第六十話
祭壇で蹲っていた響が、その右腕に刺さった大剣を引き抜いたところだった。
勢いよく、血が溢れ出す。
側で身構えていた玄カガチが、飛び退いて避ける。
「…よくも…よくもよくも……っ!もう少しで、幸せになれるはずだったのに…っ」
血走った目を陽向に向ける響。
引き抜いた大剣を両手で構え、ふらつきながら立ち上がる。
「お前…お前なんか、死んじゃえ…っ」
玄カガチが制止しようと苦無を投げる。楓が、風の刃を撃つ。
背に攻撃を受け、傷から血を流しながら、陽向に向かって足を進める響の姿は、道に迷う幼子のように痛々しかった。
五十鈴が叫ぶ。
「響!もうやめて!」
泣き出しそうな五十鈴の肩に、陽向が大きな手を置いた。
振り返る五十鈴の目に、何かを決意したような陽向の顔が映る。
「あいつの苦しみを、止めてやりたい」
ハッとして、響を見つめる。
涙を流していない響の黒い瞳が、泣き叫んでいるように揺れていた。
「……」
肩に置かれた陽向の手に己の手を重ね、一つ頷いた。
「私も、戦うわ」
「いや、俺に、任せてくれ。あいつと、決着をつけてやらないと」
かつての幼馴染を、黒い石が滝壺に沈んだ途端に思い出せた無邪気な笑顔の幼馴染を、本来の彼自身に戻してやりたかった。
向かって来る響を真っ直ぐに見つめている陽向に、五十鈴はその手を離した。
「祈るわ。貴方と響が、ともに戻って来てくれるように」
「頼む」
短く呟き、響と戦う為に足を踏み出した。
丸腰の陽向ではあったが、術を使うつもりはなかった。
大剣一本で向かって来る響に、禍々しい術を使う様子はない。ならば、こちらもこの体だけで、戦う。
拳を握りしめ、体の前で構えた。
滝壺の前まで歩いて来た響は、大剣の重たさに耐えられないように、体を揺らしている。それでも、剣の柄から手を離さなかった。
「どうして…邪魔ばっかり…僕は、新しい竜神様になるはずだったのに、力を貰えるはずだった竜神様が、空に還っていっちゃったじゃないか」
「お前は竜神様にはなれないし、五十鈴の事も好きにはさせない」
五十鈴の名を口にした瞬間、響の殺気が膨れ上がった。
「鈴ちゃんは、僕とずっと一緒にいるんだっ!」
叫びながら、大剣を無茶苦茶に振り回す。
狙いも定まっていない攻撃を躱しながら、陽向は幼馴染の腹に拳を撃ち込んだ。
「…ぐっ…!」
さらに、頬に一発入れる。
「っは…っ」
よろめき、大剣を支えにそれでも足を踏ん張る響。
もう一発、腹を打った。
口から吐き出された血が、地面を濡らす。
真っ赤に染まった口元を袖で拭い、響は大きく大剣を振りかぶった。
篭手で大剣の攻撃を受け、響の胴体を蹴り上げる陽向。
耐えきれず、ようやく地面に手をついた響の側に、しゃがむ。
「大剣、返してもらうな」
響の手から離れた大剣を手にした瞬間、黒い矢が飛んできた。
「!!」
ぎりぎりで躱したその矢が、響の背に突き刺さる。
「響!」
思わず響の体を庇い、矢が飛んで来た方へ目をやると、楓と戦っていたはずの集団から一人がこちらに向かって弓を構えていた。
「貴様…!」
その青い瞳に怒りの炎を燃やした陽向へ、さらに攻撃しようとしていた兵士の肩を、赤い矢がかすめた。
右腕を失い、左目を潰されながらも山頂へと駆けつけた駿河が、矢を口で番えて放った最後の一射だった。




