16.封印の先に
師匠は石畳の路地をゆっくりと進みながら、ぽつりぽつりと当時の出来事を語りだした。
『あそこに宮殿が見えるだろう。当時已れは、中枢楼にて帝都守護と、軍の後方指揮を執っていた』
俺達の進む道の先。
都市の一段高いところに作られた、豪奢な建物。
師匠はそれを指差した。
『その軍の中に裏切り者がいたことに気付いたのは、ルグリアが最南のカナン砦を落とし、中央に進軍を始めた頃合いだったか』
「裏切り者って、黒教の間者だよな?」
『ああ。第二皇子を暗殺し、この州を地獄に変えた最悪の裏切り者たちだ。忠実な部下を装い、已れは最後まで気付けなかった』
その言葉の端から、悔憤が感じられる。
信じていた仲間に裏切られるなど、どれ程の苦痛だったのか。
俺には想像もつかない。
『予め用意していたのだろう。奴らは帝都の中央で陣を展開し、あらゆる生命を贄に捧げた』
「……ん? 師匠とか、逃げ延びた第二皇子は生贄にならなかったのか?」
『黒教と言えど、強靭な魂を容易く簒奪することは出来ん。已れや、皇帝の血筋なら尚更な』
「じゃあ、生贄にされたのって――」
俺の言葉を継ぎ、師匠は『殆どが罪無き帝都市民の命だ』と答えた。
それを聞いて、俺は奥歯を噛んだ。
沸々と、静かな怒りが湧いてくる。
『生贄にされた者は肉体も残らん。ここが静かなのは、そういうことだ』
「外道共が……」
『話を戻すぞ。結果として奴らは本懐を遂げられず、生まれたのは神を模しただけの"何か"だった。だが、国を1つ滅ぼすには充分だったのは、見て分かるだろう』
神のなりそこないでも、狂神の眷属には違いない。
撒き散らす瘴気は体も精神をも犯し、生ける屍に変える。
『精神は無事だったが、已れの肉体とてあの瘴気に長時間耐えられはしなかった』
「生前の師匠でも駄目だったのかよ……」
『皇子を逃がした後のことは、言うまでもないな』
「いや、でもちょっと待て。結界は? この結界は誰が張ったんだ? つーか師匠は解除の仕様をどこで……」
『見当は付いているが、それを今から確かめに行くのだ。ヤツの居場所も含めてな』
「確かめにって……」
そこで、俺は宮殿が目の前に迫っているのに気付いた。
草木こそ枯れているが、広い庭園が門越しに広がっている。
その先に、荘厳な建物が鎮座していた。
今度は普通に開いた正門を通って、中庭を抜ける。
師匠の先導で宮殿内部に入ると、その広さに圧倒された。
吹き抜けの天井は、色とりどりのステンドグラス。
大理石の床には、豪華な刺繍のされたカーペット。
等間隔に置かれた燭台すら、精緻な装飾が美しいと思わせられる。
「……こんな時じゃなければ、じっくり見てみたかったな」
生憎と、今日は観光に来たわけではない。
師匠を背中を追って宮殿内を進んでいく。
気の所為でなければ、その足取りは何か急いていた。
しかして辿り着いたのは、宮殿でもとりわけ大きな広間だった。
『……やはり』
それを見た師匠は、何かを悟ったように呟いた。
広間の奥は重たい瘴気が壁のように立ち塞がっている。
『……ここに、封じている者がいる』
その奥で何かが、重く、ゆっくりと、鼓動していた。
鼓動に合わせ、瘴気の波が吹き抜ける。
だが、俺には効かない。
逆に師匠の霊体はわずかに揺らぎ、露骨に嫌悪を示していた。
「おいおい、なんか出てきたんだけど?」
瘴気の壁を越えて、何かが現れる。
まるで水の中を抜けるように、ゆっくりとこちらへ歩み出てきた。
白い法衣を纏い、右手には長杖。顔をヴェールで覆った女性だった。
女は軋む体を動かして、数歩だけ前に距離を詰める。
『ミランダ……』
師匠の声が震えた。
同時に、周囲の壁に掛けられた蝋燭へ青白い火が灯りだす。
ミランダ。
その名は、5年前に師匠から聞かされていた。
帝国第二魔術大隊長。
結界術と大魔術のエキスパートらしい。
だが、今やその身体は骨のように細り、瘴気に侵食されていた。
「その声、確か……ルキウスか。まさか死んで尚、相対するとは思わなかったな」
「ルキウス……?」
それでも、ミランダは正気を保っていた。
呂律も回っているし、意識もはっきりしている。
彼女の呼んだ名も気にかかるが、今は思考の隅に置いておく。
『結界の主は貴様か』
「ああ、"奴は"二重に封印を施した。今はこの"瘴気の中"で眠っている」
『瘴気の中に……?』
「だが、もう200年近くになる……そろそろ私の体も限界に近い。破られるのも時間の問題だろう……」
そう言って、ミランダは辛そうな素振りを見せた。
ただ、俺は彼女の口ぶりと、態度に何か違和感を覚えた。
それへ同調するように、透徹が鍔をカタカタと震わせる。
何かを嫌がっているように感じられ、俺は勘付かれないように鞘へ手を添えた。
「そこの少女は、一体……」
『死後、拾ったのだ。ここを出たいというのでな、鍛えてやった』
「あんたの封じてる"それ"を倒しに来たんだ、出来れば封印だけを解いてくれると助かる」
「成程。そういうことか。まさか生きた人間がここまで辿り着くとは、意外なこともあるものだね」
そう言ったミランダの喉から、含み笑いが漏れる。
やはり何かがおかしい。師匠に目配せすると、あちらも気付いているようだった。
『お前は、今日までどうやって耐え忍んで来たのだ』
「ふむ、どう語れば良いものか……」
ミランダは熟考するように、顎へと指を当てる。
「あの日、丁度この場所で神降ろしが行われた後、大半の者は即座に贄へと変わった。私を含む、魔術大隊の者は即座に結界を張ってなんとか耐え忍んだが、周囲に潜んでいた無数の黒教信徒と戦闘になった」
『半数は已れの追手に回った筈だが……』
「無論、それでも劣勢を強いられたさ。部下は全滅、敵も相当消耗させたものの、一人厄介なのが残っていたな。枢機卿の代理を名乗る、背の低い少女だ」
「枢機卿は永久欠番だから、そいつらは今の実質的指導者だな」
「結局その女を倒す代償に、私も深手を負ってな。そのすぐ後に一度死んだ」
異様な話だが、あまりに淡々としていたせいで、そのおかしさに気付くのに一拍の遅れが生じる。
死んだということは、オボロのように自我を持つアンデッドになったのか。
或いは、全く違う理由で、彼女の体は動いているのか。
「……あれから200年、長かった、実に長い年月だった。しかし、これで漸く、私も前に進めるというものだよ」
『……何を言っている』
「いやぁ、鬱陶しいことに彼女は術者にも解けない結界を張ってくれてね。外部の変数を待っていたんだよ、"僕"は」
疑念が確信に変わった直後だった。
『アル、こいつはミランダではない!』
「わーってるよ!」
師匠の声のコンマ数秒後。
ミランダの杖から、邪悪な黒い結晶が放たれた。
刀で結晶を弾くと、砕けたそれは爆発。無差別に内装を破壊する。
「キミ、最初から気付いていたね?」
『当たり前だ。ミランダは元々レーナリア聖教の修道士。断じて瘴気を操る術など持たん』
「あー、そうだっけ? ただの軍人じゃなかったのかぁ、やっぱり乗っ取る相手の体はちゃんと調べておかないと駄目だね」
ミランダは戯けたように肩を竦めた。
それが癪に障ったのか、師匠の体の揺らぎが一層強くなる。
「何者だよ、お前」
「おやおや? 人に名前を尋ねる時はまず自分からって、パパかママから教わらなかった?」
「うるせえな、俺ァおばあちゃんっ子なんだよ」
「それは失礼。じゃあおばあちゃんからなんにも教わらなかった無教養なキミに、僕から名乗ってあげよう」
人を小馬鹿にしたような態度。
子供のような頭に響く甲高い声。
仰々しいお辞儀を取る、わざとらしさ。
その、全てにおいて癪に障る感覚には、僅かに覚えがあった。
「僕は――黒教枢機卿代理、兼北方区大司教、ティアルナ・ヴェルラート。以後お見知りおきを」
『黒教……!』
「やっぱりな、このクソさ具合はてめぇらしかねえよ」
黒教。それも最高位の枢機卿代理。
ゲームで言えば、章ボスかそれ以上の存在だ。
存在の最悪さ加減で言えば、下っ端も上司も変わりはしないが。
「で? 僕は名乗ったけど? こっちが配慮してやってんだから、最低限の礼儀くらい弁えなよ」
「アルシアだよ。ったく、お前らは一々喧嘩腰じゃないと会話出来ねぇのか? ああ?」
俺が歯を剥いて睨むと、ティアルナは鼻を鳴らした。
「それってキミの主観の話じゃないの? 僕は至って普通に接しているだけなんだけど、変な言いがかりつけるの止めてくれないかなぁ。キミみたいな見るからに無知蒙昧で知性も感じないような人には無理な話かも知れないけど、もう少し客観的に物事を見れるようになったほうが良いんじゃない?」
「相手にそう捉えられるような態度を取っていること自体が論外なんだよ。そんなことも分からないで言い訳してんじゃねえぞ腐れ外道が、ぶっ殺すぞ」
このように、黒教の関係者は軒並み性格が終わっている。
舌戦に付き合うときりが無い。会話の中身もない。
つまり、見つけ次第殺した方が世のためだ。
「おー怖い。暴力しかアイデンティティがなさそうな蛮族めいた発言だよ全く。キミだって仮にも知性ある生き物なんだし、対話で解決しようとか思わないわけ? そもそ――――」
ティアルナが言葉を言い切る前に、肉薄して袈裟斬りの一撃を見舞う。
しかし間一髪で避けられ、ヴェールを裂くに留まった。
「まだ僕が話している最中なんだけど?」
「先に不意打ちしてきたのはどっちだよ、バーカ」
後退しつつよろけるティアルナ。
奴に向けて、舌を出して挑発する。
ここから先は問答無用だ。
ティアルナ諸共、奴らの負の遺産は全て駆逐する。




