表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

アクア部の日常(其の一)

アベニパファーの水槽の濾過を立ち上げるまでの1週間…


1日目:気まずいおはようと、ピンク色のシグナル


 昨日の出来事が、まだ瞼の裏に焼き付いている。

 先輩の寂しそうな横顔。こらえきれずに溢れた私の涙。そして、困ったように差し出された、温かいハンカチ。


(……どんな顔して会えばいいんだろう)


 翌日の放課後、部室の扉の前で、私は大きく深呼吸をした。心臓が、昨日とは違う意味でドキドキと音を立てている。意を決して扉を開けると、静かな水音と共に、いつものように窓際に立つ先輩の姿が目に入った。


 お互い目があったもののすぐに言葉が出てこない。


「……や、やあ、ふく」

「……せ、先輩っ……あ、あの、昨日は……っ」


 先に声をかけてくれたのは先輩だったけど、その声はいつもより少しだけ硬い。私も私で、緊張のあまり声が裏返ってしまった。気まずい沈黙が、埃っぽい空気に重くのしかかる。


 何か、何か話さなきゃ。そう思った私は、洗い立てのハンカチをぎゅっと握りしめ、先輩の元へ駆け寄った。


「せ、先輩!これ、ありがとうございました!ちゃんと洗って、アイロンもかけました!」


 差し出されたハンカチを見て、先輩は少しだけ目を丸くすると、ふっと息を漏らすように笑った。


「……あ、ありがとう。別にそこまでしなくてもよかったのに」


 その、ほんの少しだけ和らいだ表情に、私もようやく肩の力が抜けていく。


「さて、と。……感傷に浸るのは昨日までだ。やるぞ、ふく」

「はいっ!」


 先輩が指さしたのは、私が立ち上げるはずの水槽だった。


「まずは水質検査も覚えないとだな。そのシートの、色が変わる部分を水に浸してみろ」


 言われた通り、まだ空っぽのガラスの世界にシートを浸すと、紙片は瞬く間に鮮烈なピンク色に変わっていく。


「わっ……ピンク色に変わりました!綺麗な色ですね」


 背後から覗き込んだ先輩が、静かに頷いた。


「……アンモニア値、振り切ってるな」

「えっ……アンモニアってどうしてです? それってそんなにヤバことなんですか?」

「そうだな、入れたらフグが星になるかもだな」


 私は思わず目を丸くする。


「ええええええ!?星になるって……死んじゃうってことですか!?」


 私の狼狽ぶりに、先輩は「だから焦るなって」と、呆れたように、でもどこか優しい声で言った。


「まだ1日目だ。ここからバクテリアが仕事をして、水槽の神様のご機嫌が直るのを待つんだ」

「水槽の神様、はやくアベニーが飼える環境になって下さい!!」


 私の変なお願いにもふっと微笑む海月先輩。


 その不意に見せた柔らかな表情に、胸の奥が微かに熱を持つ。

 水槽の危機を示す鮮やかなピンク色よりも、すぐ隣にある先輩の横顔の方が、よほど私の心を乱す危険なシグナルだということに、私は気づいてしまった。



2日目:甘くて危険なふぐの罠!?


 その日の部室の扉を開けると、甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐった。見れば、先輩が水槽の横で、コンビニの袋から取り出したであろうシュークリームを頬張っているではないか。


「せ、先輩!それはいったい……!?」


「ん?ああ、これか。新作が出たんだ。楽しみにしてたんだよ」


 先輩はもぐもぐと口を動かしながら、気だるそうに答える。その姿は、いつものクールな先輩とは少し違って、なんだか可愛らしく見えてしまう。


「奇遇ですね、先輩!実は今日、私もとっておきのスイートなウェポンを持ってきたんですよ!じゃじゃーん!『ふぐのお汁粉』ですっ!」


 私は得意げにカバンからピンク色の可愛らしいパッケージを取り出した。その瞬間、シュークリームを咀嚼していた先輩の動きがピタリと止まった。


「……は?ふ、ふぐの……お汁粉って、そんなのあるんだ……」


 先輩が、かつてないほど目を丸くして絶句している。その反応が面白くて、私はさらに畳み掛けた。


「ふふふ、実はあるんですねー、これが!甘くてとってもデリシャスなんですよ?先輩も一口いかがです?」


「い、いいのか?……。そこまで言うなら、試してみようかな……」


 先輩は若干引き気味ながらも、未知なるスイーツへの好奇心には抗えなかったようだ。私は早速、給湯室でお湯を注ぎ、準備を始める。


「いいですか、先輩?このお汁粉の真髄はですね、こうやってお湯を注いだ後、ふぐの形をした最中のお腹をですね……優しく、こう……ぐさっと!」


 私がスプーンでふぐの最中を勢いよく潰すと、


「ちょ、ヤバイって、潰すのかよ!?」


 先輩の鋭いツッコミが飛んできた。


「はい!そうすると中から、とろ~りとした魅惑のあんこが出てくるんですよ!」


「……なんか、ちょっとエグいな、それ」


 先輩は若干引きつった笑みを浮かべている。しかし、一口食べると、その表情はすぐに驚きへと変わった。


「……ん!美味しいです!このあんこの甘さと、ほんのり塩味が絶妙で!」


 私が満面の笑みでそう言うと、先輩も恐る恐る一口。


「……まあ、悪くないな。意外といける」


 そう言って、先輩も小さく笑った。二人で並んで、世にも奇妙な「ふぐのお汁粉」を頬張る。窓から差し込む西日が、私たちの影を長く伸ばしていた。なんだか、秘密を共有した共犯者のような気分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ