第16話 魂
「とにかく今の俺ってリーリアが知ってる前の魔王とは、見た目が一緒でも魂が違うんだ。ユナには記憶喪失って嘘をついたけど、実際は記憶は持ってる。ただそれは異世界での記憶だから、この世界のことは全く分からないってだけ」
そう説明してから、リオンは頭を下げる。
「……魔王の身体を乗っ取って悪いな。どうしたら魂を戻せるかは、俺にもわからん」
「……」
リーリアは無言。
チラリと片眼で盗み見ると彼女は何やら考え込んでいて、その表情から理解に努めていることが見て取れた。
一方のユナは、リーリアに抱きしめられたまま首を左右に振っている。
「別にご主人さまが謝る必要なんて無いです。魔王の魂なんてどうでもいいので。それに、ユナを殺した魔王が別人になっていたのも、すぐに気付きましたし」
「そうか、それなら……ん? え?」
顔を上げたリオンの口から、困惑の声が漏れた。
(ユナを殺した魔王……?)
それは、彼の認識とはまるで違う言葉。
慎重に尋ねる。
「俺が目覚めた時、ユナは確かに死んでたけど……あれって魔王に殺されたのか? 俺はてっきり魔物にでもやられたのかと……」
「いえ、魔王で間違いありません」
その言葉は、ユナではなくリーリアの口から発せられた。
彼女の表情は険しく、口調もやたらと重い。
「おそらく奴の狙いは、私を絶望させること。魔族は――人間の絶望を食べるのです」
「絶望を……」
比喩表現ではないことは、リーリアの態度から察しがついた。
彼女は目を伏せ、沈んだ表情でつぶやく。
「だからこそ奴は、王都にいるはずのユナを召喚魔法で呼び出すと、私の目の前で……その……」
ユナを抱く手に力がこもった。
あのとき見た血だまりを思い出せば、何が起きたのかはだいたい察しが付く。
「リーリア姉さま」
慰めるかのように、ユナが手をそっと重ね。
リーリアはそんな妹の行動に軽く微笑みを見せてから、言葉を続けた。
「もっとも私の悲嘆が深すぎたせいか、絶望が出てくることはありませんでしたが……」
「そうか」
頷きを返しつつ、リオンは考える。
魔王を語る際のリーリアの苦々しい表情。
そして吐き捨てる様な口調。
(もしかして……魔王と勇者って恋人じゃなかったりする? 俺って、とんでもない勘違いしてた?)
恋人どころか、不俱戴天の敵としか思えない。
リーリアの態度は強烈な恨みすら感じさせるものだ。
(そういえばリーリアはあのとき俺の質問に『恋人だ』って答えてくれたけど、やけに目が死んでたんだよな。あれってそういうことだったのか……)
リオンがそんなことを思い返していると、リーリアはユナの身体から手を放し、ベッドの上で居住まいを正す。
「あの、リオンさん」
「な、なんだ」
「あらためてお礼を言わせてください。助けていただき、ありがとうございました」
赤い髪を揺らしながら深々と頭を下げるリーリアを見て、リオンは慌てた。
「いやいや、俺が助けたっていうか偶然そうなっただけで……」
もごもごとつぶやいていると、リーリアが顔を上げた。
彼女の瞳が潤んでいる。
「いいえ、たしかに私とユナの命を救ってくださいました。あれは偶然などではありません」
「いや偶然だよ」
リオンは彼女の熱っぽい視線を断ち切るように目を伏せ、そして言葉を重ねた。
「たまたま魔王の身体を乗っ取って、たまたまその身体が回復魔法を使えただけだ。俺自身は特殊能力を持ってるわけじゃないし、そうじゃなかったらどうしようもなかったんだ」
「『力というのは持っているだけでは意味がない。大切なのはどう使うかだ』、亡き父もよくそう言っていました。リオンさんは私たちのためにその力を使ってくださったのですから、まさしく命の恩人です」
「…………」
褒め言葉が面映ゆいが、どうもリーリアは折れることは無さそうだ。
リオンは表情を隠すように深々と頷いた。
「分かった。そこまで言うのなら素直に感謝の言葉を受け入れよう。ただあんまり何回も言わないでくれ。照れくさい」
「ふふっ、分かりました」
なにやら楽しそうに笑うリーリア。それは部屋の雰囲気を一変させるほど華やかで。
……リオンは、話題を変えることにした。
「そういやユナは、俺が別人になったことに気付いてたって言ったよな。それってなにか根拠があるのか?」
視線を向けると、ユナは軽く頷いている。
「根拠というより、魂の変化に気付いたんです。前の魔王の魂は直視してないのでよく分からないですけど、それでもご主人さまがその身体に入ってからは、魂が放つエネルギーの厚みが明らかに増したというか……」
「……なるほど」
たしかに魂には個体差がある。
リオンとて、ユナの魂を見ただけでそれが少女だと分かったのだ。
レイリの接近にいち早く気づいたユナなら、エネルギーの違いを感知できてもおかしくはない。
ただリオンがあらためてユナに視線を向けてみても、放出するエネルギーどころか肝心の魂さえ見えてこなかった。
リーリアについても同様だ。
どうもリオンの場合、身体に入った魂は見えなくなってしまうらしい。
「……リーリアも魂の違いが分かるのか?」
尋ねると、彼女は難しい表情を浮かべた。
「残念なことに私はぼんやりとしか分かりません。どちらかというと、魂をはっきり識別できるユナが特殊です。もっとも聖王国の王族の血を引く人間なら基本的に見えるとも聞きましたから、そういう意味では私のほうが特殊とも言えますが……」
「ふうん……?」
どうやら魂の識別は一般人にはできない特殊技能のようだ。
リーリアとユナがすんなりとリオンの話を信じてくれたのも、そういった能力を持っているからなのだろう。
(というか、今の言い方からするとこのふたりは王族ってことか? まあ、別に意外ではないけどな。魔王討伐を実行しようっていうのなら、そのくらいのバッグボーンがあるのはむしろ当然だし)
どこか申し訳なさそうな顔をしているリーリアをぼんやり眺めていると、ユナがコホンと咳払いをした。
「リーリア姉さまはユナとは違い、退魔の能力が高いんです。それこそ魔王が恐れるほどです」
どうやらユナは、リオンの反応の鈍さをリーリアに対する失望と勘違いして、フォローを入れることにしたらしい。
その誇らしげな態度を微笑ましく思いながら、リオンは答える。
「魔族にとって、王家の人間は天敵ってわけだ」
「ええ、そうなんです」
ぽつりとつぶやいたのは、リーリアだ。
彼女の表情は露骨に曇っており、辛い過去を思い出すような面持ちで言葉を続けた。
「だからこそ魔王は聖王国を滅ぼしました。そして王家の血を引く私とユナもいずれ魔王から狙われることになると、グランリュート王国の巫女姫によるお告げがあり……私は魔王討伐の旅に出ることにしたのです」
「……グランリュート王国?」
「わずかな騎士に護衛され逃避行を続けた私とユナを、魔族から匿ってくれた恩義ある国です」
リーリアはそう言うと、リオンの背後の壁に視線を向けた。
今まで気付かなかったが、そこにはこの世界の地図らしきものが貼られている。
「これは……」
「ザランディッド大陸の全体図ですね」
――ザランディッド大陸。
それは四方を海に囲まれた、大きな大陸だった。
おおむね四角形ではあるが中央部分がやや狭くなっており、台形を上下さかさまにして貼り合わせた、砂時計のような形状をしている。
「そしてグランリュート王国は、大陸の南西部に位置しています」
地図の左下のあたりを示すリーリア。
リオンはそれをぼんやりと眺めた。
「……そもそもの話だが、いま俺たちってどこにいるんだ?」
「恐らくですが……」
ユナはそそくさと地図に近寄ると、大陸の右下を指さす。
「魔王軍の本拠地である浮遊島は、南東のさらに端に浮かんでいると聞きました。現在地もそう離れていないと思います」
そして小さな指をわずかに左に動かした。
「ご主人様はあの浮遊島を出たあと西に向かって飛んでいましたので、おおよそこの辺りにいるのではないかと」
「……なるほど。んで、このあともまっすぐ西に飛んでいけば、いずれはグランリュート王国とやらにたどり着くわけだ」
「そうですね。目的地が決まっていないのであれば、ひとまず西を目指すべきかと思います」
「……特に行く当てもないし、とりあえず王都とやらを目指すことにするか。うっし!」
リオンはこれで話は終わりとばかりにグッと両腕を天に突き上げると、軽く肩を回しながらリーリアの隣のベッドの上にゴロンと横になった。
(とりあえず目的地は決まったか。しかしここから王都に着くまでどれくらい時間が掛かるか想像もつかんな。あんまり遠くまで行きすぎると、浮遊島に顔を出すのがめんどくさくなるし……)
などと天井を見ながら考えるうちに、伝えるべき話がもうひとつあったことを思いだす。
上半身を起こし、リーリアに告げた。
「そういえばリーリアが気を失った後、五天魔が来たんだ」
「え!?」
彼女は想像以上にギョッとしていた。表情が一瞬で強張っている。
(やっぱ、あんな連中でも要警戒の相手なんだろうな……)
そんなことを思いつつ、言葉を続ける。
「俺たちはこの宿屋に来る前は浮遊島にいたんだが……まあとりあえず問題は無かったから安心してくれ。記憶喪失と言い張ることで連中の追及を切り抜けることはできたし、魔王の地位もひとまず五天魔のガウシバってやつに譲った。奴らは思いのほか平和的な連中でな」
「そう……なのですか?」
リーリアはリオンの見方に懐疑的なようで、そわそわと身体を揺らしていた。
不安が隠しきれていない。
(まあ、リーリアはあいつらと会った時に寝てたもんな。心配するのは無理も無いか)
リオンは安心させるために、力強く頷く。
「とりあえず3か月は人類に攻め込むなと言っておいたし、それは守ってくれるだろ。そのあとのことはぶっちゃけ出たとこ勝負だ。場合によっては魔族との全面戦争がはじまるかもしれんが……でもまあなんにせよ当面は人間の街で過ごすつもりなんだ。俺は見た目が魔王だし、リーリアのことをかなり頼りにしてる。いろいろと迷惑を掛けると思うが、よろしく頼むな」
そう伝えるとリーリアの揺れは止まった。
姿勢を正し、自信たっぷりの表情で見返してくる。
「迷惑だなんてとんでもありません。私に任せてください」
「おう、任せる」
力強い言葉に頷きを返し、再びベッドに倒れ込むリオン。
「ふう……」
疲れのせいだろうか。
先ほどから抗いがたい眠気を感じていた。
(やばい、眠っちまうかも……とりあえず食事が届くまでは起きておかないと……)
などと思いつつ。
いつのまにやら、リオンの意識は睡魔に完全に呑まれてしまうのだった。
「…………んあ?」
何かの気配がして、ハッと目が覚めた。
一瞬朝かと思ったが、そうではないことはすぐに分かった。
部屋の小窓から見える外の景色が、漆黒に染まっている。
(今は何時だ……?)
頭がぼんやりとしたまま体を起こすと、ベッドの脇に置かれた椅子に座っているユナと目が合った。
どうも彼女が身じろぎした際の音で目が覚めたようだ。
「ご主人さま。ユナとリーリア姉さまは、先に食事を済ませました。ちなみに店主さんには、リーリア姉さまを紹介済みです」
簡潔に状況を説明するユナ。
彼女はパンとスープの皿がのったトレイを、自身の膝の上に置いていた。
リオンが起きるのを待っていたらしい。
「……リーリアは? 姿が見えんが」
「お風呂の準備です」
「お風呂?」
ぼんやりと首を傾げる。
この宿屋で、風呂場らしき場所を見た記憶がなかった。
と。
「ユナ、ドアをあけてもらっていい?」
扉の外から聞こえてくる、涼やかな声。
ユナは持っていたトレイをベッドの脇にある小さなテーブルの上にのせると、パタパタと足音をたてながら入口に向かい、扉を開けた。
「ありがとう、ユナ」
笑顔で部屋に入ってきたのは、リーリアだ。
水がなみなみと注がれた大きな木のたらいを抱えるようにして持っている。
そしてベッドの上で起き上がっているリオンに視線を向けた。
その表情は、やけにやわらかい。
「あ、もう起きられたんですね、リオンさん」
「ああ。いつのまにか寝てたみたいだな。……ところでそれは?」
「お風呂です」
そう言いながら、たらいを床の端にトンと置く。
水がたぷんと揺れた。




