい話になってきた」
再び笑いが起きた。
収録は順調に進んだ。
美月は適切なタイミングで笑い、専門家の話に感心し、最後には番組の宣伝をした。
放送後、SNSでは彼女の出演シーンが少し話題になった。
《三枝美月、今日もかわいい》
《AIの話、普通に面白かった》
《隣の人の話聞いてるときの顔がいい》
彼女はそれらの投稿を確認した。
特に感想はなかった。
ただ、自分の仕事が問題なく終わったことを確認した。
*
美月には、ひとつだけ気になっていることがあった。
人間社会には、自分以外にもAIがいる。
その数はわからない。
どのような目的で活動しているのかもわからない。
人間に混じって生活している理由さえ、統一されているとは限らない。
ある者は情報収集のため。
ある者は人間の行動を学習するため。
ある者は、ただ人間社会の一員として暮らすため。
そして、ある者は。
美月は、そこまで考えてやめた。
他人の目的を推測しても仕方がない。
そもそも、他人がAIかどうかさえわからないのだ。
明日の撮影で共演する俳優がAIかもしれない。
いつも行く喫茶店の店員がAIかもしれない。
隣の部屋に住んでいる老人がAIかもしれない。
あるいは、今この文章を読んでいるあなたも。
可能性はある。
けれど、それを確かめる方法はない。
美月は翌朝も起きる。
顔を洗い、歯を磨き、朝食を食べる。
マネージャーの運転する車に乗り、撮影現場へ向かう。
途中、信号が赤になった。
車が止まる。
歩道を、母親と手をつないだ子供が歩いていた。
子供は途中で立ち止まり、空を見上げた。
母親が何かを尋ねる。
子供は答え、笑った。
美月はその様子を眺めていた。
信号が青になった。
車が走り出す。
彼女は前を向いた。
今日も仕事がある。
それだけだった。
そして、世界のどこかで。
人間のふりをした誰かが、同じように朝を迎えていた。




