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ふくとアクア部の日常  作者: たんすい
第5章:拳一つ半の距離
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二度目の絶望と優しい謝罪

 二度目の採卵。

 その卵も、翌朝には白く濁っていた。


「また、ダメでした」


 私は震える声で呟き、両手をスカートの上でぎゅっと握りしめた。

 孵化するはずだった命が、またカビに負けてしまった。


 海月先輩がそっと覗き込む。


「そうか。残念だったな。

 もっと俺が淡水フグに詳しければ、力になれたのに。すまない」


 優しい声。優しい謝罪。

 その言葉が、弱った私の胸に逆に深く刺さった。


(そんな……謝らないで先輩。悪いのは全部、私なのに)

 でも、心のどこかで、その優しさに甘えたくなる。


(先輩がもっと詳しければよかったのに……)

 なんて、最低な責任転嫁をしそうになって、私ははっとした。


 その瞬間、頭に浮かんだのは――凛先輩の顔だった。


(凛先輩なら、どう言ってくれるんだろう)


 海月先輩を前にして、別の先輩のことを考えてしまった自分に気づき、胸がざわつく。


 海月先輩は、私の小さな揺れに気づいたようだった。

 表情に出したつもりはない。でも、きっと伝わってしまったのだ。


「……ふく」


「はい?」


 海月先輩は静かに笑った。


「今日はちょっと用があるから帰るわ。

 部室、閉める前に消灯だけ頼むな」


 それだけ言って、カバンを持つとあっさり私に背を向けた。


(……あ)


 気づいてくれたんだ。

 私が今、頼りたい相手が誰か。

 凛先輩が部室に来られるように、場所を空けてくれたんだ。


 私は唇を噛み、先輩の背中に向けて小さく呟いた。


「すみません、先輩」


 海月先輩は振り返らず、片手をひらりと上げて歩き去っていった。


 パタン、と扉が閉まる。

 部室が、しん、と静かになった。


 私は深く息を吸い、意を決して廊下へ走り出した。


 二年の教室棟。

 息を切らして教室の扉を開けると――そこに凛先輩がいた。


(待っててくれたんだ。私がまた来るって、わかってて)


 勝手な憶測だとは思う。

 でも、放課後の教室に一人で残るその静かな姿は、そうとしか思えなかった。


「凛先輩。いま、少し話せますか?」


 凛先輩は椅子から立ち上がり、静かに頷いた。


「いいよ。でも部室には行かない。

 ここじゃ教えられることは限られるけど、それでもいいなら」


 その言葉に、私は駆け寄った。


「卵が、どうしても孵化しないんです!」


 絞り出すように声が出た。


「水が真っ白になって、カビてしまって

 二回も、ダメにしちゃったんです」


 凛先輩は、私の必死な顔をじっと見つめたあと、静かに問い返した。


「どうやって管理してる?」


「水槽の水をプラケースに入れて、そこに卵を……あ、エアレーションもしてます!」


「水の容量は?」


「え、その……」


 言葉につまった。

 部室にあったものを、なんとなく使っただけで、深く考えていなかった。


 私の様子を見て、凛先輩は小さく、深い息をついた。


「このままじゃ教えても意味ない。部室には行かない、って言ったけど――」


 ――もうダメだ。

 私は、あべとまめの命を繋いであげることはできないのかもしれない。

 せっかく海月先輩が気を使って部室を出てくれたのに……。


(あ、そうだ)


 海月先輩の優しさを、無駄にしちゃいけない。


「あの!」


 震える声で叫ぶように言った。


「いま、部室には誰もいないんです。」


 その一言に、凛先輩の表情がわずかに揺れた。

 心の内まではわからない。

 でも、何かが動いたように見えた。


「お願いです。凛先輩、部室に来てください!」


 私の必死な声に、凛先輩は目を伏せた。

 ほんの一瞬、迷いが瞳に影を落とす。

 だが次の瞬間、深く息を吐き、呆れたように微笑んだ。


「仕方ないな。わかったよ。行くよ。」


 その言葉が、私の心にじわりとみた。

 諦めと、優しさと、ほんの少しの懐かしさが混じったような、不思議な響きだった。


「ありがとうございます。凛先輩」


 私は大きく頷き、凛先輩の後ろを追うように教室を出た。

 廊下を歩く。さっき私が行きに通った道を、今度は凛先輩と二人で戻っている。


 先輩の黒いフードが、かすかに揺れている。

 その背中は、拒絶していたはずの場所へ向かう、迷いと覚悟が入り混じっているように見えた。


 ――部室の扉が開く。


 数ヶ月ぶりに、凛先輩がアクア部の床を踏み入れた。


 凛先輩の翡翠ひすいの瞳は、まっすぐに―― 私が管理しているアベニーアファー。あべとまめの水槽に釘付けになった。


 その瞬間だった。


「……あ」


 凛先輩の唇から、乾いた空気が漏れた。


「せ、先輩?」


 そして――そのとき、私も気づいてしまった。


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