デートじゃないってば!
玄関のドアを開けた瞬間、ふわっと香るのは、焼きたてパンとスープの匂い。
いつもの、あたたかい我が家の匂い。
——だけど今日は、ちょっと違う。
「ただいま〜」
声が、思ったより弾んでいた。
にまにま。にまにま。頬が勝手にゆるんじゃう。
だって、だって――。
「おかえり、彩花〜。あら? なんかいいことあった?」
お母さんの声が、すかさず飛んでくる。
やばい、顔に出てる!?
「え? な、なんにもないよ?」
「ふ〜ん? じゃあその顔はなにかしら?」
「も、もうどうでもいいじゃないっ!」
靴靴を脱ぐ手がわたわたして、私はお母さんの追及から逃げるように階段を駆け上がった。
「後で、何があったのか教えてちょうだいね♪」
「もう! 知らない!」
部屋に飛び込み、ドアを閉めて、息を吐く。
ベッドに倒れ込んだあと、ガバッと起き上がり――
——クローゼット、全開。
「うわぁぁ……明日なに着ていけばいいの〜〜〜っ!?」
制服じゃない。
でも、あからさまに気合いが入ってるのは絶対ダメ。
でも、かわいくはしたい。
「わああああ~~~~~悩む~~~~~~!!」
* * *
夕食のテーブルには、あったかいポトフと、ふわふわのチーズパン。
でも、私の心はそれどころじゃない。
明日の服、明日の髪型、明日の会話……。
「ところで彩花、明日デートなんだって?」
「ブーーッ!?!?」
盛大にスープをむせた。
お母さんは、にやり。
「なななな、なに言ってるのお父さんっ!!」
「違うのか?」
お父さんは眉ひとつ動かさずに言う。なんでそうなるの。
「あら? 違うの? お母さん、てっきり先輩さんとデートかと思ったのに〜」
「デートじゃない! 部のこと! ミーティング! 」
私は慌てて説明した。
「部員が足りなくて……それに、顧問の先生が、いなくなっちゃって……」
その瞬間、空気が一瞬だけ静かになった。
(……近藤先生のことは、言えない。まだ)
「そうなんだ……じゃあ彩花。がんばりなさい。」
「うん……」
あったかい照明が、落ちかけた影をそっと溶かしていく。
「で? どこに行くんだ? デート?」
「だからデートじゃないってば! アクア・リュミエールだよ!」
「……あら? やっぱりデートじゃないのね〜」
「お母さ〜〜〜ん!!」
もうムリだ。
「ごちそうさまでした!!」
箸を置いて、私は逃げるように部屋へ戻った。
* * *
私はクローゼットの前に正座して、中身とにらみ合う。
「……白のカーディガン……いや、甘すぎる……
デニム……いや、普段すぎる……!」
考えれば考えるほど、どんどん迷宮。
でも、ふっと気づいた。
(——先輩と一緒にいられるなら。
きっと、何を着てても、楽しいんじゃない?)
そう思った瞬間。
胸が、ぽっとあたたかくなった。
「……うん。じゃあ、これにしよ。」
選んだ服を丁寧にベッドに置く。
部屋の明かりを落とし、布団にもぐる。
「……明日、たのしみ。」
まぶたが、ゆっくり閉じる。
水槽の水音はないはずなのに、
どこかで、小さな波が、優しく揺れていた。




