作戦完璧、心の準備ゼロ
昼休みになっても、海月先輩からの返信はなかった。
私はお弁当箱をバッグにしまうと、勢いのまま教室を飛び出した。
向かう先は――二年生の教室棟。
昼休みの廊下は、いつもより少しだけ明るく見えた。
胸の奥で跳ねる鼓動は、稚魚が初めて水面に顔を出した瞬間みたいに、ちいさくて、でも確かに世界を揺らしていた。
(だって……本当に食べたんだよ。
昨日まで見向きもしなかったのに、ちゃんと。
これってもう奇跡じゃん! 誰かに聞いてほしくて仕方ない!)
足は自然と二年生の教室棟へ向かっていく。
でも階段の手前で、ふっと速度が落ちた。
(……でも、こんなことで先輩に会いに行くのって、変かな?
私、ただ浮かれてるだけかも)
手すりに触れた指先の冷たさが、勢いだけで走っていた気持ちをそっと引き戻す。
(凛先輩は優しいけど……迷惑だったらどうしよう)
期待と不安が胸の奥で渦を巻き、海月先輩から返信がないことまで不安を増幅させる。
それでも――
(今はこの気持ち、誰かとシェアしたくてしょうがない!)
その勢いだけで、結局私は凛先輩のクラスの前まで来てしまった。
教室はめっちゃ賑やか。
窓からそっと覗くと、すぐ見つかった。
いつもの――窓際、いちばん後ろの席。
「凛先輩ー!!」
「ふく? どうしたんだ?」
(うわぁ……急に“アベニーベビー餌食べました!”って言うの、やっぱり変だよね……!)
「あ、あのっ……」
喉がきゅっと詰まり、用意していた言葉が一気に奥へ逃げていく。
“ごはん食べました”なんて、急にちっぽけに思えてしまった。
そして口から飛び出したのは――ぜんっぜん違う言葉だった。
「そ、そう! お昼、一緒に食べませんか?」
言った瞬間、小さな後悔が胸で弾けた。
(なに言ってんの私!? 本当はアベニーベビーのこと言いたかったのに!)
「いいよ。どこで食べる?」
(えっ……いいんだ。ほんとに一緒に……?)
「あ、今日、部室誰もいないので……部室とかどうです?」
「海月は?」
「お休みみたいで、返信もなくて……。ちょっと心配なんですけど」
「そうか。なら、部室で食べようか」
(ラッキー! これ自然に話せるやつ!)
廊下はさっきより少し静かになっていた。
その中を凛先輩と並んで歩く。
部室の前に着くと、私はいつもより丁寧にドアを開けた。
「おじゃましまーす……って、今日は誰もいないんでしたね」
ひんやりした空気と、水槽のフィルター音。
教室とは違う静けさが、まるで秘密基地みたいに心を落ち着かせる。
「海月、本当にいないんだな。病気か?」
「メールも返ってこなくて……少し気になります」
そして、ここからが本日の作戦タイム。
(自然にいくよ、自然に!)
「あ、先輩! あっち座りません? 窓際、明るくて食べやすいですよ」
何気ないふりで引いた椅子は――もちろんアベニーベビーズの水槽の真ん前。
(ここなら絶対視界に入る! 完璧!)
「ありがとう。じゃあ、いただこうか」
凛先輩は気づいているのかいないのか、水槽の前に座った。
私も隣に腰を下ろし――
(この流れで“そういえば朝ね、アベニーベビーたちが初めて餌を~”って言える!
餌の与え方とか量とか、聞きたいことも全部聞ける!)
完璧な導線。
自分で自分を褒めてあげたいくらいだ。
――と思った矢先。
凛先輩が、お弁当箱を置き、まずフードを外して、そっと頭から抜いた。
黒髪がさらりと広がり、肩へ静かに落ちる。
光を受けて、ツヤっと揺れる。
(やっぱり……凛先輩、髪きれい……。近くで見るとさらに心臓に悪い)
髪を軽く整え、先輩はお弁当箱に手をかける。
ぱかっ――。
「いただきます」
丁寧に詰められた和のお弁当。
その静かな佇まいが、部室の空気とすっごく合っている。
「もちろん、これ先輩の手作りですよね」
「うん。ふくのは?」
「お母さん製です!」
「ふくの弁当、かわいいな。おいしそうだ」
静かな部室。
水槽の前に並んだ椅子が二つ。
そして――
(……え? 今さら気づいたけど、これって)
頭の中ででっかい文字が浮かぶ。
(凛先輩と、二人だけで、お弁当!?)
さっきまで「作戦完璧!」とか言ってた自分を止めに行きたい。
気づくの、遅すぎ。
(えっ!? なにこの状況……私いつの間にこんなイベント用意しちゃってた?)
「ふく?」
「ひゃいっ!」
裏返った声に、凛先輩が少し目を丸くする。
「そんなに驚くことあるか?」
「い、いえ、その……えっと……」
アベニーの話をするはずが、気づけば「二人きりの昼休み」になっていて、
(……どうしよう。作戦どおりなのに、心の準備だけゼロだよっ!)




