仲良し家族と私の「変」
凛さんの黒いフードが雑踏に消えていくのを見送った帰り道。
夕焼けは、いつもより少しだけ暗く見えた。
凛さんは、どうして「俺」なんて言うんだろう。
あの硬い一人称は、誰から身を守るための鎧なんだろう。
そして――海月先輩の、あの寂しそうな横顔。
(……あの二人の間に、何があったんだろう)
知りたい。でも、踏み込んではいけない気もする。
胸の中で、好奇心と遠慮がせめぎ合っていた。
――ブーン。
ポケットの中でスマホが震えた。
『ふくへ。明日、部室で渡したいものがある。たぶんお前も気に入ると思う』
その一文を見た瞬間、胸の奥がふわりと温かくなる。
("ふく"……)
今日、先輩が呼んでくれた、あだ名。
たった二文字なのに、まるで秘密の合言葉みたいで、特別な響きがあった。
福原彩花――「ふく」。
中学の頃、友達に「彩花」って呼ばれるのは普通で、嬉しくもなんともなかった。
でも、「ふく」は違う。
海月先輩が、私のために考えてくれた名前。
それだけで、なんだかアクア部の一員になれた気がしていた。
気づいたら、無性にアベニーパファーに会いたくなっていて、
家とは反対方向の、商店街行きのバスにふらりと乗り込んでいた。
――ガタン、ゴトン。
バスがゆっくりと走り出し、窓の外の景色が少しずつ遠ざかっていく。
胸の奥で期待がふくらんで、気がつくと窓ガラスに映る自分に向かって、ひとりでにやけていた。
やがてバスが停留所に着くと、商店街の灯りがぱっと目に飛び込んできた。
さっきまで凛さんと海月先輩を追いかけた道の、その少し先。
この先に、あのアクアショップがある。
あの子たちは、まだあの水槽で泳いでいるんだろうか。
* * *
店の扉を開けると、変わらない水の音と、優しいポンプの低い響き。
店主のおじさんが「おや、また来たのかい?」と笑顔で迎えてくれた。
「はい……あの、アベニーパファー、見せてもらっていいですか?」
小さな水槽の前にしゃがみこむと、あの子がいた。
淡い黄色の体に、いたずら描きみたいな黒い斑点。
ぷかぷかと、不器用に泳いでいる。
(……ちっちゃいのに、一生懸命だね)
思わず、ガラス越しに指を動かす。
あの子は興味なさそうに、ふいっとそっぽを向いた。
「ふふ、ツンデレだ」
その姿が、なぜだか他人事に思えなかった。
――「彩花って、ちょっと変」
中学二年の春。
友達と一緒に田んぼ道を歩いていた時のこと。
稲の根元へと流れ込む田に引く水のきらめきに心が躍って、思わず屈みこんで覗き込んだ。
澄んだ水の底では、水草がゆらゆらと揺れ、小さな生き物たちの影がすばやく走り抜けていく。
世界はこんなにも豊かで、美しくて――
「え、なんでそんなもの見るの?」
「普通、女の子はそんなの見ないって」
友達のくすくす笑う声が、冷たい水のように背中を伝った。
ああ、そうか。
私は、"普通"じゃないんだ。
それから私は、心の奥で輝いていた「好き」という感情に、
そっと重い石の蓋をした。
でも――
(……アベニーパファーも、きっと"普通"のフグじゃないよね)
ちっちゃくて、不器用で、誰にも媚びない。
それでも、この子は堂々と泳いでいる。
「……私も、そうなりたいな」
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞こえなかったけれど、
自分の中ではっきりと響いた。
店を出る時、振り返って水槽を見た。
アベニーパファーは相変わらず、マイペースに泳いでいた。
(……待っててね。ちゃんと準備して、迎えに来るから)
心の中でそっと約束して、私は商店街の灯りの中へ歩き出した。




