第7話 銀髪男
ふたりが見上げる視線の先で。
空の彼方がキラリと光り。
――次の瞬間、その輝きがブワッと超高速で迫ってきた。
「……!?」
気づくとわずか数メートル先に、男が浮かんでいる。
銀髪をなびかせ、凍てついた表情を浮かべる、スラリとした体形の男。
身にまとう漆黒の服はシャープなシルエットで、奇妙な威圧感がある。
そして胸元に鈍く輝いているのは、重々しい銀の首飾り。
そんな銀髪男はゆっくりと地面に降りていき、足が土に触れた瞬間――そこを起点として氷が数十センチほど地面に広がった。
「…………」
男は当然とばかりに歩みを進める。
一歩一歩こちらに近づくたび、地面に氷が咲き誇る。
その異様さにリオンは本能的な恐怖を感じていた。
(ど、どうする? いやもちろん俺が偽物の魔王だとバレる前に逃げるべきだろうが……あんな猛スピードで空を飛んでくるような奴相手に、逃走なんて手段が通用するか?)
考える間に男は数歩手前にまで近づいていた。
身構えるリオン。
すると銀髪男はその場で恭しく片膝をつき、優雅に礼をとった。
「……!」
慌ててリオンも同じように片膝をつく。
恐らく挨拶なのだろうと察しをつけて取った行動だったが、それは明らかに失策だった。
「……!?」
銀髪の男が驚愕の表情を浮かべていたのだ。
それを見てリオンは慌てて立ち上がり、精いっぱいふんぞり返ってみせた。
もちろん偉そうに見せようという、なけなしの知恵を絞った小細工だ。
「……」
いぶかしげな表情を浮かべたまま、銀髪男もゆっくりと立ち上がる。
そして揺れる胸元の首飾りを右手で掴むと、警戒の色を隠しもせず静かにつぶやいた。
「……魔王様。これはいったいどういうことです」
「どういう、とは?」
極力尊大に聞こえるよう、顎をあげて答えるリオン。
銀髪の男は視線をリオンの足元に向ける。
「そこの布袋に詰め込まれ、顔だけ出して寝ている人間に見覚えがあります。勇者リーリアに間違いない。なぜ彼女を生かしているのです。それに……」
次はユナに視線を向け、心底理解できないと言いたげな口調でつぶやく。
「聖王国の血を引く娘に力を分け与えるなど……」
「俺様のやることに文句があるのか?」
「……」
銀髪男の目がスッと細くなった。
それは明らかに反抗の態度。
(ほー、思いのほか従順な部下というわけでもなさそうだ。このぶんだと戦闘も覚悟した方がよさそうだな)
そんなことを思いつつ、リオンはわりと気楽だった。
(でも結局、俺が魔王なんだろ? 魔族の中で一番強いのが俺なわけで……平気だって、なんとかなるなる)
そしてリオンが呑気にしていた理由はそれだけではない。
銀髪男は明らかにリオンを怪しんでいた。
けれど有無を言わさず襲い掛かるでもなく、まず会話によって状況の確認を始めたのだ。
実に理性的な判断で、はっきりいって怖さを感じない。
今のリオンとしては、奇声を発しながら半狂乱で襲い掛かってくる全裸の変態の方がよほど怖かった。
別にふざけているわけでは無い。
どうやらこの世界では、呪文は謎の文字列として頭に浮かんでくるらしい。
魔法を使うためにはそれを瞬時に解読し、速やかに唱える必要がある。
だから、呪文の解読や詠唱に支障がでるほど心を乱されると、本当に困るのだ。
けれど今回の相手は、幸いなことに真っ当な文明人のようだ。いや、魔族なので人ではないのだろうが。
なんにせよこちらの実力が上である以上、戦闘になっても気圧されることも無く順当に叩き潰せるだろう。
(ま、うまく誤魔化して戦闘を回避できるのならそれにこしたことはないけどな)
リオンは相手の出方を探るため、静かに口を開く。
「実は今の俺様は記憶喪失でな。過去の記憶がなにも思い出せん。現在の魔王軍の状況を説明してもらえるか?」
「記憶喪失……ですか?」
「そうだ。勇者との戦いの結果、記憶を失ったようなのだ」
「…………」
リオンの言葉を聞いて、男の視線がさらに剣呑さを増す。
そして彼が全身にまとう魔力も大幅に増大した。
(初対面のユナは騙せても、付き合いが長い魔族相手に誤魔化すのは無理か。そもそもなにを誤魔化せばいいのかすら分からないもんな。そら無理だわ)
諦めてバトルの心構えをしていると、銀髪男は不敵に笑う。
「魔王様。かつて貴方はおっしゃいましたね。五天魔という地位に不満があればいつでも殺しに来いと。魔族は実力至上主義だと」
「記憶喪失だからなにも憶えてねーって言ってんだろ。まさかお前まで記憶を失ったのか? ついさっき伝えたばかりなのに? 魔王としては、そんなことじゃ困ると言わせてもらおうか」
「――来たれ、氷極よ!」
(チッ、いきなりかよ!)
全身に氷をまとい猛スピードで突進してくる銀髪男。
リオンはそれを軽々とかわす。
(……なんとかなりそうだな)
日本にいた頃のリオンであれば間違いなく今の攻撃で全身を粉砕されていただろうが、この魔王の身体はかなり優秀だった。
頭に思い浮かべるだけで、身体が勝手に動き出すのだ。
攻撃が来ると認識さえできていれば、光速パンチが飛んで来ようとも避けるのは決して難しくない。
というか、かなり容易い。
「…………」
もっとも銀髪男としても、この攻撃が避けられることは予想していたらしい。
突進を隠れ蓑に、なにやら呪文をぶつぶつと唱えている。
そんな彼の背後には、その場に座り込んで観戦を決め込むユナがいたが……どうもそちらを狙うつもりは無いようだ。
(やっぱこいつ妙に甘いな。まあ助かるけど)
銀髪男の詠唱が終わったようだ。
両手に氷をまといつつ、再びリオンに突進を仕掛けてくる。
と。
「――氷よ咲き誇れ!」
男が叫ぶやいなや、無秩序に地面に氷が広がっていく。
だが魔力の流れを感じ取っていたリオンは、どこまでが魔法の効果範囲か正確に把握していた。
小刻みに背後に跳躍することで、氷の拘束を難なく逃れる。
「――氷河よ!」
さらに追撃。
男の手から放たれた氷が渦を巻きながら空中を疾走しリオンの身体に迫るが――これも軽く横に跳ぶことで無傷で回避。
(たぶん足止めしてから本命の攻撃という狙いだったんだろうが……まあこの程度の連携なら余裕で対応できるな)
リオンには男が扱う魔力の流れが完全に読めていた。
行使する魔法の種類も威力も発動場所さえも事前に把握できるのだ。
それは疑似的な未来予知と言っても過言ではなく、これでは銀髪男の攻撃が当たるはずなどなかった。
(なるほど、これができるのなら魔王と呼ばれるのも当然だな。ほぼ無敵じゃん)
戦いの最中にそんなことを考える余裕すらあるリオン。
一方の銀髪男は力の差を感じ取ったのか、表情が歪んでいた。
「氷剣よ来たれ!」
銀髪男は巨大な氷の剣を生み出すと両手で掴み、鋭く切りかかってくる。
接近戦で勝機を見出すつもりなのだろう。
裂ぱくの気合と共に銀髪男が放つ、強烈な振り下ろし!
スッ……。
そこから不意を突く薙ぎ払い!
スッ……。
さらに氷の魔法を交えて、舞い踊るように乱舞乱舞乱舞!
スッスッスッ……。
なんの苦も無く銀髪男の猛攻を避けながら、リオンはだんだんと焦り始めていた。
(こ、攻撃魔法ってどうやったら使えるんだ!?)
それはバカバカしくも、重大な悩み。
(俺って呪文が頭に思い浮かばないとなにもできねえじゃん!)
ひょいひょいと身軽に銀髪男の攻撃を躱わしつつも、実のところ心情的には余裕がない。
追い詰められた銀髪男が、ユナを人質にでも取ると対処に困る。
魔王軍幹部なんて危険な相手はできればさっさと仕留めたいところだが、一体どうすればいいのか分からなかった。
「なぜ……なぜ攻撃してこないっ……! バカにしているのですか……!」
そんななか、銀髪男が初めて見せた憤り。
ここだとリオンは思った。
煙に巻くならここだ、と。
リオンはその場で立ち止まると、胸を張り堂々と一喝。
「この俺様の気持ちが分からんのか!」
「……!」
銀髪男の動きも止まった。
リオンはそんな彼に向けて、熱く語り掛ける。
「貴様は我が右腕なのだ。自身の右腕をわざわざ砕く馬鹿がいるか? いや、いるはずがない! 俺様が攻撃しないのは当然だ! だというのになんだその体たらくは! いつまでも俺様に攻撃を続けおって! 貴様の敵は本当に俺様か!? いい加減に五天魔としての己の本分を思い出すがいい!」
「……」
その言葉が意外だったのか、呆然としている銀髪男。
やがてぽつりとつぶやく。
「記憶を失っていたのでは? なぜ私が右腕だと思ったのです……?」
「……!」
真っ当な指摘にハッとするリオンだがその驚きは表に出さず、表情を隠すように重々しく頷いてみせた。
「たしかに俺様は記憶を失っているのだから、貴様が右腕というのは想像に過ぎん! そして、貴様の気持ちも理解する。恐らく、記憶を失った今の俺様の言動に相当な違和感があるのだろう。しかし、しかしだ! そんなうさんくさい相手にも理知的に対応するその貴様の落ち着きっぷり! そして俺様を確実に追い詰めていく、魔法のキレと瞬時の対応力! 魔王である俺様だからこそ無傷でやり過ごせているが、他の連中であればとっくに負けていたことは疑う余地が無い! 間違いなくかつての俺様は、貴様を重宝していたことだろう。ゆえに貴様は我が右腕であろうと判断し、攻撃を控えたのだ!」
「…………」
長々とリオンが叫び続ける間、銀髪男は眉をひそめ悩む様子を見せていた。
こちらの態度に魔王の片りんでも見たのか、あるいはかつての魔王の姿とあまりにも違いすぎてどうしていいのか分からなくなっているのか、リオンには判断がつかない。
「疑問があるのならばいくらでもぶつけてくるがいい! 俺様はそのすべてに答えよう!」
全ての疑問を「記憶喪失だから分かりません」だけでやり過ごそうと覚悟を決めたリオンの言葉は、かえって真摯に響いた。
銀髪男は苦悶の表情のまま口を開く。
「魔王様が記憶喪失ということはひとまず呑み込むことにいたしましょう。ですが納得できないこともある。――なぜ勇者を生かしているのです? 彼女を殺してこそ人間たちの絶望が深まる。そう仰ったのは魔王様ご自身ではないですか」
「……」
リオンは銀髪男の真面目な表情を見て、言葉に詰まった。
(記憶喪失を理由にしてすっとぼけるのはさすがにマズいか? 勇者と魔王は元々恋人同士だから、そもそも殺すつもりなんてなかったんだろうが、でもそれを記憶喪失中の俺が知ってるのはおかしいし……よし!)
リオンは未だに勇者と魔王の関係性を勘違いしていたが、だからこそ嘘をつくことに抵抗が無かった。
力強く宣言する。
「俺様は――勇者に一目ぼれしたのだ!」
「ひ、一目ぼれ……!?」
「そうだ! 敵だろうとなんだろうと関係ない! こんなに美しい女性は初めて見た! いずれは我が妃として迎え入れるつもりだ! まさか異論はあるまいな!」
「お、おおー」
なにやら背後ではユナの拍手の音が聞こえてくるが。
「ふ……ふふふ……」
銀髪男の反応は違った。
「はーっ、はっはっは!」
しばらく肩を震わせたあと、天を仰いで哄笑する。
(いや急に大笑いしすぎだろ……こわっ……。まあ、なんか丸く収まりそうな雰囲気だし別にいいけど……)
リオンが遠巻きに見守るうちに銀髪男の笑いは止まり。
そしてやたらと穏やかな口調でつぶやく。
「なるほど、だとすると私は……この世界を統べる覚悟を決めなければならないようですね」
(……おんや? 納得してくれたかと思ったけど、どうやらこれは……)
不穏な空気を察するリオン。
次の瞬間、銀髪男がまとう魔力が爆発的に高まった。
「ふふふふふふふふ」
それは狂気すら感じさせる笑いだった。
冷静さの仮面が剥がれた男は、凶悪な形相でつぶやく。
「まさかこの期に及んで、魔族の窮状を理解していないとは思いませんでした。今のあなたはもはや魔王などとは認められない……!」
(あ、やっぱり。完全にブチぎれてる……。こっちの話は全部無視することに決めたっぽいな)
そしてその対処法は必ずしも間違いとは言えない。
結局のところ銀髪男にしてみれば、リオンが本物だろうと偽物だろうと構わないのだ。
――戦いに勝利して、彼自身が魔王になってしまえばなんの問題も無い。
「最大威力で薙ぎ払う!」
宣言通り銀髪男の周囲に、今までとは比較にならないほどの強烈な冷気が集まっていく。
(くそっ、攻撃の範囲が広い! ユナたちを庇わないと!)
慌てて防御体勢を取ろうとした、その時。
リオンの脳裏に不可思議な文字列が閃く。
(――きた! 呪文だ!)




