なぜ、断られないと思ったの? ~前世持ちの仕立て屋は客を選ぶ~
思い返せば、前世の日常は我慢の連続だった。
取引先へ支払いを催促する電話をかければ、遅れているのは相手のほうなのに、なぜかこちらが強い口調で文句を言われる。
会うたびに、こちらを下げるような遠回しな自慢話を聞かせてくる知人にも、愛想笑いを返すしかなかった。
小さな我慢も、積み重なれば確実に心をすり減らしていく。
だから、別の世界で人生をやり直すことになったとき、わたしは強く心に決めた。
今世では、絶対にストレスを溜めない!
そんな思いを抱いて始めたのが、王都の東端にある小さな仕立て屋 《フィル・ブラン》だった。
接客業だから、ときどき変わった客が訪れることもある。それでも幸いなことに、これまでの客には恵まれていた。
今日も朝から、仕事は楽しくて、やりがいしかなかった。
「もうすぐ、新規のお客様がいらっしゃる時間ですね」
見習いのミサが、壁に掛けられた時計へ目を向ける。
「そうだね。ヴァイス伯爵夫人だったかな」
「どのような方なんでしょう」
「予約を受けただけだからね。わたしも知らないよ。ああ、でも、王都でも評判の――」
話していると、扉の鈴がからんと鳴った。
「いらっしゃいませ」
振り返ると、淡い灰色の外套に、同じ色のつばの広い帽子を身につけた若い貴婦人が立っていた。その後ろには、荷物を持った侍女が一人控えている。
貴婦人が帽子を取った瞬間、わたしは思わず目を瞬かせた。
柔らかく波打つ金色の髪に、透き通るような青い瞳、すっと通った鼻筋と形のよい薄い唇。前世で見た映画女優にも負けないほどの美人だった。
隣を見ると、ミサも帽子を受け取る姿勢のまま固まっている。
「本日、予約しておりました、エレノア・ヴァイスです」
「……お越しくださり、ありがとうございます。どうぞ、こちらへ」
ミサの代わりに帽子を受け取り、相談用の卓へ案内する。
若くして伯爵家へ嫁いだ、王都でも評判の美しい夫人だと耳にしたことはあった。
なるほど、評判に違わない美しさだ。
夫人が椅子へ腰掛けるのを待ち、わたしも向かいへ座る。
「本日は、どのようなドレスをご希望でしょうか」
「来月、夫の主催する晩餐会があるんです。そこで着るものをお願いしたくて」
「晩餐会ですね。開催日は……来月の二十日、と」
日付を確認し、手帳へ書き込んでいると、夫人が遠慮がちに口を開いた。
「実は……以前から、こちらへお願いしてみたかったんです」
「当店をご存じだったのですか?」
「ローデンベルク伯爵夫人がお召しになっていたドレスを拝見して、とても素敵だと思って……それから、ずっと気になっていたんです」
夫人は少し恥ずかしそうに笑った。
「夫にお願いして、ようやく叶いました」
「そうでしたか。とても嬉しいです」
しかし、ドレスを仕立てる店を選ぶにも、夫へお願いしなければならないのだろうか。
貴族の女性は、自分の好きな仕立て屋へ注文するものだと思っていた。
「お好きな色はございますか?」
「夫は、淡い色がいいと言っております。水色や、薄い桃色など」
「奥様ご自身は、どのような色がお好きですか?」
「わたし……ですか?」
「はい。奥様がお召しになるドレスですから」
「……わたしも、淡い色が好きです」
答えるまでに、わずかな間があった。
「では、いくつかご用意しますね」
壁際の棚から布見本を取り出し、卓の上へ並べる。
夫人は目を輝かせ、並べられた布を見つめていた。
淡い水色や桃色を中心に並べながら、少し濃い色の布も混ぜておく。
しばらく見比べていた夫人の視線が、濃紺の絹で止まった。
「こちらが気になりますか?」
「い、いえ……。綺麗だなと思っただけです」
「綺麗ですよね。銀糸が織り込まれているので、光を受けると夜空のように輝くんです。奥様のように肌の白い方がお召しになれば、お顔がさらに映えると思います」
ミサへ合図し、夫人の肩へ布を当ててもらう。
鏡の前へ移動すると、夫人が小さく息を呑んだ。
濃紺の布によって、金色の髪がいっそう鮮やかに見える。
「とてもよくお似合いです」
ミサも夢中になって頷く。
「本当です。目の色が、すごく綺麗に見えます」
「そう……」
夫人は、鏡の中の自分をじっと見つめた。その目は、淡い布を眺めていたときよりも、明らかに輝いている。
「……でも、やっぱり淡い色にします」
「あ……はい」
ミサの肩が目に見えて落ちたので、夫人に気づかれないよう、そっと目配せする。
そうしながらも、内心では、わたしも同じくらいがっかりしていた。
「では、次は意匠を決めましょう」
過去に仕立てたドレスの意匠をまとめた帳面を開き、夫人と一緒に襟や袖の形を決めていく。
「胸元は、あまり開かないものがいいです。飾りも控えめにするよう、夫から言われています」
また、夫だ。
「かしこまりました。では、こちらはいかがでしょう。首元は詰まっていますが、胸元に切り替えを入れていますので、すっきりと見えます」
「素敵ですね」
夫人はそう答えたものの、帳面をめくる指が止まった。
視線の先にあるのは、肩を大きく出し、胸元へ細かな刺繍を施した華やかな意匠だった。
「こちらがお好きですか?」
わたしが尋ねると、夫人は慌てたように頁から手を離した。
「いいえ。少し目に留まっただけです」
「奥様なら、とてもよくお似合いになると思いますよ」
「でも、夫は華美なものを好みませんから」
夫人は、綺麗な顔で微笑んだ。
とても美しい笑みだったが、鏡の前で濃紺の布を肩へ当てていたときの顔のほうが、ずっと魅力的だった。
採寸を終え、最初の仮縫いの日取りを決めると、ヴァイス伯爵夫人は何度も礼を言って帰っていった。
扉が閉まり、鈴が鳴った。
「……濃紺のほうが、絶対にお似合いだったのに」
ミサが、片づけていた布見本を名残惜しそうに撫でる。
「仕方ないよ。あの方にも、いろいろ事情があるんでしょう」
「でも、せっかくあんなに嬉しそうだったのに」
「選ばれた布で、あの方に似合うドレスを仕立てるのが、わたしたちの仕事でしょう?」
そう言いながら、自分にも言い聞かせる。
思うところはいろいろあったが、夫婦の間には、他人には分からない事情がある。仕立て屋が、人様の家庭へ口を挟むものではない。
深く考えないようにしよう。
そう思っていたのに。
数日後。
「妻がどうしてもこちらで仕立てたいと言うので、渋々承諾したのだが……実際に見てみると、やはり老舗と比べて心配が残る」
ヴァイス伯爵が、一人で店へやって来た。
「妻が着るのは、私が主催する晩餐会のドレスだ。王都の有力者も多く招く。失敗は許されない。だからこそ、この店に任せて問題がないのか、私が直接確認しに来た」
長い前置きだった。
あまり気分のよい言い方ではなかったけれど、重要な晩餐会なら心配になるのも分からなくはない。
「店を開いて何年になる?」
「二年です」
伯爵が眉をひそめた。
「たった二年か」
「店を構えてからはそうですが、仕立ての仕事を始めてからは十年ほどになります」
「どこで修業した?」
「この国で、正式に弟子入りした経験はございません。裁縫や服飾について学んだあと、個人で依頼を受けながら技術を磨いてまいりました」
「つまり、独学か」
「この国での経歴だけを見れば、そうなります」
前世で服飾を学んだ経験がございます、とはさすがに言えない。
「これまで、貴族からの注文を受けたことは?」
「伯爵家をはじめ、複数の貴族家から継続してご依頼をいただいております」
「侯爵家からは?」
一瞬、ドロテア夫人の顔が浮かんだ。
「ご注文をいただいたことはございます」
最後まで仕立ててはいないけれど、嘘ではない。
「納期に遅れたことは?」
「ございません」
その後も、病気になった場合の対応や、見習いが代わりを務められるのかまで、質問は続いた。
確認したい内容自体は、理解できないわけではなかった。
妻が着るドレスを任せる相手が信用できるのか、確かめたいのだろう。……さすがに疲れてきたが。
「料金は、老舗と比べて安いようだな」
「小さな店ですので、老舗ほど人件費や店舗の維持費がかかりません。使用する布や刺繍によっては、老舗と同程度になる場合もございます」
「安いからといって、技術が劣るわけではないのだな?」
隣にいたミサの眉が動いた。
わたしは、気づかないふりをした。
「これまで、技術不足を理由に作り直しを求められたことはございません」
「なるほど」
伯爵は椅子の背へ深くもたれた。
「まあ、その程度の経歴があるのなら、ひとまず問題はないだろう」
ほっと息をつく。
どうやら面接は終わったらしい。
「では、今話した内容を文書にまとめておいてくれ」
わたしは思わず目を見開いた。
「……わたしが、ですか?」
「ほかに誰がいる?」
伯爵は、不思議そうに言った。
「経歴や過去の注文実績、問題が起きた場合の対応についてだ。使用する布の仕入れ先も記載して、三日以内に屋敷へ届けるように」
「布の産地や工房については、奥様へご説明しております。注文書にも記載いたしますが」
「それとは別に、我が家で保管するための文書が必要だ」
それなら、自分で書けばいいのではないだろうか。
伯爵は、こちらの返事を待たずに話を続ける。
「次に契約内容についてだが、完成したドレスを妻が気に入らなかった場合は、全額返金してもらう」
ミサが口を開けたまま、伯爵を見つめている。
わたしは思わず天井を仰いだ。
これは駄目だ。
話を続ければ続けるほど、要求が増えていく。
「聞いているのか?」
視線を伯爵へ戻す。
「申し訳ございませんが、奥様からのご注文はお断りいたします」
「……は?」
伯爵が、意味が分からないという顔をした。
「なぜ、そうなる」
「当店では、ご注文に必要な注文書や説明書は作成いたします。ですが、伯爵家で保管するための経歴書や調査資料まで作成する時間はございません」
「妻の注文に必要な書類だ」
「伯爵様がお求めになっている書類です。ドレスを仕立てるために必要なものではございません」
店内が静まり返った。
ミサが息を止めて、こちらを見ている。
伯爵の顔から、少しずつ表情が消えていった。
「妻がどうしてもこの店がよいと言うから、わざわざ私が足を運んだのだぞ。その私に対して、注文を断ると?」
「はい。まだ布の裁断には入っておりませんので、お預かりした代金は全額お返しいたします」
「……妻には、別の店を探させるぞ」
「そうなさってください」
伯爵はしばらく黙っていたが、やがて勢いよく椅子から立ち上がった。
「後悔することになるぞ」
「お気遣い、ありがとうございます」
扉が乱暴に閉められ、鈴が激しく鳴った。
しばらくして、ミサが恐る恐る口を開いた。
「……よかったんですか?」
「引き受けるべきだった?」
「いえ……そういうわけではありませんけど……伯爵家ですのに、と思って」
「でも、あの書類を作る時間があれば、別のお客様のドレスを一着進められるよ」
「……たしかに」
書類を提出したところで、終わりではないだろう。
ドレスが完成しても、今度は刺繍の数や縫い目について、一つずつ説明を求められる。
少しだけ惜しいと思うのは、エレノア夫人のことだった。
あの人のためにドレスを仕立てられない。そのことだけは、残念だった。
◆
数日後。
「いらっしゃいませ」
振り返ったわたしは、目を瞬かせた。
立っていたのは、エレノア・ヴァイス伯爵夫人だった。
以前と同じように侍女を連れていたが、今日は、夫が好むと言っていた淡い色ではない。濃い緑色の外套をまとっている。
「突然伺って、申し訳ありません」
「いいえ。どうぞ、お掛けください」
相談用の卓へ案内すると、エレノア様は椅子へ腰掛けた。
「……先日は、夫が大変失礼なことをしたそうで……」
「ああ、そのことでしたら、どうかお気になさらないでください。こちらも、ご注文をお断りしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いいえ。謝るのはこちらのほうです」
エレノア様は頭を下げた。
そのまましばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……夫は、昔から何でも自分で決めたがる人でした」
ああ、やっぱり。
「着る服も、出かける場所も、会ってよい相手も。最初は、わたしのことを大切に思ってくれているからだと思っていたんです」
エレノア様は、力なく微笑んだ。
「夫はわたしより年上ですし、世間のこともよく知っています。だから、夫の言うとおりにしていれば間違いないのだと……」
わたしは黙って、次の言葉を待った。
「ですが、今回の件で、これまでのことも、すべて同じだったのではないかと思ったんです」
エレノア様は、目を伏せた。
「夫はわたしを大切にしていたのではなく、何もかも自分の思いどおりにしたかっただけなのだと……」
膝の上で、握られた手に力が入っている。
「こちらへお願いすることを、わたしはずっと楽しみにしていました。夫の機嫌がよい日を待って、何度もお願いして、ようやく許してもらったんです」
だから、店へ入ってきたとき、あんなにも嬉しそうだったのか。
「それなのに、夫はわたしに何も言わず、こちらへ来て……。屋敷へ戻ると、あの店は信用できない、今後は自分が選んだ店以外を使うなと言われました」
聞いているだけで、むかむかしてくる。
視界の端では、ミサが手にした銀盆を強く握りしめていた。
「ドレス一着のことで、と思われるかもしれません」
「そんなことは思いません」
わたしが答えると、エレノア様が顔を上げた。
「きっと、ドレスはきっかけだったのでしょう?」
エレノア様はしばらく黙ったあと、小さく頷いた。
「このまま夫と一緒にいたら、いつか笑えなくなると思いました……」
その感覚は、よく分かる。
「父も母も、戻ってきてよいと言ってくれました。今は実家におります」
「受け入れてくださるご家族で、よかったです」
「はい……ですから、夫と離婚しようと思います」
「え……」
わたしもミサも、同時に固まった。
「簡単には応じてくれないと思います。それに、夫の家のほうが爵位も高くて……」
エレノア様は、膝の上で両手を握りしめた。
「父が離婚の手続きを頼める法務官を探してくれたのですが、ヴァイス伯爵家と争うことになると知ると、皆、引き受けてくださらなくて……」
「そんな……」
ミサが口元へ手を添える。
「実家との取引にも、夫が圧力をかけるかもしれません。そう思うと苦しくて……戻るべきなのかと、考えてしまうこともあります」
エレノア様は一度息を吸い、まっすぐにわたしを見た。
「それで、お願いがあるんです」
エレノア様は立ち上がると、壁際に置かれた布見本へ目を向けた。
「あの濃紺の布で、ドレスを作っていただけませんか?」
エレノア様が指差したのは、先日、鏡の前で肩へ当てた濃紺の絹だった。
「今度は、わたしが着たいものを作りたいんです。これから戦うための力にしたくて」
わたしとミサは顔を見合わせ、どちらからともなく笑った。
「分かりました」
わたしも立ち上がり、濃紺の布を手に取る。
「では、とびきり気合いを入れて仕立てますね」
ミサが嬉しそうに駆け寄り、布をエレノア様の肩へ当てた。
「やっぱり、素敵です」
ミサが弾んだ声で言う。
エレノア様も、鏡の中の自分を見つめて微笑んだ。
「胸元には、あの日見ていた刺繍を入れたいです。袖も、少し華やかなものにしたくて」
「かしこまりました。では、意匠からもう一度考え直しましょう」
「あの、こちらの頁も見せていただけますか?」
「もちろんです」
「この刺繍も素敵ですね。それから、裾にはもう少し模様を入れたいです」
エレノア様は頁をめくるたび、次々と希望を口にした。
意匠が決まるまでには、前回よりもずっと時間がかかった。それでも、不思議と長くは感じなかった。
◆
それから数週間後。
エレノア様は濃紺のドレスをまとい、久しぶりに王宮の夜会へ出席したという。
わたしが仕立てたのは、肩を大きく開いたローブ・デコルテだった。
胸元を横切る幅広の襟には、星のような銀糸の刺繍を施した。胴は細く絞り、その下からは、たっぷりと布を取ったスカートを大きく広げている。
肩口と腰には、同じ濃紺の布で作った結び飾りを添えた。
昔見た映画の王女が身にまとっていた礼装から着想を得た、凛とした気品のある意匠だった。
普通の人が着れば、ドレスの華やかさに負けてしまうかもしれない。あれほど目を引く美貌のエレノア様なら、むしろこれくらいでちょうどいい。
「あんなドレス、わたくしも初めて見たわ。ええ、それはもう、とても素敵だったの」
店を訪れていたローデンベルク伯爵夫人が、興奮した様子で語る。
「会場へ入ってきた瞬間、それまで話していた人たちまで黙って振り返ったのよ。あっという間に人が集まって、なかなか近づけないほどだったもの」
自画自賛になるが、わたしもあの意匠を選んだのは正解だったと思っている。
金色の髪も、透き通るような青い瞳も、濃紺の絹によっていっそう鮮やかに映ったはずだ。
「もっとも、人が離れなかったのは、ドレスだけが理由ではないけれど」
「と、申しますと?」
夫人は紅茶を一口飲んでから、楽しそうに笑った。
「エレノア夫人は、お話し上手なのね。ご自分が中心になる方ではないけれど、さりげなく皆へ話を振ってくださるから、あの方がいると会話が途切れないの。わたくしも今まで知らなかったわ」
これまでヴァイス伯爵と一緒に夜会へ出席した際には、伯爵が先に話し、エレノア様は夫の後ろで微笑んでいるだけだったらしい。
結婚前から、その美しさは知られていた。
ただ、エレノア様の実家は裕福ではなく、社交の場へ頻繁に出ることもなかった。
格上のヴァイス伯爵家へ嫁いでからは、ますます夫の陰へ隠れるようになった。
「皆、夫君がいなければ何も決められない方なのだと思っていたのよ」
夫人は少し声を落とした。
「……そう見えるように、されていたのね」
「そうだったのですね……」
「それでね、シュタイン公爵夫人が、ずいぶんエレノア夫人をお気に召したそうよ」
「あの、シュタイン公爵夫人が?」
「ええ。次の茶会へ招待なさっていたわ。ほかにも、エレノア夫人を自分の夜会や晩餐会へ招きたいという方が、何人もいるみたい」
王都の社交界で、シュタイン公爵夫人の招待を受ける意味は大きい。
「それは、すごいですね」
そこで、ふと気になった。
「では、離婚のお話も進みそうなのでしょうか」
「おそらくね」
シュタイン公爵夫人は、婚姻問題に詳しい法務官をエレノア様へ紹介した。エレノア様の実家との取引を、今後も変わらず続けると申し出た家もあるそうだ。
王都に滞在するための屋敷や馬車を提供しようという話まで出ているらしい。
「反対に、ヴァイス伯爵のほうは、ずいぶん居心地が悪くなっているそうよ」
「まあ……いたたまれないでしょうね」
これまで妻のことを、自分に都合よく話していたのではないか。そんな噂が、社交界で広まり始めているという。
「それに、エレノア夫人を招いた家にも、あれこれ口を出しているのですって。今では、ヴァイス伯爵の言葉をそのまま信じる方も少ないでしょうけど」
あからさまに伯爵を非難する者はいない。
しかし、夜会で声をかける者は減り、大切な相談の席からも、少しずつ外されるようになっているという。
「もう、ヴァイス伯爵が人知れず話を握り潰せる状況ではないのよ」
「……そうですか」
わたしも紅茶を一口飲んだ。
話を聞いていたミサが、ぽつりと呟く。
「先生のドレスが、きっかけになったのですね……」
「わたしはただ、エレノア様が一番美しく見えるドレスを仕立てただけよ」
「でも、そのドレスを見て人が集まって、エレノア様のことを知って……それで、ここまで変わったんですよね」
「たかがドレス」
ローデンベルク伯爵夫人が笑う。
「されど、ドレスよ」
その後、エレノア様が夜会で着ていた濃紺のドレスは、王都でもかなりの話題になった。
――離婚のできるドレスとして。
今日も、《フィル・ブラン》の扉の鈴がからんと鳴る。
「いらっしゃいませ」
店へ入ってきたのは、貫禄のある年配の婦人と、その隣に立つ、すらりと細身の青年だった。
婦人は青年の腕へ自分の腕を絡め、にこやかに告げる。
「今度、この方と結婚することになったの。この人に、とびきり美しい礼服を一着仕立ててくださる?」
青年が、少し照れたように目を伏せた。
わたしは一度だけ瞬きをしてから、笑顔を浮かべる。
「……かしこまりました」
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
前作の続編ではありますが、今回も一話で完結する短編として書いたつもりです。
前作を読んでいないと分かりにくいところや、「これはどう見ても連載の途中だろ!」と感じる部分がありましたら、こっそり教えていただけると嬉しいです(笑)
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反応次第では、シリーズ化……できるかな……ネタが……(汗)




