第五十一話
向かってくる敵を薙ぎ払いながら、朱塗りの鳥居から駆け続け、山頂に上る火の手を目指した。
赤く燃える松明と、禍々しい黒い炎が揺らめいているのがここからでも見える。
焦燥感を抑え、陽向は駆ける。
額に浮かぶ汗を拭い、頬に飛んだ敵の返り血をそのままに、黒く染められた空間へと足を踏み入れた。
竜神の住処とされる滝壺の前に、黒曜石の御神座が置かれ、神官と見られる老人たちが祝詞を唱えている。
向き合うように設えられた黒い祭壇で、横たえられた五十鈴に覆いかぶさる、黒髪の青年。
「五十鈴!!」
思わず、叫んでいた。
これまで素性を隠して仮の名を呼んできたことなど、頭から吹き飛んでいた。
目の前で、見知らぬ男に奪われそうになっている、五十鈴の薄桃色の唇。
頭の中が真っ白になった。
「水刃!」
無意識に呪を唱えていた。
右手から放たれた水の刃が、祭壇の男へと届くかに見えた刹那、黒々とした障壁が現れた。
湊が扱っていたものよりも、深い黒色の障壁に、陽向の放った術が吸い込まれていく。
こちらを向いた、漆黒の、瞳。
「やぁ、来てくれたんだね」
五十鈴の体の横で手をつき己の身を支えながら、視線だけを陽向に向ける。
見覚えのないはずの男が、まるで旧知の友を迎えたように微笑んだ。
「ちょうどよかったよ。これから、僕たちの大切な大切な儀式が始まるんだ。君たちにも、そこで見ていてもらわないと」
いっそ無邪気と言えるほどの、あどけない口調。
大剣を構え駆け出そうとした陽向の前に、またもや黒ずくめの兵士たちが立ち塞がった。
「どけっ!」
大きく横に大剣を振り払い、兵たちを斬り伏せる。
荒い呼吸で走ってきた楓が、その勢いのままに風刃を放った。
「水壁!」
楓の前に水壁を盾のように発生させ、黒ずくめの兵士と斬り結びながら、祭壇の寝台に横たわる五十鈴へと声を届かせようとする。
「五十鈴!」
ピクリ、と五十鈴の指が動いたように見えた。だが、他に何の反応も見せない。焦燥感が酷くなる。
五十鈴の体の上で、黒装束の青年が小さく笑った。
「ねぇ、僕の鈴ちゃんの名前を、気安く呼ばないでくれる?」
何の感情もないような瞳で、こちらを向く青年に、やはり見覚えはないはずだった。
なのに、懐かしい。
この感覚は何だ?いや、それよりも…。
男が五十鈴を「僕の鈴ちゃん」と呼んだ事が、不愉快で仕方なかった。
「水の君!考え事をしている場合じゃないわよっ」
二振りの短剣で敵の首筋を斬りつけながら、楓が叫んだ。
ハッとして、陽向は頭を振る。
「ここは俺たちで何とかするから、お姫さんのところへ!」
苦無で応戦している玄カガチも、余裕のない声を上げた。
二人が作ってくれた隙間から、大剣を構えたまま陽向が走り始める。
「ふーん。お友達と一緒なのかぁ。いいね」
ふふっと笑い、青年が五十鈴の顔に自分の唇を近づけた。
「でも、僕には鈴ちゃんがいるから」
そして、走り寄ろうとする陽向の目の前で、五十鈴の唇に青年の色のない唇が重ねられた。




