第1話 早すぎる死
「お兄さん、こんにちは~。ちょっとお時間よろしいですかぁ?」
背後から呼び掛けられ、堂島リオンは振り返り――そして自身の迂闊さに思わず舌打ちした。
もちろん表には出さない。心の中で密かに愚痴る。
(メンドクセエな……)
堂島リオンは黒髪黒目で中肉中背、どこにいてもおかしくないごく普通の貧乏学生である。
一方そんな彼に声を掛けてきたのは、フリフリと可愛らしい真っ白な服を着た、10代後半と思しきピンク髪の美少女。
くすんだ色のボロアパートが立ち並ぶ周囲の景色からは明らかに浮いていて……それだけに用件の察しも容易についた。
「あのぉ、ちょっとお兄さんにお話があってぇ~、もし良かったら一緒に駅前の喫茶店にでもご一緒できたらなぁ~って思ってるんですけどぉ~……」
(はぁ……)
嘆息する。
別に彼女の間延びした喋り方に苛立ったわけではない。
(はいはい、喫茶店ね、はいはいはい。んで、俺がこの女にノコノコついて行ったら、アホみたいに高い絵やら壺やらを買わされると)
つまりはデート商法というやつだ。
まさかこんな寂れた住宅地にまで勧誘者が出没するとは思っていなかったが、他に誘われる理由なんて思い浮かばないし、間違いないだろう。
(マジで腹立つわ……。要はこいつ、俺のことをカモだと思って声を掛けてきたわけだろ? 久々に牛肉にありつけるっていうのに、一気に最悪の気分になっちまったじゃねーか……)
本日11月29日は、良い肉の日。
商店街の肉屋が利益度外視で販売する牛肉をなんとか確保したリオンは幸福感に包まれていて、だから背後から声を掛けられた時も純粋に親切心を発揮するつもりで振り返ったのだ。
にもかかわらず実際は詐欺の標的として狙われただけ。
本当にため息しかでてこない。
「だめですかぁ?」
少女は甘々な声で問いかけてくる。
反感を持つリオンですら、その上目遣いの可愛らしさに思わず心が揺らいでしまうが。
(……こういう奴の背後には、怖いお兄さん連中がいるっていうのが相場だもんな。君子危うきに近寄らず。結局それが一番良いんだ)
「急いでるんで」
安物の防寒着のポケットに手を突っ込みながら軽く頭を下げ、少女の横を足早に通り抜けた。
「ふむ……」
背後から聞こえてくる含みのある声に違和感がありつつも、リオンは家路を急ぎ――。
「……やはりだめでしたか」
その言葉と同時、背後で響く甲高いブレーキ音。
そしてリオンの全身を襲う凄まじい衝撃。
なにが起きたのか理解できないまま――彼の意識は完全にブラックアウトした。
◇◆◇◆◇◆◇
「また、こいつ死にましたよ。今度は背後から突っ込んできたトラックにひかれました」
「…………」
頭上から聞き覚えのある声が降り注ぎ、リオンはゆっくりと目を開けた。
そこはどこまでも闇が広がっているような、異常なまでに真っ暗な空間。
ただし彼が横たわっているソファと、その正面に置かれている背の高い本棚の周囲だけはほのかに明るくなっている。
(ここは……?)
リオンのぼやけた視界の中で、ピンク色の髪が揺れていた。
後頭部には太ももらしき感触。
……どうやら膝枕をしてもらっているらしい。
そう見当をつけるリオンだったが、やはり状況は飲み込めないままだ。
と、ピンク髪の少女が、そんなリオンの額を右手でぺちぺちと叩きだした。
「もうぜんぶ諦めて、こいつの魂を天国送りにしちゃいませんか? あきらかに死に癖がついてるから、わたしたちじゃあどうしようもないですって」
「そういうわけにはいきません。ベルだって分かっているでしょう」
そのつぶやきは本棚の前に立つ、ショートヘアの女性が発したものだった。
年齢は20代くらいで、髪色は緑。白い布地を身体に巻き付けたような独特な服装をしていたが、姿勢が良いせいか妙な気品を感じる。
彼女は百科事典のように分厚い本を持っていて、その内容を難しい顔で眺めていた。
「視認モードじゃない貴方の姿が見えるというだけで異常なのに、強制誘導まで無視できるなんて……いくらなんでもおかしすぎます。きちんと原因を特定しなければ、さらなる重大エラーを生み出す可能性すらある。天国送りなんて論外です」
「それはそうですけどぉ……。だったら今度はセンパイがやってくださいよ。わたしはもう万策尽きました」
「まったく、貴方ときたら……」
「……ここは……」
抗議するように唇をとがらせているピンク髪の少女――ベルを眺めているうちに、リオンの口から疑問の言葉が漏れる。
センパイと呼ばれた緑髪の女性が、そんなリオンに視線を向けた。
「ようやく目覚めましたか。……やはり記憶は消えているようですね」
「え~、じゃあまたイチから説明するんですかぁ?」
「仕方が無いでしょう。今の彼は、なにも分かっていないのですから」
「はあ~あ」
ベルはやたらと大げさにため息をついてから、リオンの身体に手を添えてゆっくりと起こす。
そしてソファにぼんやりと座り込むリオンに向けて、ピッと人差し指を立てて見せた。
「あのですね、本来あなたはまだ死なないはずなんです。なのに何度助けに行ってもすぐ死んじゃって……正直困ってるんですよね。お願いですから、その死に癖を直してもらえませんか?」
「……いや……んなこと急に言われても……」
まるで意味が分からず、ぼやくリオン。
なんとなく自身の身体を触ってみるが、特にケガは無いようだ。
(……死んだ? 俺が? そんなわけない……と言いたいところだが、たしかに身体がばらばらになるんじゃないかってくらいの強烈な衝撃を受けたような……)
目を閉じ記憶をたどる。
が、なにも思い出すことができず、リオンはため息をついた。
「そもそもここはどこだよ。病院ではなさそうだけど……」




