3.戦場の亡霊
突然背後から聞こえた声に俺は息を止めて、体を石のように硬直させた。
それでも頭だけは目まぐるしく思考を続け、声の主に悟られないようにゆっくりと平静であるように見せながら振り向く。
「……ッ!」
その先にいたのは、なんとも奇妙な存在だった。
外見を形容するなら、人間の形をした黒い煙。
輪郭は揺らめき、細部は掴めない。
だが目の位置には青白い鬼火が2つ、妖しく揺れていた。
「アンデッド……!?」
これは俺も見たことがある、《レイス》というアンデッド系の種族だ。
プレイアブル化はされていなかったが、NPCに何人かいた記憶がある。
一応吸血鬼もアンデッドの一種だが、発生方法や性質はまるで違う。
今俺の目の前にいるのは、死者の魂が半実体化したもの。
基本的に本能で生者を襲う、低位のモンスターだ。
「よもや、この砦でまだ生きている者と出くわすとは。貴様。所属はどの隊だ」
「いや、その、ちが……俺は……」
それが言葉を話した。しかも流暢に。
敵意もない。外見とのギャップが混乱に拍車をかける。
「待て、その格好――敗残兵ではないな。 まさか……迷い込んだとでも言うのか……?」
「えっと、多分……そうなります、はい」
更にこちらの狼狽を意に介さず、あっさりと俺の状況を言い当ててくる。
そうなると反論の余地もなく、曖昧に返事をするしかない。
『ありえんな、ここは滅びたミッドランドの地。到底余人が立ち入れる場所ではない』
「うわっ……やっぱりミッドランドなんだ……」
『その様子だと、一応は知っているようだな』
嫌な予感が、最悪の形で裏付けられる。ここは本当に未実装だったはずのミッドランドだ。
ならば、これが現実の異世界である可能性はさらに高まった。
ちなみに俺がプレイしていた時点のレベルキャップは210。
そしてここは推奨レベル不明の未開放エリア。
「……下手したらさっきの魔物もレベル200を越えてたのか、洒落になんないな」
到底、俺のようなレベル1のプレイヤーが来る場所じゃない。
『ふん、ここに来るまでに良く死ななかったものだな』
「た、偶々逃げ切れたんだ……本当に運が良かったんだな……」
恐らく一撃でも受けていたら即死か、運が良くても四肢がもげていた。
五体満足で逃げ切れたのは、奇跡に近いだろう。
改めて考えてみると、この状況はかなり絶望的だ。
未実装のエリアに居て、自分がアバターの姿で生きていて、周囲のモンスターとはありえない程レベル差がある。
「一応聞いておくけど、結界に出口とかはあったりしない……?」
『残念だが、ここに張られた結界を抜ける術はない』
半ば予想通りの返事が返ってくる。
俺は小さな溜息を吐いてその場に腰を下ろした。
一旦手詰まりというのもあるが、目の前のレイスには聞くことがたくさんある。
腰を据えてじっくり話すための体勢を整えたかった。
『小娘、名前は?』
すると、俺が質問するよりも前にレイスが口を開いた。
開く口があるのかどうかは定かではないが。
「アルシアだ。あんたも名乗れよ」
『已れはグリム・モルテス。して、貴様は一体どこから迷い込んだのだ? ここには内外からの通過を許さぬ結界が張られていた筈だ』
「わかんねぇよ、気付いたらここにいた。というかそもそもなんで結界なんてものがあるんだ?」
『貴様も見てきただろう。この土地は瘴気に汚染されている。嘗て人魔の戦争の果てに、奴らが呼び出した忌々しい闇の眷属の仕業だ。それを外に出さぬよう、ここは永遠に封印され続ける……その筈だ』
そう言ったレイス――グリムの声音は、諦観の念が強く籠もっていた。
「奴ら?」
『黒き神の教団。聞いたことくらいあろう』
俺は無言で頷く。
黒き神の教団。通称は黒教。
奴らは冒涜的で憚りし、黒き狂神シャデローゼを崇拝する狂気的宗教団体だ。
ゲームだとメインの敵として、プレイヤーたちと様々な戦いを繰り広げて来た。
もはや「あー、はいはいまた今回の事件の黒幕は君たちなのね」と言われる程度には擦られ続けている。
『連中は敵味方を問わず兵を生贄に捧げ、忌まわしき化け物を生み出した。それがこの惨状』
グリムは赤い双眸を細め、俺の通ってきた扉の先を睨む。
「……そういや、さっき見たモンスターもやけにグロかったっけ」
『あれは瘴気の影響を受けた生物。元の形も失い、ただの狂獣に堕した化物だ』
俺の出会った、見ただけで卒倒しそうな造形のモンスター。
あれはグリムの語る、闇の眷属の影響らしい。
「黒教の行動原理は神代にいた眷属神7柱の復活と、それに伴う勢力の拡大――っていうのが大体のストーリーで共通してたっけな。あんたが見たのはどいつだ?」
『神だと? 已れが見たあれは、そんな有り難いものではなかったぞ』
「……ん?」
神代の砌、光の神に肉体を滅ぼされた眷属神たち。
数多の命を贄に、奴らを――最後にはシャデローゼそのものを復活させること。
これが黒教信者に共通するシンプルな目的だ。
ゲームだと、この内の2柱だけが顕現を確認されている。
とは言え、完全体が顕現したら世界は容易に滅ぶ。
あくまで「不完全な儀式のせいで、大幅に弱体化した存在」という仕様の、毎週金、土曜日に湧くレイドボスとしての実装だった。
『あれは……あれは、化け物としか言いようが無い。生物の姿を模倣してはいるが、致命的に破綻している……神の"なりそこない"とでも言うべき存在だった』
どうやらグリムの見た眷属も、"なりそこない"という点では一緒だが、眷属神とは違うようだ。
けれど、俺はそういった存在に心当たりがあった。
「あんたの見た奴って、もしかして肌が灰色で体の造形もグチャグチャ……あと顔のパーツがバラバラだった、とか?」
『ああ。頭部は不自然に膨れ、顔には奇妙な面のようなものが無数にあった』
「やっぱり。俺、そいつ知ってるよ」
『貴様、あれを知るのか?』
「戦ったことはないけど、見たことはある。一応」
妙に具体的な質問に、グリムは訝しんだ。
それを適当にあしらい、俺は立ち上がって伸びをする。
返答に含まれた特徴はやはり俺の知る存在で間違いはない。
となれば、多少は希望が見えてくる。
「なあグリム、結界の解除条件って分かるか?」
『恐らく、あの神のなりそこないが死なぬ限り結界は解けぬ。悲しきことに、倒せる者などこの土地にはもうおらんがな』
「OK、そいつを倒せばいいんだな? だったら、まだなんとかなりそうだ」
『……待て、貴様一体何を考えておる?』
グリムの問いに、その黒い体を一瞥する。
表情は読めないが、声音から困惑がありありと伝わってくる。
「何って、結界を解くんだよ」
『なんだと?』
結界が張られた状態で外に出る術はない。
けれど、内側から結界を解く方法は存在する。
「あんたの言う通り、アレは神を復活させようとして失敗したなりそこないだ。過去にも討伐事例があるし、俺も戦っているのを見たことがある」
『ならば知っているだろうが、あれは簡単に倒せるような存在では無いぞ』
「まあ、でも神本人よりは弱いよ。それは間違いない。どっちにしろ結局倒さないとだけどな」
『だとしても、貴様が勝てるなどという保証はどこにも――』
「知ってるよ、100%勝てる勝負なんてこの世の何処にも無いだろ」
俺が頷くと、グリムは首を横に振った。
理解しがたいと、思われたのだろう。
確かに、楽観的に見積もっても難易度は文字通り"死ぬ"ほど高いが、出来ることがあるだけまだマシだ。
少なくとも何もやらないで、後悔するよりかは。
「それに、正直自分でも馬鹿げてるとは思うけど、ちょっと面白いって感じてるんだ、今の状況」
目覚めた直後の動揺は、唐突な出来事の連続のせいだった。
今も困惑は少しだけある。でもそれ以上に心臓が高鳴っている。
「……なんたって未解放エリアに一番乗りして、その上ボスまで独り占めだ」
17歳の時、LAOを始めた時から考えていたことがある。
生身の体で、本当にこの世界を生きられたら――と。
そして、今の俺には現実となった[最後の理想郷]を生き抜く知識と経験がある。
この世界でもLAOのシステムが生きているというのなら、きっとやれないことはないはずだ。
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