砂に埋もれた本音
自動ドアが開く。
ひやりとした空気と一緒に、
水とガラスの匂いが流れ込んできた。
さっきまで指先に残っていた温度が、
すっと引いていく気がする。
その代わりに、胸の奥に別のざわめきが広がった。
店員が、殻を潰さぬよう慎重にラムズの稚貝を容器へ移す。
その手元を、私は思わず覗き込んでいた。
袋の中で小さく動くそれが、どうにも愛おしい。
その様子を、凛先輩が横目でちらりと捉える。
「君、昔フグをよく飼いに来てくれた子だよね。
今日は飼わないのかい?」
不意に、店員が声をかけてきた。
その瞬間、凛先輩の表情がほんのわずかに固まる。
「あの……魚は、もう飼わないって決めてたので」
落ち着いた声。
けれど、どこかだけが硬い。
店員は気づかないまま、軽く笑った。
「そうかい。残念だな。
珍しいフグも入ってるから、見るだけでもどう?」
(うわ……見たい……)
(でも、先輩はもう飼わないって……)
(私から“見たい”なんて、言えない……)
胸の奥がざわつく。
それでも、言葉にはしてはいけない気がした。
その沈黙ごと、凛先輩は拾い上げる。
わずかに、口元がゆるんだ。
「……ふく」
呼び方が、少しだけやわらかい。
「フグ、見に行こうか」
「えっ……でも、先輩……」
「見るだけ」
ひと呼吸おいて、続ける。
「……さっきから、“見たい”って顔してたし」
そっけない言い方なのに、
横顔にはほんの少しだけ“仕方ないな”という温度が滲んでいた。
「ほら、フグのコーナーはこっちだよ」
そう言って歩き出す凛先輩の背中は、思っていたより軽かった。
むしろ、少しだけ弾んでいる。
(ああ……)
本当は、好きなんだ。
なのにそれを全部自分のせいにして、
抱え込んで、線を引いて、
“飼わない”って決めてしまった。
その背中を追いながら、胸の奥が静かに締めつけられる。
水槽の並ぶ一角に着いた瞬間、
「ふく、見て! ドゥボイシィだよ」
弾けるような声だった。
思わず、足が止まる。
こんな凛先輩、見たことがない。
ガラス越しに身を寄せるようにして、
小さなフグを目で追っている。
その横顔は、無防備なくらいに嬉しそうで。
「うわ、なんですかこのフグ! すごい顔ですね」
「だろ、アフリカのマレボ湖に住む固有種なんだよ」
泣きそうになる。
こんなに好きなのに、なんで我慢しなくちゃいけないの。
悪いのは凛先輩じゃないのに。
理不尽だよ……
ゆっくりと鰭をパタつかせて泳ぐその姿に、
凛先輩の心がほどけていくのがわかった。
「ほら、ふく みてて。潜るよ!」
手のひらをガラスに押し当てられそうで、触れない。
そんな距離を保ったまま、でも目は離さない。
その仕草が、なんだか苦しくて。
「先輩……」
呼びかけかけて、やめた。
頭から砂に突っ込んだフグはそのまま砂の中に埋まり、
目と口だけになった。
まるで、本当は全部そこにあるのに、
見せていいところだけを残して、
あとは全部、隠してしまったみたいに。
私は、隣の凛先輩を見る。
その横顔が、少しだけ遠く感じた。
「……また飼いたいな」
ぽつりと落ちたその一言は、
独り言みたいに自然で、
だからこそ胸の奥にまっすぐ届いた。
(……いま、なんて……)
ずっと、聞けなかった言葉。
何度も、何度も。
部室で。水槽の前で。
戻ってきてほしいと願って、それでも届かなかった言葉。
頑なに拒み続けていたはずなのに。
それが、こんなふうに。
何気ない顔で、こぼれるなんて。
視界がにじむ。
「……あれ」
自分でも気づかないうちに、
ぽたりと一滴落ちた。
「あ、あれ……?」
慌てて拭おうとしても、
次から次へと滲んでくる。
「えっ、ふく!? なんで泣いてんの!」
慌てた気配が、声にそのまま滲んでいた。
「え、そんな……なんか変なことした?
してないよね……?」
本気で戸惑っている声。
理由なんて、言えるわけがない。
ただ、
「……なんでも、ないです」
そう答えるのが、やっとだった。
隣で、凛先輩はまだ落ち着かない様子で、
ちらちらとこちらを気にしている。
その距離が、さっきよりも少しだけ近くて。
でも。
どうして泣いているのかだけは、
きっと最後まで伝わらない。




