優秀な地方長官の嫁となった私は、皇族と結婚した姉から一族の面汚しとののしられて生きてきました
「一族の面汚し!」
皇族である常王様に嫁いだ姉が、私に投げつけた言葉は、今でも耳の奥にこびりついている。
我が家は、かつてはそれなりに名の知れた貴族だった。でも、両親が亡くなると家運はあっという間に傾き、姉が皇族に嫁いだのが栄華の頂点。そして私は、地方長官を歴任する、家柄だけ見れば格下の男性と結婚した。
これが姉の癇に障ったらしい。
「よりにもよって地方役人の妻に成り下がるとは! もう貴女とは顔を合わせることもないでしょう」と吐き捨てるように言い放ち、それっきり一度も会うことはなかった。
でも、後悔なんて微塵もない。
私の旦那様――夫は、中央の貴族たちのような気取ったところはないけれど、すごく優秀な人なのだ。赴任した土地の民からは神様みたいに慕われているし、朝廷のトップである丞相様からの信頼も厚い。皇帝陛下からお褒めの言葉をいただいたことだってある、自慢の夫だ。
家柄や身分がなんだっていうのよ。私は、誰よりも幸せだもの。
……なんて、自分に言い聞かせるように強がっていられたのも、姉が生きている間の話。
その姉と常王様が、流行り病でポックリ逝ってしまったのだから、人生は何が起こるか分からない。残されたのは、一人娘の姫様。つまり、私の姪っ子。
この姪っ子が、まあ、なんというか……残念な子だった。
母親である姉の傲慢さはしっかり受け継いでいるのに、その美貌はこれっぽっちも遺伝しなかったみたい。趣味は悪いし、教養もない。両親を亡くして後ろ盾がなくなった彼女の暮らしは、あっという間に困窮を極めた。
壮麗だった常王様の宮殿は見る影もなく荒れ果て、庭は蓬のような雑草だらけ。でも、宮殿の庭にある瑠璃色の池だけは、昔と変わらず美しい水を湛えていた。帝都ができるよりもはるか昔からあるというその池は、『異界と繋がっている』なんていう、ちょっと不気味な伝説付きだ。
血の繋がった姪っ子が哀れな境遇に陥っても、姉からは一族の面汚しと縁を切られた私にはただ見守るしかできなかった。
そんなある日、私の屋敷に、昔、実家にも仕えていた侍女の老婆が訪ねてきた。彼女は今、姪っ子の世話をしているのであけど、聞けば、姪っ子のところへ「この世のものとは思えないほどの美貌」を持った、貴いお方が夜な夜なお忍びで訪れているというのだ。
はぁ? 何それ。
あまりのことに、私は思わず眉をひそめた。
惨めな暮らしのせいで、あの子もついに妄想の世界に逃げ込んじゃったわけ? それとも……、私の脳裏に、あの瑠璃色の池の景色が浮かんだ。
まさか、あの不気味な池に住むっていう、物の怪の仕業?
どっちにしても、血の繋がった姪が物の怪にでも取り憑かれているなら、話は別だ。姉には縁を切ったと言われたけど、その娘を見捨てることはできない。
私は意を決して、ボロボロになった常王様の宮殿へ向かった。
「姫様、久しぶりね。こんな所に一人でいたら、気が滅入るでしょう? よかったら私の屋敷にいらっしゃいな。うちの娘たちの遊び相手にでもなってくれたら嬉しいわ」
精一杯の優しさで、私はそう申し出た。
ところが姪っ子は、うっとりとした目で虚空を見つめながら、静かに首を振る。
「まあ、叔母様。お心遣いは嬉しいけれど、結構ですわ。私、ここで愛しいあの方のお迎えを待っていますの」
その言葉に、私の中で何かがぷつりと切れた。
あの美しい姉とは似ても似つかない赤い鼻の姪の顔に、ふと姉の面影を感じた。抑えつけてきた姉への妬みが、堰を切ったかのように噴き出したのかもしれない。
「お迎えですって!? よく聞きなさい!今の貴女に何があるっていうの!? 財産も、美貌も、気の利いた趣味も、まともな教養すらもないじゃない! そんな貴女を、一体どこの誰が迎えに来てくれるっていうのよ!」
言ってしまった。
我ながら、なんて酷い言葉だろうと後悔した。何も持たない娘に言っていい言葉じゃない。でも、それが紛れもない事実だった。
しかし、姪っ子は私の言葉に動じる様子もなく、ただ穏やかに微笑んでるだけだった。その表情は、まるで遠い場所にいる恋人を夢見ているかのようだった。
それからしばらくして。
屋敷に顔を見せなくなったあの老婆を心配して、私が使いの者をやると、衝撃の事実が判明した。
宮殿は、もぬけの殻。姪っ子も、老婆も、忽然と姿を消してしまったのだ。
近所の人たちは、ひそひそとこう噂しているらしい。
「ああ、常王様の姫君は、とうとう池の物の怪に攫われちまったんだよ……」
今でも、私は時々考える。
もしかして、あの残念な姪っ子の前に現れたっていう人ならざる美貌を持ったお方は、本当に存在したのだろうか。
そしてその正体は、あの瑠璃色の池に住む、異界の主だったとしたら……?
現世の価値では何一つ持っていなかった姪っ子は、人ならざるものに見初められて、おとぎ話の姫君のように、常世の国へ嫁いでいったのだろうか。
それって、果たして幸せな結末? それとも、やっぱり怪談?
私にはもう、分からない。
ただ、あの静かで美しい池のことを思い出すたびに、言いようのないゾクゾクした気持ちになるのだ。もしかしたら、姉が勝ち誇った顔で手に入れた皇族という身分より、ずっと価値のあるものを、あの姪っ子は手に入れたのかもしれない、そう思うと、背筋が寒くなるような、羨ましいような、奇妙な感覚に囚われるのだ。