最終話
大きな木の植えられた、陽の当たる中庭。
五人の幼子が笑っている。
少し離れた回廊に、大人たちが集まっていた。
強固な結界に護られた、神楽族本家の屋敷。
駆ける二人の男児に少し遅れながら、頬を真っ赤に染めて走る黒髪の男児。
その後を、女児二人が追いかけて行く。
白銀の髪をした女児に追いつかれた黒髪の男児が、悔しそうに唇を噛んでいた。
「…また、負けちゃった」
そんな男児の背中を、女児が力いっぱい叩く。
「次は勝てばいいのよ、響!」
励ますような言葉に、黒い瞳を煌めかせて、男児が微笑んだ。
「ねぇ、鈴ちゃん。大きくなったら、僕のお嫁さんになってくれる?」
すぅーっと目を開き、鏡台に映る自身の姿を確認する。
真っ白な装束に身を包み、白銀の髪を複雑な形に結い上げている。
青い花が飾られた冠を被り、こちらを見ている赤い瞳は不安そうに揺らめいている。
扉が叩かれ、薄黄色の装束を着た楓が入ってきた。
「用意はどう?花婿は待ちきれない様子だったけど」
からかうような声に、五十鈴は鏡越しに楓を仰ぎ見る。
「緊張しちゃって…」
「何か軽くお腹に入れておきなさいよ。お式の間は、きっと何も口にできないわよ」
「…夢を見ていたわ」
ぽつり、と零された声に、楓が首を傾げた。
「夢?」
「小さい頃の夢。陽向がいて、楓がいて、駿河と…響、も……」
涙を滲ませる五十鈴に、楓が慌てて胸元から手巾を取り出す。
化粧の施された五十鈴の目元を、そっと拭う。
「泣いちゃダメよ。お化粧が崩れちゃうわ」
楓の優しい指先の感触に身を委ねながら、五十鈴は逝ってしまった響を思う。
統治院が調査の為に仙北山へ送った者からの報告によれば、竜神の住処であった滝壺の前に設置されていた柱の根元から、北家の前当主、つまりは響の父親の遺体が見つかったという。
頭と体を殴られ、胸元に響と同じような黒い石を埋め込まれ、黒い炎を上げていたそうだ。
他の松明の黒い炎よりも一際大きく燃え上がり、立ち上る瘴気は天に届くかに見えたという。
響を新たな竜神とする為の、贄であったのだろうか。
「…ずっと、あの頃のまま笑っていられたらよかったのに。どうして、子供のままではいられないのかしら」
「人はみんな、大人になるのよ。ならなければ、いけないの。
五十鈴、過去を省みる事は大切だけど、それでも私たちは、今を、生きているのよ」
鏡の自分から目を離し、楓を見つめる。
「辛い事も、悲しい事も、たくさんあった。でも、残された私たちは、先に逝った人たちの分まで、今の命を大事に、前へ進んでいかなくてはね」
「…そう、そうね。前へ、進まなくては、ね…」
一つ頷き、気持ちを切り替えるように五十鈴が明るい声を出した。
「クロは、お式には来てくれるのかしら?」
「忙しいってぼやいてたけど、参列してくれるはずよ」
今や北家の新当主となってしまった玄カガチ、いや凪は、北家の屋敷と【結ノ里】を行き来する生活を送っているようだ。
北家の起こした事件の後処理に、走り回っているらしい。少年が起こした事ではないのに、育てられた村の関わる事だからと、必死になっている。瘴気に包まれていた魔獣たちも、禍々しい石を取り除かれ、ただの獣に戻っていると報せがあった。
当主を継ぐ事は、最後まで抵抗していたようだが…。
「秘密主義の北家の長老が、間違いなく北家の血筋だ、なんて宣言しちゃうんだものね。まったく、北家にはどれだけの秘術が隠されているのかしら」
「クロも大変そうね」
くすっと笑って、五十鈴は立ち上がった。
わぁっ、と歓声が上がった。
神楽族本家の巫女と、東家の次男の婚姻の儀である。
竜神が去った事に絶望していた都の人々にとって、新たな時代の幕開けとなる、これ以上ない慶事であった。
大通りを輿に乗って進む五十鈴の耳に、人々の歓喜する声が聞こえてくる。
本家の屋敷が見えてきた。
門をくぐり、正面口で輿を下りる。
深青色の正装を纏った陽向が、手を差し出してきた。
そっと手を重ね、屋敷奥の神棚のある部屋へと向かう。
中では大老が待っていた。
「この良き日に、一族の若者が番う喜びを、天に祝福していただこう」
二人並んで立ち、見つめ合う。
どちらからともなく、唇を重ねていた。
「これからも、ずっと五十鈴の側に」
「これからも、ずっと陽向の側に」
誓いの言葉を、どこかで響が聞いているような気がした。




