第17話 湯浴み
たらいの中で揺れる水を眺め、リオンがつぶやく。
「……これに浸かるのか?」
「ふふふ」
リーリアは口に手を当て、あどけなく笑っている。
「それでもかまいませんが、布を水で濡らして身体を拭くだけです」
「ああ、なるほどな」
よく見ると、リーリアは清潔そうなタオルを何枚か持っていた。
(こんな辺鄙な場所にシャワーなんてないか。魔法を使えばなんとかなりそうな気もするけど……寝起きで頭が回らないし、部屋を水浸しにして損害賠償なんて話になっても困るもんな)
ここは素直に席を外したほうがいいだろう。
そう思ってリオンが立ち上がろうとすると――。
「では失礼して。うんしょっと」
「……!」
リーリアがおもむろに、ノースリーブの黒いインナーシャツを脱ぎだした。
驚くべきことに、その下にはなにも身に着けていない。
彼女の透き通るような真っ白な肌が、リオンの視界に飛び込んでくる。
「ちょ、ちょお!?」
慌てふためくリオン。
リーリアはそんな彼に気付いているはずなのに、やたらと平然としていた。
美しく整った豊かな胸を隠すことも無く、分厚いズボンと下着を流れる様な動きで脱ぐと、丁寧に折り畳んで床に置く。
そして身体をひねり、自身の裸体をしげしげと眺めだした。
「あれ? 太ももにあった傷跡が治ってますね。リオンさんが治してくださったんですか?」
「し、しらん! 自然治癒力ではないか?」
両手を上げて自身の視界を遮りながら、懸命に床を凝視するリオン。
そのすぐ隣でユナが胸を張っていた。
「ユナが治しました。この程度の傷なら、ユナの魔法でも対処できます」
「え!? 凄いじゃないユナ! あなた、回復魔法が使えるようになったの!?」
「はい。それだけじゃなくて、リーリア姉さまの肌の泥汚れも、魔法で落としておきました。でもそれはすべてご主人さまのおかげです。使い魔として、様々な魔法を使えるようになったので」
「……っ!」
リオンはハッと顔を上げた。
使い魔という単語にリーリアが拒絶反応を示すのではないかと思ったのだ。
しかし彼女は特に気にした様子はない。むしろ嬉しそうに笑っている。
「そうなの。あっ、お腹にあった大きな傷まで治ってる……! 一生跡が残ると思ってたのに。ほら見てくださいリオンさん。ユナって、すごいですよね? あの傷跡が、こんなにきれいに――」
「いやいやいやいや! 俺は元の傷を知らないから! 見せなくていいから!」
光り輝くようなリーリアのへそから、必死に目をそらしつつ。
(なんだよこの恥じらいの無さ! 異世界人ってみんなこうなの!? それとも戦いに明け暮れる勇者だから!? なんにせよさすがにこれは目の毒だ!)
リオンはベッドを急いで這い出ると、リーリアに背をむけたままシュタッと片手を上げた。
「と、とりあえず俺は部屋を出るから! 風呂が終わったら声を――」
「たあ!」
「ぐへっ!?」
膝に衝撃を受け、リオンは床に倒れ込む。
見ると脚にへばりつくように抱きつくユナの姿があった。
「お、おい、なにをしてる」
慌てて尋ねると、ユナは妙にキリッとした表情のまま、小声でささやく。
「だいじょうぶですご主人さま。ご主人さまはユナに妨害されてこの部屋から出られないだけ。リーリア姉さまの湯浴み姿を覗くつもりなんていっさいない。心得てます……!」
「親指を立ててる場合じゃないんだ! はなせ、はなせ!」
「もうユナったら。甘えたい気持ちは分かるけど、あまりリオンさんの邪魔をしちゃだめよ」
そう言って前かがみになり、ユナの頭をなでるリーリア。
ユナはあからさまに不服そうだ。
「邪魔なんてしてません。たくさん頑張ったご主人さまにも、さっぱりとした気持ちになっていただきたいと思っただけです」
「……なるほど。それはそうよね」
納得したように真顔で頷くリーリアは、リオンに視線を向けた。
「もし良かったらリオンさんも一緒にどうですか? タオルならまだありますよ」
「……!」
微笑みと共に目の前に差し出されたタオル。そしてどうしても視界に入ってくるリーリアの裸体。
リオンは思わず生唾をのんだ。
リーリアは裸にもかかわらず、それを一切気にした様子がない。
芸術品のように美しい裸体を惜し気もなくさらし、リオンに聖女のような微笑みを向けている。
(こ、これが異世界の常識……!? 裸を気にする俺が変なのか!? いやでも、俺にとってはそれって非常識だから! 負けてたまるか、負けてたまるか!)
自分自身なにと戦っているのかはよく分からなかったが。
リオンは、ユナを軽く押しのけてその場で勢いよく立ち上がると、直立不動で目を閉じ叫ぶ。
「俺はあとでいい!」
「そうですか?」
「ああ! 1階で待ってるから、風呂が終わったら呼びに来てくれ!」
「あ、ご主人さま。食事はどうします?」
「もらってく! ありがとう!」
ユナが持って来てくれたトレイを両手で掴み、リオンは大慌てで部屋を飛び出た。
1階に、店主の姿は無かった。
入口近くのテーブルの上にトレイを乗せ、木の椅子に座り。
背中を丸めてもぞもぞとパンにかじりつきながら、リオンは内心ぼやく。
(まいったな……)
味はなにもしない。やたらと硬い食感以外はなにも分からない。
(本当にまいった……)
せっかく念願の食事タイムだというのに、リーリアの裸体が脳裏に渦巻いていた。
貧乏学生であるリオンは勉強とバイトに明け暮れる日々で、色恋にうつつを抜かす余裕などなかった。
それだけに、彼女の裸が強烈な印象として頭に残ってしまったようだ。
(リーリアかぁ)
彼女はどうも、リオンに対して良い印象を持ってくれているらしい。
振る舞いや視線、会話の端々から彼女の好意を感じるのだ。
どうやらユナを助けたことが、彼女の好感度にかなりの影響を与えたらしい。
(そりゃあさ、力の使い方が大事だっていうリーリアの言葉も分かるんだけど、でもそれって要は状況に対する評価でしかないっていうか……)
野菜すら入っていない、薄味のスープをすすりながら考える。
(……ぶっちゃけ俺じゃなくても助けたと思うんだよな。力と余裕があれば誰だって困ってる相手には手を差し伸べると思うし。んで俺は運良くそれができるだけの力も余裕もあった。言ってしまえばただそれだけでしかなくて……なんか騙してるようで気が引けるっていうか……)
スープを飲み干し、最後のパンのカケラを口に放り込んで。
リオンは思わず苦笑した。
(つーか別に告白されたわけでもないのに、なにを慌ててるんだろうな俺は。ユナの命を助けて、普通に感謝されただけだ。裸だって、別に好意があって見せてきたわけじゃない。この世界では、異性に裸を見られるのが恥ずかしいなんて認識がない、ただそれだけのことだ。まったくこれだから恋人いない歴=年齢の男ときたら。ちょっとしたことで狼狽えて、情けないよな)
自嘲しながら席を立ったリオンは、トレイを手にカウンターへ向かう。
「ん? 店主はいないのか……?」
カウンターに姿がないことには気付いていたが、その裏手にあるキッチンにも見当たらない。
と、カウンターの脇にあるドアが、半開きになっていることに気付く。
「すみませーん。食べ終わったんですけど……お皿はキッチンに置いときますねー」
声を掛けながら近づくと、室内の光景が自然と目に入ってきた。
そこはやたらと雑然とした部屋で、中央に置かれた背の低い机の上には、驚くほど大量の手紙が置かれている。
部屋の奥には窓があり、カーテンは閉まっていない。
(誰もいない? ……いや)
窓の外に小さな人影が見えた。
(あれって店主さんだよな? こんな時間に外でなにやってるんだ?)
人影の動きを眺めるうちに、ふと思いつく。
キッチンには大きな水がめがあったものの、水道らしきものは見当たらなかった。
(もしかして外にある井戸から水を汲んできてたりする? ……様子を見に行くか。場合によっては手伝っても良いしな)
そう軽く考えたリオンは、キッチンの流しにトレイを置くと、宿屋の出入り口から外へ。
綺麗な星空を見上げつつ建物沿いをぐるりとまわり、先ほど目にした窓の外へとたどりつく。
店主は宿から漏れる光に背中を照らされ、その場にしゃがみ込んでいた。




