第14話 宿屋
ユナが指差す方を見ると、たしかにそこには明かりのついた建物があった。
周囲に他の建物が見当たらず、ぽつんと一軒だけ建っているのが気になるものの、背に腹は代えられない。
「よし、行ってみるか」
スピードを緩め地面に降り立つと、陽が暮れてきたせいかひんやりとした風が頬を撫でた。
ふたりの視線の先には、闇のなかにそびえ立つ2階建ての大きな建物の姿がある。
丸太で作られた山小屋のような外観で、窓にかけられたカーテンの隙間から明かりが漏れていた。
空から見えたのは、この光のようだ。
出入り口は木製の頑丈そうな扉。
その上にはベッドの絵が大きく描かれていて、宿屋であることは間違いなさそうだ。
(ただなあ……)
リオンはぐるりと周囲を見回した。
上から見たときには気づかなかったが、瓦礫が無造作に散らばっている。
それは明らかに、建物の残骸だった。
宿屋の付近だけでなく、見渡す限りのかなりの広範囲に痕跡があるので、元々はそれなりの規模の街だったのかもしれない。
(魔族に襲撃されて、壊滅したって感じか?)
焼け焦げた地面を見ながら考える。
魔族の根城が近い以上、魔法による攻撃を受けたというのはいかにもありそうな話ではあった。
もっともその場合はこの宿屋だけ無傷で残っているのが不自然で、どうしても作為的なものを感じてしまうわけだが。
「人間じゃなくて、魔族がやってる宿屋……かな?」
「……どうでしょう」
ユナも不気味さを感じ取っているのか、やけに大人しい。
(でもまあ、仮に店主が魔族だとしても問題は無いよな。俺だって魔族だし、ビビるだけ損だって)
夜通し空を飛ぶ自信は無いし、ここを逃せば野宿が待っているだけ。
逃げ腰になっている場合ではないのだ。
覚悟を決めたリオンが宿屋に向かおうとした――その瞬間。
持っていたスポーツバッグが、不意に重みを増した。
ギョッと視線を向けるとそこには、バッグのファスナーを開き両手を突っ込んでいるユナの姿。
「……」
リオンが言葉を失っているあいだにもユナはリーリアの服をまさぐり、小銭入れのようなものを取り出す。
そして飛び出ていたリーリアの頭をきちんとバッグの中に押し込んだ彼女は、バッグをきっちりと閉めてから、きりっとした表情でリオンを見上げグッと親指を立てた。
「やったりました」
「……ああ、ありがとう。よくやってくれた」
感謝の言葉を絞り出す。
実際意表を突かれはしたものの、宿屋に泊まるのにお金は必要だった。
ユナが何もしなかった場合はリオンのほうから財布を探すよう頼んだことだろう。
そしてこの宿屋がまともとは言い切れない以上、リーリアについてもひとまず荷物として運び入れるのが無難だ。
先んじてやってくれたユナには感謝しなければいけない。
(できれば事前になにをするかは教えてほしかったが……まあいいや。自己判断でいろいろやってくれるのは、むしろありがたいよな)
気を取り直して、再び宿屋の入口を見据える。
(相手が魔族だろうと人間だろうと、丁寧に声を掛ける。支払いは……やっぱりきちんと3人分払おう。後からもうひとり来るからとか適当に理由をつければ、拒否はされんだろ)
胸中でつぶやきつつ、リオンはユナと共に宿屋の扉の前へ移動して、重たい扉をゆっくりと開けた。
目に飛び込んでくる眩しい光。そして頬を撫でる暖かな空気。
想像とは違い、宿屋の内部は驚くほど普通だった。
外観同様に飾り気のない丸太をそのまま生かした内装は、いかにも山小屋といった感じで素朴ながらも好感が持てる。
建物の1階部分は飲食スペースなのか、テーブルと椅子が雑然と配置されていた。
正面奥には横長のカウンターテーブルがあり、そのすぐ右側には2階に続く階段。
全体的にひと気は無いが、カウンターの向こう側にフードを被った小さな人影が見える。
こちらに背を向けているが、恐らくあれが店主だろう。
そうあたりをつけたリオンが声を掛けようとした瞬間、ようやく物音に気付いたのかその人影が振り返り――。
「ああああああああああっ!」
目が合うやいなや、驚愕の悲鳴。
(くそっ、店主は人間か……!)
しかも魔族と即座にバレてしまったようだ。
その店主は、大きめサイズのぶかぶかとした黒いフード付きのローブをまとっていた。
まともに散髪もしていないのか純白の前髪が顔の上半分を覆っていて、表情すらよく分からない。
ただその声と小柄な体格から察するに、少女のように思えた。
「ああああああああああっ!」
彼女はまるで魔王が泊まりにきたかのような、絶望的な声を上げている。
(いやまあ実際、魔王が泊まりに来たんだけどな)
止まらない金切り声を聞きながら、リオンはその場に立ち尽くしていた。
いつもの彼であれば、怯える少女のためにも謝罪と共に回れ右をして、さっさとこの場から逃げ出したことだろう。
だが今は疲労もありここに泊まりたいという気持ちが消せず、宿屋から出るタイミングを完全に逸してしまっていたのだ。
「ああああああああああああああ!」
(しかしそれにしても、本当にぜんぜん叫びが止まる気配が……ん?)
リオンは首を傾げた。
いくら何でもリアクションがおかしい。不自然すぎる。そう思ったのだ。
彼女は逃げ出すわけでもなくその場に姿勢正しく立っていて、今にも死にそうな悲鳴を延々と上げ続けていた。
(……もしかしてこれ、この宿屋の日常だったりしない? お客様を叫び声で出迎えるインパクト重視の宿屋とか?)
突飛な考えにも思えたが、根拠らしきものはあった。
リオンはただ普通にこの宿屋に入っただけで、魔族とバレる様な行動などなにひとつ取っていないのだ。
(……とりあえず話し掛けてみるか。客が急に来てびっくりしてるだけかもしれんしな)
楽観的に考えることにしたリオンは、ドン引きしているユナの手を引きながらカウンターへと近づく。
そして恐怖を与えないよう、にこやかに声を掛けた。
「あの、一泊させてもらいたいんですけど」
「ああああああああああああおひとり様一泊につき銅貨1枚ですああああああああああああ」
(すげえ。怯え切った表情で叫ぶ合間に、代金を要求してきた)
やはりこの出迎えスタイルがこの宿屋の日常だったようだ。
(お客さんが来ただけで喚き散らす程の人見知りなのに、きちんと宿屋の店主としての仕事をしていて……立派だなぁ)
その心意気に、思わずほろりときてしまう。
「じゃあとりあえず1泊で。人数は3人。あ、こう見えて3人いるんです」
細かい説明は省き、ユナが横から渡してきた銅貨3枚をそのままカウンターに置いた。
「ああああああああああああ!」
叫び声をあげながら机の上から銅貨をかすめ取った店主は、逆の手で部屋の鍵を渡してくる。
なにやら見慣れぬ文字が書かれたプレートがつけられていたが、幸いにも読み方が自然と思い浮かんできた。
「えっと……2階右奥の部屋ですね。ありがとうございます」
「あああっ!」
鍵を受け取りさっさと部屋に移動しようとするリオンだったが、小柄な少女はカウンターから身を乗り出すようにしてその行く手を阻む。
(バッグにリーリアを詰め込んでいることがバレたか?)
内心冷や汗をかいていると。
「この宿屋はアットホームさが売りで、お食事の際は私が同席することになりますがそれでもよろしいですかぁああああああああ」
どうもそういうことではなかったようだ。
叫ぶように放たれた質問に、リオンは面喰らう。
(食事? 一緒にって……それはちょっと……)
「それでもよろしいですかああああああああああああ!?」
「は、はい」
つい勢いに押し切られ、頷いてしまった。
「ああああああああああああ」
両手で顔を覆う店主。
一緒に食事をとるのは嫌だったらしい。
(なら言わなければいいのに……。いやまあ仕事熱心てことか。なんにせよ一緒に食べるのはこっちとしても避けたいんだよな)
「あの、やっぱり俺たちだけで部屋で食事したいんですけど……部屋まで食事を持って来てもらうってことはできますか?」
「ああああああ!」
打って変わって全力でガッツポーズする店主に、リオンは思わず苦笑いを浮かべる。
(なんて良い笑顔だ。いや顔はよく見えないから想像だけど。しかしこの人、表情が見えないわりにぜんぜん感情が隠せないな)
もっともそれはそれで構わない。
魔族と疑われているわけではなさそうだし、普通に泊めさせてもらうだけだ。
「では俺たちは部屋に行きますね」
「ああ!」
短い悲鳴って普通の返事みたいだなあと思いつつ、リオンはユナと共に2階へ。
「えっと、右奥か」
鍵を開け、部屋の中へ入る。
そこは店主からは想像もつかないほど、普通でまともで静かな部屋だった。
窓は少し小さいが、外の景観を楽しむような場所でもないし構わないだろう。
ベッドは3つ。
そう広い部屋ではないので、スペースの半分近くをベッドが占めていたが、寝る以外のことは期待していないしこれについても問題は無い。
「とりあえずリーリアを取り出すかね」
入口近くのベッドの上にスポーツバッグをのせて、中の様子をのぞき込んだ。
リーリアは、すやすやと眠っている。
(ここまで起きないのは逆にすげえな)
眠りの深さに感心しつつ、ユナにも手伝ってもらい、リーリアの身体を無理やり引きずり出す。
と、ベッドにころんと転がる彼女が、不自然な体勢を取っていることに気付いた。
「……縛られてる?」
よく見ると、彼女の両手両足は太い縄で拘束されていた。
窮屈そうな体勢になっているのは、そのせいのようだ。
「これは……」
「変なタイミングで暴れだすと困るので」
スポーツバッグの前にちょこんと座り、ユナがつぶやく。
どうやら彼女がやったらしい。
(まあたしかに、五天魔がいるときに急に目覚めて暴れ出したら収拾がつかなかったかもしれんな)
結果的には杞憂に終わったにせよ、ユナなりにいろいろと考えてくれたようだ。
「ありがとな。いい判断だ」
「ユナは優秀な使い魔なので、ご主人さまのフォローもバッチリです」
そう言って誇らしげに胸を張り。
「ちなみにリーリア姉さまの解放をお望みならばこちらをどうぞ」
いつの間に持っていたのか、出刃包丁を差し出してきた。
その刃先は鋭さを証明するかのようにキラリと輝いていて、リオンは慌てて首を振る。
「いやいやいやいや。なんかもう少し切りやすいやつ無い? こんなの縄を切るために使うものじゃないって」
「リーリア姉さま愛用のロングソードならあります」
「あります言われても」
バッグの中から取り出そうとするロングソードを、全力で押し戻すリオン。
さすがにそれを使うくらいなら出刃包丁のほうがマシだった。
「というかよく中に入ったなロングソード。結構な長さがあるのに」
それは単なる感想に過ぎなかったが、あらためて考えてみると実際不思議ではある。
折り曲げでもしなければ、入る長さではないのだ。
ユナはスポーツバッグに視線を落としている。
「どうやらこの内部は異空間に繋がってるみたいです」
「……異空間?」




