アクア部の日常(其の二)
【アベニパファーの水槽の濾過を立ち上げるまでの1週間…】
【3日目】:ソイルとインドの約束
その日の部室は、いつもより少しだけ賑やかだった。
水槽の前に立つ海月先輩が、手にした袋を軽く振りながら言った。
「今日はソイルを入れて、水草を植えてみないか?」
私は勢いよく頷いた。
「はい! アベニーのために、緑の楽園を作りますっ!」
……が、次の瞬間、ふと疑問が浮かぶ。
「ところでソイルってなんですか?」
先輩は少し考えてから、袋の中身を見せながら答えた。
「焼いて小さく丸めた土……って言えばいいかな?」
「えっ、それって……土団子ですね! 私も小学校の頃、よく作りました!」
先輩が顔を上げた。無言。
「表面ツルツルにして、クラスで一番光らせてました!」
「……いや、それ絶対違うから」
そのツッコミが妙に真顔だったので、私は思わず吹き出してしまった。
「えへへ、でも似てません? 丸くて、土で、作るのって……」
「似てない。ソイルは水草のための高性能な土。お前のは……ただの土遊びな」
「えぇ〜! でも、アベニーが遊んでくれるなら、それも意味あるかもですね!」
「……お前、ほんとに変わってるな」
先輩は呆れたように笑いながら、袋を私に手渡した。
その笑顔が、昨日より少しだけ柔らかく見えたのは――きっと気のせいじゃない。
「どんなレイアウトにするかだな」
水槽の前で腕を組む海月先輩が、真剣な顔で言った。
「インドがいいです! アベニーの故郷を再現です!」
「インド!? ……って、どんな水草あったかな」
「ええ!? 先輩知らないんですか?」
私が思わず声を上げると、先輩は少しだけ眉をひそめた。
「いや、正直あんまり……インドって水草のイメージ薄くてな」
「じゃあ、調べましょう! 一緒に!」
私は部室の棚から分厚い水草図鑑を引っ張り出して、
先輩の隣にぺたんと座った。ページをめくるたびに、鮮やかな緑が目に飛び込んでくる。
「これ、リムノフィラ・インディカ……って書いてあります。 インディカって、インドっぽいですよね?」
「お、確かに。細かい葉がふさふさしてて、アベニーが隠れるにはちょうどいいかもな」
「じゃあ、これ採用です!」
ページをめくる手が重なりそうになって、私は慌てて引っ込めた。
けれど、次の瞬間——
ふいに、肩が触れた。
ほんの一瞬。でも、確かに触れた。
先輩の肩と、私の肩が、ぴたりと。
空気が、止まった気がした。
先輩も気づいたのか、少しだけ動きを止めて、視線を本から外した。
私は、目を合わせる勇気がなくて、図鑑のページをじっと見つめたまま、
心臓の音を聞いていた。
「……ふく」
「は、はいっ!」
「インド、悪くないな。アベニーも、きっと気に入ると思う」
「……はいっ!」
その言葉に、私は思わず笑みをこぼした。
肩が触れたことには触れず、でも、なんだか少しだけ近づけた気がした。
水槽の中はまだ空っぽだけど、
私の胸の中には、少しずつ命の気配が芽吹いていた。
【4日目】:謎の刺客? 地味エビの襲来!
先輩からもらったリムノフィラ・インディカを、そっと水槽の底に植えた。
黒いソイルに指を沈めると、ふさふさした葉がゆらりと揺れて、まるで水の中で呼吸しているみたいだった。
「……植えられました!」
私は顔を上げて、先輩に報告する。
先輩は水槽を覗き込みながら、静かに頷いた。
「悪くないな。インディカ、意外と映える」
「アベニーが隠れるのに、ちょうどいいですよね。ふさふさしてて、なんか……優しい感じで」
水槽の中は、まだフグがいない。
でも、水草が揺れている。
濾過器の水流に合わせて、インディカの葉が静かに踊るように揺れている。
濾過器の水流に合わせて、インディカの葉が静かに踊るように揺れていた。
私は、なぜかその揺れに見入ってしまった。
命がまだ入っていないはずなのに、そこには確かに“気配”があった。
水草の影からアベニーがひょっこり顔を出す姿を想像してしまう。
その想像があまりにも自然で、あたたかくて、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「……なんか、うっとりしちゃいますね」
「それはそうと、水質はどうなった。毎日測定しないとダメだぞ」
「はいっ!」
ついに、水質検査シートの色が、あの衝撃的なピンク色から落ち着いた色へと変わった!
「先輩、先輩! 見てください! これって、水槽のコンディションが良くなってるってことですよね!?」
私が興奮気味に報告すると、先輩は「ああ、順調だな」と満足そうに頷いた。
やった! これでアベニーをお迎えする日が、また一歩近づいた!
その時、ふと先輩が自分の水槽に目をやり、小さな網で何かを掬い上げた。
それは、半透明で、なんとも言えない地味な色合いの小さなエビだった。
「……先輩、その……なんというか、あまり華のないエビちゃんは何者なんですか?」
私の率直な感想に、先輩は少しムッとしたように眉を寄せた。
「こいつはミナミヌマエビ。通称“お掃除屋さん”だ。見た目は地味だが、水槽のコケとかを食ってくれる、超絶働き者だぞ」
先輩はどこか誇らしげに答えた。
その言葉に、私の頭にピコーン!と電球が灯った。
「ええっ!? お掃除屋さん!? じゃあ、この荒れ果てた部室もピカピカにしてもらえるんですか!? 素晴らしい!」
私が目をキラキラさせて期待に胸を膨らませると、先輩は冷ややかな視線を私に向けた。
「……おい。部室の掃除担当は、お前だって先週決まったばかりだろうが」
「えーっ! そ、そんなー! まったく使えないエビですね!」
私が頬を膨らませて不満を漏らすと、先輩から間髪入れずにツッコミが飛んできた。
「お前がだよっ!!」
一瞬の沈黙。
そして次の瞬間――。
二人で顔を見合わせて、同時に吹き出した。
先輩のツッコミは相変わらずキレッキレだ。
地味なエビのおかげで、またひとつ、先輩との楽しい思い出が増えた気がした。




