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ふくとアクア部の日常  作者: たんすい
第4章:冷たい家、温かい朝
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赤い目のフグ

 イルカショーの興奮がまだ冷めないまま、私たちは館内の順路に戻った。

 青く照らされた巨大な回遊水槽を通り過ぎ、アマゾンの淡水魚エリアへと足を踏み入れる。


 幻想的な光に満たされた空間は、どこか現実離れしていて、

 隣を歩く先輩との距離まで、いつもと違って感じられた。


 あまりに楽しくて、つい、心の声が漏れた。


「これってミーティングじゃなくてデー……」

「デ?」

「デ、デ、デ……デカい魚いますよ先輩! ほらっ!」


指さした先には、巨大なピラルクが悠々と泳いでいた。


「うん。でかいな、ピラルク」


(よ、よかった。これは誤魔化せた……

 完全に“デート”なんて言いかけたのバレてな──)


「ふく。」


先輩が、水槽からふと視線を外し、まっすぐ私を見た。


「“デート”って言いかけたろ?」


「っ……!?」


(うわああああああああああああああ!!!)

(誤魔化せてない……! 全然誤魔化せてない……!!)


私は、ピラルクの真似みたいに、口をぱくぱくさせるしかなかった。


 でも先輩は、笑わなかった。

 からかいもしなかった。


ただ、ほんの少しだけ、目元がやわらかかった。


「別に、俺はどっちでもいいけどな」


「…………っ」


(“どっちでも”って、そういう言い方、ずるい)


 水槽の中で光がゆれて、胸の奥まで静かに波が寄せてくる。

 心臓の音まで、水面に落ちて広がっていくみたいだった。


「そんなこと言って、先輩、彼女いるんですか?」


 視線は水槽のまま。それでも確かに届く言葉。


「いないよ。そんな余裕、今までなかったしな」


 先輩の声は、さっきより少しだけ柔らかかった。


「ふくは?」


「私だっていませんよっ!」


(なんで今、そんな勢いよく言ったの私……?)


先輩が、ようやくこちらを振り向いた。


ほんの一瞬、目が合う。


その一瞬が、心臓に触れた。


「そっか」


たったそれだけなのに、

言葉よりちゃんと伝わるものがあった。


水槽の青い光が、二人の間に静かに揺れた。


 会話が、ふっと止まる。

 声を出そうとすると、胸の奥がくすぐったくて、何も言えない。


 並んで歩いているだけなのに、

 空気が少しだけ、近くなる。


その時——


「……あれ」


 先輩が、展示ホール奥のひときわ大きな個別水槽を指差した。

 私も視線を向ける。


水槽の中で、ゆっくりと赤い目が揺れた。


「先輩、あれ、サリバトールですよね!?」


 思わず駆け寄る。

 黄色と黒の虎模様。鋭いくちばし。堂々とした命。


「間違いない。サリバトールだ」


 先輩の声に、微かな震えが混じっていた。


「うわ、本物! 生で見ると、こんな……」


言葉が追いつかない。

ただ、息だけが熱くなる。


近くにいた飼育スタッフの人に声をかけた。


「すみません、このサリバトール……どうされたんですか?」


 スタッフは柔らかく微笑んだ。


「ああ、あの子ですか。フグに詳しい方からの寄贈なんです。

 とても大切に飼育されていた個体で」


「……寄贈?」


先輩が、少しだけ低い声で聞き返す。


「寄贈された方の名前は?」


「申し訳ありません。プライバシーもありますので」


スタッフは首を振った。


——だけど、その一瞬の躊躇ためらいが、もう答えになっていた。


「……翠川。翠川みどりかわ りん、ですよね」


スタッフの目が、かすかに揺れた。


「知り合い、なんですか?」


「はい。同じ学校のアクア部でした」


「翠川さんは、『もうフグは飼わない』と。

だから、引き取らせていただきました」


「そんな、あの凛が……」


 その声は、驚きでも怒りでもなかった。

 消えていく最後の光を、そっと見つめるような声だった。


 水槽の中で、サリバトールは静かに泳ぎ続けていた。

 まるで、何もかもを知っているみたいに。

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