2.古戦場
耳鳴りと自身の内側で鼓動する音だけが聞こえる。
上がった体温と外気の差に寒気と熱気が同居している。
血液の脈動すら分かるほど、感覚は鋭敏になっていた。
それも次第に収まり、静かな灰色の世界に色彩と音が戻り始める。
「……なんなんだ、これ」
掌の擦り剥けた皮膚と血を見た後、俺は走り続けた。
途中の記憶が飛んでいて、どこをどう走ったかは定かではない。
けれど、背後にはもうあの醜悪な魔物の影はなかった。
多分逃げ切れた、そう思っても暫く走るのを止められなかった。
安全だと自覚した途端、汗が滝みたいに噴き出した。
服は皮膚に張り付き、まるで頭から大水を被った様な有り様だ。
確かにここはVRによる仮想現実空間の筈だった。
代謝も存在しなければ、痛覚も制限されている。
「VRでこんなに汗掻く仕様あったか……?」
虚空に問いかけたところで、答えが返ってくる筈もない。
「クソッ……」
一歩間違えればあの魔物に殺されていた。その事実にまた冷や汗が出る。
死ぬことが怖いのではない。
わけも分からず、成すすべもなく殺されるのが嫌なのだ。
戦わずに敗走したことも、追い打ちのように俺の頭を苛つかせる。
俺はひとしきり喋ったあと、今ので魔物を呼び寄せてしまったかもしれないと思い、慌ててまた走りだした。
暫く走っていると枯れ木がまばらになり、代わりに無数の廃墟が現れ始めた。
その殆どは建物としての体裁を保っていない。
辛うじて壁の一部が残っているだけだ。
単に風化してそうなったというより、明らかに破壊されていた。
周囲には折れた剣や鎧の残骸なども転がっている。
「戦争でもあったのか……?」
そんな古戦場めいた土地の中に、一軒だけ原型を保っている小さな砦を見つける。
俺は周囲を警戒しつつ近づくと、力尽きてその場に倒れ込む。
汗を吸ってベタついた衣服に砂が付くが、今はそんなことどうでもいい。
「……あり得ねぇ」
仰のいた視界に映るのは、太陽とその周囲に浮かぶ幾つもの衛星。
地球あり得ない景色だが、嫌に現実味があった。
ここはゲームのはずで、俺は何故か生身になったアバターの体でここにいる。
慣れ親しんだ姿を借りて、それで心臓を動かし呼吸をしているのだ。
にわかに信じ難いし、明晰夢のほうがまだ説得力がある。
もし仮にこれが現実だとしたら、何が原因で起きた事態なのかわからない。
「……本当に現実なのか?」
俺は、開いた掌を凝視する。
白魚のような指から血が滲んで、ジクジクとした痛みを訴えていた。
そのリアルさに心臓の鼓動が早くなる。
「俺は、本物の、ラストアルカディアの世界に来たのか?」
困惑の横で、少しずつ歓喜が顔を覗かせ始める。
まるで、好きな漫画の新刊を買った帰りのような。
浮ついた喜びの感情が、心に染み出し始めた。
早くに両親を亡くして天涯孤独。理由あって碌な仕事にも就けず。
人生に、全くと言っていい程生き甲斐を感じなかった。
けれど、ここは違う。
何度、こっちが現実なら良かっただろうと妄想したか。
それが叶った今、死の危険があったことなど、些事に感じられた。
「夢、じゃないんだよな?」
一度頬を抓るが、昂って熱くなった頬は若干感覚が鈍い。
とは言え、そんなことをする必要は無かった。
既に、先程擦りむいた手の傷が、嫌と言うほど痛みを訴えている。
「……夢じゃねえじゃん」
間抜けな自分の行動に、思わず冷静な呟きが漏れた。
◇
数分後。
体を休めている間に頭も冷え、動揺めいた喜びも落ち着いていた。
現実と分かってしまえば、一々騒ぐのも馬鹿らしくなってくる。
「……うん、流石にそろそろ建設的な行動をしよう。RPGの基本は探索だからな」
俺は軽口を叩きながら起き上がり、目の前の砦を調べ始める。
今は置かれてる状態が割と絶望的だ。無駄に出来る時間は無い。
「なかなか立派な砦だ――とは言っても瓦礫の山だけど」
ゲーム内でも砦は多数登場する。
城塞戦と呼ばれるマルチレイド。
攻城戦というpvpのコンテンツで、LAOプレイヤーにはお馴染みの建物である。
しかし、この砦は四方にある塔はほぼ崩壊し、屋根も崩れてその機能が完全に失われていた。
辛うじて門があったらしき場所を潜る。
門の先は中庭に続いており、瓦礫の山とそして白骨の死体が至る所に転がっていた。
「うげぇ……」
死体の中には普通の人間の数倍は大きい頭蓋骨や、額に角らしき突起のついたものもある。
これは恐らく亜人のものだ。
亜人は[吸血鬼]も含めた人型種族の呼称。
特に人類に敵対的な者たちは『魔族』と呼ばれている。
しかし、誰のものにせよ死体なんて見ても気分が良くなることはない。
早く別の所へ向かおうと見渡すも、あまり選択肢は無さそうだった。
手前の2つの塔へと続く階段は、瓦礫に塞がれて通れないようだ。
通れそうなのは中央の部屋へと続く道と、奥にある塔の階段。
それと中心から左右に1つずつある部屋だけ。
取り敢えず中央から見てしまおう。
そう思い、足元に気を付けて扉の前まで行き、取っ手を引く――
「うわっ!?」
すると、扉が開くより先にノブが外れてしまった。
もう破損して扉に刺さっていただけのものを、俺が引っ張って抜いてしまったらしい。
仕方なく扉を蹴破り、中央の部屋へ入るが、無論ここも無事なわけがない。
昔は会議などにも使ったのであろう部屋は荒れ果てている。
至る所に死体と壊れた剣や鎧が散乱していた。
俺はその様子に顔を顰めて元来た道へと戻り、別の場所を探すことにした。
入り口から見て奥の2つの塔にも登った。
途中にある休憩室らしき部屋でも死体がそれぞれ1つずつ。
屋上は見張りの為のスペースのようだった。
「共倒れ……かな」
右奥の塔では、二人分の死体が覆いかぶさるように倒れていた。
下にいる方の死体が剣を持って、それが上の死体の肋骨に刺さっている。
死んだ理由まで分かるようなその光景。
一体ここで何があったのか少し気になり始めてきた。
LAOの世界では人間と魔族同士の小競り合いこそあるが、ゲーム内時間軸で大規模な戦争が起きたことはない。
一応本編時間の200年前に《人魔大戦》という大きな戦争が起きている。
亜人の帝国と、人間の王国との戦争だ。
そこで双方が多大な損害を受けて戦争は終結。
それ以降は不干渉を徹底しており、最近関係がまた悪化し始めたという設定があった。
この異質な環境のエリアと、争いの痕跡。
これらを合わせて考えると、少しだけ見えてくるものがある。
「まさかここ、ミッドランドの古戦場か?」
LAOに8つ存在する初期スポーン地点は、選択した種族やクラスによって変わる仕様だった。
その中の1つである《ミッドランド国境線》は【竜人族】か【鬼族】、或いは【盗賊】か【呪術師】だとスポーン地点に選ばれる可能性がある。
選ばれた場合は廃村からスタート。
そこから北に少し行くと、巨大な結界で覆われたエリアがあった。
内部は過去に勃発した人魔大戦の跡地となっている。
なんらかの理由で結界に閉ざされてしまったという設定らしい。
結界は破壊不可能。故にプレイヤーが侵入することも不可能。
更に結界周辺は監視兵が巡回しており、一定距離まで近づくと追い返される。
俺のいるエリアは、国境線の景色と少しだけ似ていた。
ここが結界の中なら、俺が知らないのも納得が行く。
あくまで仮説なだけで全然違う場所の可能性も大いにあるが、一先ずはそのつもりで行動しよう。
「あとは左右の部屋を探すか」
増えた独り言に辟易としつつも左右の部屋を調査。
右は厨房で左は兵士の仮眠室と倉庫だったことが辛うじて分かった。
倉庫は色々無事な物資が詰まっていたが、今の俺に必要な物はあまりない。
それよりも、厨房で少し気になるものを見つけていた。
厨房は、元々敷かれていた絨毯が燃やされている。
その下に置いてあった石畳も破壊され、なんとその下に木の扉があったのだ。
「うーん……」
降りる降りないか一瞬の迷いもあったが、俺は降りてみることにした。
もしかすると、どこか別の場所に通じているかもしれない。
一応深さを調べるため、その辺にあった小石を穴へと投げ込んでみる。
落下していく礫はすぐにカツン、という音を響かせてそれっきり穴の奥には静寂が戻った。
どうやら何かいる様子もないし、深さもそれほどでもないようだ。
梯子へ足を掛けて降り始めると、暗闇の中の景色がはっきりとし始める。
これは吸血鬼の種族特性で、暗闇での視界ボーナスが得られるというものだ。
まるで暗視スコープを付けたような感じで視界は良好。
光源アイテムを持ち歩かなくても問題ない吸血鬼の良い所が出た。
地下へ降りた先では、狭い通路が一本通っていた。
見る限りそう短いものではなく、突き当りは相当先にある。
狭く暗い道に恐怖もあったが、それよりもこの道の先が何処に続いているのか知りたい気持ちが勝った。
まるで誘い込むように奥へと続く通路を少し進んでみることする。
「……この通路、思ったより長いな」
体感で5分程歩いた頃に見えていた突き当りにたどり着き、そこを右折。
更に数回曲がり角を曲がって、10分ほど歩いた辺りで小部屋に行き当たった。
入り口にある扉は中途半端に開いており、中が少しだけ見えている。
そこから少し顔を覗かせて様子を伺うと、小部屋には家具らしい家具はなにもない。
それ以外のもの――有り体に言えば死体は幾つも転がっていた。
「うげ……」
部屋の奥には扉があり、更に先へと繋がっている。
一体ここで何があったのかは、その扉の先にあるような気がした。
俺はここまで来て引き返すのも嫌だと思い、意を決して部屋の中に足を踏み入れた。
あちこちに転がる死体を踏まないよう気を付けながら扉まで進み、ノブに手をかける。
冷え切った金属の温度を掌に感じ、力を込めて引こうとした直後のことだった。
「――何をしている」
背後から、何者かの声が聞こえた。
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