第五十三話
腹を強く蹴られ、体が後方に吹き飛ぶ。
あの細い体のどこから、そんな力が出ているのか。
だが、倒れる訳にはいかない。
すかさず体勢を立て直し、再び祭壇へと駆け寄る陽向。
殴りかかった拳を躱し、陽向の頬に反撃する男の拳が振り下ろされた。
口の中に血の味が広がる。
ぺっと地に吐き出し、拳を握りしめた。
青年の余裕が、癪に障る。
「んー…、力加減が難しいなぁ」
呟く青年の言葉の意味が掴めず、それでも殴りかかろうとする陽向の手首を強く掴まれた。
「!」
遠心力を利用するかのように、陽向の体が手首一本を軸に振り回される。
「っぐ…!」
酔うような不快感に、吐き気がこみ上げる。
目を閉じそうになった瞬間、男が陽向の体を放り投げた。
松明が据えられている黒い柱に激突する。
激しい眩暈が襲ってきたが、奥歯を噛んでやり過ごし、敵の姿を視界に映す。
黒髪の青年は、手を軽く振りながら、首を傾げていた。
「やっぱり、この大剣が邪魔なのかなぁ。でも、これを返したら、またこれで斬りかかってくるでしょ?」
己の右腕に目をやりながら呟く青年の問いは、陽向の答えを求めているようには見えなかった。
「…す、水刃…っ」
ふらつきながら立ち上がり、陽向が水刃を放つ。
普段とは段違いに威力の落ちた水の刃が青年に向かう。が、手刀ではたき落とされた。
「あ、ちょっと濡れちゃった」
はたき落とした手を振り、水滴を払いながら陽向に目を向ける。
「何か、君、弱くなったかな?もう、飽きちゃった」
戦いに興味をなくしたように呟き、陽向から横たわる五十鈴へと視線を移した。
「ま…待て!」
口の中を切ったせいか、言葉が上手く出てこない。
だが、五十鈴には触れさせない。
一歩、また一歩と青年に近づく陽向に、こちらを見もせずに黒い炎を撃ってきた。
「うるさいなぁ。もう、飽きたってば。そこで見ててよ」
熱を持たない声色に、陽向は絶望しそうになる。
陽向の行く手に黒い炎が燃え広がった。
だが、諦める訳にはいかなかった。
ふわり、と五十鈴の側に立ち、微笑む青年。
きっちり閉めていた襟元を再びくつろげ、黒い石に指を這わせた。
御神座の黒石から、瘴気の帯が吸い込まれてくる。
真っ白な肌に、ひび割れたような真っ黒な筋が浮かぶ。
「あぁ、力が溜まったね。鈴ちゃん、お待たせ。僕のお嫁さんになる時が来たよ」
五十鈴の首飾りにそっと手を触れる。
力を吸い取られていく感覚に、五十鈴の体が跳ねた。
薄く開いた唇から、言葉にならない声が漏れる。
「…ぁ…やめ……」
震える声に、響は嬉しそうに頷いている。
「最初はちょっと、気持ち悪いかもしれないけど、大丈夫。すぐに、僕と一つになれるよ」
光を失った赤い瞳を覗き込み、響が五十鈴の白い装束の襟に手をかけ、大きく左右に広げた。




