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のっとり魔王の冒険譚  作者: 阿井川シャワイエ


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第3話 魔王強奪

 荒涼たる地アスモデウスに砂塵が巻き起こり、リーリア・ハルベルシアは思わず膝をついた。


「……くっ!」

 

 目を細めたのは砂塵のせいばかりではない。

 眼前の光景が信じられなかったのだ。


 強烈な風が吹きすさぶ中で、黒いローブを揺らしながら悠々と空に浮かんでいるのは――無傷の魔王。


 短く刈り上げた黒い髪に、分厚いローブ越しでもなお分かるほど、異様なまでに筋肉質な身体。

 こちらを見下ろす、どこまでも冷たい眼差し。

 肌の色は死んでいるのかと思うほど青白い。


 そしてなにより――。

 

(【退魔(たいま)死滅刃(しめつじん)】が効いていない……!?)


 その衝撃は、勇者と称えられた彼女の膝をつかせるのにじゅうぶんなものだった。


 ――赤髪の勇者リーリア・ハルベルシア。

 その華奢な体格や18歳という若さから侮られることも多いが、剣技に優れ()に抜きんでた魔力量を持つ、人類最強と謳われた魔法剣士である。

 これまでに魔族に占領された街をいくつも解放し、幹部級の魔族を両手で数え切れないほど討ち滅ぼしてきた。


 リーリアは人類に残された最後の希望。

 ゆえに人々は彼女のことを、邪悪なる魔王軍に立ち向かう勇気ある者――勇者と呼ぶ。

 

 そんなリーリアの快進撃を支えたのは強い意志。

 

 魔王によって滅ぼされた聖王国の生き残りとして、たとえ我が身に代えても魔族を打ち滅ぼさんとする覚悟があった。

 

 そしてその決死の覚悟に、大陸全土が呼応する。

 各国の重要都市が次々と魔族に反乱を起こし、五天魔と呼ばれる魔王軍の幹部を誘い出すことで魔王と1対1で戦える状況を作り出したのだ。

 

 リーリアはその意味を理解していた。

 ここで魔王を打ち倒さなければ、人類が滅ぶことになると。

 

 ――勝算はあった。

 

 今となっては唯一リーリアだけが使える、鋭い斬撃に聖なる魔法を練り合わせた【退魔の死滅刃】。

 聖王国の王族にのみ伝えられてきた退魔の技の秘奥であれば、魔王にも届く必殺の一撃になりうる。

 

 だからこそ隙をついて魔王の身体に直撃させたときには思わず快哉を叫び、その場に崩れ落ちる魔王の姿を幻視したほど。

 

 だが現実は――。


「…………」


 魔王は渾身の一撃が直撃してもなお、冷たい眼差しでリーリアを見ていた。


 魔法で防いだわけではない。

 単なる肉体の頑強さだけで耐えられたのだ。


(これは……勝てない……?)


 頼りにしていた最強の技がまるで通じず、思わず自信が揺らぐ。

 

 だが。

 

(こらえろ……! くじけるな! 聖王国が滅んだあの日、私は誓ったんだ! この世界を! 大陸のみんなを! そしてなにより――大切な妹を! 命に代えても守り抜いてみせると!)


 心に情熱を灯したリーリアは、呼吸を整え剣を握りなおす。

 

(聖剣が滅失した以上、技の威力が減じることなど分かっていたはず。通じるまで何度でも放つ! 今までのすべてを信じて!)


 全身に力がみなぎる。

 その気迫は勇者の名に恥じないものだった。

 

 が。

 

 突如として魔王の眼前に、複雑な模様が描かれた魔法陣が浮かんだ。

 

 咄嗟に防御しようとして、リーリアはハッと動きを止める。

 

(このプレッシャーは――召喚魔法!)


 浮かび上がる模様の複雑さから極めて高度なものだと察しが付いた。

 

 リーリアの視線の先で、紫に輝いていた魔法陣の模様が、次々と金色に変わっていく。

 

 やがて魔法陣に(はりつけ)にされるように、幼い少女の姿が浮かび上がってきた。

 それは無垢なパジャマ姿の、赤髪の少女。


 その少女に見覚えがあった。

 否、見覚えどころではない。


 彼女は勇者にとっての希望。

 旅に出た意味そのもの。

 

 なぜならその少女は――。


「お、おねえちゃ……」

 

「妹に触れるなあっ!」


 激昂するリーリアから、大気を震わせるほどの凄まじい闘気がほとぼしる。

 いくつもの死線をくぐり抜けてきたリーリアは、怒りに支配されてもなお理性的だった。

 爆発的な踏み込みで一気に魔王に迫ると、高まる魔力を剣に注ぎ込み最大威力で叩きつける!


「退魔の死滅刃ッ!」


 振るう刃は聖なる光を放ちながら、魔王の胴に勢いよく食い込んだ。

 

 衝撃の余波が地面を波打たせ、周囲の山を崩す。

 

 だが、肝心の魔王は微動だにしない。

 それどころか無造作な腕の一振りで、勇者は剣ごとはじき返されてしまう。


「……くっ!」


(でも、今回は手ごたえがあった! これなら――)

 

 剣を地面に突き立て、再び前に出ようとした瞬間。

 

 魔王の目が怪しく光る。

 その一瞥だけで、リーリアの身体はその場に釘付けになった。


(動けない!? いや……たとえ足が地面に縫い付けられたとしても――関係ない……!)

 

「う……うおおおおおおおお!」

 

 リーリアは歯を食いしばり、必死の抵抗を見せる。


 彼女の魔法抵抗力の成せる業か或いは意思の力か。

 ゆっくりと、だが確実にリーリアは歩みを進めた。


 剣にありったけの魔力を込めながら見据えるのは、眼前の魔王のみ。


 けれど。

 魔王はもはや勇者に目もくれず、磔にされた少女に向けてゆっくりと手を伸ばしていた。


「や、やめろっ!」


 苦痛に歪むリーリアの口から漏れたものは、もはや悲鳴に近い。


 この距離では死滅刃は届かない。

 

 魔王もそれを察しているのか、リーリアを嘲笑うかのようにゆっくりと少女に手を伸ばし、その細い首を掴む。

 そして嬲るようにじわじわと、指に力がこもっていき……。


「た、たすけ……」


 少女の口から震える声が漏れた。

 瞳に浮かぶ絶望が濃さを増していく。


「やめて……くれえッ……!」

 

 足を引きずり、懸命に歩みを進めながら、ついに哀願の口調となるリーリア。

 魔王はその響きが心地よいのか、嗜虐的な笑みを口の端にたたえている。

 

 互いに動きは止まらない。

 勇者が近づくにつれ魔王の笑みはだんだんと深くなり、そして――。


「やめろおおおおおお!」

 

 ――ぶちっ。

 

 それがなんの音なのかは、脳みそが理解を拒んだ。


 血と肉があたりに散乱する。

 

 リーリアは数秒前まで妹だった物体を呆然と見つめながら――分かったのは、すべてが終わったということだけ。

 

 手から剣が滑り落ち、そのまま彼女自身も地面に崩れ落ちた。


 ――無力だ。

 

 心に浮かぶのは、嘆きの言葉。

 悲壮な覚悟も幾度となく奮い起こした勇気もすべては無駄だった。


 無造作に足元を踏みにじりながら、なんの感情も感じさせない魔王の瞳をぼんやり見つめながら、リーリア・ハルベルシアは思う。

 

 ――死ぬことは、あるいは救いなのかもしれない。

 

 リーリアが魔王討伐に名乗りを上げたのは、妹を守るためだった。

 魔王が聖王国の血筋を根絶やしにしようとしていると知ったあの日、彼女はふたりを保護してくれたグランリュート王国を飛び出したのだ。

 

 自身をも上回る力を持っているユナは、やがて魔王に目を付けられる。

 そのために最愛の妹を王都に残し、リーリアは魔王討伐の旅に出た。

 苦しい時もつらい時も、妹のことを思うと乗り切れた。

 

 そしてだからこそ。

 

 ……守るべき者を失った今、立ち上がることなどできるはずもない。


 リーリアにとっての世界は、妹が死んだこの瞬間に終わったのだ。

 魔王によって強引に幕引きされてしまった。


(……こんなお姉ちゃんでごめんね)


 不甲斐なさで、涙が滲む。


(……約束を守れなくてごめん……明るい世界を見せてあげられなくてごめん。世界のためになんて、私もう戦えないよ。だって……この世界にはユナがいないもの。ごめんなさい、みんな……私のこと、信じてくれたのに……)


 座り込んだまま浮かんでくるのは謝罪の言葉ばかり。

 

 それをあざ笑うかのように、魔王が頭上に掲げた右手には、暗黒のエネルギーが収束していく。

 勇者の身体を……否、この荒野地帯すべてを吹き飛ばす程の威力が魔王の頭上に集まりつつあった。


 絶望の瞳でその光景を見上げるリーリア。

 

 やがて魔王が掲げる暗黒エネルギーは限界寸前にまで高まり、そして……。


 ――魔王の身体がビクンと跳ねた。


◇◆◇◆◇◆◇


(うおっ……)


 リオンは闇のなかで覚醒した。


 体中が重い。

 目もはっきりと開かない。


(んんん……? なんつーか、あれだ……いま変な感じになったな。たしかシャーミングとかいう……ん? ジャーキングだっけか……。とにかく、変な体勢で寝てると身体がビクンとなる例のアレ)


 上げた右手がやけに熱い。きっと今は電車だろう。つり革を持って立っているわけだ。

 そうぼんやりと考え……すぐに疑問が浮かぶ。


(いやでもこれ、つり革の感触じゃないような……? それに立ったまま居眠りなんてするか……?)


 そんなことを思いつつ、リオンはやたらと重いまぶたを開いた。


 目の前に広がっているのは――荒れ果てた大地。


「どこだここ!?」


 想像とあまりにも違う光景にリオンは驚愕した。

 

「こんなとこ近所にない……っていうか日本にある!?」


 慌てて周囲を見回すが、当然のように景色が変わることは無かった。


 ごつごつとした岩山が地平線の向こうまで延々と続いている。


「っていうか俺、なに持ってるの!? なんかすっげー熱いんだけど!」


 見上げるとすぐ頭上に、黒光りする謎の球体が浮かんでいた。

 間近に見えるその異常なまでの存在感にリオンは圧倒される。


「まじでなんだよこれ!? 大玉ころがしの玉よりでけえ! しかもなんかパチパチ言ってる!? ちょ……は、離れろよ……!」

 

 黒光りする球体が放つ放電にビビりつつ、手をぶんぶん振る。


 すると球体は怯えるリオンに気を遣うようにすっと上空へと離れていった。


 そして一定の距離を保ち、こちらの様子をうかがうように上空で待機している暗黒球体。


「……」


(もしかして俺が離れろって言ったから? 指示に従ってる……?)


 リオンはまじまじと球体を見直した。


 まるで宇宙という概念をそのまま球体にしたような、恐ろしいほどの高エネルギーの塊だ。

 

 パチパチと周囲に放たれる放電に触れただけでも、腕ごと消し飛びそうなほど。

 

 あるいは友好的な関係を築けるかもしれないと思ったが、さすがにこれは無理だろう。

 ライオンと友達になろうとするようなものだ。

 なれるやつはいるかもしれないが、それは少なくとも自分ではない。

 

 そう考えたリオンは、球体に向かって軽く頭を下げた。

 

「ごめん悪いんだけど、俺には君みたいにパワーあふれる球体はちょっと扱いきれそうになくて……どっかで適当に遊んでてくれるか? そのうち呼びに行くからさ……」


「キュイ!」


「あ、なんか返事してくれた」


 黒球は承諾するかのようにその場でくるっと縦回転したあと、スーッと遥か上空へと消えていく。


(ふーむ。意思の疎通が取れるとなると、急に可愛く思えてくるから不思議だ……)


 そんなことを呑気に考えながらリオンは周囲を見回し、呆然とこちらを見る視線に気づいた。

 そしてその人物が血を流していることにも。


「あれ!? 怪我してる!」


「……!?」


「お、おい、あんた、大丈夫か!?」


 慌てて駆け寄るが、赤髪の女性はなにがあったのか放心状態でこちらを見つめていた。

 薄汚れた格好をしていたが、ひと目で分かるほど美しい女性だ。


(怪我は大したことなさそうだな。でも……)

 

 彼女の手元には、剣が落ちていた。

 鞘に納められた日本刀ではなく西洋風の剣だ。

 剥き身で置かれている。


(コスプレ……?)


 そう感じたのは服装のせいもあるだろう。

 下半身は生地の分厚いズボンをきちんと着込んでいるようだが、問題は上半身。

 

 ノースリーブの黒いシャツのような物しか着ていない。

 やたらとピッチリとしていて、メリハリのきいた身体の凹凸がはっきりと分かってしまう。


 色合いこそ地味ではあったが、街中をこんなに胸が強調される姿で歩く女性なんて見たことが無かった。


 だからこそアニメキャラのコスプレを連想したわけだが。


(でもそれにしては身体全体が血や泥にまみれていて、やけに迫力があるんだよな。まるで本当に戦ったあとのような……)

 

 そこでハッとした。


(そうだ……たしか俺は転生することになって……つまりここは異世界か! そしてこの人は異世界人! なるほどだからこんな薄着姿で外をぶらついていたのか……! さすがは異世界、常軌を逸してるぜ!)

 

 周囲に鎧らしき物の破片が散らばっていることには気付かず、失礼なことを考えるリオンだったが。

 ふと自身の身体の違和感に気付く。


(あれ、でもだったら俺はどういう状況なんだ? 転生したはずだけど身体は普通に動く……明らかに赤ん坊ではないよな)


 そして転移というわけでもなさそうだ。

 本来のリオンの視点より、遥かに高いのだ。

 

 確認のため、自身の身体をペタペタ触る。

 やけに筋肉質な身体。

 明らかにでかい、2メートル近い巨体。


 顔もごつごつしていて恐らく男だろうと思えた。

 

 判断材料は少ないが。

 それでも、ひとつだけ分かったことがあった。


 分かりたくは無かったけれど、自然と理解できてしまったのだ。

 

 リオンはその場に崩れ落ちると、地面に向かって大声で叫ぶ。

 

「ちくしょぉぉー! たしかに赤ん坊は乗っ取ってないけどさぁ! 大人なら乗っ取ってもオッケーってことじゃねえからな! 何考えてんだあいつらああああ!」

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