21.無慈悲なる極光
静寂が支配する広間の中心。
無もなき神は、祈りを捧げるように体を折っていた。
その背中は何処か、何かを求めるような――悲哀に満ちているようにも見える。
「おい」
神は、入口の前で声を発した俺に気付いた。
徐ろに体を動かし、こちらに向き直る。
鈍い光を放つ無数の仮面から流れる涙は、一体誰のためのものなのか。
「ォ」
自我があるのかどうかも分からない。
何を思って行動するのかも不明。
ただ、コイツは間違いなく生命を冒涜し、全てを死に還そうとしている。
「ァ――――」
そして、何の予兆もなく詠唱が始まった。
詳細は聞き取れないが、どれがどの魔法かは何となく分かる。
左の小さな手に宿った炎。
それが明滅した直後、俺のすぐ目の前が爆発する。
「危ねぇな、おい」
間一髪で横に飛んだ俺は、顔を顰める。
爆心地は小さなクレーターになっていたが、片足でも回避だけは出来ることが分かった。
「じゃあ、暫く俺と踊って貰うぜ」
続けざまに雷槍が二本、交差するように放たれた。
それを、前に高く飛んで避ける。
着地点に置かれた魔法陣を見て、即座にブリンクを発動。
軌道を右に変え、左足だけでなんとか姿勢を整える。
「そんなもんか!? もっとテンポを上げても良いんだぞ!」
時折挑発を交えるのを忘れずに。
俺は大仰にも見えるほど、派手な立ち回りをする。
名無しの神は、それに煽られるように魔法を連発した。
広間に轟音が響き渡り、あちこちの壁が崩れ落ちる。
「使えよ! さっきのを!」
その叫びに応じるように、広間の天井に巨大な魔法陣が展開される。
そうして、範囲内の全てを焼き尽くす極光の雨が降り出す、最悪の魔法が放たれた。
しかし、これで奴の大きな手札を1枚使わせた。
「それを待ってた! 《影界穿行》!」
幸いにもこの魔法は、《影界穿行》と効果時間がほぼ同じだ。
後出しで発動すれば、ほぼ間違いなく無傷で切り抜けられる。
影を雨避けに、魔法が晴れるのをひたすら待つ。
「今だ!」
最後の一本が光の糸になって消えるのを見届けると同時。
外に隠れていた師匠が、部屋へ飛び込んで来た。
それに合わせ、俺も無名の神に接近する。
ここでやっと透徹を抜き、最大飛距離で《レイヴ・エッジ》を見舞う。
闘気の刃が放たれ、腕の数本に浅い裂傷を与える。
「ァァ――」
反撃のためか、神は虚空から何かを取り出した。
柄もなく鍔もない。闇を切り取ったなような槍だった。
その槍を構え、巨大な腕を前脚代わりに動き、俺に襲い掛かって来る。
「この動き……!?」
応戦した俺は、その理論立った動きに違和感を覚える。
これは、錬灰流の元となった帝国槍術の動きだ。
攻撃を受けながら、ゾッとするような仮説が浮かぶ。
コイツは取り込んだ魂の記憶から、戦い方を学んでいる可能性がある。
だとすると、長引かせる程不利になっていく。
「師匠! まだか!?」
『もうすぐだ! 耐えてくれ!』
片足でステップを踏み、回避に専念する。
その間に師匠を呼ぶと、無名の神の背後から返事が帰ってきた。
傍目に、投擲の構えを取る姿も見える。
手には紫の液体が入った瓶。
『行くぞ!』
掛け声と共に、瓶が無名の神に向けて投げられる。
完全な死角からの投擲は避けられるはずもなく、瓶が割れて中身が灰色の肌を染める。
「ァ、オ、オォォォ……!?」
無名の神は悶絶するように蹲り、悲痛な声を上げた。
その巨体が青白いオーラに包まれ、煙が立ち昇る。
『効いてるぞ……!』
師匠が投擲したのは[リセットポーション]というアイテムだ。
対象のステータスをリセットし、レベルを初期に戻す。
「よし、これで第一段階突破だ」
しかし、これは本来プレイヤーが使うためのアイテム。
物理職から魔法職にコンバートする時や、ステ振りを間違えた時のなどの保険だ。
なのでゲームだと、プレイヤーにしか使えなかった。
投げたり、他人に使おうとすればエラーメッセージと共にシャットアウトされる。
だが、この世界だとスキルやアイテムの効果そのままに、システムの自由度がかなり上がっていた。
もしかすると、他人にも使えるのでは無いかと思ったが――――
「《解析》」
===================
【名前】無名の神
【レベル】224
未だ神話なき無名の神。
暗黒の神の落し子であり、やがて赤子は宇宙へと還る。
===================
やはり、思惑通りにレベルが225から下がっていた。
アイテムの対象制限は、この世界にはない。
一か八かの賭けだったが、運命は俺に味方をした。
「210、208、201……!」
更にレベルは低下を続ける。
そうして、俺のレベルを下回った瞬間。
「来た!」
満を持して無名の神へと飛びかかる。
組み付くため、刀身をその体に突き刺した。
「《紅月王喰》ッ!」
そして、《生魂滅奪》の上位互換スキルを発動。
刺し口から溢れる、神の生命エネルギーを啜る。
燃えるような血潮が全身を巡り、瞬く間に俺の足が再生を始めた。
「アァーーーー」
これで、相手のレベルを下げながら完全回復が出来た。
100%、勝ち筋を掴めた。そう言って良い筈だった。
だが、何か様子がおかしい。
無名の神のステータスが、変動を止めたのだ。
レベルは197で低下を止め、次の瞬間――198に変わった。
「レベルが、上がった……!?」
同時に、その顔に新たな仮面が1つ生まれる。
愉悦に頬を歪ませ、見るものを嘲るような目をした仮面だ。
――――ざまあないね
耳障りな甲高い声が聞こえたような気がした。
確証はないが、これはティアルナのものだとなんとなく思った。
『アルシアッ! 離れろ! 早く、早くしろッ!』
師匠の絶叫が、遥か遠くから響く。
まるで雑踏の中、必死に拾わなければ聞こえない声のようだった。
映るもの全てが緩慢になって、思考だけが目まぐるしく回る。
下腹部が痛い。でも何故。
「あ」
焦れったい程遅い動作で見下ろした自分の体。
その鳩尾に、一本の腕が食い込んでいた。
皮膚が破け、肉が裂かれ、骨が砕ける。
飛び散る血液の雫、一滴一滴が鮮明に見えた。
「まず――」
まずい。失敗した。
そう気付いた瞬間、認識と現実の時間が同期する。
「がっ!?」
その直後、壁にぶつかったような衝撃が走った。
視界に火花が散って、意識が朦朧とする。
気付けば、仰向けで地面に倒れていた。
「う……」
見上げた神の手には、千切れた俺の足が握られている。
どちらの足かは分からない。
だが、そこで漸く奴が俺を掴んで、地面に叩きつけたのだと気付いた。
「ゲホッ……」
衝撃で内蔵が破裂したのか、喉から血がせぐりあげる。
頭が回らない。手足の感覚も無い。
「ォア――」
無名の神が、理解出来ない言葉を紡ぐ。
それが魔法の詠唱だというのは直ぐに分かった。
何故なら、奴の前に膨張する魔力の塊が生まれたからだ。
――――避けなければ
「く……そ……」
避けるため、体を動かそうにも全く言うことを聞かない。
もしかすると、残った手足も潰れているのか。
そうでなくとも、骨は砕けているだろうし、逃げるのは不可能。
『アルシア!』
耳鳴りのする中で、聞いたことがない程に切迫した声が聞こえる。
首だけを動かして声の方を見れば、師匠がこちらに駆け寄ってきていた。
その間にも魔力の塊は更に巨大化し、密度を増した。
あれを、俺に向けて落とすらしい。
「……死、ぬ……のか」
思わず漏れた言葉に、死への実感が湧く。
死ぬこと自体は怖くないが、俺にはまだ果たしていない約束がある。
遥か昔に掲げた、守らなければならない信念がある。
助けなければならない、人がいる。
なのに――――
「ァ」
魔力塊が、神の手を離れた。
周囲のあらゆる物質を灰燼にして、落下してくる。
『まだだ!』
突然、俺と魔力塊との間に人影が割り込んだ。
それは、見慣れた師の背中だったけれど、その姿はいつもよりずっと鮮明に見えた。
「し……しょう」
『死なせるものか……!』
重厚な鎧を纏った、偉丈夫の輪郭がはっきりと見える。
風圧で靡く雪白の髪。その横顔から見える瞳は、翡翠をしていた。
腰に提げた剣を抜くと、刀身から黄金の闘気が迸る。
『この魂と引き換えにしても、お前は死なせん!』
師匠の掲げた黄金の刃が、魔力塊を受け止めた。
純粋なエネルギーの塊を、物質で押し留めている。あり得ない神業だった。
『ぐっ……おおおぉ!』
だが、それでも人と神の間には、隔絶した力の差がある。
次第に高密度の魔力に押され始め、すぐに師匠は膝をついた。
「……やめ、てくれ」
掠れる喉で、師の無謀を咎める。
このままでは、俺だけじゃなくて師匠まで消滅してしまう。
俺はそんなことを望んではいない。
「……師匠、逃げ……」
『逃げるものか! 已れは、もう二度と何も失いはしない!』
「うぅ……」
俺だって、もうこれ以上大事な人を失うなんて嫌だ。
その思いは言葉にならず、呻き声が漏れるのみだった。
そして、無名の神は、無慈悲にも更に魔力を注ぎ込む。
『クソッ……! 已れ、已れは、また何も守れないのか……!?』
掲げた剣は罅が入って、もう少しも耐えられそうにない。
視界の殆どが無情なる白に染まり、頬が魔力に焼かれる感覚がする。
次の瞬間、師匠の姿が極光の魔力に飲み込まれた。
そして、俺も光に侵食されていき、とうとう何も見えなくなった。
視界がホワイトアウトし、意識が深いところに落ちていく。
『アル――――シ――――』
沈み込んでいく意識の最中、最後に聞こえたのは、俺の名を呼ぶ誰かの声だった。




