第三十二話
仙北山の山頂までは、只人の足で二日かかる。
山の恵みを頂き、生きる糧を与えてくれる竜神へと感謝を捧げながら登るのだ。
だが、五十鈴たち一行は、野営する気はなかった。このまま山頂まで、一息に駆け上るつもりで、周囲を警戒しながら走っていた。
朝日が昇り、辺りが明るくなってくると、魔獣との遭遇が増え始めた。
登山口の戦闘で、五十鈴を前線に出してしまった事を悔いる陽向が、すべての魔獣を撃退した。
手を出す暇のなかった駿河と楓が、苦笑している。
護られることを嬉しく思いながらも、自分も戦いたい五十鈴が頬を膨らませる。
「私だって、魔獣を倒せるのよ?」
「わかってるって、お姫さん。水の君は、あんたが心配でたまらないだけだろ」
走る速度を落とさずに、むくれる五十鈴に玄カガチが言う。
日の出前の出発から既に数刻過ぎ、随分この少年とも打ち解けてきた。
途中、小さな兎型の魔獣と戦った際に、玄カガチから苦無の投げ方を教わった。
投擲した苦無は兎の遥か手前の地面に落ちた。
玄カガチの残念そうな表情が忘れられない。
『あー…、お姫さんは、そのまま刀で戦え』
そのやり取りを、楓がおかしそうに見ていたのが悔しい。
「警戒!」
陽向の鋭い声が響く。
途端に、頭を切り替える五十鈴の視界に、これまでとは比べ物にならないくらい大きな、黒い魔獣が映った。これは…熊だろうか。
光を失った漆黒の瞳が、こちらを見つめていた。
「散開、水壁!」
陽向が唱える呪で、五人の前に盾のような水の壁が現れる。
駿河が矢を番え、楓が指を組んだ。玄カガチも苦無を構えている。
五十鈴も刀を抜こうと右手を柄にかけたところで、違和感に気づいた。
見られている……。
目の前の魔獣ではなく、横や上から視線を感じる。それも、複数だ。
熊型の魔獣に集中している四人はまだ、気づいていない。
刀を鞘から抜き、身を低く構えたところで、突然黒い影が飛び出してきた。
「!!」
十人ほどの人影が、五十鈴目がけて飛んでくる。
山道を囲む森の木の上に潜んでいたようだ。全員、真っ黒な装束に身を包んでいた。
人影の一人が、五十鈴に向けて網を投げてきた。網の両端をさらに二人が持ち、五十鈴の頭上から飛び降りてくる。
「白の君…!!」
気づいた楓の悲鳴に、陽向たちがいっせいに振り返った時、五十鈴は投げられた網に捕らわれたいた。
三人がかりで網を体に巻かれ、身動きのできない五十鈴を曲者が抱え上げる。
立ち去ろうとする曲者に向かって陽向が大剣を向けるが、残りの敵が立ち塞がった。
前方に曲者、後方に魔獣。
ぐずぐずしていては、五十鈴が連れ去られる。
陽向は前方に踏み出し、叫んだ。
「魔獣は任せた!」
玄カガチが苦無を投げ、楓が風刃を放つ。
駿河は魔獣にも曲者にも火矢を放った。
降り注ぐ火矢を避けながら、残っていた曲者たちを陽向がすべて倒した時、すでに五十鈴の姿はなかった。
白銀の輝きを失った刀身だけが、その場に落ちていたーー。




