うずらの卵が落ちた瞬間
私のお弁当の中には、
まるで小さなお重箱みたいな世界が広がっていた。
卵焼きの黄色、プチトマトの赤、ブロッコリーの緑。
お母さんの彩りは、いつだって完璧だ。
そして――
ご飯の上には、サフランで染められたうずらの卵と、
飾り切りのウインナーで作ったしましまの魚が、ちょこんと並んでいた。
それを見つけた凛先輩が、息を呑んだように私を見る。
「それ……アベニーの卵と稚魚をイメージしてるんじゃないか?」
「えっ!? あ、本当だ!」
お母さん、今日のこと覚えててくれたんだ。
お弁当という形で、ちゃんと応援してくれている。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「ふくのお母さん、優しいな。
俺の弁当より、ずっと美味しそうだ」
少しだけ拗ねたように、でも羨ましそうに言う先輩。
「そんなことないです。私、凛先輩のお弁当も食べたいです!」
「……え?」
凛先輩の箸が止まった。
その言葉が予想外だったのか、目を瞬かせて固まっている。
「よかったら……交換、しません?」
勢いで飛び出した提案に、自分でも顔が熱くなる。
けれど先輩は、一瞬驚いたあと視線をそらし――
箸先で鮭をつつきながら、低くつぶやいた。
「ふくがそう言うなら、別にいいけど」
ぶっきらぼうなのに、拒否じゃない。
むしろ口元には、隠しきれない小さな笑みが浮かんでいた。
「じゃあ、これどうぞ!」
私はそっと箸を伸ばし、
オレンジ色のうずら卵をひとつ、しましまウインナーをひとつ。
凛先輩のお弁当箱の隅に、並べるように置いた。
「先輩にも、食べてもらいたくて」
鮭の横にちょこんと添えられたそれを見て、
先輩の肩から、ふっと力が抜けたように見えた。
そして――
見たことのない笑顔がこぼれた。
にやけたような、でも照れ隠しの入った優しい顔。
その笑顔は、弁当の彩りよりもずっと鮮やかで、
胸の奥に焼きつくほど眩しかった。
水槽のポンプ音が、心地よく二人の間に流れる。
やがて先輩は箸を止め、水槽の方へ視線を向けた。
「で? 俺を呼んだの、お昼一緒に食べるだけじゃないんだろ?」
「あ、バレてました?」
「目の前にアベニーの稚魚を泳がせておいて、よく言うよ。
まあいい。卵とウインナーのお礼。なんでも聞いてやる」
ちゃんと、分かってくれていた。
その優しさが胸いっぱいに広がり、思わず本音が零れた。
「あ、でも……お弁当、一緒に食べられたのも嬉しかったです。
先輩のおかず、美味しかったし……その、また一緒に食べたいです!」
その瞬間――
凛先輩の箸から、つまんでいたうずら卵がポロリと落ちた。
「あっ……」
転がる卵を拾おうとするけれど、
震える指先ではツルツル滑ってうまく掴めない。
そして次の瞬間。
先輩は真っ赤になった顔を隠すように、フードを深くかぶり直し、
ぶっきらぼうにそっぽを向いた。
「そういうこと、さらっと言うなよ。
勘違い、するだろ」
ぷいっと背けたまま、ボソボソと続ける。
「べ、別に……かまわないよ。
お弁当くらいなら……また一緒に、食べてもいい」
「本当ですか?」
「ああ。ただ――」
そこで先輩の視線が、水槽の稚魚たちへ向いた。
その瞳は、すっと真剣な色に変わる。
「この子たちがちゃんと育つまで、俺が管理方法みっちり教える。
覚悟しとけよ」
「はいっ、凛先輩!」
こうして、二人だけの秘密の補習が始まった。
凛先輩を独り占めしているような嬉しさと、
少しだけ胸をざわつかせる落ち着かなさが、同時に残っていた。




