第五十五話
大きく広げられた装束の胸元に、青年の細い指が触れていた。
そっと撫でるような動きに、嫌悪感を覚えた。
力の入らない指先を、それでも動かそうと身動ぎする。
「…鈴ちゃん?」
きょとん、とこちらを見つめるこの青年は、幼い頃に本家で育った北家の響のはずだ。
黒い髪に、黒い瞳。
真っ白な肌は穢れなど知らないようで、だが、広げた襟元から見える、黒い石の埋め込まれた肌は、古い傷でボロボロだった。
そして、石を中心に体中に伸びる、真っ黒な筋。
視線を巡らせると、御神座に置かれた大石から、響の胸元の石へと瘴気が吸い取られていくのが見える。
ぐっ、と力を入れて腕を上げ、響の石に指で触れる。
すべての神通力を吸われそうな、不快感が体を襲った。
「っう…」
五十鈴の動きに目を奪われていた響が、微笑んだ。
「鈴ちゃん、僕に触れてくれるのは嬉しいけど、これはダメ」
悪戯を咎めるように無邪気に、五十鈴の手首を優しく掴む。
「これはねぇ、鈴ちゃんと一つになった後、僕が竜神様になる為に必要なモノなんだ。だから、触っちゃダメだよ」
優しく言い聞かせるように話す響に、五十鈴が強い意思の宿った瞳を向ける。
「貴方は、北家の響、ね」
五十鈴の手首を掴んだまま、響が嬉しそうに笑った。
「思い出してくれたの?凄いね、鈴ちゃん。父様のかけた幻惑の術は、完璧だったはずなのに」
「幻惑の術?」
ふふっと笑い声を漏らしながら、五十鈴の手首から手の甲へと、その肌を撫でる。
鳥肌が立つ。
だが、夢で竜神が言っていた事が真実なら、響の目的をはっきりと聞き出したかった。
嫌悪感を胸の内に押し込めて、続きを待つ。
「父様はね、我が家に代々伝わる大地の力は弱かったんだって。だから、代わりに、口伝でだけ継承されてきた秘術を、たくさんたくさん、練習したんだって」
北家の前当主、響の父親。
まったく顔が思い出せなかった。響が十歳の頃、亡くなっているはずだった。
「鈴ちゃん、僕の顔や父様の顔、覚えてなかったでしょ?」
遠い記憶を探すように、少し上を見つめる響。
「僕はね、君たちが僕の事を忘れちゃうのが、悲しかった。父様に家に閉じ込められて、会えなくなるだけでも嫌だったのに、忘れられるなんて、悲しくて死んじゃう、って思った」
悲しい、と言いながら、五十鈴の手を握ったまま話す響は、とても楽しそうだった。
「だから、父様がこの石を僕に埋めた時、一つだけ願い事をしたんだ。鈴ちゃんたちが、僕の事を完全には忘れないように、って」
石を、埋めた?響の父親が…?
そんな非道な仕打ちを実の親から受けて、笑い話のように話す響が怖かった。
竜神の言葉が思い出される。
『不届きで不憫な者』
響の事を言っていたの…?
そんな酷い事をされていたのに、今笑っているのは何故…?
五十鈴の疑問に答えるように、響は囁いた。
「だって、鈴ちゃんにお嫁さんになってもらうんだから」




